人から直接話を聞くのを
「インタビュー」というが、英語の原綴りは
「Interview」―――つまり
「『内』を見る」のがインタビューというわけだ。語源となったフランス語にするともっと分かりやすくて
「entrevoir」。内部に入って(entre)見る(voir)。
裏を返せば
「内部に入らないと見えない」ということでもあるから、
「内に分け入る」その度合い、つまり聞き手の膂力(りょりょく)によって内部を見る(診る)度合いに差が生じ、それが足りなければ
「つまらないインタビューだった」ということになる。
(ジャック・ルイ・ダヴィッド『ソクラテスの死』)
この
「内部を見る」とは、先ごろ読了した
『ボディ・クリティシズム』のメインテーマであったわけだが、いみじくも結論部に、
「十八世紀においては医者もまた美学にたずさわる存在であった」という表現が見られて、現代ではこの逆に
「美学にたずさわる存在は医師たらねばならない」ということになるだろう。つまり
「インタビュアー(interviewer)」は
「内部を診る(inter-viewing)」、
「医師」だということになる。
人に聞くのが
「インタビュー」だとすれば、作品に聞くのも、ある種のインタビューである。今回の
『アニメ夜話』が無事成功という形で終わったのは、要するにオモシロかったのは、きっちり
「作品の内部を診る」ことができるゲストを揃えたこと―――それに尽きる。
某NHKでやっている
『トップ何ラー』と
『どれジオパーク』なるインタビュー番組が驚異的にツマラナイのも同じことであって、聞き手の
「医師」足る素質―――知りたいという好奇心―――が欠如しているからに他ならない。そういえばダ・ヴィンチ研究の泰斗
マーティン・ケンプ(Martin Kemp)が、そのものズバリ
『医師のアート』という本を出していた。
こういったことも全て、
バーバラ・スタフォード氏の
『ボディ・クリティシズム』あればこそ―――といっても国書刊行会から出るという
高山宏氏の翻訳が待てど暮らせど全く出る気配がないのは、正直キビシー!!(てなもんや三度傘)