推理小説と
手品に共通のものと言えば?
トリック(trick)である。辞書で調べると色々な用法が出ているが、一番興味を引くのは
「視覚・聴覚を欺く幻覚」という意味。手品や推理小説の
「『あっ』という驚き」は、まさにこれだろう。
推理小説(detective story)も
手品(magic)も
19世紀に大流行したものだが、この二つが同時に人気を博したのは偶然ではないはず。
その前の
18世紀はというと、とにかく
「どこかに行く」時代である。
『ロビンソン・クルーソー』『ガリヴァー旅行記』『トムジョーンズ』、どれも
「こっち」から
「あっち」へ行く小説ではないか。学問では
博物学(natural history)が有卦(うけ)にいって、採集をしに南洋へ出て行く。イギリスの金持ち子弟は勉強の総仕上げとして
「グランド・ツアー(grand tour)」に出る。これでもか、というぐらい
「動いた」時代。
調べるだけ調べてやることがなくなったのか、動き疲れて面倒くさくなったのか、これが
19世紀になるとまるっきり動かなくなる。小説の登場人物たちが、まずめったに外に出ない。外へ行かないもんだから、内のルールばかりやかましくなり、文章は読みにくいし、室内装飾は過剰になる、そんな生活で退屈するのは当たり前で、だからこそ
幻覚・幻想(illusion)が流行るようになる(そっち系の薬物が出回るようになるのもこの時代)。
そういう
「だりーしめんどくせーし、ナンかオモシロイことなーい?」的な背景があって、人が殺されるという
「事件」がおこり、その
「トリック」を探偵が驚くべき方法で解いてみせる
「推理小説」が大人気になる。よくよく考えれば
「手品(マジック)」なんて、種明かしをする探偵がいないだけで、やってることは推理小説と一緒だろう。いみじくも、あのワトソン君がホームズを
「君ってマジシャンだね」と形容する場面があるが、これも結局は同じこと、というわけですな。