(前回の続き)高山宏氏が
「キャラクター」という話を始め、そこから
「顔学」というものへ移行。
医学には疎いけれども、
「ヒポクラテスの誓い」というものがあるらしく、要は、自分は医者となる以上、
「美」には関わりません――という誓約をするそうな。
逆に言えば、そうした誓いをしなければならないほど、太古の昔から、整形美容への誘惑は強かったわけで、当日は名前が出なかったけれど、この文化史をやっているのが、サンダー・L・ギルマン。
そうした美/醜の理論といったものがどーんと出てくるのが、よりにもよってフランス革命(1789)前後なのはなぜか、そうしたところから、ベルギー人(?)のユンベール・ド・シュペルヴィルの名前が出てきた。
ここでまた話者がアラマタ氏となり、そうした倫理的な観点から整形美容に行かなかっただけでなく、もうひとつの理由として、当時(18世紀以前)の外科医はみんな、床屋だったということになる。
また、整形したからといって、魂までを変えることはできない、また、整形しても、その結果は子孫に伝わらない――というのが、大きなバーとしてあったそうな。
この辺からやっとマンガ論に移って、マンガ家として考えた場合、鼻を描くのが非常に面倒だし難しい――という議論になっていった。
要は、リアルな造形にしていくことで、小鼻までつけた絵にすると、可愛くならないとか、だからこそ鼻そのものを、マンガという媒体の中で整形美容してきたのではないか――という、すごい話。
ここから、内田春菊氏の
「でんこちゃん」、芥川の短編
『鼻』、
『トリストラム・シャンディ』といった名前が出て、
「鼻」についての議論はひとまずここまでとなって、次は
「目」に移る――という次第。
目の方は時間的な制約もあって、ある程度はしょった話となり、一体、何を見ているのか――というところから、某国の総理大臣二名のポスターが出て、会場がどっと湧いたな。
ルイス・ウェインというネコ画家の話から、まなざしには精神の問題も関わってきて、最終的には、日本の江戸時代、測量技師のマスターすべき技術として
「空眼(くうがん)」という話に。
この辺ですでにして1時間30分はオーバーしてるから(笑)、観客としてもいいかげんヘロヘロ。
「空眼」とは畢竟、人相見が客を呼び込むときの目ではないか!――なんていうところで第一部がお開き。
ほとんど、アラマタワールドだよね(笑)。今回が初のアラマタトーク体験だったんだけど、気さくなお喋りと圧倒的な図版セレクションには驚倒した。
実はこの
「華々しい」=
「鼻話」が、後半、グルンステン氏の発話とも関わりが出てきて、これはおおっ!と思ったんだけど、それはまた次回に。