「七歳までは神のうち」―――ものごころがつく前の子どもは
「エデンの園」、しかも
「知恵の実」を食べる前のアダムとイヴに等しい―――簡単に言うと、
「服(ファッション)」がいらない世界の住人ということ。しかし、これではなんだか分からないから順を追って説明していこう。
キリスト教の説明では、神が最初の人間アダムを創(つく)り、その肋骨からイヴを創った。その二人が住んでいた楽園が
「エデンの園」。ここでは二人とも働かなくていいし、食べ物もあった。それをサタンがそそのかして
「知恵の実」を食べさせ、二人は知恵がつき、イチヂクの葉で局部を覆った。それを見た神はお怒りになって二人を追放し、男は労働と、女は陣痛という重荷を背負わなければいけなくなった―――これが有名な
「楽園追放」のエピソードである。
(fig. from
http://www.kitanet.ne.jp/~yeomam/04.jpg)
このエピソード自体は非常に有名で別になんでもない話だが、この二人が身につけた
「イチヂクの葉」―――これが人類最初の
「服」だ、というのは
ルドルフスキー『みっともない人体』に教えられるまで気がつかなかった。
(fig. from
http://www.home-takumi.com/nikki/syuukaku.jpg)
ここから少し話は飛んで、
「詐欺」について考えてみる。詐欺師に騙される人間(カモ)の特徴として
「服装とそれを着ている人間をイコールだと思う」というのがある。つまり身なりが立派な人間は、人間としても立派だと思い込んでいる―――そういう人は詐欺師の
「立派な身なり」にコロっと引っかかる。なるほど、頷ける話だ。
その反対にいくら詐欺師ががんばっても引っかからないのが
「子ども」である。子どもというのは詐欺師の天敵であり、立派な身なりにも決して騙されてくれない。子どもにとって
「服(ファッション)」などというのは、全く眼中にない。
ここでハタと気がつく。服が眼中にない―――つまり
「服というのはあってもなくても一緒」―――そうか、子どもは知恵の実を食べる以前の存在なのだ。今まで
「子ども」と
「詐欺」を結びつけるピースが埋まらず悩んでいたが、
「神である子ども」は
「服」なんてものに関心がない、だからこそ、詐欺師が持つ最大の武器
「見かけの立派さ」に、ことごとく打ち勝ってしまう。ようやっと合点がいった。