週に一回、その都度肩書きを変えて登場する高山宏氏の書評。今回のお題は
「パラドックス」。
この時点で、タカヤマ読者であれば、おおよその流れはお分かりになるかと思うけれど、読み進めるうち、書名に
「さよなら」の四文字あるの見つけて、まさかと思ったら、やはり
「糸色望(いとしきのぞむ)」の名前が!
どういう言及の仕方をされているか、それをこちらでまとめてしまうのは仁義に反するから、ご関心ある向きは本日付の日経新聞書評欄をご確認されたいが、それにしても読んでるんですか!と。
学生諸子のレポートにも丁寧に目を通されるそうだから、そういうところが接点だったのかな――などと、勝手に想像。
どちらかというと、久米田康治氏では
『かってに改蔵』を愛読していて、
『絶望先生』は、コミックスの活字の小ささがアダとなり、愛読するところまでは行ってなかったんだよね。
毎度小うるさいぐらい
「活字」ということに言及してるけど、マンガの世界でも、けっこう切実な論点じゃないかと思うんだよね。
『アフタヌーン』(講談社)に掲載されているものを通覧したりすると、書き手の意識としても、
「雑誌掲載が主軸」「単行本が主軸」と分かれるように思う。
自主アニメをつくる高校生たちを描いた
『ハックス!』なんかは明らかに前者で、大判の雑誌でこれだけがっつり細かいネーム(セリフ)が埋まっていることを思うと、単行本を手にするのがためらわれる。
オモシロそうな雰囲気あるだけにツライ!という。岩波文庫なんかも、最近は確認する必要あると、必ずワイド版を探すようになったし、マンガの世界における
「大活字本」というのも、今後視野に入ってくるだろうか。
(マンガ読者の年齢層が上がっていくことを考えれば、そうした選択肢はあって良いとも思うんだよね。コストや妥当な大きさの版形を探ってみるのも、無益ではないと思う)