信頼する書き手の山本貴光さんが、漱石の
『文学論』と格闘してらっしゃるそうで、その関係で漱石を腐している物書き――というところから、吉田健一と並び、日夏耿之介に言及してらした。
日夏耿之介は前々から気になる名前で、まずなんと読んでいいのかわからないところから話が始まる。
恩師の研究室にお邪魔した際、詩人の全集がズラッと並ぶ中で、西脇順三郎と一緒にこの日夏耿之介の全集が並んでいたものと記憶する。違うかもしれない。
「ひなつこうのすけ」という読み方がわかるのはそれからずいぶん経ってのことで、相当ヘンな人らしいとはいろいろのエピソードから漏れ聞こえてきたのだけど、そうか、この人も漱石嫌いだったのか。
不思議なもので、自分の愛読する書き手には漱石嫌いが少なくなく、かくいう自分のその一人で、漱石という人物にはものすごく興味あっていまだに関心を持ち続けているけど、漱石作品には今に至るまでまるで親しめない。
かと思うと、冒頭に名前を挙げた吉田健一は自分がもっとも愛する文士だし、一時期愛読していた由良君美(ゆらきみよし)さんも激烈な漱石否定文をものしていて、その師匠筋にあたる日夏耿之介もそうらしいとわかると、急にポッと回路ができた気がする。
かといってそれで全集を取り寄せましょうとはさすがにならないので、くだんの山本さんが言及してらした
『日夏耿之介文集 (ちくま学芸文庫)』にまず目を通したいと思う。
(高山御大もゴシック詩集を訳すのに、日夏耿之介の作品から使えそうな語彙を大学ノートに書き写し、ということを言っていたから、相当な珍品なのではないか)