(前回の続き)
「伊藤でございます」の第一声によってはじまった伊藤剛氏の発表。前段の竹熊氏の流れを引き継ぐようにして、やはり話題は
「コマ」について。
特に少女マンガのコマ割りに着目して話を進めていったんだけど、やはり眼目は、コマとコマの
「間白」、そこに書き込むのはなぜか――といったようなこと。
それを、夏目氏の分析を援用しつつ、レイヤー構造として理解しよう――などなど、このあたりから、グルンステン氏に話を伺いたい――といって、氏にマイクが渡された。
「おっ!」と思ったのが、グルンステン氏は、マージナルなものから理論を組み立てることはしないようにしている由、やるのならば、その理論に反証するようなものとして、それを検証するために参考にするのだという。
(注:伊藤氏が図示したのとは異なります。正確なタイトルを失念したので(T-T)!)
あとは伊藤氏がプレゼンで使用した谷川史子氏のマンガも、コマ割りとしては了解可能で、むしろ、
「少年少女の見分けがつかない」(笑)ことだという。
それでまた、アクションが極端に少なく、あとはサイレントで話が進むから、これはBDでは一般的に逆の比率にするのではないか――など、ちょっとした
「違和」をおっしゃってくれたのが、実に興味深かった。
あとは、荒俣氏がさかんに述べておられた
「鼻が描きにくい」というのが、西洋人の自分としては
「なぜだろう?」という印象を持った由。
こういうオヤジキャラならともかく、自分でも鼻を描くのは厄介だと感じていたので、グルンステン氏の発話におおっ!と思ったけれど、残念、相当ヘロッていたから、骨子をいまひとつ聴き取れず、これは残念だった。ちゃんとメモを取っておけばよかったなー。
要は、顔を線として捉えた際、雑駁に言って、BDと日本マンガでは、グルンステン氏の言う
「ペルマナンな要素」が異なるのではないか――ということだと思う。日本読者にとって、(一般に)BDがとっつきにくい印象あるのは、こういうところも関係しているのかもしれない。これは今、書きながら思った自分の感想。
ここで本来的には質疑応答に移るはずが、相当時間がおしていたので、若干ムチャ振りといった感じで(笑)、夏目房之介氏にマイクが渡された。
ポイントは二つ、
「線の両義性」と
「自分の記憶の中にあるコマ」という話であったけれど、これは
『マンガのシステム』を読み込んでいくと、もっとはっきりするかな。未見なので、
「記憶」という指摘には、夏目さんスゴイ!と心の中で喝采を送った次第。
この辺、文化とも関わりが出てくるので、本当は高山先生にやっていただきたい――なんて(笑)、やりとりがあったりして、ナツメ・アンド・タカヤマ両氏のファンとしては嬉しかった。
そしていよいよ次回は、高山氏のシメのお言葉。タカヤマ学派としてはよく分かったのだけれど、あとで聞いたら、門徒以外には
「???」だったらしいので(笑)、その辺もフォローできればと思う。