顔を
「読まれて」しまうから外に出られない――19世紀の人たちが部屋にこもりきりの生活をしているのは、なるほど、観相学のせいだったのか。
でもさすがにまったく外出しないわけにはいかないから、夜歩く。そんな映画のタイトルがあったような気がするけど、それにしてもどうして
「夜」なのか。
今と違って街灯設備が行き届いてるわけではないから、外はもう真っ暗。
「だからこそ」出歩ける。夜目に人の顔かたちは分からないから。
顔かたち――というのを、英語ではパーソナル・アピアランシズ(personal appearances)というらしい。目の色、肌の色、髪の色、こういったものが暗がりでは一切読み取れない。あるのはシルエットだけ。
じゃあシルエット(Silhouette)ってなんなんだよ――という話になってくる。字面だけ見ると、あからさまにフランス語で、こういうとき、つくづく
「OEDがあれば!」と思う。
調べればきっと、19世紀特有の用法があるに違いない――と踏んでいるんだけど、OEDを持ってないのだから仕方がない。その回路はあきらめよう――と思った刹那、ボードレールのことが頭に浮かぶ。
『さかしま』の主人公デ・ゼッサントが愛読していたボードレール、よくよく考えると、この人はポーの仏訳から文業をはじめた人だから、その著作には何かしら推理小説へのつながりがあるかもしれない。
そう思うと、
「ポエジー」だけでは括られないボードレールが見えてくるはず。どういうわけか、ボードレールは避けてきたようなとこがあるけど、推理小説への新たな突破口かと思えば、俄然、興味がわいてくる。
19世紀の巴里人(パリジャン)だもの、きっと何か手がかりがあるだろう。あとはあんましんどいフランス語じゃないといいなぁ。