マンガとアニメーションと人文を、脱線(Digression)でつなぐブログ。
by ulyssesjoycean
カテゴリ
全体
駄文
高山宏講演『脳にいい人文学』
佐々木果、「コマ」を語る
グルンステン×高山宏
物語の中の動物
ヴィジュアリゼイション
詐欺の文化史
探偵する小説
美しい洋書たち
翻訳小説『サンタール』
翻訳小説『七人の男(抄)』
翻訳小説『不安な墓場』
シロクマの文学雑学コレクション
ネコログ
今日のなぐり書き
語学参考書
未分類
以前の記事
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
ライフログ
フォロー中のブログ
幻戯書房NEWS
前田真宏のINUBOE
最新のコメント
>右往左往さん コメン..
by ulyssesjoycean at 12:21
度々すいません・・訂正で..
by 右往左往 at 11:17
早速お答えいただいて有難..
by 右往左往 at 11:13
>右往左往さん コメン..
by ulyssesjoycean at 12:53
どうも度々お邪魔してすみ..
by 右往左往 at 12:03
>右往左往さん コ..
by ulyssesjoycean at 16:55
どうもお久しぶりですお邪..
by 右往左往 at 00:03
>mimizoさん ..
by ulyssesjoycean at 23:41
こりはまんぞくさんではな..
by mimizo0603 at 16:33
>右往左往さん コメン..
by ulyssesjoycean at 10:46
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


行動パターンと思考パターンは2つで1つ?

d0026378_11542843.jpg

(長らく関心の持ちようなかったオランダの思想家スピノザ。生前は無神論者として非難ゴウゴウ、そのため主著『エチカ』はあえて読み取られにくい構成にしたのだとか。でもそういった思想的な話より、趣味で絵を描いていたというエピソードに興味がわいた)


このところソリューションやイノベーション、UとかXのつく分野ばかり学んでたので、気持ちを大きく切り替えるために清水書院のセンチュリーブックスを愛読。


そしたらたまたまなんだけど、スピノザその他の哲学者で、「行動」を思想のコアに据えている人たちがいて、へえ、と思う。


つい先日、Noのつく世界的な賞を行動エコノミックスの研究者が受賞したとかで、フーム、時代は「行動」がテーマなのかな、と。


というのも、イノベーションは「革新」とか訳されるけど、ベルガンティ先生のご本を読んだら、製品やサービスを利用する文脈を変えてみよう、という話らしい。


一方のソリューションは「改善」で、こっちはパーっとドーにかしてシーらんぷりせずにエーっとエーっと考えるサイクルを回していくやり方だとか。


もういい加減、フツーの言葉を使った方が話が早い気がしてしょうがないけど、こういうヘンクツなブログをやる以上、そこは譲れません!的な変なコダワリ(^∇^)


何にしてもイノベーションもソリューションもどっちも大事、実際両方ともメチャメチャ役立ってるけど、頭を切り替えて取り組むのはカンタンではない様子。


イノベーションやソリューション以前に、「自分の知らないことに取り組むのはヤダナー」という話は多いので、それはなぜなのかな、とも思っていた。


で、ヒョイと思ったのは「考え方を変えることで行動を変える」のは難しいのかな?ということ。むしろ、「行動が変わったことで考え方が自然に変わった」方が自然なのかも。


色川武大さんも、わかった、というのは数万件の例外を頭に納めておいて、ある状況に対して反射的に身体が動くこと、と説明してた。裏を返せば「反射的に身体が動かない」のでは「まだわかってない」とも言える。


で、先のイノベーションもソリューションも、カンに頼って以前のやり方を何となく実行するより、よっぽど身になる実感あるんだけど、行動パターンはいつもと同じで考え方だけアップデートする方が大変かもしれない。


たまに必要に迫られてビジネス書なども読むけれど、どれも大概「自分にとって一番大切なことは何か見極めよう!」的なことが書いてある。


それが「みんな」「誰でも」できるのなら苦労はないよ、と思ってしまうし、結局のところこういう話を読んでも「やらない人はやらないよなぁ」と思ってしまう自分がいる。こっちだって何もかにも実践に移せるわけじゃない。


で、話が冒頭に戻ってスピノザとかフィヒテとかの「行動」になるのだけど、これ、思索の結果を行動に紐づけるより、先に行動しちゃった方が思索に行きやすい人多いんじゃない?と。


自分の乏しい「仕事店」体験から言うと、先に概念やグラフの説明があって、それから「世界喫茶店」をやったりするけど、あの順序を逆にしてみたらどうなのかな。もちろん、最低限度のルール説明がないとできないにしても。


色川武大さんは「坊や哲」として鉄火場に出入りしたとき、誰も何にも教えてくれない中で、その勝負事のルールと、張り方と、主要メンバーと、自分の戦い方の方針を学んでいったそうな。


で、大半の人は用心深いから基本的なことは押さえるんだけど、実戦では例外ばかりで基礎が使えなくなってしまうそう。なので、ここで1〜2万件の例外を眺めて身体に染み込ませると。


それで初めて勝負に移れるそうなんだけど、それができるのは10万人に1人とかなんだって。で、上のクラスに行くとそういう人同士のぶつかり合いになる由。


スピノザと坊や哲と「仕事店」は同じではないだろうけど、なーんかヒントが隠れてる気がしてならない。スピノザや坊や哲のやり方は明らかに万人向けでないから、それをもっとフツーにしていけないのかな、と。


例外だらけで何にもわからない!というのを一通りやってから、やっと理論的なアプローチに進んだ方がいいのかな、と。だって理論を学んで行動に移せる人があまりに少ないのなら、先に理論をやっちゃうのはそれこそ非効率なのでは。


さてどうする、というのがカンタンに思いつくならこんな長文を書いたりはしないので(^∇^)、とりあえず、人の考え方と行動パターンはセットじゃないのかなーということをノートにしてみました。


[PR]
# by ulyssesjoycean | 2017-10-23 18:00 | Comments(0)

『たそがれメモランダム』の田村茜さんの新刊!『モブ子の恋』

d0026378_18553718.jpg

(超愛読してた『たそがれメモランダム』の作者・田村茜さんの新刊が出てるとは! 『モブ子の恋』というタイトルで徳間書店から発売の由。コミックゼノンでは見つけられなかったはずだ…… 10月20日発売、価格は税込626円なり)


絵から何から素晴らしい!と「ココロ鷲掴まれたー!!」(©︎『吼えろペン』)な作品だった『たそがれメモランダム』。


新聞部のヒロインと同級生たちのイノセントな話がもう、ココロに刺さる刺さる。中にはシビアなエピソードもあるんだけど、森薫さんよろしくサラッと嫌味なく描ききるあたりに脱帽。


連載が終わっちゃうのは惜しい!と思ってたけど、コミックゼノンで連載されてたとは。嬉しくもあり、また見逃してたのも致し方ないな、と思うところも。


何にしても単行本化は嬉しい。コミックゼノンも今度みてみよう、どこで買えるかわからないけれども(^∇^)



[PR]
# by ulyssesjoycean | 2017-10-21 12:00 | Comments(0)

これは「擬似ドキュメンタリー」? フロベール『ボヴァリー夫人』

d0026378_19033275.jpg

(クーブリックのモンダイ作『バリー・リンドン』を正面から論じてるのがドナルド・リチー『映画のどこをどう見るか』の由。ジブリのプロデューサー・鈴木敏夫さんがこの書面を挙げており、タカヤマ本で名前を目にした気がするぞ、というので印象に残った次第。というか、リチーさんのこの本、ジブリの出版部から出てるのね)


このところ目を通してるフロベールの『ボヴァリー夫人』。読み進めるに従って、「この人、作品を書くことで何を実現しようとしたんだろう」というのが念頭から去らない。


エミール・ゾラは愛読しないまでも、「この人がやりたいこと」というのは何となく察することができる。バルザックさんもプルーストさんも、趣味嗜好とは別に「なんでこんな作品を書こうと思ったのか」は、自然と漂ってくる雰囲気。


一方のフロベールさんは、その辺がまるで見えてこないので、何をやろうとしたんだろう、というのをついつい考えてしまう。文学史的な手法やその後の影響が大きいのはわかるんだけど、肝心のご本人の「かんどころ」はどの辺にあったのか。


それで思い出したのがクーブリックの『バリー・リンドン』。長い上に面白くないことで有名だけど、事前に「擬似ドキュメンタリー」というキーワードがあったのでちゃんと楽しめた。


鈴木敏夫さんが自著の中で何度かドナルド・リチーに言及していて、そのリチーさん、『バリー・リンドン』は擬似ドキュメンタリーである、と言ってるそうな。


現物を確認してないので何とも言えないけど、18世紀のアイルランド〜ヨーロッパ大陸をドキュメンタリーにしてる、と言われると、ナルホドという気がする。


その後、アンドレイ・タルコフスキーというさらにワケワカンネー映画にハマったりしたので、クーブリックさんはそうメチャメチャなことしてるとも思えないのもある。慣れってコワイ(^∇^)


そうやっていくと、フロベールさんも小説という媒体を選んで擬似ドキュメンタリーにしてるのかな、と。


一語もゆるがせにしないのはいいんだけど、後からやってきたジョイスさんのような楽しい雰囲気が文章からまるで感じ取れないので、これはなんなんだと終始落ち着つかない気分。


落ち着かないからこそ、ゾラと違って原書まで買って持っているのかもしれない。楽しさを感じない割に『感情教育』と『三つの話』は持っていたわけだから。バルザックは『ゴリオ爺さん』が面白かった記憶あるのに、原書は持ってないし。


あとはあれだ、ドナルド・リチーさんと合わせ、プルーストさんのフロベール論に目を通してみるのもいいかもしれない。プルーストさんは必要に迫られて目を通したけど、案外なことに愛読してしまってるわけだから( ´ ▽ ` )ノ


[PR]
# by ulyssesjoycean | 2017-10-20 12:00 | Comments(0)

「頭に入る」分野と「入らない」分野があるのはナゼ?

d0026378_11014073.jpg

(技術評論社、オライリーと並んで日々お世話になる日経BPの名シリーズ「なぜ○○は××なのか」。その中で「今までで一番読み通すのに時間がかかった」という強烈な印象を残したのが、『電話はなぜつながるのか』。説明がムチャクチャなわけでもなく、悪文でもなく、しかし読み通すのにものすごく時間がかかったという点でキーポイントになったなー)


近年はカブトムシにも高値がつくので、これを仮に「割高ムシ」と称すると、この反対の言葉で、さらにムシとは全然関係ない分野についてもよく耳にする。


いい加減、自分もピコピコだの情報貯蔵庫だの、果ては「貝殻命令文」など、何かもうその手のワードを使いたくないというのが意地になってしまってるけど、別段ホメられたことではないな(^∇^)


ただ、言葉の内実がなーんにも自分の実感を伴ってないというのは、いくらなんでもオカシイという思いあり、「割高ムシ」は言ってもいいけど、その真反対の言葉はなぜか使いたくない。


本来的には、割高ムシの逆を自分でも使おうと思っていて、お手軽なピコピコではサッパリ内実を伴わないことに腹を立て、これもまた意地になって電話の学習をしたところからスタートする。


学習した甲斐あって、割高じゃないムシを大満足で使っているけど、そこまでしないと使いたくないというのだから、大変に面倒くさい性分だナー。


またその時はじめて「電話ってこんな超メンドイ仕組みで動いてたの?!」と驚嘆することに。『電話はなぜつながるのか』一冊を読み切るのに、1ヶ月弱はかかったんじゃなかったか。


それで思うんだけど、「スッと頭に入る」分野と「スッとは入ってこない」分野があるのかもしれないな、と感じることに。


電話の場合は単純にこっちが知ってることが何もなかったので、ゼロから水を溜めていくようなところあったけど、いまだに工学や通信の力学的な部分には抵抗を感じる。


一方、経済のもろもろのことはスッと頭に入るので、単純に計算をするしないとか、そういうことではないみたい。助けになる知識量が少なくて大変なせいもあるけど、その知識量を積むペースにも、分野ごとに違いがあるような。


自分はたまさかニンゲンの言葉には抵抗をまるで感じなかったけど、こっちが力や運動の伝わり方にヌヌー?となるように、他の土地に住んでるニンゲンの言葉にムムー?となる人だっているだろう。


抵抗を感じないというのは、何もしないという意味ではもちろんなくて、気構えなくスイスイ取り込める感じ。いくら食べても胃もたれしない、みたいな。


一方で抵抗感バリバリの分野は、ちょっと食べただけですぐお腹いっぱいみたいな。もしくはお腹いっぱいで入らないから皿が目の前を通り過ぎていく感覚。


なんでそんな風になるのかな、という、素朴とも深遠とも取れることを最近つくづくと感じるようになったので、それもまたノートしてみた次第。


[PR]
# by ulyssesjoycean | 2017-10-18 12:00 | Comments(0)

ムサヲさんの『恋と嘘』7巻は11/9発売予定! めでたいヽ(´▽`)/

d0026378_11000813.jpg

(アニメ化、実写映画化とイキオイに乗るムサヲさんのマンガ『恋と嘘』。別なマンガ単行本についていた折り込み小冊子で、「これは面白そう!」と期待。ちょうど第1巻が品切れ〜増刷の時期だったので、そういう「スタートダッシュ」の頃だったんだなー。画像は6巻のものです)


楽しみに読むマンガの中で、単行本化のページが安定していて嬉しいのがムサヲさんの『恋と嘘』。第7巻は11/9に発売予定だって。


*並べて紹介しちゃっていいのかギモンだけれども(^∇^)、横槍メンゴさんの『君だら』第2巻(完結)も11/17に発売予定の由


山本崇一朗さんの『からかい上手の高木さん』についても言えることなんだけど、初期も初期からマンガで愛読してると、アニメ化は嬉しい反面、見られない!という思いが強い。


マンガ愛読〜アニメーション化あるあるだけども、前に「本を読んでる時に頭の中に声が響く」人と響かない人という話題があったなー。


それこそマンガの単行本を初めて読みはじめた頃は、マンガを読み終わった後に、自分が頭の中で考える言葉のリズムが、さっき読んでたマンガそのものになることも( ´ ▽ ` )。


そうしてみると、マンガとアニメーション化に、嬉しいけどヌヌヌヌヌというのは、ちゃんと研究すると大事なことが含まれてるかもしれない。「自分の声を自分で聞くのがイヤ」というのと、なんかしらカンケーあるのかな?


*何度も聞いてるうちに慣れてしまった面がある


11月はくだんの横槍メンゴさんの単行本と合わせ、『恋と嘘』の7巻発売と、楽しみにする作品が多くて嬉しいヽ(´▽`)/


そういえば、ピン!とくる絵柄は大抵女性作家さんなので、ムサヲさんもその雰囲気をヒシヒシと感じるなーと思ってたら、最近は少年マガジン誌上で対談もされてたり、そのへんオープンになったみたい( ´ ▽ ` )ノ


絵を自分で描くようになって気づいたことはそれかな、「直感的に『グッとくる』のはみんな女性作家さんだ」という。


もちろん、そうに違いない!とヘンに思い込んでいて、アレッ?! 女性作家さんじゃないんだ、ということもあるのだけど(^∇^)


[PR]
# by ulyssesjoycean | 2017-10-17 12:00 | Comments(0)

今はない科目「人間学」、そもそも何なの「人間学」って

d0026378_00001791.jpg

(『純粋理性批判』とかいうタイトルからして近寄り難い著作を世に出したカントさん、でもご本人の講義はいつも大入り満員、大盛況だったそう。実際面白おかしい講義だったらしいけど、カントさんの「人間学」とはどんなものなんだろう。純粋理性も実践理性も有名なのに、人間学の方の邦訳はあまり目にしたことがない)


このところベルリン大学創設に関わったフンボルトさんの話を追っかけてるけど、フンボルトさんも「人間学」というのを学問の主軸に据えてたらしい。


カントさんも「人間学」の講義を受け持ってたとかで、ドイツでは一般的な分野だったのかな。ナントカ人間学部、という名前は現代にあるけど、「人間学」そのものは寡聞にして聞いたことがない。


だいたいドイツ語で人間学なんてどう表記するのだろう。Humanischewissenschaftとかになるの? 荒俣宏さんのお好きな神秘学が学校の科目から外されたのと同じく、人間学も今は正規の科目じゃないのかな。


というのも、どーもフンボルトさんの言ってることから推測するに、いまの「心理学」みたいなことだったのかな。人間学が人間の内実に迫るものなら、心理学に統合されたというのも頷ける。


その心理学にしたって、どーいう経路をとって正規の学問として扱われるようになったのかまるで知らない。ウィリアム・ジェイムズの頃にはバッチリ科目化されてたけど、ジェイムズさんも医師なので、その中に心理学も含まれてた雰囲気。


そういうことを言い始めれば、英文学がケンブリッジだかオックスフォードで正規の学科に加えられるとか加えられないとかでは大問題になったそう。ギリシャやラテンの古典文学はあっても、英文学が科目になるかというのがイギリスでモンダイになったくらい。


話をもとに戻して、フンボルトさんもカントさんも向き合った人間学、この正体はなんなのだろう。フンボルトさんは観相学のラファーターにも直接面会したということだから、観相学も取り込んでたのかね。


フンボルトさんはどうか知らないけど、カントさんについては立派な全集があるのだから、そっちで人間学の有無をあたったほうがいいんだろうけど。


[PR]
# by ulyssesjoycean | 2017-10-16 12:00 | Comments(0)

金融のホーマーさんは叙事詩のホーマーさんを意識してる? 『History of Interest Rates』

d0026378_21080839.jpg

(ようやく手にすることのできた、名著の誉れ高いSidney Homer, Richard Syllaの『History of Interest Rates』。未邦訳と聞いていたけど、質量ともにそうスイスイと読み通せるものじゃないなーと本体を手にして実感する)


『金融の世界史』で紹介されてたシドニー・ホーマーさんの『History Of Interest Rates』をようやく落掌。やったやったと喜んだけど、格式高い文体から著者の教養がにじみ出ていて、そうスラスラ読み通せる雰囲気でない。


序文に目を通すと、ホーマーさんなのかSyllaさんが書いてるのか分からないけど


Few business or professional persons have no curiosity about the history of their callings.


(Sidney Homer and Richard Sylla, A History of Interest Rates, Rutgers University Press, 1991, p.13)


なんて大変シンラツなことが書いてある。


実際ホーマーさんは「ボンドマン」を名乗っていて、007や接着剤の方面ではなく、「国債の専門家」だった由。


で、専門家が自分のやってることの来歴にまるで無関心なのはケシカランと、わざわざ序文にも記すことになったんだから、よほど強い想いがあったんだろう。


そこから脱線すると、最近せっせと取り組むピコピコ方面でも「専門外のことをフォローしてる参考書は段違いに面白い」というのが共通してる。


たまたま手に取った一冊も、データベースの話をするのに貝殻命令文のことは全く出てこない。そのかわり「アレクサンドリアの図書館」や「図書館十進法」が取り上げられてる。


メルヴィル・デューイまできちんとフォローされてたので快哉を叫んだけれど、ちょっと前にホーマー本の引用を目にしたばかりだったので、やっぱりそういうものだな!と共感を強める結果に。


しかしまあ、専門「以外」の分野を追っかけはじめると、これはもう単純にキリがない。だいだい10数冊が同時並行、ジャンルもバラバラ。金利の歴史の傍に検索動力機の話があり、ドイツ啓蒙思想と小説が一緒に並べられてたりする。


それはいいにしても、「通読」「読了」しきれなくなったのが悔しい。以前は積ん読をしないのを誇りにしてたけど、むしろ積ん読アンド途中で別のサイクルに切れ目がなくなった。


先日やっとProustのÀ la recherche du temps perduのÀ l’ombre des jeunes filles en fleurの第1巻を読み終えたけど(タイトルだけでも長い^_^)、手に取ってから読了までが年単位だと気づく。


かと思うと、山本貴光さんの漱石文学ロンロンが、『「文学問題 F+ f」+』として脱稿されたそうで、これも5年ではきかない期間をかけたそうな。もはや泡盛の古酒レベルの発酵と熟成期間。


そしたらたまたま気晴らしに読む哲学書に(*気晴らしで哲学書もすでにどうかしてるけど)、自分にはあんまピンと来てないニーチェさん、大事なことはノロノロとやるしかないノダと言ってるそうな。


そうだそうだとそこのところだけニーチェさんの尻馬に乗ってみるけど、本題のホーマー本は、粘土板のメソポタミア以前から始まってる。


そんな雄大なスケールで資料を集めてたら、金融業界の同業者からは完全ムシだっただろうな、ホーマーさん、と思わなくもない。


ペラペラめくったらオデュッセイアの話にも触れてるから、ホーマーさんもご本家ホーマーを意識して長ーい航路をわざわざ選ばれたのかもしれないな( ´ ▽ ` )ノ


*[10/14 訂正アンド追記]なんかヘンだな、と思ったら、上記の引用文は二重否定だから「専門家は何がしかの好奇心をその天職の来歴に向けるものだ」という意味だった。明らかに間違って読んでたけど、その時はそう思い込んで読んでたので、この記事はそのまんまにしておきます。引用文自体に間違いはないです。


*もっと言うと、その仕事を「天職」と思う専門家であれば、という書き方がされてるから、「その仕事の歴史に関心を持つものだけが、その道を天職とする専門家である」とする見方も。裏を返せばJobやLaborとしか思ってない人は、その仕事の歴史にキョーミなんかないよ、ということか


[PR]
# by ulyssesjoycean | 2017-10-14 12:00 | Comments(0)

トミイマサコさんの幼児さんマンガが『とびだせハウス』としてWEB連載に!

d0026378_12003706.jpg
(メチャメチャ再読してるマンガ家・とよ田みのるさんの育児マンガ『最近の娘さん』。奥様のトミイマサコさんも時折カラーで赤さんイラストを発表されてたので、奥様視点の「娘さんマンガ」も見てみたい!と思ってたら、ついに『とびだせハウス』としてWEB上で連載されるように。めでたい。トミイマサコさんは小説の挿画や表紙を数多く手がけてるので、絵柄を見たことある人多いかも)

ここ1〜2年で再読回数ナンバーワンは、とよ田みのるさんの『最近の赤さん』シリーズ。同人誌で発表されたカラー小冊子がまー素晴らしい。

奥様のトミイマサコさんも、また繊細なタッチのイラストを描かれるので、こちらの赤さんマンガも見られないものだろうかと念じていたら、やはり同じことを考えてた人がいたと思うんだけど(^∇^)、ついにWEBで連載!

『とびだせハウス』のタイトルで、現在第3回まで発表中。とびだせのタイトル通り、幼児さんを連れて遊びに行ける公園レビューもふんだんに。

マンガ自体、フルカラーで楽しいんだけど、こういう「ヒョイとしたタイミングでマンガになる」のは大変よろこばしい。

超愛読する吉川景都さんの『子育てビフォーアフター』も、たまたまツイッターに描いたら思いのほか反響があって、その流れを受けて最終的に単行本に。

くだんのとよ田みのるさんの赤さんマンガも、ムスメさんはママにべったり、パパはそうでもないという受難ある中で、うわー、ついにコテッとされたよー!という嬉しさをマンガにしたら大反響。

そのうち糸井重里さんもツイッターで発見して、また自分も公園お散歩エピソードで朝から号泣してたりして、「狙ってない」展開から作品が広まっていったような。

もちろん、綿密に計画してスタートする企画も大事なんだけど、たまたまあるエピソード描いたら思いのほか反響あって、それが結果単行本になるという流れは、歓迎していいんじゃないだろうか。

実際、赤さんものならなんでも単行本化されるわけじゃないし、サツバツとした日常にだいぶヘコタレて赤さんマンガを愛読してる当方も、赤さんさえ描いてあれば好んで読むわけでもない。ネコ系のマンガでも全くことがあるなぁ。

WEBで発表することの良し悪しはあるにしても、良いものは良いと言っていかないとアレなだけなので^_^、願っていたトミイマサコさん版の娘さんマンガが読めた!ということを大いに顕彰したい( ´ ▽ ` )ノ


[PR]
# by ulyssesjoycean | 2017-10-13 12:00 | Comments(0)

デザインがフツーになったら、ラフ画もフツーになって欲しい

d0026378_23565991.jpg
(ピコピコもついに早急命令文や保存場所までいじるようになってしまい、もともとがピコピコ大好き!ではないだけに、何か隔世の感がある。一方、ピコピコの隆盛と共に話題になるデザインがこんなにモンダイになるのはなぜだろう。服部さんのこの本では「ファイル名のつけ方もデザインに含まれる」そうなので、ケタ違いにカバーする範囲が広いからかなとも思わされる)

ついにピコピコ系の命令文も直接入力するようになり、自分のヘンボーぶりと合わせ、ピコピコ周りでは色々考えさせられること多い。

特に最近思うのが、UとかXとかが付く分野。それまでピコピコと縁のなかった人にまでピコピコが普及するようになり、親しみやすさや誤解を生まない設計というものが嫌でも意識されるようになってきた。

最近になって気づいたんだけど、このUとかXとかの付く分野は、甲論乙駁賛否両論、内実ではけっこう激しい意見のやり取りがあるみたい。

つい先日読了して大いに参考にさせてもらったベルガンティ先生の『突破するデザイン』では、物事を「解決する」ソリューション思考とは別の、「意味ある」提案、イノベーションが提唱されていた。

実際、使い勝手を良くするソリューションも、今まで見たことないものをどう人に伝えていくかというイノベーションも、両方とも大変参考にさせてもらっている。

当のベルガンティさん自身、どっちも大事だよと何度となく繰り返してるけど、耳に入ってくる話を総合する限り、議論に事欠かない分野なのかな、なんて。

というのも、Uとか何とかの世界に対する痛烈な批判がちょこちょこ目に耳に入ってくるので、そうなの?!という感じ。

それも八つ当たりとかそんなんじゃなさそうなので、なぜそういうことになるのかな、という疑問が湧いてくる。モンダイを解決する分野がモンダイの原因になっちゃうのはなぜだろうと。

ひとつには扱う内容が広すぎるからかなー。ピコピコ系の命令文を一通り学んだ際、「ファイル名のつけ方も広義のデザインである」という話が出てたから。

山本貴光さんの本でナルホド!と思わされたことに、「未来の自分は他人と思うべし」というのがあって、そこから名前のつけ方も工夫するようになったな。

大きい枠組み、小さい枠組み、枠組みを作った日付を入れるようになったのはそのせいでもある。「いつ」作ったのかわからないと、名前だけでは容易に判断できないことも多いから。

そうすると、目に見えて触れる部分どころか、作ってる人が使いやすいこと、さらには別な人でも使えるようにすることなど、何もかもがデザインの対象になってしまう。

あまりに扱う範囲が広すぎて、ソレジャナイということをつい言いたくなってしまうのかな。

自分の場合、とにかく「絵を自分で描く」ようにすることしか具体的な対策の取りようがないな、と切実に感じてたりする。

なんだか知らないけどアチラの友人と一緒にアレコレ企むことになって、母語と外国語を行ったりきたり。それは向こうもそうなので、なるたけ色んなチャンネルを使ってみようと。

自分の考えをまとめるのは文章がいいし、一致団結もしくは厄介だなマターはカタコトでも喋った方が良くて、こんなアイディアどう?と提案するならラフ画があった方が良い。

こういう、「どんな話題か」によって「チャンネルを使い分ける」というのもデザインの一つになるんじゃないかな、と思うけどどうだろう。

デザインはデザイナーだけが担当するものじゃないよ、というのを推し進めていく過程で、デザインに詳しくなくても絵は描いていいんだ、となればありがたいんだけど。

[PR]
# by ulyssesjoycean | 2017-10-12 18:00 | Comments(0)

芳川泰久さんの新訳で『ボヴァリー夫人』に再挑戦

d0026378_18184685.jpg
(文学史的に大事とは分かってるんだけど、いまだに身近に感じられないフロベール。だったら放っておけばいいんだけど、ちょいちょい色んなところで出くわした結果、気になって素通りできない、といった雰囲気。ボヴァリー夫人も、芳川泰久さんによる新訳でチャレンジすることにした) 

日本だと二葉亭四迷がドーンと言文一致を打ち出して、どうも大変なことをやったらしいという知識はあるんだけど、やたら名前を聞く『浮雲』は手に取ったことないなぁ、という。

二葉亭さんに似たような立ち位置として、フランス文学のギュスターヴ・フロベールが思い浮かぶ。文学史的に大事なのはわかるけど、愛読というと違うしなぁ、と。

それが最近、ジョイスさんが一部を焼き捨ててしまったという『若き日の芸術家の肖像』の草稿を読んでたら(ややこしいな)、編者の紹介文中に「エンマ」という名前が出てくる。

おお、こりゃーフロベールさんの『ボヴァリー夫人』のことだろう!と。夫人はたしかエンマ・ボヴァリーと言うんじゃなかったか。

トロント大学のヒュー・ケナー先生もフロベールからジョイスの系譜を『ストイックなコメディアンたち』で追ってらしたけど、自分の場合はジョイスからフロベールに遡った形。

実際、若き日の〜は、フロベールの『感情教育』が元ネタらしく、後年、フロベールさんの原文に目を通したら、非常に似た雰囲気を感じる。競馬のシーンとか出てくるし。

それで愛読することになればいいんだけど、ジョイスさんほど軽快な感じがしないのがのめり込まない原因なのかなー。ジョイスさんはいつでもどこかしらコミカルな要素を感じるけど、フロベールさんにはそれを感じない。

だからこそジョイスさんはコミカルにやったのかわからないんだけど。近年、芳川泰久さんが新潮文庫から新訳を出していて、これはっ!と思うところがあったからチョコチョコ読み進めてる次第。

それはいいんだけど、むかーし持ってたボヴァリー夫人の原文で「そんなのあったっけ?」という出だしだったので面食らった。フランス語がわからないなりに、結婚式のご馳走がなんか美味しそうだな、というのは覚えてたんだけど。

変な話、先に日本語に目を通しておけば、なんだか遠い親戚のおじさんくらいの感覚しかないフロベールさんも多少は身近になるかな、という狙いもあったりする。

そういえば、フロベールさんの文章をすごい、これは革新的だ!と激賞してた人に、プルーストさんがいると、くだんの芳川さんの訳者あとがきに教えられる。

サント・ブーヴに反論する、とかいう一文は有名で、実際、サント・ブーヴさんが作家本人の生活や行状から作品の評価を引き出すのは宜しくないと、口調自体はやんわりなんだけど、コテンパンにしていたのがプルーストさん。

たしかにその通りだなぁ、またそうした生活や行状から評価されなかったボードレールさんは大変に不憫であるなぁとも思ったけど、フロベールの話なんてあったっけ?と。

だからなんというか、フロベールさんは要所要所に顔を出す要石みたいなもんか。20世紀の経済学を追っていくと、ここぞ!というところにケインズが出てくるみたいに。

ケインズさんもケインズさんで、やたら持って回った言い方ばかりするので、書き物の方を愛読する形にならないのは申し訳ない。

「この人がいないと歴史がうまくまとまらない!」みたいな重要人物がいるんだろうと思う。何にしてもピコピコ系の四角四面な世界にくたびれもしたので、フロベールさんの生真面目な文章にチャレンジしてみたいと思います( ´ ▽ ` )ノ

[PR]
# by ulyssesjoycean | 2017-10-10 18:18 | Comments(0)