英文学については色々と手厳しい考えを持っているものの、その英文学の一番の専門が、
「英国王立協会」の由。
2011年現在、なにがといって
「0/1バイナリー」、つまりコンピュータランゲージが世を席巻している事実。
カードひとつで物が買えるこれはいったい何か――というところから、
「コンセプト」に話が及ぶ。
もともとはconceiveといって、女性が妊娠するという意味しかなかった言葉が、1750年代になって、頭の中に発想が生まれることをconceptと言うようになった。
実際、good ideaのことをbrain childと言うそうで、そこからconceiveの意味は二分化。妊娠するという方は名詞conceptionになり、発想はconceptというようになる。
これは語学の問題でなく、発想うんぬんのconceiveは男性にしか使われない。言ってみれば知的な意味でのフェミニズム論になっていく。
なんでそうなったかというと、これもまた18世紀半ばになって初めて、出産に立ち会うのが産婆でなく、男の医者(産科医)になったそうな。
その代表例がロレンス・スターンの
『トリストラム・シャンディ』で、これはユーモア小説でなく、
「産科小説」という位置づけになる由。
これもまた氏の
「専門」になってしまうから、書類に
「産婦人科の研究」と書いて、また大学事務の人が困り果てるという按配。
こういうことをやっていると、
「高山さんはインターディシプリナリーなんですね」ということを言われるが、もともと
「ディシプリン」ということを認めないのが自分であると。
ディシプリン、つまりは各分野で専門にやっている人文学がメタメタになっているのに、
「なんで僕だけが元気なんだろう?」。
しかし、(高山氏と)同じような人が増えてきつつあるという現状も、一方にはある。生物学で氏が唯一尊敬しているという福岡伸一氏がそうだけれども――というところから先の話は、また次回。
*管理人追記:高山先生が言っていた
「アメリカン・ルネサンス」はF・O・マシーセンの著書であるとご教授いただきましたので、第一回の内容を若干修正しました。