イギリス経験論の代表選手、ジョン・ロックとデヴィッド・ヒューム――言ってしまえ、そういう人がいるというぐらいの知見だったから、まさかマンガ論に関係あるとは思わないよね。
ヒュームの言ってることはぜんぜんわかんない――とは講演者である佐々木氏も述べておられたけれども、そのわかんないヒュームをドゥルーズが解説してくれていて、そっちを読むとある程度わかるそうな。
なんだっけ? 項と項の関係性は項の内容それ自体にはなく――といった、まさに
「哲学してる」文言だけれども、この
「項」を
「コマ」と読み替えてみる!(すごい発想だよなぁ)
なるほどそうすると、コマとコマの関係性は、コマの中に描いてあることとは関係がない、それを人間が
「解釈」してしまうことが問題な由。
要するに、読む人が意味を読み取ろうとしてしまう――これがイギリス経験論の主体となっている考え方だそうですな。
――なぜこういう話の展開になったかと言うと、
「時間性」のコマ割り(聖書という「物語」にあわせてコマを割っていく)が
「どう伝えるか」を主眼にしているのに対し、
「関係性」のコマ割り(映画でいうとモンタージュ)では、
「どう解釈するか」の方に重きが置かれると。
ざっくばらんな言い方をすれば、後者は描きながら考える話だということだね。まず描いてしまって、さあこの続きをどうするか――というマンガの描き方。
そしてこっからウィリアム・ホガースが出てくるんだよねー。
さっきの区分で言うと、時間性のコマ割り、つまりそういう絵が並んでいる表現というのは、当時から割にたくさんあったんだけど、ホガースが
「コマとコマとの関係性」を絵の中に持ち込んだ由。
読む人にその関係性を
「読み取らせる」手法というか。次回はこのホガースとテプフェールの方法論の違いからかなー。
以前のグルンステン氏のときより、分量がやたら多いな――と思ったら、通訳が入ってないから、講演時間は同じでも、密度が違うのね。あとは分野的にこっちのどストライクゾーンだということ(笑)。