ゴヤ展のカタログ序文にて、プラド美術館の館長ミゲル・スガサ・ミランダ氏が、
「必読の書である『陰翳礼讃』において」ということをおっしゃってる。
それを読んで、ここでも谷崎か!と思ったんだよね。とにかく谷崎潤一郎の作品はいろんなところで言及されてるなぁ――と。
映画で言えば、フランスでは圧倒的に黒澤より小津なんだと、文化大臣の話を聴いていて思ったり。黒澤はもちろん評価しつつ、でも小津への賞賛は桁違いという雰囲気があった。
谷崎潤一郎も、そんな気がしてならない。翻訳の問題はさておいて、やはりその国のものの考え方にすっと馴染む、そういう作家なのだろうか。
先日、ローカリゼーションの本を読む機会あり、大変オモシロかったけれども、
「思想」ということでもローカライズの考え方というのは必要になってくるのでは。
夏目漱石の名前はほとんど聞かなくて、谷崎潤一郎がよく参照されるのはなぜなんだろう?とか、黒澤じゃなくて小津なのはなんでだろう?とか。
ただ難しいのは、なんでこっちがいいの?というのは、最終的に
「ロジック」でないから、英訳・仏訳を自分が読んだからといって、アチラの人たちが何にグッと来るのかは、調べようがない。
でも、訊いてみるにはオモシロそうな題材。そんなこと言われても困るよ!という話かも知れないけど。