今回は後記。聴いた側が印象に残ったことをひとつふたつ。
やはり一番印象的だったのは、
「本がない」ということ。フランセス・イエイツから記憶劇場の流れは、タカヤマ学派なら馴染みの文脈だけれども、それと読書が関わってくるというのは、今回はじめて知った。
それでふと思ったのが、音読。当時はどうやって本を
「読んでいた」んだろう? グーテンベルク以前の図書館には
「音読室」というのがあって、そこに入ってみんな声を出して読んでいたそうな。
その、一冊丸々覚えてしまうということと音読ということには、何か関係があるんではないだろうか。たとえば九九だって、なんの発声もせずに覚えられるものだろうか。
イスラーム世界では、夫婦間の揉め事であれなんであれ、一切の規律が
『コーラン』に記されているから、やはり法律の相談役たる人物は、全文を暗記しているという。
その覚え方というのも、やはり九九とおんなじで、小さい頃から身体で一定のリズムを刻みつつ音読するというものだった。
吉増剛造氏の朗読にぶっ飛ばされ、スゴイ人が声に出して読むとこうなるのか!という衝撃あったものだから、
「文学も音で読んでみたらどうなるだろう?」という風に考えてしまう。
片山ユキヲ氏の朗読マンガ
『花もて語れ』もあるし、口承文学という観点と記憶術というのは、案外無関係ではないやもしれない。
『ハリー・ポッター』の神学的深読みというのもオモシロかったなぁ。原書で一巻だけ読んだけれど、あまりに粗雑な文章で読み続ける気が起こらなかった。子供にやたら
「Shut up!」というのも、読んでいてあまり良い気持ちはしない。
(紀伊国屋本店でやっていた仕事場展示も見ごたえがあった。会場で流れているインタビューが1時間半[!]あるということで、さすがに全部は聴いてこれなかった。あのi-Podが欲しいです・笑)