推理小説家とマジシャンと詐欺師の天敵、それが
「こども」。とにかく
「こども」にはトリックが一切通用しない。ではなぜ、こどもにはトリックが通用しないのか、そのヒントを歴史学者・
阿部謹也氏が教えてくれた。
与えられた意味を受け入れることはなかなかできない。でも、意味を発見したりつくったりすることはできるんですよ。自分で意味をつくるのは子どもなんですね
(阿部謹也 『世界 子どもの歴史』 p69)
さあこれはどういうことだろうか。これは氏が開いたゼミをまとめたものなので、引用した部分について掘り下げた考察はない。しかし、これが詐欺とトリック、つまり
「騙し」の根本につながる記述であるのは間違いなさそう。
こども研究に先鞭をつけた
フィリップ・アリエス氏の著作を読むと分かるのだが、この人のやっていることは
「こどもの歴史」であって、
「こどもとは何か」ということではない。歴史もオモシロイが、こっちの関心は
「こどもはなぜトリックに引っかからないか」ということであって、それには
「こどもとは何か」が分からないと話にならないのだ。
恐らくその鍵は、表紙にもなっている
「遊び」。阿部氏も、
「遊びには聖なるものがある」と発言していて、詐欺に騙されない存在=聖者・道化も聖なる存在であるから、ここが理解できると、詐欺への突破口が開けるのではないだろうか。俗世にまみれていない
超俗の存在(earth-detached)、それをまず勉強しなくてはなるまい。
あとはこどもの教育を発見した、
ルソーだろうか。こどもについて調べると、何を読んでもルソーに行き着くので、やはりこれも調べた方が良さそうだ。もしくは調べたことにした方が良さそうだ。
(ジャン・ジャック・ルソー)