マンガとアニメーションと人文を、脱線(Digression)でつなぐブログ。
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<   2005年 12月 ( 28 )   > この月の画像一覧

『見る』と『観る』のちがい 写真と記憶

画が上手くなるにどうすればいいか、という問いに、アニメーター・湖川友謙(こがわとものり)氏は「目で見るだけでいいんです」と斬ってみせた。それにしても『Web アニメスタイル』は読ませてくれる。

 デッサン(dessin)とは何か、パース(perspective)とは何か、なんとなーく「まあ、こんな感じだよね」と素人が思っていることを、「こういうことです」と言える湖川氏の力というものには恐れ入る。そうそう、こんな風に言えるもんじゃない。
湖川 スケッチに行くんです。で、それは目で見てもいいんですけど、実際に(仕事で)使わなきゃいけないってものは、やっぱり描いたほうが早いんです。本当は目で見るだけでいいんです。画が上手くなるためには目だけで十分ですよ。
小黒 見ながら描く必要はない?
湖川 見て「何だろう」という疑問を持つだけで、絶対に頭の中でスケッチしてますから。
小黒 情報のインプット・アウトプットという事で言うと、自分の中に取り込む技術と、出して定着させる技術の両方があると思うんですけど。
湖川 ないですね。
小黒 ないですか。出すほうは技術いらないですか。
湖川 描く技術の事ですよね。いらないですね。
小黒 取り込む能力に長けていれば、描く技術はいらないんですか。
湖川 それだけでいいです。だって、描くのは脳で描くんですよ。技術ってどこにあるんですか。脳ですよ。手じゃないですよ。僕は小指長いですけど、そういう人が描けるとは限らないし。
(湖川友謙 『Web アニメスタイル』 
http://www.style.fm/as/01_talk/kogawa01.shtml)
 当然、ここから「『見る』とは何か」という話になってくる。ただ「見る」のではいけない、「好奇心を持って観ること」だ、というわけ。英語で言うと、「see」でも「look」でもなく「gaze(凝視)」しろ、ということになる。

 「なんとなく見る」なんてことはない。見ることには明確な基準や法則がある。今や普通に「構図が良くない」なんて言うことが出来るけれども、18世紀イギリスにおいては「四角く縁取った絵」という概念そのものが新しかった。だれも自然や風景を「四角く縁取る(framing)」なんて考え付かなかった、つまり「そういう見方」を教えられてはじめて「そういう風に見る」ことが出来るようになる、という証左。自分のものの見方(ways of seeing)を当たり前だと思っちゃいけない、というこってすな。
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 例えば遠近法(perspective)なんてものも、完全に人間のための技法であって、一点透視・二点透視なんて言っても、「消失点(vanishing point)」が実際の世界に「ある」わけではない。ただ人間にはそう「見える」からそう「描き」ましょう、というそれだけの話である。
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 だからこそ、19世紀になって「カメラ(camera obscura)」が出回るようになると、みんなそれに飛びついた。カメラが出来てはじめて「人間以外の目」でものを見ることが可能になった。人間の見たものでなく「そのもの」「そのまま」映ってしまう、当時としてはとんでもない機械だったと思う。
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 だからこそ、今の写真論で一番オモシロイのは「写真と記憶」の関係。写真というのは記憶の代わりになるのかならないのか、といった著作が、記憶術の歴史とからめて非常に多い。例えば、文字を使うようになって人間の記憶力は減退する。日記(diary)をつける、なんて不思議なことをやり始めて、記憶力はがくーんと落ちた(昔から「一日」という明確な区切りがあったわけではない。イスラーム圏では一日の始まりは夕方だし)。「写真」は記憶にどういう影響があるのか、といったところを日本では港千尋(みなとちひろ)氏がやったりしている。興味のある方はどうぞ。
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by ulyssesjoycean | 2005-12-30 21:23 | ヴィジュアリゼイション | Comments(0)

MIT出版局の次はリアクションブックス!

どれもこれもオモシロそうなのはMIT出版局の著作物だけかと思っていたが、リアクション・ブックス(Reaktion Books)も負けてはいない。高山宏をして、「すげぇ!」「やられたっ!」と言わしめるのは伊達ではない。

 MITが瀟洒な装丁の豪華本とすると、リアクションは随分すっきりした装丁で攻めてくる。まだ目録をネットでチラ見しただけだが、信じられぬような廉価で古本が出ていたので二冊ばかり購入。
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 上記の『猿からアポロンへ』なぞ「18世紀における美学と人種の概念」という副題が付いているあたり、ラファーターの観相学とつながってくるな、との予感が働く。『Representing the Republic』というタイトルは、「人民の代表」とも読めるが「共和国を表象化する」という意味もあるわけで、それがアメリカ合衆国の地図作成のプロセスを読み解く試みだと言われれば、ただ楽しみという他ない。

 このリアクション・ブックスの中から五点、他ならぬ高山宏氏の差配で研究社から翻訳が出ている。ちょっと表紙がアレな感じなので、高山宏の解題だけ読んでそれで済ませるという、読者としてはまあ随分ヒドイ話もあったものだけれども、翻訳を含めた自著を「ドラッグ」と呼称するするぐらいの高山本、それぐらい距離をとらないと「あてられて」しまって後で大変な思いをするから、それでちょうど良い。またその解題が長いんだ、これが。大型書店には並んでいたりするから、興味のある方は手に取って、実際に読んでいただくのがよろしいかと思う。
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by ulyssesjoycean | 2005-12-29 21:44 | 駄文 | Comments(0)

『ユリイカ マンガ批評の最前線』

心中、複雑である。浦澤直樹氏とあずまきよひこ氏のインタビューは「マンガ家プロデューサー移行論」として非常に楽しめたが、同誌白眉である座談は、「これから」のマンガ批評が英文学批評の潮流にのっかるであろう証左に思えてならない。
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(この作者のインタビューはオモシロかったんだけれども)

 英文学批評といったって、そんなものを知っている茶人が多数いるとも思えないから、マンガ批評との類推(アナロジー)で説明すると、夏目房之介氏を中心とするマンガの表現を読み解こうとするのが「新批評(ニュー・クリティシズム)」で、その後の手塚治虫をはじめとした大家論が「神話批評」、その手塚を中心した歴史を読みかえていく伊藤剛氏が「新歴史批評」の嚆矢(はしり)であると考えると、次のマンガ批評は「フェミニズム批評」しかない、と言える。

 今や、やおい・BL論がさかんに出てきているけれども、そういった言説に一番のっかれないのが、その手の「読み」をしない女性研究者ではないかと思う。その中から、やおいでもBLでもないフェミニズム批評が出てくるはず。『女体温計』テリー・キャッスル(Terry Castle)みたいな。
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 そのとき、手がかりにするのが「男に対する『かわいい』」ではないだろうか。映画でも小説でも、アチラでは男に対して「かわいい」と言うことはありえない、しかし日本のマンガでは男に対して「かわいい」という描写が山ほどある、これはなんだ、ということで『日本マンガにおける「かわいい」の分析』とか何とか副題がつくのではなかろうか。

 その次、ということを考えると、あとは「マンガと身体性」で、人間のからだとしてはありえない形で描くもの(関節の位置や足の長さのバランスなど)がマンガには多数でてくる、それは一体なぜだろう、というところで、医学を知悉(ちしつ)している人が『健康と病』サンダー・L・ギルマン(Sander.L.Gilman)よろしく「マンガにおける身体性の喪失」といったものを書いたりして。
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 そうすると身体性の喪失ということとの兼ね合いで、人間が一人も出てこない押井守『イノセンス』が、も一度クローズアップされるんではないだろうか。押井監督の映画は公開から5年後ぐらいに見るとちょうど良かったりするから、マンガ批評の速度を計算に入れると、いい頃合だ。
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 これは、英文学批評の流れをマンガ批評におきかえてチャート(chart)しただけで、予言でもなんでもない。ぶっちゃけ、こんな予言は外れて欲しい。この流れにのっ(てしまっ)た現在の英文学批評の無残きわまる貧寒さを思うと、外れることを願うばかり。読んで喜ぶのは専門(いやな言葉だ)の研究者ばかりなり、といった英文学然とした状況になってほしくはないなぁ。
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by ulyssesjoycean | 2005-12-28 14:16 | 駄文 | Comments(0)

雨傘と日傘

スーラ(Seurat)『グラン・ジャット島の日曜日』、点描という手法を解説するのによく使われるが、この絵に出てくる女性は、全員「カサ(parasol)」を持っている。いやー気づかなんだ。当時、それだけカサというものが身だしなみの必需品だったという証左なわけ。
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 もちろんこっちが独自に発見したのではなくて、またしてもINAX booklet『傘』に教えられた。フランス語でカサ、といえば普通「parapluie」だが、これを分解すると、
para(防護)+pluie(雨)=parapluie(雨傘)
 となる、というのも今回初めて気がついた。パラソルも同じ考え方で「太陽(sol)から守る(para)」から「parasol(日傘)」になる、というのも目からウロコ。英語で言う「アンブレラ(umbrella)」はラテン語「umbrae(日陰・陰)」が出自だから、考え方は一緒。某ゲームに出てくるやたらゾンビを作ってる会社も、傘が作る日陰→傘下におさめる、という発想から付いた名称なのだろう。INAXあなどり難し。
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by ulyssesjoycean | 2005-12-26 23:06 | 駄文 | Comments(0)

名づける 分ける 運ぶ

四角く切り取って遠くへ運ぶ―――これが近代の特徴だという。これを見ているパソコンのモニタも、「四角く切り取って」ある。情報はネットにのって「遠くへ運」ばれる。本やCD、カバンから弁当箱に至る何から何まで「四角く切り取って遠くへ運ぶ」ことに適した形態になっている。この風潮は18世紀の博物学に由来するものらしく、そのことを『携帯の形態』(INAX booklet)に教えられた。
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 とかくヨーロッパ人(homo europence)というのは、「分ける」の大好き、分類大好き人種である。とにかく「もの」というのは「ある」ことから始まる。で、「ある」ものを「分ける」と、こういう流れ。聖書にしてからが「神、あれといいたもう」で、天地創造開始。「無」のままじゃ、ダメってことですな。まず「無」という言葉が、「non be/ not being」であって、つまり「『ある』ことではない」と否定辞をつけなければいけない。とかく「ある」ことが重要な文化である。

 そういう分類大好きが、18世紀の啓蒙主義と大航海時代のかねあいで「博物学(natural history)」に到達する。博物学ってナニ、ということを簡単に言えば、「名前をつけて分類する」こと。ラテン語とギリシャ語を組み合わせた学名というのも、博物学の産物。こっちの名前であるシロクマ(ホッキョクグマ)も、学名では、タラルクトゥス・マリトゥムス=海の熊となっている。

 名前の付け方が法則化して、今度は博物学者が外へ出て行くようになる。そこで植物・動物・鉱物を採集し、標本にし、命名し、分類する。そこまではいいとしても、大変なのは本国へ持ち帰ることである。危険な船旅で、どうやって品物を傷つけず、大量に移動させるか、ということから「四角く切り取って遠くへ運ぶ」という考えが推し進められた。今、手元でかたかた打っているキーボードにしたって、言葉(アルファベット)の順列組み合わせを、なるべくコンパクトにまとめるための形である。つまり今現在使っているものの殆どはその時代の恩恵にあずかっているわけ。

 このあたり、スティーヴン・グリーンブラット(Stephen Greenblatt)氏が『驚異の占有』なんて本を書いていて、翻訳も出ているらしいが、未見。この辺りの話を、碩学グリーンブラット氏は、どうまとめているだろうか。
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by ulyssesjoycean | 2005-12-25 21:57 | 駄文 | Comments(0)

鍵=お金 「信用」と「うそ」のトホホ 

人と人の間にあって、それを使うことで「信用」に至る「鍵」、これを突き詰めて考えると、「鍵」=「お金」という構図が見える。お金は何でも「あける」鍵であるわけだ。鍵と金と信用、まったく経済そのものの仕組み。
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 そして経済において最も重要なのが「信用」。とかく経済書で信用と名の付くものは多い。しかしながら経済書としての内容はともかく、日本語として破綻しきった文章(というより文障)を読むのは、いかな勉強とはいえ精神衛生上あまりよろしくないから、その手の留学先の英語は覚えても日本語で辞書を引くことなど考えもしない手合いにはお引取り願って、「信用」の裏返しである「ウソ」を勉強することで、「信用」を理解しようと考えた。

 考えたまでは良かったが、まともに「ウソ」を扱った本というのが皆無に等しいことに気付く。「あの人のウソを見破る方法!」だの「絶対ばれないウソのつき方100!」という俗流心理学の独断場といった感じ。で、こういう族(うから)に、ぶぶちゃ食べなはれ宜しくお引取り願うと、あとはなーんにもなし! まいった。
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 そういう中で手にしたのが「平気でウソをつく人たち」なわけだが、これがまた「どうかしてる」デキで、そこそこ読めるし参考にはなるのだが、いかんせん著者のキリスト教的価値観が強すぎて、正直しんどい。ん、これ流行るんじゃないか? しょうじきシンドイ。深夜番組にアイドルを出して若手芸人を集めて、何、もうやってる!? まあ、それはともかくとしても「ウソとは何か」といった原理的(fandamental)な問いかけにまっとうにこたえてくれるものは少なそうだ、トホホー(『ふしぎの海のナディア』)。
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by ulyssesjoycean | 2005-12-24 20:34 | 詐欺の文化史 | Comments(0)

『巌窟王』と『カリオストロ』 狂気の種類

全てを失ったものの狂気、ということで楽しませた『巌窟王 第11巻』。ただひとつ不満があるとすれば、狂気の描き方がステレオタイプになってしまったこと。
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 非常に分かりやすく「おかしい」描写になっていて、宮崎駿『カリオストロの城』以来、目の焦点があっていなくてヘンな笑い方をする、あれ。力のあるスタッフが結集しても、「くぅ~ら~り~す」といったカリオストロ伯爵的な描写から抜け出るのは相当困難なようだ。
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 いつもながらの「狂気」の描写をなぜ不満に思うのかというと、そういう「分かりやすい異常さ」はそれほど「怖くない」からである。本当に怖いのは、病理学的に異常でもなければ、社会的に異常でもない、ごく普通に見える人間の、狂的な憎悪や蔑みではないだろうか。

 誰に対しても好意的で人当たりが良く交友範囲も広い、しかし、その好意的な態度というのが自分以外の人間を見下し、蔑みきった上での表情だと気付いたときの恐ろしさ―――こっちの方が、分かりやすく「おかしい」人間より、どれだけ恐ろしいか分からない。そしてその人は「異常」ではない。で、もっと恐ろしいのは、そういう人が実際に「いる」というところなんだけれども。「Brave new world!」(オルダス・ハックスレー)という感じ。

 また「おかしい」というのも、英語では色々あって、crazy/mad/insane/sick/freak/reach outなどなど、思いついただけでもこれだけある。内容の解説をするのは(いろいろな意味で)難しいので、映画などを見るとき、参考にしていただきたい。言葉として一番キツイのは「sick」の用法ですな。
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by ulyssesjoycean | 2005-12-23 21:16 | 駄文 | Comments(0)

鍵の文化史

「鍵はいつからこの世にあるのか」という疑問から、今度は「鍵」について勉強しだした。ところが日本語で読めるものが殆どないことに気付く―――日本では鍵がそれほど必要ではなかったからだ。現在でさえ、「入る前にノックしてよ」とは言っても、常時、自分の部屋を施錠している人は殆どいないだろう。
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 ちょっと読んだだけだが、「鍵(key/clef)」というものが「信用(confidence)」と分かちがたく結びついているのに気付く。またしても「詐欺」に関わるテーマで、よくよく考えれば、暗号というのも一種の鍵だと言える訳で、詐欺・暗号・鍵を「つなげる」と、非常にオモシロそうである。

 しかし、このあたりを博覧強記の魔学・高山宏が見落とすはずはなくて、INAX『鍵のかたち 錠のふしぎ』の巻頭で、『近代を解く鍵』という一文を草している。しかし何でもやってるねこの人は。
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 詐欺・暗号・鍵から「密室トリック」、つまりは「推理小説(detective story)」に行き着く。この辺りも、氏の『奇想天外英文学講義』(講談社選書メチエ)という語り下ろしの名著で読むことができる。英文学とはついているが、他(多)ジャンルへの無限のヒントを与えてくれる最小にして最強の名著であるから、未読の方はぜひ手にとっていただきたい。語り下ろしなので、非常に読みやすく、かつクセのある高山臭は薄め。何より安いし。
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by ulyssesjoycean | 2005-12-22 21:20 | 詐欺の文化史 | Comments(0)

アニメ 映画 原作 三つの『巌窟王』

いよいよ明日『巌窟王 第11巻』が発売・レンタル開始。ここまでの伏線を活かした盛り上がりを期待したい。肝心の復讐シーンが、今までのは割とあっさりしてたからね。
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 そしてここまで来ると、どうしても気になってくるのが物語のラストである。アニメーション『巌窟王』は、その初期こそアレクサンドル・デュマの原作『モンテ・クリスト伯』に忠実であったのが、後半、原作には登場しないユージェニーや端役のフランツが事実上の主役となり、ほぼオリジナルの展開となっている。
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 ジェラール・ドパルデュー主演でやったフランス国営放送の『モンテ・クリスト伯』は、オリジナルとは言わないものの、相当なアダプテーション(adaptation:翻案)が行われており、これはこれで無茶苦茶オモシロかったが、オリジナルのラストとはまるで違う展開。
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 では原作のラストとは、どういうものか。非常に有名なラストではあるが、ネタバレではなくても、言ってしまうと興を殺ぐことになりかねないから、フランス語でそのまま紹介するに止めたい。文脈がないから今ひとつ分かりにくいが、フランス語自体は非常に平明。これを覚えておいて、『巌窟王』を見ると、また違うのではないだろうか。船着場であるとだけは言っておく。

Les yeux des deux jeunes gens se fixèrent sur la ligne indiquée par le marin, et, sur la ligne d'un bleu foncé qui séparait à l'horizon le ciel de la Méditerranée, ils aperçurent une voile blanche, grande comme l'aile d'un goéland.
« Parti ! s'écria Morrel ; parti ! Adieu, mon ami, mon père !
- Partie ! murmura Valentine. Adieu, mon amie ! adieu, ma soeur !
- Qui sait si nous les reverrons jamais ? fit Morrel en essuyant une larme.
- Mon ami, dit Valentine, le comte ne vient-il pas de nous dire que l'humaine sagesse était tout entière dans ces deux mots :
« Attendre et espérer ! »
(Dumas, Alexandre. Le Comte de Monte-Criste. )
 ちなみに、以下のHPで、デュマの全作品・全テクストを見ることができる。全てフランス語で書いてあるが(当たり前だ!)、サイト自体も素晴らしいので一度覗いてみても損はないはず。

http://www.dumaspere.com/
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by ulyssesjoycean | 2005-12-21 21:15 | 駄文 | Comments(0)

出崎作品のレンタル開始か!?

「サイコガン」という言葉は知っているが、サイコガンが出てくる『コブラ』自体はあまり見たことが無い、寺沢武一の原作『コブラ』はもっと見たことがない、それがアーケードゲームになるのだから、これも時代である。
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 調べてみると、メインキャストが野沢那智榊原良子、監督が出崎統、作画監督が杉野昭夫と、これだけでオモシロさは保障つきのシロモノ。

 どういうのか、出崎監督の作品はあまりレンタルDVD化されず、『ガンバの冒険』『元祖天才バカボン』もビデオからDVDへの移行期ということで、ビデオの存在自体が消えている。あったとしても肝心のストーリーをぶっこぬいた総集編だったりして、悔し涙にかきくれるが、出崎作品としてはそれほど知られていない『コブラ』のレンタルDVD化を機に、上記人気作を復刊していただきたいところ。『ガンバの冒険』のコレクターDVDなぞ、信じられぬ高値がついている。興味のある向きは、下記のリンクからジャンプし、一度値段を確認されたし。「うそッ!」というぐらいの価格。

アマゾン 『ガンバの冒険』のページへジャンプ
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by ulyssesjoycean | 2005-12-20 22:08 | 駄文 | Comments(0)