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カテゴリ:佐々木果、「コマ」を語る( 11 )

佐々木果、「萌え」と「BL」を読む(1)

 先日までまとめ作業を行っていた佐々木果(みのる)氏の講演会――実はあれで一日目の内容だという、なんニャーな分量。
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 二日目(「萌え」と「BL」)についてもご要望をいただいたので、今日からアップしていくけれども、さすがにあんな分量になってはやりきれないので、かなりザックリザックリな感じでひとつ。回数的にも三回ぐらいにしようと。

 それにはもうひとつ理由があって、転写するのでない限り、このブログで「萌え」という言葉を使ったことはなくて(Bloom系と呼び変えたり)、BLについても同談。だからこそ聞きにいったというのもあるんだけど。
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 佐々木氏の講演の主たる内容としては、まずその「萌え」「BL」を別々に扱うのではなく、歴史という枠の中において、一緒に考えてみよう!ということだった。

 それでのっけから『フレッシュプリキュア』(笑)。つまり、「女の子向け」「男の子向け」というカテゴリーがあるが、それを各種テレビアニメのOP映像から見ていこうという流れ。(*当日使用した映像は最新のものだったので、絵柄が違います)
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 「女の子」ばっかりが出てくるからといって、それが必ずしも「女の子」向けなのかどうか、またその逆もしかり――ということで、性別でメディアが分かれていると。

 それをいったん「自己投影モデル」「欲望対象モデル」という風に、キレイに分かれるわけではないけれど、いったんそういう見方をしたらどうだろうと、そういう提起のされ方をしていたな。
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 これについては佐々木氏自身が模式図を描かれていたので、次回はそれを参照するところからはじめたいと思う。
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by ulyssesjoycean | 2010-03-25 08:50 | 佐々木果、「コマ」を語る | Comments(0)

佐々木果、「萌え」と「BL」を読む(2)

 佐々木果氏の講演二日目――遅ればせながら『「美少女」の現代史』(講談社現代新書)を読みきったところ。
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 読了してみると、講演内容と重複する箇所も多いので、このブログでは、「それ以外」の部分に目を向けてささっとまとめてみたい。

 昨日言っていた模式図というのはコレ。例によって当日のメモから抜粋してるから、かなり粗雑だけれども。
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 要は、佐々木氏言うところの「欲望対象モデル」の延長線上に、互いの「自己投影モデル」が見えてくるという仕組み。

 じゃあ昔はどうだったのか――ということで、歴史的なチャートを見ていくことになるのだけれど、’70年代の、具体的にいうと『キャンディキャンディ』まで、カッコイイ男の子が出てこなかったという驚き。
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 そしてまた、「男装」という意匠――これは何だと。

 王様になれるのは男だけで、それは現在も制度的に大して変わっていないというところから、そもそもの法律が出来た明治時代はどうだったのか――と。
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 個人的にはこの明治時代の法律が一番興味を引かれて、以下にきっちりとメモしてみよう。
 学制公布 (1872 M5)→学校へ行く
 子供雑誌創刊 (1877 M10)
 教育令公布 (1879 M12)→男女別学化
 高等女学校令 (1886 M32)
 少女雑誌創刊 (1902 M35)
 少女マンガは、少女雑誌から出発したなど、女学生の文化と密接不可分の関係にある由。
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 ここでチラッと、「世間体」という言葉が出てきたけれど、ここはやっぱり、阿部謹也氏に多大な影響を受けたものとしては、無視できないところ。

 「社会」「世間」という言葉を自分たちはうまいこと使い分けているけれど、それこそ少女マンガ研究も、その概念に踏み込まないといけないのではないか――と、そのとき感じたな。
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 佐々木氏の講演でも、その先、日本の「家(イエ)」と社会、家父長制、「女子供」という言葉の意味するところ――などに触れていたのだから、これはやっぱりという感じ。

 それ以降の補足点についてはまた次回に。これは未見なのだけれど、『新現実』(角川書店)という雑誌の第二号に佐々木氏が文章を書いていて、それもまた今回の講演の骨子になっているそうな。
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by ulyssesjoycean | 2010-03-25 08:49 | 佐々木果、「コマ」を語る | Comments(0)

佐々木果、「萌え」と「BL」を読む(3)

 『「美少女」の現代史』とカブらないところだけ――と思いつつ、でもやっぱりこれだけは――というのが、宮崎駿氏の作品。
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 言われて気づいたんだけども、氏の監督作では、男キャラにみんな呪いがかかっている由。

 『紅の豚』では豚になってるし、『もののけ姫』ではアシタカが呪われ、『ハウルの動く城』はゴミ屋敷という――これは聞いていて、「なるほど!」と思ったところ。『千と千尋』のハクも、がんじがらめ状態だよね。
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 講演録としては、その後、「本当の私」という内面性のところから、エマニュエル・レヴィナスの「倫理学」につながるという。

 悪いのは自分だ――というので、ここからそうした主題がノベル系のギャルゲーに出てくるそうですな。
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 「葉鍵(はかぎ)系」と言われる、KeyとかLeafの作品で、みんな泣きながらマウスをクリックしたという(笑)。この「泣きながらマウスをクリック」は佐々木氏の名セリフですな。額に飾りたいぐらい。爆笑。

 シンジ君的な「いじけ」を経由して、さて現在はどうなってるだろうか――というと、錯雑混淆とした様相を呈するようになったと。
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 パソゲー『Air』の女性人気、または志村貴子氏の「女の子になってしまう」作品とかね。とにかくサイクルが早くなっているらしい。

 『セーラームーン』も、ちょっとあのデザインはどうかな――なんて思っていたら、ストレートにカッコイイ!ということで、女性視聴層にも大ウケだったとか。汎ヨーロッパな人気もあると聞く。
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 こちらも、『ひぐらしのなく頃に』の話をされて、ビックリしたことがあったな。えっ、あれってそーいう路線のPCゲームなんじゃないの?と。聞いたら、色々のバージョンがあるんだとか。

 ここで冒頭の模式図に戻って、なるほどこれで話がつながる。あの図があることで、ギャルゲーやBL系作品の向こうにそれぞれの「自己投影」が見えてくるという。
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 それで最後の締めくくりとしては、本当にやらなければいけないのは「少年論」の方でないか――という。「少年マンガ」の方が、むしろ特殊な存在なんだと。

 橋本治氏が、その辺を手がけて、結果、上巻だけで終わってしまったそうだけれども、なるほどそれは盲点だった――という感じ。
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 残念、こっちは同氏のあまり良い読み手とはいえなくて、今回の講演の参考図書とされていた『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』も、途中で挫折。

 「萌え」「BL」という、あまり得意でない路線の作品や流れを一通り聞くことができたのは有難かったな。それで結果、いきつくところは「少年」をやるべきなんだ――というんだから。
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 (あとは、「泣きながらマウスをクリック」話があまりにもオモシロかったので、どうにかこの『新現実』も確認したいところ。

 こっちは佐々木氏、フルスロットルらしいから・笑、いつか読んでみたいなぁ)
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by ulyssesjoycean | 2010-03-25 08:49 | 佐々木果、「コマ」を語る | Comments(0)

佐々木果、「コマ」を語る(1)

 二日間にわたって行われた、佐々木果(みのる)氏の講演会。
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 これがとてつもなくオモシロくて、日時と地理的条件からこれだけの人数しか聞けぬでは勿体ない!ということで、ちょっと前のグルンステン氏のときと同じように、このブログの「枠」を外してレポートしてみたい。

 ことに一日目は、「タカヤマ学派」として垂涎の内容で、しかもブログにのっけても大丈夫ですよ――ということなので、これを見逃すわけにはいかないでしょう!と。
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 佐々木果――変名の「ササキバラ・ゴウ」としてマンガ研究も行っている方だけれども、もともとはマンガの編集者で、98年ごろから「先生」として教えなければいけなくなった次第。

 ただ、いざやろうとすると、マンガの歴史というものがよく判らないという。いきなり戦後から始まってしまうし、戦前はどうなっていたのかというと、清水勲氏がやっているぐらい。
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 で、その清水氏も、「一コママンガ」というものに着目しておられて、関心ないわけじゃないけど、やはり「コマを割る」、その歴史を知りたいと思って調べていった由。

 そうすると、日本最初のコマ割りマンガは1881年(明治14年)なのだけれど、どうやら当時、すでにして海外からコマ割りマンガが入っていて、結局、日本にルーツを求めると無理がある!ということに帰着したそうな。
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 そこにテプフェールが出てくる。90年代になってアメリカでも研究書が出始め、またアチラにはコレクターが多いもんだから、どうやらこのテプフェールというものが大事らしいぞ――という趨勢になってきた。

 海賊版輸入として出てきた、そのテプフェール作品が1833年だけれど、じゃあそれ以前はなかったのか――というところから、いよいよ「タカヤマ学」に深く影響を受けたところが見え始める。それについてはまた次回!
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by ulyssesjoycean | 2010-03-18 08:45 | 佐々木果、「コマ」を語る | Comments(2)

佐々木果、「コマ」を語る(2)

 テプフェールが初のコマ割りマンガなのだろうか、それ以前はなかったのだろうか――と探っていくと、ギルレイ(英 1800)やフランシス・バーロー(英 1682)、更にはドイツ・シュヴァーベン地方にもそれに類する作品(1460-80)があったりする。
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 このあたりまで遡ってきて、どうも線引きが難しくなってくる。なにより「マンガとは何か?」という「定義」の必要性が出てきてしまうと。

 ただ、マンガについては「これだ!」という定義があってみんなが描き始めたものではなく、また、定義が先にあると、それにあてはめて歴史を見てしまうから、違う考え方をしないといけない。
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 ここからガスッと頭を切り替えて、絵がいくつもならんでいる状態を考えてみる。「絵を数える」ことができるようになった状態を考えなくてはいけないんじゃないかと。

 このあたりで、つい先日『心変わり』を読了したから、即座にパンニーニを思い出したりしたのだけれど、要は「絵」というものは「数えられる」ものなのかどうか。
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 誰しもが知るように、最初は壁画だったりして、それ自体を一枚と見るのか、そこに書き込まれたものをひとつずつ数えていくのか、そもそも「カウント」できるものなのか――という問題が生じる由。

 そしたらちゃんとその問題を取り扱ってる美術史の分野があるそうで、「パレルモン」と言ったかな? 何かを「区切る」ことで「内と外」が生まれる、つまり「境界線」が生じると。
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 だからむしろ、領域があると、そこに絵が生まれる。絵を区切っていったからマンガができた!という順番で考えてみよう――というので、これにはドびっくり。

 これを思考のとっかかりにして、この先、「装飾」として絵を描いたのと、「表現」として絵を描いたものがあるはず――というところから、本当に「古代」に遡って話されていくんだけど、それはまた次回に!
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by ulyssesjoycean | 2010-03-18 08:44 | 佐々木果、「コマ」を語る | Comments(2)

佐々木果、「コマ」を語る(3)

 「絵を描く」ということのはじまりを考えた場合、ごく簡単に言って、モノに描く、つまり「装飾」としての絵と、いわばそれだけを目的にした「表現」としての絵があるだろう――という。
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 じゃあモノに描いたものでどんなのがあるか――というと、銅鐸(笑)。びっくりしたことに、ちゃんと銅鐸の表面には絵が描いてあって、それがちょうど4コマあるんだよね。

 じゃあこれを「4コママンガ」と言っていいものかどうか。江戸時代どころか、日本マンガの起源は銅鐸だ!ぐらい遡ったほうがオモシロいんじゃないか――なんてクスグリもありましたな。
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 マンガ家・しりあがり寿氏は一度銅鐸マンガを描いたことがあるとかで(!)、さすがのものと感じ入ったあたりの話が続き、ここら辺で、メソポタミアから出土した箱絵が出てきた。

 自分のメモでは矢印が違うけれども、左下からはじまって(!!)、蛇がうねくったように右上へ向かっていく進行の由。
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 要するに、古代において字が読める人なんて殆どいないから、言葉のわからない人にも説明したい――というところからキリスト教美術との関わりが出てくる。

 スタフォード読みとしては、これはまさしくヴィジュアルの持っている「通じる力」であり、イグナティウス・ロヨラのイエズス会(イメージを主体にした伝道活動)を思い出す。
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 モノに書き付ける装飾から離れて、遠近法・透視図法を理論化したデューラーとアルベルティのことを考えてみようと。

 これが大体15世紀のことで、当日の粗雑なメモだから絵としてはヒドイけど、遠近法の勉強をした人であれば必ず一度は目にしたであろう、アルベルティの「窓」というやつですな。
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 見たものを切りとって絵にしていく技法と考えた場合、区切ることで「コマ」が発生するというのであれば、この窓のフレームは、まさしくコマではないだろうか――という。

 「コマ」というと、ついついマンガのコマばかり考えてしまうけれど、「区切られたもの」と考えていけば、そうか、そんな狭い範囲で考えなくてもいいのか――という目からウロコの発言が続出。
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 次回はその思考の発展形である、ライモンドゥス・ルルスの話。すごいよね、ここでジョン・ノイバウアーの『アルス・コンビナトリア』(ありな書房)に話がつながるんだから。
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by ulyssesjoycean | 2010-03-18 08:44 | 佐々木果、「コマ」を語る | Comments(0)

佐々木果、「コマ」を語る(4)

 さて話はライモンドゥス・ルルス(1232-1315)。自分も名前は聞いたことあるなぁ――ぐらいで、今回の佐々木氏の講演で初めて、「ああ、こういうことを考えていた人だったのか!」と得心がいった。
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 この辺、タカヤマ学派にはお馴染み「記号論理学」「普遍言語」の話で、要は「この世のすべてを組み合わせで表現しよう!」という考え方。

 ライプニッツもまさにこの文化圏にいた人で、自分では覚えてないけど、著作全集などを確認すると、ルルスへもちゃんと言及してるそうな。
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 有名な話としては、英語で「サン」というと、「sun(太陽)」「son(息子)」が同じ音だから、これはマズイという。それで、この世を構成している主たる要素をいくつかに分けた上で、それを記号化し(A、B、C…)、更にその組み合わせで(AB、AC、AD…)話をしようじゃないかと。

 当然ながらすぐに頓挫したそうだけれども、そうした考え方の基礎を作った人が、このライモンドゥス・ルルスだという。
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 ただ当時はグーテンベルク以前だったので、その思想を広めるために弟子たちが写本を作って、ちゃんと図解しているんだけど、これに佐々木氏は興味津々だった様子。

 悲しいかな、当日の自分のメモからそのまま引っ張ってるので上図だけではなにやら判らないけれど、左側に9人がいて「どこ、だれ、どんな…」という疑問詞を一人ずつ発している。
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 それを間にいるルルスさんが受けて、右にある真理の塔にハシゴをかけるという図。画像を探したら、ドイツ語論文の一部なのかな? このリンクから見られるので、ご興味ある方はどうぞ

 それで佐々木氏のすごいところは、区切られたもの=コマだという考え方で行くと、このハシゴも「コマ」だというわけなんだな。
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 あとは誰しもが使うであろう「表」。エクセルでもおなじみだけれども、そうしたチャートを組み合わせ術でも使っていて、それもまた一つ一つが区切られたものだから、コマと見ることも可能だという。

 その「表」を英語で「テーブル」と言い、またフランス語では絵画を意味する「タブロー」と同語だというあたり、タカヤマ学派としては「うっしっし」という感じに(笑)。これは嬉しかったなー。
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 ここまでで一通り、「コマ」という概念について、こっちの持っている先入観が完全にぶっ壊れたところで、このコマを「読む」というのはどういうことか、話が移っていったな。

 その立役者が経験論哲学のデヴィッド・ヒュームだというので、マンガ論にヒュームが出てきますか!という驚き。次回はこのヒュームさんからですな。
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by ulyssesjoycean | 2010-03-18 08:43 | 佐々木果、「コマ」を語る | Comments(0)

佐々木果、「コマ」を語る(5)

 イギリス経験論の代表選手、ジョン・ロックとデヴィッド・ヒューム――言ってしまえ、そういう人がいるというぐらいの知見だったから、まさかマンガ論に関係あるとは思わないよね。
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 ヒュームの言ってることはぜんぜんわかんない――とは講演者である佐々木氏も述べておられたけれども、そのわかんないヒュームをドゥルーズが解説してくれていて、そっちを読むとある程度わかるそうな。

 なんだっけ? 項と項の関係性は項の内容それ自体にはなく――といった、まさに「哲学してる」文言だけれども、この「項」「コマ」と読み替えてみる!(すごい発想だよなぁ)
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 なるほどそうすると、コマとコマの関係性は、コマの中に描いてあることとは関係がない、それを人間が「解釈」してしまうことが問題な由。

 要するに、読む人が意味を読み取ろうとしてしまう――これがイギリス経験論の主体となっている考え方だそうですな。
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 ――なぜこういう話の展開になったかと言うと、「時間性」のコマ割り(聖書という「物語」にあわせてコマを割っていく)が「どう伝えるか」を主眼にしているのに対し、「関係性」のコマ割り(映画でいうとモンタージュ)では、「どう解釈するか」の方に重きが置かれると。

 ざっくばらんな言い方をすれば、後者は描きながら考える話だということだね。まず描いてしまって、さあこの続きをどうするか――というマンガの描き方。
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 そしてこっからウィリアム・ホガースが出てくるんだよねー。

 さっきの区分で言うと、時間性のコマ割り、つまりそういう絵が並んでいる表現というのは、当時から割にたくさんあったんだけど、ホガースが「コマとコマとの関係性」を絵の中に持ち込んだ由。
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 読む人にその関係性を「読み取らせる」手法というか。次回はこのホガースとテプフェールの方法論の違いからかなー。

 以前のグルンステン氏のときより、分量がやたら多いな――と思ったら、通訳が入ってないから、講演時間は同じでも、密度が違うのね。あとは分野的にこっちのどストライクゾーンだということ(笑)。
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by ulyssesjoycean | 2010-03-18 08:43 | 佐々木果、「コマ」を語る | Comments(0)

佐々木果、「コマ」を語る(6)

 さてウィリアム・ホガース、複数の絵を並べて、更にその「関係性」を読ませようという試みが、その作品『ことの前後(Before and After)』に読み取れる。
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 もうワンセットあるんだけど、そっちは図版が見つからなかったのでこれでご勘弁を。この色刷りを事前広告として使い、あとで白黒の版画が出るという仕組み。

 ただ、肝心の版画では、一枚一枚を商品と仕立てるため、内部に書き込まれた情報量が多くなり、それをおっかけていくと、どうしてもコマ同士の関連性は弱くなると。
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 その点テプフェールは違って、ものすごく簡単な絵で、関係性のみを読ませるような描き方がなされているという。しかも本でいきなり書き下ろしというフォーマットなんだってね。

 そしてその描き方も、「タテ線」で区切ってあるだけ。つい「コマ」っていうと、四角形の形状を想像してしまうけれど、これで十分成立するのだという驚き。
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 もっと驚いたのは、あのロートレックがマンガを描いていた(!)ということ。テプフェールの作品は相当広い影響を及ぼしたようで、ロートレックもラクガキ風に線で区切られた絵を描いてるんだよね。 

 実際、マンガ家の生理として、区切っていくうちにマンガになるのだという。佐々木氏は編集者だから、目の前であるマンガ家がこういう下書きをしたんですよ――と図解してくれたのが、島本和彦氏(笑)。
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 打ち合わせの時に「こうだよ!」とザクザク割っていったページが、クリックすると完成図が出てきて、それがまた『無謀キャプテン』であるという(笑)。

 言ってしまえば「成り行き主義」で、実際、テプフェールはまさにそんな感じなんだと。この辺をはっきり「体感」できるのは、編集者である佐々木氏だからこそという感じがする。
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 そうした成り行き主義は、映画論とも一脈通じるらしいね。ドゥルーズが映画論の中で、映画には「et」しかないんだという。英語でいう「and」ですな。

 メビウス氏も、シンポジウムの際に、やはり絵で書き進めることでこうした説明をされていたから、ふっとそのことを思い出したり。
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 次回はこうした行き当たりばったり主義から、いよいよ『トリストラム・シャンディ』の登場! 
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by ulyssesjoycean | 2010-03-18 08:43 | 佐々木果、「コマ」を語る | Comments(0)

佐々木果、「コマ」を語る(7)

 ついに来た! ロレンス・スターン『トリストラム・シャンディ』! 
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 18世紀英文学にしてメタフィクションの到達点ということで、本好きなら誰しもが知る名作。主牟田夏雄(しゅむたなつお)氏のこれ以上ない名訳が岩波文庫で読めるので、未見の方はぜひ一度。

 他ならぬこのブログのタイトル『Digressions』だって、実は『トリストラム・シャンディ』から拝借したものだしね。左上のシロクマが寝てるところに、ちっちゃく書いてあったり(笑)。
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 とにかく脱線脱線で話が進む(?)、その成り行き具合がなるほど、テプフェールの「関係性のみ」の描き方につながると。

 『トリストラム・シャンディ』中には、さてこれまでのお話はこうです、または、真理とはこういう形をしておるのだ――といって、登場人物が中空にこんな線を描く。
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 こういう、うにゃうにゃしてる線を、「蛇状曲線」、英語では「サーペンタイン」という。

 こっちは漱石のあまり良い読者じゃないんだけど、「うねくった」という言い方を漱石はしてるのね。高山宏『かたち三昧』(羽鳥書店)でそのことを知ったんだけど。
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 フランス的な美は直線であらわされ、イギリス的な美は、それこそ「うねくった」曲線であらわされる――まさにそうした『美の分析』を行っている書物があって、他ならぬその著者が前述のホガース。

 そしてなにより、『トリストラム・シャンディ』の挿絵を描いていたのが、なんとそのホガースでした――というところで、会場がうわっと湧いたのが印象的だったな。
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 さてここから「ピクチャレスク美学」というものに移っていくんだけれども、佐々木氏もこの概念については「こうだ!」と把握してるわけでなく、「こうかな?」という感じで話がゆるやかに進んでいった。

 こっちもよく判っているわけではぜんぜんなくて、もしかすると「世界を『絵』としてみる」ことかな――と、そのときぼんやり考えたな。
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 要は1820年代に視覚の大変動があり、視覚がバイアスのかかったものとして、人間の内部で意味が生まれてくる――という認識が生まれたんではないかと。

 それはまったく映画とアニメーションの歴史に雁行していて、目の残像を利用した、なんとかトロープ(名前失念)というものがあり、マンガ研究も何よりこの時代のヨーロッパ思想をやんなくてはイカンということですな。
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 そしてテプフェールの影響でコマ割りマンガがアメリカに輸入され、それがイエロー・キッドに受け継がれていくという、こうしたチャートを描ききったところで、講演が終了。満場拍手。

 いやー、すごい密度の話で、佐々木氏の途方もない知性に殆ど陶酔しきった感じだったねー。
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 (今回は多少はしょった感じだったけれども、こーでもしないと終わんない(T-T)。

 次回は講演後の質疑応答で出てきた問題点を、自分の理解できる範囲でさらっとまとめて、今回の講演録はいったん終了としたい。これで一日目の内容なんだから)
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 (そうそう、今回は佐々木氏の「学者」としての部分だったけれども、編集者としてのご活躍があって、直近ではこの島本和彦『ゲキトウ』[リュウコミックス]。

 同作は一巻が随分前に出たきり、続きが読めない状況だったので、それを然るべき状態にまとめたのが他ならぬ佐々木氏の由。これも近日中にぜひぜひ確認したい)
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by ulyssesjoycean | 2010-03-18 08:42 | 佐々木果、「コマ」を語る | Comments(2)