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ロンギヌスじゃないよ、ロンギノスだよ 西洋古典叢書の新刊

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(向いてない割になんか気になる古代ギリシャの世界。京都大学の西洋古典叢書で今度、ロンギノスという人の論集が出版されたようだ。税込4,968円にて発売中)

2017年は哲学思想にドップリ、ショーペンハウアーさんが名文家だとか、ルソーさんがヴォルテール以上にキテる人だったなど、色んな発見が。

清水書院のセンチュリーブックスのほとんどに目を通してわかったのだけど、やはり自分が「なんかキョーミ持てない」分野として、古代ギリシャとインド哲学と仏教思想が浮かび上がってきた。

ある意味、地図を塗りつぶしてるみたいなもんで、シリーズ全巻に目を通したはずが、あれ、この区画だけキレーに色が塗られてないみたいな。

好き嫌いというより、頭に入ってこないという感覚だから、「体質」みたいなことなのかも。同じ古典でもラテン語は割合一生懸命やっているし。

とはいえ、ヨーロッパ思想の2大潮流がラテン語とギリシャ語だから、向いてないなりにギリシャ語にも関心は続いている。

それで言うと、なんかの本で名前だけ知った「ロンギノス」さん。決して有名ではない、どころか、どマイナーな古代の書き手の名前になんか引っかかったのは、きっと「ロンギヌスの槍」が頭にあったからだな(^∇^)

実際、ロンギノスとロンギヌスは違うものらしいけど、この古ーい時代に文芸批評的なことをやっているというのに興味が湧いた。

古代ギリシャというと演劇と哲学が2本柱だから、そのどっちにも馴染めない中で、文芸批評は珍しい。古代ギリシャと言っても、アレキサンドリアとか、時代と場所は違うかもだけど。

京都大学の西洋古典叢書、こうしてラインナップが揃ってくると、法政大学出版局の叢書ユニヴェルシタスと印象がカブるな。その価格帯含めて( ´ ▽ ` )ノ

*でもアチラのハードカバーとか探すと、この倍はするのがズラッと揃ってるから、あんま驚かなくなってきた
*Brill社なんかはその最高峰だなー、眺めてるだけでお腹いっぱいです(´∀`)


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# by ulyssesjoycean | 2018-01-17 12:00 | Comments(0)

ピコピコ武者修行に出るときは、「3つのアイテム」装備から

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(アリスに出てくるバケモノっぽいところまで来て、やっとこの『プログラムはこうして作られる』の意図が見えてきた。逆に今こそこの本に再入門すべきかな。平山尚『プログラムはこうして作られる』は、秀和システムから税込1,944円にて発売中)


ピコピコ武者修行も、多少は知識がついて環境も整ったので、ちょこちょこと進めてる形。


アリスに出てくるバケモノっぽい名前にも着手したし、蛇三も入れてみたりして。


ただこれ、 「サッサと終わらせたい」という気持ちの方が近いかもしれない。こういう基礎レベルのことは済ませてしまって、いちいち参照しなくていいようになりたい、みたいな。


語学の場合も、ひとつの言語をキッチリ身につけると、それ以降はそこまで大変ではない。ひとつ目を身につけるときは「自分に適した身につけ方」も身につけなくてはいけないから。


ちょうど今のピコピコ修行もそんな感じで、基本的なところをカッチリおさえるのにキューキューとしてる感じ。


各種のピコピコ参考書のお世話にもなるんだけど、ピコピコ界は「若い頃から適性ある人向け」に書かれてるものがほとんどなので、自分のように「やむにやまれず」やり始めたニンゲンには適してなかったりする。


*よくよく考えれば、全ての「参考書」「入門書」はそうした傾向強いかもしれないけど


で、何が合わないのかなーと考えてみると、ピコピコ界の風潮として「まず全体を網羅」して、必要あったら「網を引く」みたいな。ぜんぶを一通りやって初めて実際のモノに取り組む、みたいな。


ところが自分の場合、「まず実際にモノがある」状況からスタートしてるので、「網羅的に学習する」のは非効率になっちゃう。


ピコピコ修行を始めた理由も、「ソレハナイ」的なイベントがあったことから「自分でやっちゃった方が早くない?」と思い切った面がある。


そうすると「この状況をナントカするための力と方法」がまず必要なので、「いつ使うのかわからない方法も一緒くたに学ぶ」のはキツイ。


そこから悪戦苦闘して分かったのは、冒険に出る前に「そうび」しないといけないアイテム3つあるということ:


1.思った時にパッと使えるピコピコマシン

2.命令文を打ち込むための編集者ソフト

3.用語の「語源」解説


1.についてだけど、こっちはもうデッカいピコピコに向き合うのは「イコール肩コリ」な印象しかないので、その負担をいかに減らすかが要になる。


それも、いざ使おう!となってからモッサリしてるマシンだとその間にやる気がなくなるので、「本棚のマンガ本を立ち読みする」くらいの手軽さで点けたり消したりできるのが最高。


将来的にはメソポタミアの粘土板と同じ名前のやつで出来るようになるそうだけど、とにかく「思い立ったら即実行」できないと、「致し方なく始めたピコピコ修行」には大ハンデと悟る。


2個目なんだけど、これは『Brackets』さんがあったおかけで解決! というより、他の編集者ソフトではピコピコ修行を続けてなかったな。


なぜそう言い切れるかと言うと、色々な編集者ソフトで試しては止めてたから(^∇^)  だってねえ、まず文字がちっさいんだもの。


それは設定から変更できたのかもしれないけど、ピコピコ本体を点けるところから抵抗あるのに、細かいところの設定してまで使いたくないYo!という後ろ向きスイッチがスゴイ。


それがBracketsさんでは「予測変換」「見やすくて大きな画面」「書いたものチェック機能」まで付いてるので、肩コリに悩む初心者としては本当にありがたい。


で、最後の3つ目なんだけど、実はこれが一番の難関だったりする。1と2は機械と、その機械に入れて使うソフトだったから何とかなるけど、「用語の由来」は殆ど情報がない。


自分が一番最初に知りたかったのは「href」。読み方がわかんないから発音のしようがないもんな( ´ ▽ ` )ノ   「フレッフ」とかテキトーに読んでました。


*そもそも発音しないでしょ、と言われても、「現実の状況」からスタートしてると「発音できない」のは会話の時に大変コマルのです


結果、(諸説あるものの)「hypertext reference」の略らしいと掴めてから、問題なくやっていける。


ーーこういうのが一事が万事で、「aの1文字でanchorを連想させるのはムリがある」から、「elseは『別の何か』という意味の方のelse」と確認してかなきゃいけない。


いっそぜんぶ英語にしてくれればいいのに、と、数学をやった時と全く同じことを思ったな(^∇^)。「演算子」は「operator」の方が分かりやすくない?という。「引数」より「parameter」の方が用語として的確な気がしてならない。


逆に、そこがきちんとフォローできるようになれば、後から始めたピコピコ武者修行もそう悪いもんではないな、というのが今の心境。


ただこの、最初から向いてる人と、後からスタートする人のズレってのはメチャメチャ大きい。これも結局、ピコピコの世界に限らないわけだけど。


前に高千穂遙さんの自転車本を読んでいて、「自転車の法律作る人は、1日でいいから自転車に乗って実際に走ってみてくれ」という内容のくだりがあったな。


世の全てはそういうモンかもだけど。「自転車に関わる人は自転車に乗ろう」という。でもそれがそうなっていかないのはなぜかな、なんて。


せめてものことに、自分用に「ピコピコ用語の由来ノート」だけでも作ろうかなと思案したり。用語の説明はいっぱいあるんだけど、「なんでその表現になったか」はまるで見当たらないから( ´ ▽ ` )ノ


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# by ulyssesjoycean | 2018-01-12 18:00 | Comments(0)

『文学問題』とプルースト、「書き言葉」を思う

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(賛否が分かれすぎの夏目漱石『文学論』を、みんながちゃんと使えるようにしようと編まれた『文学問題(F+f)+』。先日やっと一読できたので、ここから自分の貼ったポストイットや、欄外の部分を読み込む2周目がスタート。なんだか「やりこみ」系のゲームみたいだけど(^∇^))


山本貴光さんの『文学問題(F+f)+』(幻義書房)をようやく一読!  エフエフと名前が付くだけあって、やりこみ要素満載のゲーム一本をクリアしたような達成感。


当然、ここから2周目が始まるわけだけど、まずは初回プレー時の印象、じゃなかった、一読の印象をひとつ。


夏目漱石さんは「文学」という言葉の曖昧さに納得いかず、その成立条件とか、そのルールを見つけようとしたみたい。


最近自分でもアチラの仲間と組んでやり取りすること多くなり、「言葉の定義がハッキリしないまま会話するのはマズイ」と直感。


ピコピコで何かする場合、「ボタン」「パーツ」「部品」みたいに言い方が複数あると大変ややこしい。特にまだ会話段階だと結構厄介。


それで、まだモノはないから絵を描いて、ここのこの部分はこの名前にしよう!なんて音頭取りをしたりする。実際「ちゃんとした名前をつける」のもデザインの一環なんだそうな。


実際に目に見えるモノができる世界でもそうなのに、言葉を相手にした「文学」で「定義のしようがない」もしくは「人によって定義が全然ちがう」のは、漱石さんにとって我慢ならなかったはず。


ところが今もって何が文学で何が文学じゃないかはサッパリ分からない上に、そもそも「本を読む」こともよく分かっていないそう。


ーーこうしたことを山本さんの大冊で頷きながら、時にそうかなぁと首をひねりながら楽しんだけど、読み終わってみて思ったことが一つ。


読中読後、一貫して思い出したのがプルーストさんの文章。今回の『文学問題(F+f)+』を読みながら、「プルーストさんみたいだな」という思いが。


比喩とか例えのタイミングなんかもそうだし、オー、これはプルースト、なんて。同時並行でプルーストの評論を読んでたせいもあるだろうけど(^∇^)


ところが、前著の『百学連環』ではそうした印象なかったから、今回の文学問題エフエフでは、伴奏者がプルーストだったのかなと勝手に思うことにした。


で、プルーストさんのあんま有名じゃない評論を読んで見ると、漱石さんが『文学論』で取り組んだこととプルーストさんの言いたいことが何かしら共通してる印象ある。


プルーストさんもサントブーヴに反論するところから作品作りをしてった面大きいので、今ある批評のやり方に「そうじゃないだろう」と正面から向かっていったのが漱石さんと似てるのかも。


なんにしても、なーんか気になることをプルーストさんが言ってる雰囲気が伝わってくる。『文学問題(F+f)+』も、自分なりの文学論がテーマなわけだから、プルーストさんを副読本にしておこうっと(´∀`)


あとはもっと心理学よりに行っちゃうと、読書以前に「書き言葉」ってなんだろう?というのがある。


漱石さんもプルーストさんも「文字を読む(=書き言葉の世界に入る)」ことについては前提条件にしてる様子。それはフツーのことだから取り立てて説明しなくていい、みたいな。


一方で、いわゆるÉcoleでÉducationがうまくいかねーという場合、この「書き言葉に入れない」のが結構大きな理由みたいで。


自転車に乗れるようになった後、自転車に乗れなかった状態(以前)は思い出せないように、書き言葉の世界にも入れるようになってからでは、入れない人の気持ちはわかんない部分も。


本がキライだーという人の話もよく耳にするし、それに対して教養主義的な反論をしてるのも目にするけど、「じゃ、さほもそもの書き言葉ってなんなの」というのは気にかかる。


ヴィゴツキーさんの本を読んだら「書き言葉の世界に導くのが教師の役目」と書いてあったから、「話し言葉」と本質的にちがうものなんだよ、と。ヴィゴツキーさんはそこに気づいてたのがスゴイ。


さっきの自転車の例えじゃないけど、書き言葉の世界に入るためには、何らかの訓練が必要なんだろう。決して「自然に」「誰にでも」「何もしなくても」身につくものではない。


言われてみれば、自分も最初はショートショートとか、ものすごく短いものを読んで、その後に短編小説、そしてなにかのきっかけで「一冊の本を読んでみよう」とした記憶ある。


あれ、そういう段階を全部すっ飛ばして、大人向きの小説を丸々一冊読みなさい、というのは、ムリがあるんじゃなかろうか。自転車に乗ったことない人に、ツーリングに行けレベルで。


このまま書いてくと長くなるばかりだけど、プルーストさんと並んで、書き言葉って何かなとか、やたら本質論なことに目を向けさせてもらう貴重な体験でした。


あとはこっから『文学問題(F+f)+』の欄外注を一生懸命チェックするんだろうなー( ´ ▽ ` )ノ  なんか「音声学」の話は読んでる時から気になってたんだけど。



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# by ulyssesjoycean | 2018-01-07 12:00 | Comments(0)

これは文系理系の「橋渡しヒント集」? 山本貴光『文学問題(F+f)+』を改めて

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(2017年は数学+ピコピコにガッツリ取り組むことができたので、2018年はその逆のアプローチ、「語学がキツイ!と感じる理由」をテーマにしたい。で、山本貴光さんの大冊『文学問題(F+f)+』を読んでたら、あ、なんかそのヒントが書いてある!と感じたな。幻義書房から税込3,888円にて発売中)

2016年からスタートさせた数学学び直しを土台にして、2017年はピコピコで旧跡を自分一人で作れるところまで来た!

で、数学もピコピコもやってみてわかったことは、語学系とは「アプローチがまるで逆だ」ということ。

語学人(*自称)の観点からすると、母語じゃない言語に取り組む時は「歴史や文化」「その言語の文脈と全体像」「一定以上のインプット」じゃないかなー。

これをもっと大雑把に言うと「大きなワクから小さなワクに降りていく」感じ。地図で言えば、大陸(デカイ)→国(そこそこデカイ)→市町村(それなり)→住んでる場所(一点)の順番。

で、自分なりの理解で言うと、数学&ピコピコはこれが逆アプローチなんだな。自分の住所からスタートして、建物や道路を確認しながら市町村へ、それがだいぶ進むと国の単位が出てきて、やっと最後に大陸、みたいな。

山本貴光さんの『世界が変わるプログラム入門』でまずビックリしたのがそれだったな。「XY座標があるなら、まずXから決めていこう」という。

これを読んで、「ええっ?! XとYを別々に処理するの?!」と大衝撃。(X,Y) = (3.7)とか、パッとやれないの?と大ショック。

それまで「ここまで小分けにする」考え方をしたことなかったから、山本さんの新書を読了するのに1ヶ月弱はかかった気がする。それくらい「自分に全く馴染みのない発想」だったんだなー。

「大きなワクから」スタートしてた人間が、「それ以上小分けにできないレベル」からスタートするのだから、発想が真反対。

今は前提知識も増えたし命令文即座を打ち込むのもオーケーになったけど、最初はかなり抵抗あった。たぶん「自分が『当たり前』にやっていることを一旦ほぐす」必要があるからだろう。

そんな経験を2年かけてしてくると、外国語がツライツライという人にも、何かしら学び方のミスマッチがあるんではないか、と思ってしまう。

さっきの考え方を逆さまにすると、「まず小分けにするのを止めましょう」「可能な限り大きな全体像を先に決めてから」なんて言われたら相当困るんじゃないかな。

つい先日、ピコピコの「どこまでキッツイの耐えられるかお試し」参考書を読んでたら、「イナゴ」という道具名から『出エジプト記』への連想がゼロなことに愕然としてしまった。

その「イナゴ」道具を作った人は『出エジプト記』のモーセさんのエピソードを命名の由来にしてるはずなのに、これでは作者があまりにフビン、と思ってしまう。

こういう、「領域ごとの知識のギャップ」はどうにかならないものだろうかーーというのを年末に考えこんでしまったので、それが結果的に今年のテーマかな、と。

そんなこんながモヤモヤしてた時に『文学問題(F+f)+』で漱石の思想に触れて、「あっ! これは何かヒントがあるぞ!!」と感じた次第。

ただ困ったことに「何かヒントがある」という直感がまずあって、それが何なのかは「後からわかる」のだからやりきれない。

前にミヒャエル・エンデさんが、絵画に描かれるイエスを見ても漠然とした印象しかなかったのが、トリノの聖骸布を見て「間違いない、これがイエスだ。なぜ知っているのか、わからないけれども(^∇^)」と笑いを交えて語ったエピソードを思い出す。

今年もキホン、何かしらを調べてる時の直感を道しるべに、「どうもコッチじゃないかな」と脱線しながらやっていきたいと思います( ´ ▽ ` )ノ

この1〜2年で「自分がもともと得意じゃないことの方がオモシロイぞ」と気づいた面もあるので、ケーエンしてきたピコピコや自然科学(+工学)方面の探索はしばらく続きそう。

そんな1月1日の投稿でした(^∇^)

おまけ:『文学問題』に出てくる漱石さんの考え方。「西田幾多郎じゃないの?」と思うくらいソックリな考え方。漱石も西田も同世代らしいけど、発想があまりにも共通しててビックリ。



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# by ulyssesjoycean | 2018-01-01 13:49 | Comments(0)

ほっこり系マンガばかり読んだ2017年、『こぐまのケーキ屋さん』の発売が待ち遠しい!

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(2017年は楽しむマンガの冊数が他のジャンルに比べて減ってしまったと反省。少ないながらも再三再読したのが吉川景都さんの『子育てビフォーアフター』。作者のヘンボーぶりがすごい(^∇^)。新潮社から税抜き560円にて発売中)

2016年はアニメーションに触れる機会がパターンとなくなり、2017年は限られたマンガ作品を何度も何度も読み込む形になったなー。

吉川景都さんの『子育てビフォーアフター』はそうした一冊だけど、あんま馴染みない(申し訳ない!)新潮社のバンチ系コミック。

それでハタと気づいたけど、『モブ子の恋』で単行本を発表した田村茜さんも、これもまた馴染みなかった(失礼!)ゼノンから。
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こういうのって往々にして、キーになる編集者さんが邁進した結果だったりするんだよなー。

一時期愛読する作品の単行本を見たら、奥付の欄に出てくる「担当編集」が同一人物だったなんてことも。

ヒョンなことから大反響になった『こぐまのケーキ屋さん』、単行本化はすでに決定してるそうだけど、版元はどこになるのか、そうした観点からも楽しみだったりする。
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(こぐまのケーキ屋さんは週刊+まとめ掲載でニュースサイトでも読めるようになつたそうです。出典:

近年は「力の入ったものすごい作品!」よりも、こうしたミニマルな世界でほのぼのしたものが読者としては楽しみになってきたなー。

ここまで書いてきてわかったけど、2017年はほぼ毎日何かしら「絵を描く」作業をしてきたので、読者としてマンガに触れる圧が減ったのかもしんない。

もちろん自分が描いてるのはマンガじゃないけど(^∇^)、日常的に絵を描いて、更にその作業の満足度高いから、活字の方にエネルギー向かったのかも。

まあそんなこんなですが、2017年もこの脱線ブログをお読みくださり、ありがとうでした( ´ ▽ ` )ノ  

*新年とかの区切りはあんまないので、気が向いたのが新年次回の投稿になる予定

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# by ulyssesjoycean | 2017-12-31 15:53 | Comments(0)

2017年の読書大賞は「清水書院のセンチュリーブックス」が受賞ヽ(´▽`)/

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(前にカントを調べようとして、入門書としてオススメ頂いた清水書院のセンチュリーブックス。2017年はシリーズをほぼ全巻通読[!]したので、本当にお世話になった。どれも一冊1,000円以下なのが嬉しい(^∇^))


時期的に2017年のベスト作品などコメントする時期だけど、今年に限って言えば、「清水書院のセンチュリーブックス」しか思い出さないなー。


2017年は「哲学思想」「経済学から見た心理学」「ピコピコ学」が3本柱。


で、哲学思想部門のトップ受賞が、「清水書院のセンチュリーブックス」という、シリーズそのものになるという。


センチュリーブックスの特徴として、前半は「思想家の人生」、後半は「その人の思想」という構成がある。


その思想が生まれた時代背景とか、その人の交流が見えてくることで、より考え方が立体的に捉えられる、なんて。


でも1番の特色は、「その思想家を担当した著者が、自分と思想家との関わり」を土台にしてることだろう。


シリーズの編集者的立ち位置にある小牧治さんが顕著だけど、大正時代の農村に生まれ、なぜかくも貧しいのかという痛切なギモンからマルクスに向かった、とかとか。


それでマルクスが好きになるわけじゃないけど(^∇^)、やっぱりそういう「抜き差しならない思い」からスタートした学問は、こちらにも訴えるものがあるんだな。


*この小牧治さんが専門とされたカントの一冊がべらぼうに面白かったので、シリーズ自体のファンになった気もするし


センチュリーブックス(ほぼ)全巻通読の1年だった中で、さらにそこからベスト作品を選ぶとなると、工藤綏夫『キルケゴール』かな。


ーーというか、2017年で「再発見」できたのは、このキルケゴールさんだろう。


19世紀はそれまでの考え方と新しい考え方がぶつかって、色んな人が色んな方法でもがいていた時代みたいだけど、このキルケゴールさんは心を打つものがあったなー。


自分はクリスチャンじゃないけど、聖書は文語訳を取り寄せるくらいだから、未だに「なんだろう?」という関心が続いてる。聖書は「世界一のベストセラー」だから、そりゃそうかもだけど( ´ ▽ ` )ノ


キルケゴールさんは完全に形骸化した教会や信仰を、本来的なキリスト教の姿を取り戻そうとしてムボーな戦いをスタートさせた人。


キルケゴールさん自身、神学を学んで牧師資格を持ってるくらいだから、当時の教会についてなんか言えばそれがぜんぶ自分に返ってくるんだな。


それで大いに迷ったり、振り切ったりして執筆してるところに、けっこうグッと来るものがある。キルケゴールさんの本を読んでて、ボロボロっと泣いたりしたもの。


そういうキッカケを与えてくれたという点で、2017年の読書部門は「センチュリーブックス」が受賞!  受賞ったって、「みうらじゅん大賞」みたいなもんだけど(^∇^)


ただここまで持ち上げててなんだけど、センチュリーブックスでは、明らかにドイツ系、イギリス経験論に名作多くて、フランス系はヌーというもの多いのでご注意を。


ただその中でこりゃすごいと思ったのは『ルソー』。これは良いですヽ(´▽`)/  ルソーさんの「どうかしてる」エピソードも多数収録されてるので、フランス系ではイチオシ。


あ、ルソーさんはスイスの生まれだから、「フランス語圏」が正しいけれども。


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# by ulyssesjoycean | 2017-12-30 12:00 | Comments(0)

吉川景都『子育てビフォーアフター』第2巻は2018年1月9日発売!

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(2017年で一番読み返したマンガ、吉川景都さんの『子育てビフォーアフター』。第2巻が2018年1月9日に発売されるということで楽しみすぎる(^∇^)。画像出典はコミックバンチ編集部より。http://www.comicbunch.com/blog/?p=1335)


もはやサツバツとした話に対する耐久力が、ナポレオンのロシア遠征並みに弱体化してるので、日本語なら古文、マンガなら赤さん。そんなすみ分け。


で、2017年にリピート回数最多を記録したのが吉川景都さんの『子育てビフォーアフター』。赤さんだけでなく、吉川家の4匹の愛猫が個性的なので、期せずして「赤さん対ネコ軍団」に。戦うわけじゃないけど( ´ ▽ ` )ノ


ということで、新年の買い染めマンガは『子育てビフォーアフター』の第2巻になるのは間違いないナー。楽しみダナー。



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# by ulyssesjoycean | 2017-12-25 12:00 | Comments(0)

メーテルリンクは19世紀の行動経済学者?

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(邦題が自己Enlightenmentみたいで敬遠してたけど、中身はバリバリの心理学書だった。行動経済学のダン・アリエリーさんが言及してなければ、まず手に取らなかっただろう。著者のダニエル・ギルバートさんは経済学にも詳しい様子)


最近はフランス関係の本ばっかり読んでるけど、アンソロジーにおさめられた評論から急に関心を持ったのがモーリス・メーテルリンクさん。


メーテルリンクなのかメーテルランクなのか、作品はどんなものを書いてるかもあまり知らないで来たけど、この人、むしろ行動経済学者じゃないの?と思ってしまった。


ちょっと前にダニエル・ギルバートさんの『幸せはいつもちょっと先にあるーー期待と妄想の心理学』(早川書房)を読んだのだけど、それと全く同じことをメーテルリンクさんが言っているという。


なんでも、人間が過去を回想、未来を予想する時には、現在の自分の心理状態を参考にしてるのだって。


卑近な例で言えば、現在お腹いっぱいだとすると、明日のメニューはメンチコロッケカレーライスです、なんて言われたらウンザリする。逆に空腹の時は満腹の自分が想像できないとか。


これを理論と実験で検証していくのが心理学者のダニエル・ギルバートさんだけど、これと全く同じことを19世紀の文学者であるメーテルリンクさんが言っている。


データや実験はおろか、なんの検証もないところで、21世紀の研究内容の結果を、ほとんど同じ筆致で19世紀の人が書いてるんだから、さすがに驚く。


たまたまとか偶然はあるにしても、使っている例まで一緒だと、メーテルリンクさん、これはスゴイ人だという気がする。


ただ申し訳ないことに、メーテルリンクさんがフィクションの世界でどんなことやったかまるで知らない。名前は知ってるし、作品名も言われれば思い出すだろうけど、いわゆる大御所ではないんだろうな。


フランス文学なら(*好き嫌いはともかくとしても)、バルザックなら『ゴリオ爺さん』、プルーストなら『失われた時を求めて』、ゾラなら『居酒屋』なんて風に、ポンポンと名前が出てくる。


メーテルリンクさんにはそこがないので、テオフィル・ゴーチエさん的な立ち位置じゃないかなと。ゴーチエさんもよく知らないから(^∇^)


以前、福田恆存さんの作品を集中的に愛読してたとき、人間心理ということでは文学作品以上のものはない、というくだりがあった。


自然科学は仮説を実験によって検証し、上手くいかなかったら手前の段階から仮説や方法論を組み立て直すのが大事なプロセスだと。


そうすると心理学でも実験と検証を行うべきではあるが、こと人間の心理を扱う場合、「再検証できない実験手法」は倫理的にできないだろう云々。


そこから、人間心理に関しては文学以上のものはないと、そんな話だった気がする。福田恆存さんはD・H・ロレンスを出発点にしてるから、それも多分に関係あるんだろう。


*別にこの脱線ブログはロンブンではないので、気になる方は福田恆存さんの『私の幸福論』(ちくま文庫)など参照してください


そのことを今回、メーテルリンクさんの評論文を見て思い出した次第。申し訳ないことに自分はあんまりロレンスさんに馴染めないで来たのでピンと来なかったけど、その実例にやっと出会った、的な。


かといってこれでメーテルリンクさんの他の作品まで読むかどうかというと、その辺は自信がない(^∇^)。どんな作品を書いてるかも知らないから、まずその辺を取っ掛かりにしよう。


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# by ulyssesjoycean | 2017-12-24 12:00 | Comments(0)

プレミアビックリ価格のアリソン・ベクダル『ファン・ホーム』が12/20に再刊!

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(一時期中古で「ワーオ!」というビックリ価格がついていたアリソン・ベクダルの『ファン・ホーム』。舞台化した作品がトニー賞を受賞し、それが今度は日本でも上演されるということで再刊が決まったみたい。ビックリ価格で中古をムリして買う必要なくなったのは大変めでたい。小学館集英社プロダクションより税抜き1,800円にて発売中)


『New Yorker』とか『New York Review of Books』などのハイソ(っていま言わないなー)な雑誌で激賞された、アリソン・ベクダルさんの『ファン・ホーム』。


New York Review of Booksは、「NYRB Classics」というタイトルで超シブい名著を刊行もしてるので、その辺の読者層とモロ被りなんだろう。


実際、Max Beerbohmの小説&エッセイ集がNYRBに入ってて、しかもお手頃価格という大変ありがたい版元。自分の中ではNew Directionsの同じくらい感謝してるシリーズだな。


で、アリソンさんの『ファン・ホーム』は、まさにそういう「シブいねー」「わかってるなー、この人!」という名作を自作に溶かし込んでる雰囲気。まずジョイスを通読したのがエライ(^∇^)


自分はジョイス方面の関心が強かったけど、今度の再刊版を見てみると、本の「つくり」はかなりプルーストを意識してたのね。


初版はグリーンの装丁でキラキラっとしてたから見落としてたけど、花柄が表紙・背表紙にあしらわれていて、こんなにプルーストした本(*そんな言い方はない)だったのかと。


『ファン・ホーム』は父娘の話で、たしかにこのお父さんは色んな意味でプルースト的な人だから。本編のテーマはジョイスで、造本はプルーストにしてたのかな、なんて。


さっきのNew Yorkerにも関わるけど、そこの書評委員やってたエドマンド・ウィルソンさんとか、「ヨーロッパ系の教養を身につけたアメリカン」は何か一味ちがうなーと。


自分の本棚見ても、アメリカ系の作家で愛読したのはエズラ・パウンド、ヘンリー・ミラー、エリオット・ポール、エドマンド・ウィルソンなどなど、みんな「アメリカ生まれだけどヨーロッパの言語にも超詳しい」書き手が並ぶ。


純アメリカーン!な書き手は未だにシックリ来ないので、なんかしら共通点あると思うんだけど。


ーーで、『ファン・ホーム』の作者アリソンさんは、さっきのエドマンド・ウィルソンさんとか、「ヨーロッパ系の教養を積んだアメリカン」の正統という雰囲気。


そういう人が、グラフィックノベルという、マンガに近しいジャンルに出てくるのが興味深い。


フランスのBD作家さんたちは、芸術家(*これも日本語の芸術家とフランス語のl’artisteでは、なんて話はじめると終わらないので割愛)としての自意識にブレがないように思える。


先日、『闇の国々』も今は店頭で買えないのか、という話をしたばかりで、『ファン・ホーム』という買えなかった系の本が再刊されたのは嬉しい。


全然カンケーないけど、中古でビックリ価格、その後に再刊というので、なぜか「ちくま学芸文庫」が頭に浮かびました(^∇^)  小西甚一さんとかの本が手軽に読めるようになったので、ありがたいんだけれども。


*そういや大学書林さんのもワーオワーオがいっぱいあるので、何とかならないかなーと念じてたりします( ´ ▽ ` )ノ



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# by ulyssesjoycean | 2017-12-22 12:01 | Comments(0)

プルーストにようやくハマった 鈴木道彦訳編『プルースト文芸評論』

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(名著傑作が大量におさめられてる「筑摩選書」。「プルースト」「鈴木道彦」「筑摩選書」のキーワードにビビッと来たんだろう、気がついたら買っちゃってたという(^∇^))


別に大好きではないんだけど、なんだか妙に気になる書き手として、マルセル・プルーストさんがいる。


この映画、小さい頃に観た記憶はあるんだけど、なんかモヤモヤするみたいなものとして、ちょいちょい思い出すのがプルーストさん。


ずいぶん前に『失われた』は必要に迫られて全巻に目を通したけど、「思ってたのと違う」という印象強かったなー。


じゃどんな話を想像してたのか今となっては分からないけど、話の筋や長いセンテンス以上に、「なんでこの人、こんなに『例え』ばっかり使うんだろ」というのに引っかかった。


例えにも色々あって、プルーストさんのはメタファーと言うらしいけど、こういうメタファーって普通、むしろ「使わないように工夫する」んじゃないかな、と。


「文学する」なんて気の利いた言い方あるけど、メタファーは使えば使うほど「文学する」感じがするから、なるたけ使わないようにしようーー


エズラ・パウンドさんも、イメージを曇らせる表現はするなと厳命してるし、同様のことを言う書き手は多い。


それだけに、なんでプルーストさんはこんなにメタファーを多用するのだろう、メタファーを使うと陳腐化するのは百も承知なはずなのに、なぜワザワザ繰り返すーー


おかしいなーおかしいなーと稲川淳二ばりに首をひねるばかり。肝心の『失われた〜』を通読した記憶の方はどっかに行ってしまった(^∇^)


ところが因果なことに、プルーストさんのことをちょいちょい思い出すんだな、なんだったんだろ、アレ、という感じで。


通読時に英訳やフランス語の原文もちょこちょこ参照してたけど、無性にフランス語の原文にあたってみたくなる。


GF版でポツポツ揃えるだけでなく、書簡集まで買っちゃったりして、気になるだけにしては他の書き手と扱いがエライ異なるんだな。


やっと自分なりに腑に落ちたのは、アンドレ・モーロワさんの『プルーストを求めて』を読んだ時。「時間にたいする精神の闘い」というくだりで、「それだ!」と納得。


それでどうなるわけでもないんだけど(^∇^)、プルーストさんの情報はポツポツ揃えていたら、鈴木道彦訳の『プルースト文芸評論』(筑摩選書)に当たって、やーっと「プルーストさんはすごい人だったんだな」と思えた。


プルーストさんの評論の切れ味スルドイこと、この人すごいや、というので初めて素直に感銘。メタファーを使いまくった理由も、この人の美意識を追っかけると納得がいく。


モンティ・パイソンでは「プルースト要約せんしゅけーん!」なんて、出場者が『失われた』全巻を15秒にまとめるコントをやってるのに、こっちの辿り着き方が回りくどいのなんの。


最初っからプルーストにどハマりする人もいるみたいなんだけど、気にしてからファンになるまでが長いよ!と。


ただこれで、「なんでプルーストさんがこんなに気になるんだろう」のモヤモヤは解決したから、一安心(^∇^)


でもこれ、篠田一士さんが言うような、「作品の魅力を味わうためには、無理にでも一気に全巻通読すべき」は、マストじゃないような。


そのうち、「いや、その通りだ」と言い出すかもしんないけど( ´ ▽ ` )ノ、拾い読みでもオーケーな気がする。というか、『ゲルマント』『囚われの女』あたりをフランス語で読む気がしない^_^


ーーあ、でも『見出された時』はちゃんと原文で読んでみたい。その前の『ゲルマント』と『囚われの女』はスルーというのが読み方的にどうかしてるけれども。


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# by ulyssesjoycean | 2017-12-16 12:00 | Comments(0)