『恋に落ちたシェイクスピア』を見ると、目上の人に
「My lord」というけれど、では
Lordとはなんだろうか。大文字で
Lordといえば
「主よ」であるけれど、これはもとを辿ると、
Loaf+ward=パン+見張り=パンを守る人
となる。つまりはパンを守る一家の主であって、Lordはオトコにしか使わないことの意味が分かる。いやいやオンナだって守ってるじゃないか、と言えば、それは当然。Lordではなく
Ladyがそれである。
Loaf+kneader=パン+こねる人=パンをこねる人
つまり
「Lady」はパンを作る人であったわけだ。そうして出来上がったパンを、わかちあって食べる仲間が
「Company」
com(みんなで/一緒に)+pany(pain:仏 パン)=ともにパンを食べる
「同じ釜の飯を食った」と日本語でも言うけれど、アチラでは
「同じ窯のパンを食った」仲間こそが
「Company」となるというわけ。フランス語で
「気のいい仲間」を「Copain(コパン)」というけれど、これも理屈は同じで、
「一緒にパンを食う」仲間ということ。
21世紀も紀元前も、人間やってることはあんまり変わってないなぁ。しかしこれだけ重要なものの割りに、英文学でも仏文学でも、メシを食うシーンはやたらあるけれど、「パンを食べる」という描写はあまり見ない。あまりにも当たり前のものだからだろうか。パンになる前の小麦を扱う粉屋ならば、
チョーサー「カンタベリー物語」(岩波文庫)に、そのものずばり
「粉屋の話」というのがある(ちょいと下品な話だけれども)。
(↑これはちくま文庫版)
そういえば
「アルプスの少女ハイジ」に出てくる黒パンも、旨そうだったっけ。