たまーに手に取る科学系の著作、そのうちの一冊
『DNA』に、ナチスの優性思想について色々と教えてもらう。
ここ最近調べている
「観相学」は、最終的にナチスに行き着く――という話だったけど、なるほど、行き着く先は
「優性思想」だったのか。
平たく言って、
「後の世に残したくない要素を持った人間はことごとく排除する」という、相当にすごい考え方。
ただ、これをやったのはナチスだけじゃないみたいで、当時、アメリカもおんなじことやってたらしい。
だから、迫害を受けたユダヤ人が亡命しようとしても、受け入れてくれなかったと。
『情報の歴史』という年表を調べていると、まさにそんな記述が随所に見られる。
そういう歴史の流れは押さえることができたけど、観相学という
「顔」を読む技術が、どこで
「遺伝子」にバトンタッチしたんだろう。
キーになった誰かがいるはず。それを知るためにはヒトラーの
『わが闘争』か――と思っていたところ、これがドイツ思想系にありがちな、泣きたくなるような日本語。
高山宏氏の書評で、ドイツ文学の凋落ぶりが嘆かれていたけど、その原因のひとつが、ドイツ系に顕著なこういう翻厄のせいじゃないかと思う。
――だからと言って、むやみにオコッてもしょうがない。
『わが闘争』は、いつかドイツ語で読むとして、それまでは、手塚治虫氏の名著
『アドルフに告ぐ』を読もう。