推理小説と哲学者ライプニッツという、一見ありそうにない
「つながり」が、順を追って調べていくと間違いなくつながっている。
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ)
まずシャーロック・ホームズとバルザックは、
観相学(フィジオノミー)でつながり、バルザックの観相学は、ベンヤミンが言うところの
遊歩者(フラヌール)とつながり、
「見る人が見ればわかる」という遊歩者の自信は、魔術思想につながる。そしてその魔術思想のおおもとが17世紀の哲学者ライプニッツなのである。
魔術というと、現在ではいかがわしいものの代表になってしまったようだが、近代科学と魔術がその袂をわかったのは、そう昔のことではない。ましてや現代の科学信仰で、当時の魔術をいかがわしいものだと推し量ってはいけない。
まず基本として魔術とは、バラバラなものを統一する思想である。宇宙(マクロコスモス)と人体(ミクロコスモス)は照応関係にある。そして人間の顔にはキャラクター(記号)があるから、それを読み取ればすべてはわかる――という考え方がその根本にある。ライプニッツがまさにそのことを言っている部分がある。引用しよう。
私はこれまでいつも言ってきたのですが、現在は未来をはらみ、事物はたがいにどれほど遠ざかっていても、そのあいだには完全な結びつきがあるから、十分に先見の明のある人は一方のうちに他方を読みとることができます。
(ライプニッツ 『モナドロジー』 必然性と偶然性 p224)
これを見ると、ホームズの言っていることとまるっきり同じだというのがわかる。さらにライプニッツは数学者でもあり論理学も極めた人だから、推理小説的な操作法もちらりとのぞかせていて、こうある。
たとえば同じ現象に関して、AとLという二つの属性があるとしよう。またAについて可能な原因がb、cと二つあり、Lについて可能な原因がm、nと二つあるとしよう。さて原因bが原因mとも原因nともいっしょには現われることがないとわかった場合、Aの原因はかならずcにちがいない。またmはnと両立しえないとわかればnがLの原因だということになるであろう。
(同上 学問的精神について p187)
ホームズの操作法・推理法は、
「アブダクション」という
「~かもしれない」の考え方であるが、その根底には
「万物はつながっていて、ひとつである」という思想が流れている。それこそがまさにライプニッツ。
ライプニッツが生を受けた17世紀のドイツというのは、中公クラシックスの冒頭に付された下村寅太郎氏の卓抜な序文にもある通り、厭離穢土(おんりえど)――つまり生き地獄である。
最大にして最悪の宗教戦争であるドイツ三十年戦争が終わり、ドイツの人口は三分の一になったとも五分の一になったとも言われている。諸国は分離し国土は荒廃――そのバラバラになってしまった世界を繋ぎ止めたいという想いがライプニッツにはあるはず。魔術思想とは言ったが、この人は同時に外交官でもあり、バラバラな世界を条約のネットワークで
「つなぐ」ということにも腐心している。
(ライプニッツ・アナロジー・ヴィジュアルで「ちがいの中の同じ」を探る傑作)
世界が分離・拡散を強めるなかで、それとは相反する
「つなぐ」思想――世界はひとつであってほしいという願いが魔術思想になり、それが十九世紀という時代にラファーターの観相学として復活する。その背景は17世紀と同じだ。外形と内面は同じであってほしいという信仰、そしてそれを色濃く受け継いだのが推理小説というわけである。ホームズの作者コナン・ドイルがその晩年オカルティズムに走ったことは、むしろ当然だったといえるだろう。
(コナン・ドイル)