先日、日経新聞書評欄(11.10.30)に高山宏御大の書評が出ていた。評した本は、ピーター・トゥーヒー
『退屈』(青土社)。
同書に対する書評本体はごくわずか――というところに笑ってしまったけれど、言われてみれば、
『白鯨』から
『不思議の国のアリス』に至るまで、なぜか主人公たちが退屈しきったところからスタートする。
いま読み進めている
『ロビンソン』にしたって同じこと。海へ出たい!というのは分かるんだけれど、それがどうしてなのかは分からない。
英文の方では、得体の知れない何かに押し切られるようにして海へ出る――というから、なぜそうしたいのか自分にも分からないまま話が進む。
「航海」といったって、今とはまるで話が違う。17世紀後半から18世紀初頭といえば、遠洋航海の帰還率など、本当に10パーセント程度だったらしい。
航海技術の発達で、
「船旅」が成立するようになるのは20世紀に入ってからのことだというから、本当にごく最近まで、海運事業はまったくの博打だったらしい。
だからこそ、世界最初の保険会社が、ロンドンのロイズといって、海運保険を扱う会社だったそうな。
ただロビンソンの場合、海に出て財を成すのが目的かといえば、どうもそうではないらしい。南米で生活が基盤に乗ると、また海に出たいと思いだす――止まっていてはダメなんだな。
頻出する
「Station of Life」という言葉も、どうもそうした価値観と関係がありそう。
ひとまず全巻を読みきったら、
「Station」をOEDででも調べてみよう。