万博こと万国博覧会、これを開催する目的は何なのか―――という大仰な質問より、
森薫『エマ』前半のクライマックスとなったロンドンの
水晶宮(クリスタルパレス)を考えてみることにしよう。
ヴィクトリア朝、つまり十九世紀以前の十七世紀においては、地方の貴族や名士が
『驚異部屋(WunderKammer)』というものを持っていて、ここに珍しいものを集めていた。つまり
蒐集(コレクション)である。これが
「合理」の十八世紀を通過して二つの方向に分かれる。
一つは個人のコレクションを整理して博物館(museum)とする
「博物学」の流れであり、もう一つが産業界の物品として展示する、前者が
「学問」であるとすれば、後者は
「商業」。フランス語で展示を
「exposition」というが、これはまさに
「ex(外に)」「position(置く)」であって、それまで
「内に」蒐集していたコレクションを外に出すことを意味する。水晶宮で行われた万国博覧会というのは、それを国家単位で行った試みだと言える。
これを小規模と言っていいか大規模と言っていいか迷うが、
デパート(グラン・マガザン)なんかも
「展示(exposition)」の一例だと言える。そしてこういう博覧会を開くことで、啓かれる部分もある。最先端技術がどんっ、と世界へ展示されたのだ。
今のようにインターネットもなければテレビ中継もない時代、最速の伝達メディアが
「電報」だから、こういう催し物の効果も現代とは比べ物にならない。これによって、各国の最先端技術が交換され、その結果として兵器の性能も格段にアップし、その後の世界大戦で信じられぬ数の死者数が出るようになる。うーむ、
『第三の男』のハリー・ライムが思い浮かぶ。
こういった十九世紀の流れを知ろうと、
『異貌の十九世紀シリーズ』(国書刊行会)を全て読んでみたが、やはり高山宏の訳書以外はパっとせず、ちと残念な結果となってしまった。