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こんなところにも「History of Ideas」? 科学史家アーサー・I・ミラー

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(そろそろシツコイと言われそうなプロダクトデザイン学習だけれども、ヘンリ・ペドロスキさんの「参考文献一覧」を辿ってたら、このアーサー・I・ミラーさんに辿り着く。版元が「MIT出版局」と聞いただけでワクワクしてしまった( ´ ▽ ` )ノ)

新しい分野の学習を始めると、「これは!」という書き手が見つかるもの。で、そういう人は「この次はこれがいいよ」というのを「参考文献一覧」に記してくれている。

そこから、『技術者の心眼』へ行き、さらにその巻末の参考文献一覧に名前が載ってたのがこのアーサー・I・ミラー。科学史家なのかな?

取り敢えず序文だけでも、とページをめくったら、「History of ideas」の文字が出てきたのでビックリ。ええっ、この人も?!みたいな。
That is the manner in which my essays often end, and that is the way it should be when the history of science is defined broadly enough to be considered part of the history of ideas.

(Arthur I. Miller, "Imagery in Scientific Thought", p. xii, MIT Press, 1986.)

実は先端を行く技術者ほど、視覚的な思考を大事にしている、数値だけを信じて現場や現物を見にいかないのは技術者として大きな欠落を抱えるーー

という風に『技術者の心眼』に書いてあったので、まさにそのまんまのタイトルを執筆してるな、ミラーさん、お、版元がMITだ、なんてのが読んでみようかと思った理由。

まさかそこに「ヒストリー・オブ・アイディアズ」が出てくるとは!という驚き。なんだかお釈迦様の手のひらで踊らされてる孫悟空の気持ちがしないでもないでもない(どっちだ^_^)。

もちろん、History of ideasを一般名詞として使ってる可能性も高いけど、物理学の先人をビジュアルから読み解くなんて手法は、「観念史派」くさいアプローチだよなぁ。

そうそう、前々から気になってたアンリ・ポアンカレさん、この人の学生時代のスケッチもおさめられてた。これがクソうまい。

リアルとか克明に描くスタイルではないけど、フリーハンドでこれだけ迷いない線が描けるということは只者でない。正方形をフリーハンドで描けば分かるけど、だいたい途切れたりハミ出たりするもの。

ポアンカレさん、たしか相当な近眼だったはずだけど。この画力はどこで身につけたんかな。それを言っちゃえば、ポール・ヴァレリーも絵がクソうまいから、フランス的な「一般教養」なんだろうか。

取り敢えず、劇作家の方でないアーサー・ミラーさんが観念史派なのか、注意しながら読んで見たいと思います( ´ ▽ ` )ノ
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# by ulyssesjoycean | 2017-06-27 12:00 | Comments(0)

コヤツ、何者⁈ 心理学者マイケル・コールさん

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(積ん読の山を「リサーチ」という名目で何とか消化しようと奮闘中。読みきれてなかった心理学の論集でマイケル・コールという人の文章に目がとまる。これだけ過不足のないクリアな英文が書ける人はまずいない、なんだこの人と思ったら、ヴィゴツキーの研究書も解説してるようだ。オヌシ、なかなかやるな、という気分( ´ ▽ ` )ノ)

UX研究でもプロダクトデザインでも、結局は「ニンゲンのふるまい」を考えなくてはならない。

最近はプロダクトデザインの方面からアプローチしてたけど、心理学の方も大事な研究がたくさんあるので、アンソロジーを読み込んだり。

そんなこんなでほっぽりっぱなしだった1977年刊のアンソロジー『Thinking, Readings in Cognitive Science』(Cambridge University Press)を久々に手に取ると、Michael Coleという人の文章に立ち止まる。

コールさんの英語、平易かつ的確な言葉遣いで、さらにムダなところが何もない。今読んでるところだとこんな感じ:
In my opinion, the weakest aspect if current experimental psychological research in cross-cultural settings is the way that inferences are drawn from 'poor performance', instances in which subjects give the wrong answer.

(Ibid., p. 474.)

ここから「どれか要らないの抜き取ってください」と言われてもまずムリだろう。冒頭からキチンキチンとした運びで、かつスムーズな文面。

ガクジュツ系のアンソロジーで「文章に感激する」経験はあまりないけど、マイケル・コールさんスゴイなー、なんて。以前、イヴリン・ウォーの自伝だか読んでて、「うわ、ムダが何もない」と感激したのを久々に思い出した。

そこまで感激したからには、申し訳ないながら全く知らなかったコールさんの文章にも触れなくてはなるまいと、密林を見て見たら、おや、ヴィゴツキーの解説もしてる雰囲気。

超のつく天才心理学者のヴィゴツキーさん。仕事をされてたのは1920〜30年代だけど、そこで提唱されてるのが「これ今よく聞くアクティブ・ラーニングじゃん!」と腰を抜かすことも。

ロシアにはすごい心理学者がいたんだなーと思ってたけど、おお、その人の解説をしてるのが、コールさん、あなたでしたか的な( ´ ▽ ` )ノ

それこそ時代劇の剣豪みたいに「おぬし、なかなかの遣い手と見た」なんて気分になったな。この剣豪ダレだよ!とも思うんだけど(^∇^)
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# by ulyssesjoycean | 2017-06-24 12:01 | Comments(0)

「語学がニガテ!」よりも、「外国語にしづらい」思考法?

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(語学のオニ[*自称]だけれども、今まで一度も食指が伸びたことのないノーム・チョムスキー。ただ、尊敬するみうらじゅん法師も「キライなものの中にこそ何かしら発見がある」ということなので、ここまでキョーミが持てないということは、むしろ大事なことの裏返しなのかもしれぬ。チョムスキーさんにはインタビュー集もあるようだ)

数学が超のつくほどニガテで来てしまった大きな理由として、「数学の表記に納得できなかった」と気づいたのが2016年。

ニガテなものってそこまで理由を問い詰めないから、超ニガテな自分自身、「表記に引っかかってた」というのは驚きだった。それはもう、計算とかする「前の」話じゃん、と。

で、数学と並んでニガテな人が超多いジャンルに「語学」がある。覚えることが多すぎる、母語にない発音は聞き取れない、使う場所がない、そもそもの教育が良くない、などなど、色んな理由を耳にする。

1つ1つは嘘じゃないと思うけど、これだけニガテな人が多いとなると、原因はそのもっと手前にあるんじゃないか。自分の数学と同じで、まさか!というところに「引っかかり」があるのかも。

それで今日、たまたま仮説として思いついたのが、その人の思考法。ネイティブ日本人なら母語は日本語だけど、母語で考えてることが「外国語に適用しやすい」人と、「外国語に適用しづらい」人がいるのではないかーー

というのも、日本語で読んでる時は何1つおかしいところはないのに、なぜか英語に書き換えようとするとものすごく大変という「型」があるみたい。

何が言いたいのかわからないから外国語にできない、というのとは違う。専門用語や文脈が追えないということでもない。むしろ「わかりやすく明快な文面」なのに、なぜか英語にしづらい時がある。

以前にも一度そうした経験して、今回、全く別なところで同じ感覚を味わい、これは何か大事なことが含まれてるぞ、と思った次第。

よく言われることとして、「自分の考えてることが外国語にならない」じゃなくて、「外国語にしやすいパターンに、自分の考えてることをペーストする」というやり方がある。

活用も人称も最小限という、たいへん融通のきくパターンを幾つか用意しておいて、そこにカンタンな言葉だけ載せてく、とかいうこと。

ロシア語はさっぱりだけど、「ヤ・イショー・ガヴァリュー・プローハ」(私はまだうまく話せません)というのだけ覚えとけば、困ったらそれを言えばいい!みたいな(^∇^)。あとは「ダー」と「ニエット」で何とかなるだろ、なんて。

他の外国語も大体そんなやり方でやってきて、そのうち、使える便利なパターンが増えてくると、そこまで負担に感じなくなる。なので、自分の言いたいことをゼロから考えるより、使いやすい「手駒」を増やした方がいい、というのはよく言われること。

自分もそう思ってたんだけど、「日本語ではわかりやすいのに、なぜか英語で表記しようとすると大幅に書き換えなくてはいけない」という事例に出くわし、そもそもの発想の時点で「外国語にしづらい」人がいるのかな?と。

単なる仮説だけど、何重にも厄介な仮説だよなー、これ。例えば自分が数学の表記に納得してなかった、というのはわかっても、「なんで表記が気になるのか」と言われても答えようがない。こっちが知りたいYo!くらいのもの。

そういう、外国語に適用しづらいタイプの発想は、単純なパターンに自分の思考を載せてけばいい、とは言えない気がする。そもそもの時点で外国語に適用しづらいのだから、パターンを使いこなす方が大変、みたいな。

何を言ってるのか、読んでる人もわからないと思うし、書いてるこっちもわからなくなってきたけど(^∇^)、「外国語表現コスト」が少ない人と、極端に多い人はいる気がするなー。

その辺り、あんま気乗りしないチョムスキーさんにヒントがあったりしないかな。外国語ごとに向き不向きの相性がある、と主張してきたけど、それもこの辺が理由なのかなー。
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# by ulyssesjoycean | 2017-06-19 20:40 | Comments(0)

「コミュニケーションの欠如」より「充実」を知りたい

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(UXことユーザー・エクスペリエンスを学ぶにつれ、「コミュニケーションが充実してる」とはどういうことなのか知りたくなった。だって「コミュニケーションの欠如」は具体例が山ほどあるのに、「コミュニケーションの充実」はまるで例が出てこないから。そりゃ気にもなるわな)

UXを辿るうちにヘンリ・ペドロスキとか、それまで馴染みなかったプロダクトデザイン系の分野にも手を伸ばすように。

で、どんなものでも、上手くいかない理由として「コミュニケーションの欠如」が指摘されるけど、「コミュニケーションが充実してる」時なんてあるんかいな。あるとすればどんな状態なんだろ。

というのも、プロダクトデザイン系の歴史や事例を見ていくと、別にこれ、「ものづくり」に固有のことではないよね、と。用語だけ置き換えれば、あらゆる業種に当てはまるよなー。

「コミュニケーションの欠如」はこんなに具体例があるんだから、「充実させた事例」も知りたいんだけど、そっちは殆ど話題にならない。

考えようによっては、「コミュニケーションの欠如」が見あたらない時は、「充実してる」と言ってもいい、みたいな。

「コミュニケーションの充実にはコレが一番!」みたいな方法があればいいんだろうけど、同じ人間が2人といないことを考えると正攻法も何もないだろう。むしろ、「人によって正攻法が違う」から厄介なのか。

そんな中で「コミュニケーションの欠如」を説かれても、ペイントお餅状態だし、かといってコミュニケーションどーでもいいっす、とは言えないから困る。

自分なりに考えた上で実践してるのは、「絵を描く」ことくらいか。バーバラ・スタフォード大先生が「絵の持っている『わかる』力はスゴイ」という主張に感激してやり始めたのがそもそものキッカケ。

言葉だと使う人によって振り幅があるけど、絵にすればまだしも誤差は小さい。実際、ヘンリ・ペドロスキさんの本を読んでたら、「絵は教育を目的として発達した」と書かれていたので目からウロコ。

アルタミラとかラスコーの洞窟絵は、パワポでプレゼンしてるのと変わらないそうな。「今日はマンモスの獲り方を扱います」なんてTED Talkがあったら笑うな(^∇^)。

でも実際、そういう教育的なツールとしてビジュアルは最強の由。だからこそ、文字の歴史より絵の歴史の方が古いという。これまた納得。

しかし、それだけ人間にとって馴染み深いツールなのに、ある時期から「絵を描かなくなる」のはなんでなんだろう。幼稚園くらいまではみんな描いてたのに、年次が上がるにつれて頻度は下がる一方。うーん。

凝りに凝ったパワポを作るより、話しながらその場でスケッチした方が「コミュニケーションの欠如」の改善には役立つ気も。

だいだい、こんな「コミュニケーション」と念仏みたいに唱えるようになったのはいつからなのかね。google先生の解析ツールとか使えばわからないもんかね。ヌー。
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# by ulyssesjoycean | 2017-06-17 19:38 | Comments(0)

こんなところにもケインズ登場! 

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世界でたったひとり「金本位制はもういらないのでは」と気づいたジョン・メイナード・ケインズさん。オックスフォードの数学科を首席で卒業するとか、超のつくエリート街道をひた走った人だけど、「ただそれだけの人」ではなかった雰囲気。しかし悲しいかな、ケインズさんの込み入った英語がスラスラ読める人はまずいない上に、著作が膨大でセレクションを作るのも一苦労な由。ペンギン版のこの選集も、編者がまずそういうツラさを吐露していた)

例によって経済を学んでばかり。文学が好きで色々読んでいただけのはずが、いつの間にやらホモ・エコノミカス!になっている驚き。

物を売ったり買ったりするのは誰しもが日々経験することなので、それぐらい本質的なことだと今では思うけど、売ったり買ったりするより、「モノを買うとは何か」を考えるのはスラスラと行かないなぁ。

近年の経済学は「金融工学」という名前も付くぐらい、数式のオンパレード。なんなんだろう、これ、と思っていたけど、経済学自体が「予測」を大きなテーマに掲げているせいか、「確実さ」を求める方に行くんだろうなと。

ただ色んなアレコレを経た結果、実際の人間のやってることと、緻密化した金融工学の落差があまりに大きすぎるという反省から、心理学その他の分野も動員して、なんとか「実情に即した」ガクモンを作ろうと苦闘してる人も。

そんなこんなで面白がってアレコレ目を通すうち、「経済学では、『人の体力』をどう考えてるのだろう?」という疑問が生じた。

体力では漠然とし過ぎてるなら、「健康」でもいい。経済学で「利回り」「利率」「短期/長期運用」という言葉ばかりを眺めてると、「人は年を取るけど、それをどう考えてるんだろう?」なんて。

浅草キッドの玉袋筋太郎さんが、「アンチ・アンチエイジングで生きてるので」という気の利いた言い回しをしてたけど( ´ ▽ ` )ノ、そりゃ単に加齢のことでしょうよと。

尊敬してやまぬみうらじゅん法師も、「勝つ加齢!」「老いるショック!」などの名調子を連発してたけど、実際その通りなんだな。オギャーと生まれたその日からエイジング街道がスタートするわけで。

一方の経済学では、色んな理論が「将来」や「予測」に関わってるので、予測してる当人のエイジングと、理論の方の時間感覚はどうなってるのかな、そんな素朴な疑問を持つ。

そういうことが気になり始めたところでケインズさんが登場したのだからたまらない。ケインズさん、「In the long run we are all dead」と、代表作『雇用、利子および貨幣の一般理論』で言ってるのだって。長期、というスパンを引き延ばしていくことはできても、その頃に最終的に人間はいなくなってるよ、的な。

こういうのを孫引きで済ませてはいけないから、ほっぽりぱなしになってるケインズのセレクションで、せめてそこだけでも目を通しておこう。『ハムレット』の有名なセリフだって、その前がカッコイイわけだから。

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# by ulyssesjoycean | 2017-06-17 12:00 | Comments(0)

古代の人は生マジメだナー プラトン『ソクラテスの弁明』

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(数学やったり哲学思想が面白くなってきて、いよいよ重い腰あげて古代ギリシャに取り組む。清水書院のセンチュリーブックスと、中公クラシックスが二大お世話になるシリーズ。『ソクラテスの弁明ほか』は、税込1,890円なり)

今まで避けてきた古代ギリシャの思想。まあ、数学史でもギリシャに馴染みができたし、プラトンさんからスタートしようと思った次第。

常々お世話になる中公クラシックスで目を通したところ、『ソクラテスの弁明』『クリトン』までは楽しめたけど、『ゴルギアス』に至ってザセツ。これはついていけない。

というのも、プラトンさんが描くソクラテスさん、何かにつけて議論を吹っかけーーまあ、そこは良いとしても、肝心かなめの部分に「正しい」「善い」というワードが度々登場する。

そんな「正しさ」に拘られてもなぁ、と2500年後の人間として思わずにいられない面あるけど、古代ギリシャはそういうのを大事にしてたのかーと。

あとはその、古代ギリシャの言葉で言う「正しい」「善い」は、古代ギリシャ語で表記すると何になるのかな、とも思う。2500年後に翻訳で「正しさ」に違和感感じられてもな、とソクラテスさんからクレームがはいるかもしれない( ´ ▽ ` )ノ

実際、ギリシャ語で「言葉」というのは、2つあったんだって。ロゴスとミュトスーー綴りはλογοςとμυθοςかなーーいまではlogicとmythになってしまってる。

論理と神話の大元は、どっちもギリシャ語で「ことば」だったのかーーと思えば不思議な感じがする。

その印象が先行してるもんで、「正しい」「善い」というのも、ギリシャ語の綴りで見たら「ナルホド!」になるんじゃないかな、という期待も。

そもそもの目当ては『パイドン』『パイドロス』『メノン』あたりなので、そっから再挑戦してみたいと思います( ´ ▽ ` )ノ
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# by ulyssesjoycean | 2017-06-14 21:54 | Comments(0)

プロダクトデザインの世界にもスタフォードのお仲間が! ヘンリ・ペドロスキの仕事

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(思うところあってーー思うところ多くないか、とは自分でも思うけれども( ´ ▽ ` )ノ、プロダクトデザインの領域に手を伸ばしたら、あれまビックリ、スタフォード的な仕事をするヘンリ・ペドロスキさんを知る。高山御大の敷いたレールのなんと広いことよ、と学派の1人として思うのでした)

近年の流行り言葉に「デザイン」があって、何でもかんでもデザインという風潮への反論まで出て来たりして。

自分でも最近ピコピコ系に注力してはいるけれど、デザインといえば、ピコピコ系よりはるかに長い歴史を持つのがプロダクトデザインだよなーと。橋とかビルとかだって、実際に「モノ」があるわけだから。

何にしても「知ってて損はない」と思うし、うまくするとピコピコ系に応用できる部分もあるかもしれないと手に取り始めたら、アリャ、ここにも高山学派馴染みのフレーズかい!と。

「ファンタスマゴリア」という単語が、「プロダクトデザイン」の本に出てくる驚き! 正確には、そういう下地があるものに惹かれて手に取ってるんだろうけど、ヘンリ・ペドロスキさんという書き手も相当な人みたい。

ファンタスマゴリアだけでなく、壁に映った影、ということでプラトンの著作に言及していたり、美術史以外でこういうことやってる人がちゃんといるんだ、なんて。

巻末の参考文献一覧に目を通して、ハハーンなんていうのが楽しみなんだけど、案外、ペドロスキさんはアメリカ在のようだから、案外シカゴ大学でスタフォードさんの同僚だったりするのかね。
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# by ulyssesjoycean | 2017-06-11 12:00 | Comments(0)

特装版は「関西弁バージョン」、ムサヲ『恋と嘘 6』

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(いよいよアニメ化も決定した人気マンガの『恋と嘘』。ウェブで連載されてるけど、単行本化のペースも早めなのが嬉しい( ´ ▽ ` )ノ ウェブでは無料で読める分、単行本では「オマケ要素」に気を配っている由。番外編の収録ほか、カラーの特装版などなと。今回は関西弁バージョンが付くそう(^∇^)。特装版は税込927円にて発売中)

少年マガジンが母体のせいか、単行本発売のペースも安定してて嬉しい、ムサヲさんの『恋と嘘』。6巻目に突入かー。1巻が品切れで買えない!と嘆いてた時期があったから感慨深い。

アニメ化も決定した人気作だから「あらすじ」は不要かと思うけど、ストーリーより何より端正な絵柄が一番の魅力かなー。

服の柄や刺繍なんか、こんな細かいところまでよく描くなーと、その気合を感じる。『乙嫁語り』の森薫さんも書き込み派だけれど、森さんの作風をコッテリ系とすると、ムサヲさんの画風はロココ調か(合ってるかどうか知らない( ´ ▽ ` )ノ)

スッキリした画風で後味が良いし、イケメン男子の仁坂(にさか)も、普段着含めてスラッとした書き振りで、ヤナ感じがない。

ーー書いてて思ったけど、この「イヤな感じがしない」のが大きな魅力かも。愛読する作家さんは、くだんの森薫さんも、石黒正数さんも、みんなインテリジェンスを感じる。

とかなんとか、カッコよさげなことを言いつつも、実際は表紙絵が(推してる)リリナでバンザーイというところだったりする( ^∀^)。
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# by ulyssesjoycean | 2017-06-10 12:00 | Comments(0)

岩波文庫『私の三冊』でプラトンがカブる

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(岩波書店のブックレット『図書』で、「私の三冊』特集。昔は気になる書き手のセレクトをチェックしてたけど、今はむしろ、だーっと眺めて、「チョイスが重なってるもの」を見てフムフムと思う感じ。冊子『図書』は書店店頭で配付中)

以前は熱心にチェックしたセレクト企画も、今ではむしろ「関心ない分野」の方に気が行くように。

ザッと眺めて印象的だったのは、複数の選者でチョイスが重なるもののうち、プラトンの『パイドン』が挙げられていたこと。

古代ギリシャの古典だから「チョイスがカブる」のは当然とはいえ、「ホロっとくる」など、情緒に訴えるのが『パイドン』とのこと。

プラトンさんに限らずギリシャ哲学はどーにも取っつきにくくて困っていた。古代ギリシャと並んで何となく親しめないジャンルに演劇があるけれど、「対話式」のジャンルは向いてないのかな。

ーーそうは思っていたけれど、数学の学び直しをした結果、ギリシャ時代の遺産はとにかく大きいとわかる。自分の場合は「表記に納得したい」面があったので、せっかくだからギリシャ語の綴りくらいは読めた方がスムーズ。

ロシア語の文字で七転八倒したオマケなのか、ギリシャの文字は大体見当がつくように。後は思想関係が大変面白く感じられるようになり、そうすると大元のギリシャもそこまで抵抗なくなった。

とはいえアリストテレスさんなんか、まず著作がトンデモナイ分量だし、ソクラテスさんはイエスさんやお釈迦さま(アンド孔子)と同じく喋る一方だから作品は残ってない。

そんな時に「『パイドン』は泣ける」と耳にしたので、おやおやっとなった次第。想像していたプラトンさんのイメージとは違うようだ、なんて。

あとは『パイドン』と聞いて、あれ? そんなタイトルの本が別になかったっけ?と思ったら、そっちは『パイドロス』だった。

単に表記が違うだけかと思ったら別作品ということも分かったので、ココロに沁みる系の作品らしい『パイドン』からスタートしてみたいと思います( ´ ▽ ` )ノ
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# by ulyssesjoycean | 2017-06-09 20:00 | Comments(0)

「現在」「過去」「未来」が良くない? ピコピコ用語から語学を考える

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(スランプの時は原点に戻るべし、というのが色川武大さんの教え。そういや最近は英語ばかりでフランス語やってなかったなと思い、久々にギアチェンジしてみることに。英語で書かれたフランス語の参考書というと、このUltimate Frenchをずいぶん一生懸命にやったなー)

初読の時は融通の利かないピコピコさんに驚くあまり、やたら時間がかかった山本貴光さんの『世界が変わるプログラム入門』。

自分でコードを書いてみようという今、読み直してみると「ハハーン」という箇所も増えた。この部分、そうは書いてないけど「変数」のことだな、とか。その前の分類は「クラス」になるのかな、とかとか。

この「変数」とか「クラス」という名前、ピコピコや数学を学んでるとどうにも引っかかる名称。Variablesならイメージ掴めるけど、「変数」だと急にアヤフヤになる。昔は「函数」と表記したそうだし、そっちの方がまだしもと思う。

それでハッと思いついたのは、語学をやる時の各種「時制」。ヨーロッパ言語は基本、「現在形」「過去形」「未来形」なんて呼び方あるけど、あれがスッと入っていかないのか?

自分もフランス語を生真面目に学んだ時、「半過去」というのを「半分過去」だと思っていた。ヘンな名前だなぁと思っていたけど、西村牧夫さんのフランス語文法をやったり、冒頭のUltimate Frenchを通過してようやく、「これ、Imparfait」だったのかと。

Imparfaitだから、「未完了」ということ。それがどうした理由かで「半過去」と表記されたのだな。半分過去はヘンだと思ってたけど、そういうことだったかーー

で、これと同じようなことで、「現在形」や「過去形」が、スッと入っていかない人がいるのではないか。その人の持っている「現在」の位置付けと、語学をやる上での機能としての「現在」が合わないとか。

想像するしかないのだけど、「今現在の自分」を「原点」にして「現在」「過去」「未来」を掴むとすれば、参考書の中に出てくる(つまりフィクションの世界の)時制が呑み込めなくても仕方ない気がする。想像でしかないんだけど。

以前ドイツ語を学んだ時、格変化の呼び名が「数字で表記されてる」ことにビックリした。その前にやってたラテン語では、Nominative, Genetive, Dative, Accusative, Ablative, Vocativeとご丁寧に名前がついていた。

更にそれを日本語で主格、属格、与格、対格、奪格、呼格と表記するのだからやりきれない。今では英語の呼び方だけでいいやと割り切り、日本語表記をフォローする気力すらない。どのみちラテン語辞書は外国語でしか引かないからいいや、なんて。

それがドイツ語になったら、1格、2格と数字で表されてるのが新鮮だった。Accusativeをムリに「対格」と日本語表記するより、よほど合理的に思える。少なくとも初心者向きにはなるような。

それで思ったんだけど、「現在形」や「過去形」というのも数字にしたらどうだろう。自分の時間感覚と活用形を混同するから大変なのであって、現在形=1系、過去形=2系としたらどうだろう。

原形なんか0形に表記すると、数学のゼロ=原点というアナロジーも使いやすい。何も加工されてない雰囲気が出る。これもまあ想像でしかないんだけど( ´ ▽ ` )ノ

自分の場合、語学の時制には違和感なかったけど、それなら他の人も違和感ないはずだ、というのでは話が無茶苦茶になる。現に、自分が数学に馴染めなかったのは表記のモンダイだったというのは目からウロコだったし。

パッと思いついたことでしかないけど、きっと語学がタイヘンという人は、暗記がタイヘンというより、「もっとその前の何か」が原因なのではないか、という気がする。

自分の場合、まさか「数学の表記に納得してなかった」とは夢にも思わなかった。数字の計算がニガテだから、とか思ってたけど(それもあるにしろ(´∀`*))、もっとずっと大きなモンダイとして表記につまづいていたという。

なので、数学と並んでニガテな人がやたら多い語学の世界も、アプローチ次第で印象が変わるんじゃないかナーと思ってる次第。

もっと言うと、「なんで人によって得意・不得意ができちゃうのかな」というのも知りたかったりする。ある人にできることがある人にはできない、もっと言うと「同じやり方ではスムーズに身につかない」理由が何かあるんじゃないのかな、という。

ピコピコの操作を学びながら、各種参考書が「どーもやりにくい」と感じてるので、そんなことを綴ってみました( ´ ▽ ` )ノ
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# by ulyssesjoycean | 2017-06-05 21:20 | Comments(0)