(小西甚一『日本文藝史』、講談社から1985年に出版。おそらく今は絶版じゃないだろうか。全5巻)
昔はイヤで仕方なかった古文も、キチンと文法を(正確には「助動詞」を)学んでから取り組むと案外よいものだと分かり、いまや岩波文庫の黄版がズラッと並ぶようになった。
そんな中で、ちくま学芸文庫から復刊された小西甚一さんの『古文の読解』がメチャメチャ面白く、いよいよ古文の世界に親しむことに。変われば変わるもんだなぁ。
で、色んな作品を読んでいると、「その当時の人たちがどんな風に考えていたか」にも興味がわく。何しろ1000年は前の日本だから、今とはずいぶん考え方が違う。
昔の人はとにかく「夢」というものを大事にしたようで、ヘロドトスの『歴史』を読んでみたら、ほとんど王様の夢占いで国の行く末が決まってしまうところがある。
古文の世界では、夢で国の行く末が決まるわけじゃないけど、ほとんど決定的な役割を夢が担っているので、その辺りから興味が湧いた。現代の人間も夢を見ることには変わりないから。
そんな時にヒョイと耳に挟んだのだけれど、Aさんの夢にBさんが出てきた場合、「BさんがAさんに会いたがっている」と、昔の人は考えたそうな。今だったら、「AさんがBさんに会いたい」から、Aさんの夢に出てくると解釈するんじゃないだろうか。
それじゃ本式に昔の人の考え方に触れてみようと思って、せっかくだからと小西甚一さんの『日本文藝史』を手に取ったら、そこに「ルネ・ウェレック」の名前が出てきたので心底おどろいた。
長い前置きになったけど、ルネ・ウェレックといえば、『西洋思想大事典』にも多数執筆するタカヤマ学派にはお馴染みの人名。それが日本の古文の世界に登場する驚き!
小西甚一さんはスタンフォード大に留学、そこでの成果を『古文の読解』ほかの名著に活かしておられるけど、なるほど、小西さんの著作がこんなに面白いのは、「日本の観念史派」だからだったのか。
英語はもちろん、フランス語やドイツ語にも明るい雰囲気の小西先生は、その点でも「脱領域」の知性だったんだなー。出版された1985年当時で、今の検索全盛についても確かな予見をされてるから、これスケールの一つ二つ違う人だったんだろう。