推理小説には、必ず二人の詐欺師が登場する。一人は人命という財産を奪いながら正体を偽る犯人である。だとするともう一人の詐欺師とは誰なのか。他ならぬ
作者、これこそがもう一人の詐欺師である。
ややこしいことは抜きにして、詐欺師というのは人をペテンにかけて財産を奪うものだと定義すれば片づくのではないかと思うが、この定義に従うと、作中の真犯人は殺人を犯しながらそれをペテン(トリック)にかけて偽っている。奪った財産は金銭ではなく命であるが。
ではもう一人の詐欺師である
作者(author)、これはどうか。
真犯人がいるという事実を隠蔽して書いているわけだから、書かれたテクストは
「暗号(cryptogram)」とも言える。しかし暗号化された文章というのは文字化けメールよろしく何のことやら分からない。理解不能であるから、暗号解読のためには
「コード」が必要になる。この
「コード」にあたるものが、作中に登場して読者を導く
「探偵」である。探偵がいるからこそ、事件は時間軸にそって整理され、理路整然としたものになる―――中盤まで読むと急に話が分かりやすくなるのは、探偵というコードがせっせと作者の書いた暗号を解読してくれているからである。
(このポワロさんもコードになる)
しかし詐欺師の定義から言うと、作者は財産を奪っていないではないか―――というところで気がつくのだが、読者一人一人から財産は奪われている。
お金を払って本を買った、という時点でもう財産は奪われているわけだ。一般に言われている詐欺と違う点は、一人の財産家を狙うのではなく、多数の人から財布の中身をちょろちょろっと掠めるだけ。推理小説の多くが
文庫化されていて、どれもが
非常に安価であることを考えれば、なるほどそういう詐欺のやり方もあったのかと気がつく。
(創元推理文庫は本当に安い)
それにしても
「詐欺」というのは、ちょっと概念を勉強するだけで、分かりにくいことが一挙に説明できるようになる、いわば魔法の鍵。
詐欺・鍵と密室・経済などなど、誰も調べない
「当たり前」のことが分かると、そのどれもが当たり前でないことに気付く。
「専門」なんてことばを振りまわしているような視野狭窄(しやきょうさく)の学問ではダメだ、ということを教えてくれた
高山宏(たかやまひろし)氏に感謝。