全てを失ったものの狂気、ということで楽しませた
『巌窟王 第11巻』。ただひとつ不満があるとすれば、狂気の描き方がステレオタイプになってしまったこと。
非常に分かりやすく
「おかしい」描写になっていて、宮崎駿
『カリオストロの城』以来、目の焦点があっていなくてヘンな笑い方をする、あれ。力のあるスタッフが結集しても、
「くぅ~ら~り~す」といったカリオストロ伯爵的な描写から抜け出るのは相当困難なようだ。
いつもながらの
「狂気」の描写をなぜ不満に思うのかというと、そういう
「分かりやすい異常さ」はそれほど
「怖くない」からである。本当に怖いのは、病理学的に異常でもなければ、社会的に異常でもない、ごく普通に見える人間の、狂的な憎悪や蔑みではないだろうか。
誰に対しても好意的で人当たりが良く交友範囲も広い、しかし、その好意的な態度というのが自分以外の人間を見下し、蔑みきった上での表情だと気付いたときの恐ろしさ―――こっちの方が、分かりやすく
「おかしい」人間より、どれだけ恐ろしいか分からない。そしてその人は
「異常」ではない。で、もっと恐ろしいのは、そういう人が実際に
「いる」というところなんだけれども。
「Brave new world!」(オルダス・ハックスレー)という感じ。
また
「おかしい」というのも、英語では色々あって、crazy/mad/insane/sick/freak/reach outなどなど、思いついただけでもこれだけある。内容の解説をするのは(いろいろな意味で)難しいので、映画などを見るとき、参考にしていただきたい。言葉として一番キツイのは
「sick」の用法ですな。