本日、頼んでおいた
エドマンド・ウィルソン(Edmund Wilson)(シロクマ注1)の
Memoirs of Hecate Countyが届いたけれども、
これがなかにし礼もビックリするほど「オンボロロー」なわけで、中身を見るとこれがまたキワドイく、チャタレイ夫人も目じゃありませんが、こんなもの大丈夫なのかと思っていたら、出版された1946年に裁判にかけられていて、巻末には裁判記録が掲載されており、
ライオネル・トリリング(Lionel Trilling)が弁護側の証人をやったりしている様子がまんま書かれているのだが、その記録の後、
ジョン・アップダイク(John Updike)(シロクマ注2)が後書きを書いている。
ウィルソンの本も結構集まりましたな(集める気はなかったが)。
アクセルの城(ちくま学芸文庫)
Triple thinkers
A piece of my mind
Bit between my teeth
Upstate
o canada
Income tax
Europa without beadeker
今度ので都合9冊。中でも一番好きで思い入れのある作品は
A piece of my mind。
買ってから数ヶ月して再読し、「アッ読めるようになった」と感じ、そこから漸く英語がムリせず読めるようになったので(それまではかなり必死こいて読んでいたから)、そういう意味でも思い出深い。今でも時折再読する。
エドマンド・ウィルソンにハマるきっかけはやはり
「アクセルの城」ですな。ジョイスとプルーストのところはかなり熱心に読んだ。特にジョイスの「ユリシーズ」論の部分は、汗牛充棟のジョイス関連書目の中では出色のデキ。翻訳も良かった。そして何より、
篠田一士(シロクマ注3)の「エドマンド・ウィルソンのために」というのは、まことに体よくエドマンド・ウィルソンの文業およびその周辺をチャートできていて、ぶっちゃけてしまうと、本論より、この篠田氏の後書きの方を再三再読し、頭に叩き込んだ次第。
↑こんな顔のウィルソン氏
注1:エドマンド・ウィルソン(Edmund Wilson)。アメリカの20世紀中葉を代表する文人かたぎの評論家。文人かたぎではあるのだが、その旺盛な活動は、まーあっちもこっちも手当たり次第という感じで、文学論自体はさほど多くはないのだけれど、これだけがっちりした文体で文章を書けば、何でもモノになる気はする。文章うめぇなあと手放しで感心する数少ない文人。
注2:ジョン・アップダイク(John Updike)。典型的な東海岸的エスタブリッシュ(Establish)の古参作家。一連のウサギシリーズ(といっても動物モノではない)が有名だが、コリに凝った文章とアメリカ臭さが鼻について、実はこの人の小説類はあまり好きではない。しかしエッセイの類は面白く、「Self consciousness」という自伝は素晴らしかった。ときおり「New yorker」に書評を書いている(があまり面白くはないね)。
注3:篠田一士(しのだはじめ)。その語の意味する通り「Amateur(愛するもの)」批評家であった。英・仏・伊・独・西・羅・希でありとあらゆる現代小説・現代批評を論じ、ボルヘスがこれほど日本で注目を集めたのは、ひとえにこの人のおかげといっていい。なぜだか知らないが、この人が名前を挙げた文士・作家はなんとしても読みたくなるので、やはりこれは文学の「Gourmand(食いしん坊)」の氏であるからこそ、できる業(わざ)なのだろうなぁ。エドマンド・ウィルソン、シリル・コナリー(Cyril Connolly)、ヘンリー・ミラー(Henry Miller)、マックス・ビアボーム(Max Beerbohm)、V・S・プリチェット(V.S.Pritchett)などなど、この人のおかげで親しんだ名前を並べていくときりがない。これもひとえに書狼(しょろう)の精神の賜物だろうが、おなじ書狼の由良君美氏とは犬猿の仲だったそう。両者の著作を読むと、それが良く分かる。