大雪でふらっふらになりながらの参加ということで、体力的にはヨレヨレだったものの、せっかくだからとバスティアン・ヴィヴェス、すがやみつる両氏の対談『詩的表現の実験』を聞いてきた。
同時通訳つきだったけれど、その音が通訳者ブースから漏れ聞こえてくるのか(でもマイクを通したような声だった気が)、ヴィヴェスさんのフランス語に集中していると、それにちょっと遅れて内容を伝える日本語が聞こえてくる――
なもんで、脳みそがメチャクチャ混乱し、正直、会話の中身が全く頭に入ってこなかった。体力的な問題はともかく、あらためて語学のむずかしさを痛感した次第。フランス語が全く分からなければ、そういうことにはならなかっただろうから。
ただそんな中でも、後半の質疑応答時には、読者の問題ということがあり、誰それ向けということについては、ヴィヴェスさんも相当に言葉を選びつつ、そうした傾向には
「stupide」という形容詞を使っていて非常にびっくりした。
自分の言いたいことは何で、そしてそれを誰に伝えていくか、ということはプロ(=お金をもらう)であれば考えることだと思うけど、それとは違う立ち位置、というので驚いた次第。
そういえば前に、インディペンデント系のBD作家さん(フランス人)の話を聞いたときも、
「自分はこうしたい!ということを主張すると、日本では『わがまま』『自分勝手』と捉えられがちだが、そういうことではないんです」とおっしゃっていたけど、それを想起させた。
なので、通訳をはさんでということもあるし、言葉だけを額面通りに受け取るとヴィヴェスさんの意図とは異なってしまうかもしれず、このあたりは慎重にならないととは思うけど、またフランス作家さんの意識を垣間見た思い。
(近年、フランスの作家さんを招いての交流も多くなったけど、今はお互いにこうした
「違い」をガシガシ言っていく時期だとも思うし、またそこは遠慮せずドシドシ言うべきとも思う。
あとは前述のように、会話の中身がほとんどアタマに入らなかったため、遠目からヴィヴェスさんのスケッチ[↑]をして過ごした。いつも思うけど、フランスの作家さんは下書きしないねー。それは日本マンガで育った身からすると大ショック)