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土地と場所と空き家と『池の水抜いちゃいました』(^∇^)

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(ここ1〜2年で急に興味を持つようになったジャンルに「土地」がある。欲しいとかそういうのではなくて^_^、土地とか場所ってのはなんなんだろう?ということを考えるようになった。なったというより「なってしまった」と言うべきか。冬目景さんの建築マンガ『マホロミ』を読んでた時はついぞそんなことを考えなかったのに(´∀`*))

テレビ東京で「池の水抜いちゃいました」というトンデモ企画が番組として制作され、ビックリするぐらいの好成績をおさめたりしてる。

溜め池とか貯水池とか、それこそ公園の池でもいいんだけど、放ったらかし状態の池の水を抜いたら色んな生き物が出てきた!という驚異の内容。

イイなーと思うのは、「放置された池がヘドロ臭い」というのをさらって、結果それがテレビ番組としても好評なのだから、誰も嫌な思いをしていないということ。

御多分に洩れず伊集院光さんのラジオで番組を知って、これはすごい!と。で、その伊集院さんが提案してたのが「廃墟になってる空き家物件を解体する」というもの。

実際、自分も1〜2年前に「空き家マップ」を作る試みをやってたんだけど、今は全くやってない。単純に「キリがないから」というのがその理由。

その気になって探すとアチラにもコチラにも空き家が見つかるので、メモる作業だけでもリストが一杯になるので、いったいこれはなんなんだろうと。

その一方でピコピコ系をちゃんと使えばリモート(その場にいない)で色んな仕事をすることもできる。また、その分「人と会うこと」「人と話すこと」も重要だなと気付くんだけど。

空き家とかリモートでピコピコ使うとか、色んな状況が重なると、「土地とか場所ってなんなの」と思わざるを得ないというか。

もっと言うと、「その場にいなくてはいけないこと」とは何なのかなー、なんて思う。そういう「土地が場所になるための必須条件」はなんなのかなーと。

たぶん、空き家っていうのはなんらかの意味で「土地が場所になってない」のかもしれない。でも「場所とは何か」なんてシンエンな問いかけはフロイト先生もしてなかったような(^∇^)

経済学の歴史をやってても、アダム・スミスさんあたりで「通貨はその時々で変動するから、基準には使えないだろう」と気付いて、それでおおもとの「労働」っていうのを基準に考えようや、なんて。

ところがその「労働」をする「場所」ってのはなんなんだ、というのがテーマになってしまったから大変ややこしい。でもまあ、こういう「何か気になるなぁ」というのは、ちゃんと調べてるとそのうち「これだ!」という糸口が見えてくるからフシギ。

その糸口がいつ見つかるかはわからないので( ´ ▽ ` )ノ、とりあえずノートにしておきました。

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# by ulyssesjoycean | 2017-10-08 15:40 | Comments(0)

喰えない2人の哲学者、ノージックとモーゲンベッサー

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(今風にカッコ良く言えば「断捨離」、カッコ悪く言えば「あー、アレどこにしまったんだっけー、こんなに散らかってしまったからついでにいらないものを片付けよう」の中、たまたま目にした憲法学の長谷部恭男さんの連載中にロバート・ノージックへの言及が見つかる。羽鳥書店から単行本が複数冊出版されてます)

高山御大の『かたち三昧』読みたさに東京大学出版会のPR誌を書店でもらっていた時期があった。

もちろんそれだけを読むことにはならず、へえ、という感じで、当時全くキョーミなかった法哲学なのに、長谷部恭男さんの文章も合わせてスクラップしていた。

このブログで何度か名前を出した、喰えないジジイ哲学者シドニー・モーゲンベッサーを知ったのも、この長谷部さんのコラムから。

冒頭のように、古風に言うと「失せ物探し」をしている中、この長谷部さんのコラムが見つかり、そうそう、モーゲンベッサーを知ったのはこのコラムだったと目をやると、ビックリ、今関心を持っている「ロバート・ノージック」の名前が。

ロバート・ノージックさんは大変風変わりな法哲学をやった人で、アナーキズムを真剣に取り扱うとどうなるか、という「議論の攪拌」を目指した人らしい。実現はムリにしても、かといってカンタンに無視もできないという厄介な議論を持ち出したのがノージックさん。

で、その大変厄介な議論をするノージックさんが、コロンビア大学時代に専攻したのがモーゲンベッサーだったと言うので驚いた次第。喰えない人には喰えない師匠がいたのか、なんて。

以前ノージックの本を解説した本を読んでみたけど、モーゲンベッサーのモーの字も見つけられなかった気がする。ノージックさん自体、正面切った研究書は少ないんだとか。

ノージックさんの議論でいちばんフーンと思ったのは、国が最低限・最小限のことしか管轄しない制度では、国の中に「サブ国家」がいくつもできる可能性がある、というもの。

誰しも自分のやってることは正しいと思ってやってるので、『スターウォーズ』のシス卿やダースベイダーも自分なりの「正しいこと」を貫こうとしてああなった。

で、別に『スターウォーズ』を持ち出さなくても、人が3人以上集まるとメンドークサーなことになるのは、映画を見なくてもよくわかる。むしろこれを映画にしたいくらいだ、という人だっているだろうし。

ただスターウォーズほど分かりやすい事態はほとんどないとも思うし、そう言えば当の映画の中にも「ハッキリした悪役」みたいなのは見つけにくいかなー。

神山健治さんなんか、ノーラン・ライアンの『バットマン』シリーズを「ゼロ年代以降のアメリカの自画像」なんて穿ったことを言ってらした。その意味でも、ジョーカーのキテる雰囲気は「久々の悪登場!」だったのかな。

前々からそんなことを思ってたので、ノージックさんの「サブ国家」という話は印象的だった。これもまた喰えないジジイである小説家の山田風太郎先生も、言いたいことがある人ごとに島を作って国にすると良いと、本気とも冗談ともつかない口調で随筆にしてらしたな。

長谷部恭男さんの文章では「専攻した」となってるので、ノージックさんとモーゲンベッサーの間に直接の交流あったかはわからない。

でもなんかいいじゃない、前々から「このジーさんはしょうがないな」と愛着を持ってたら、最近関心を持ってる厄介な哲学者に通じるものがあったなんて(^∇^)

哲学思想もそのご本人の足跡がわかると「なるほど」と腑に落ちるとわかったので、ノージックさんもどういう人なのか気になってきた。颯爽とした風貌で、同じロバートの、レッドフォードの雰囲気もなくはないし。

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# by ulyssesjoycean | 2017-10-06 12:00 | Comments(0)

山本貴光さんによる夏目漱石の文学ロンロンがいよいよ佳境(らしい)

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(漱石読者の中でも評価が分かれる『文学論』。名前のよく似た『文学評論』は愛読者も多く、イギリス文学の小林章夫さんも名前を挙げてらした記憶が。自分は「人物・人柄」の方面の漱石さんに興味あったので、いまだに手にしたことない。むしろ手にしたものの忘れてしまってる可能性大)

山本貴光さんがかねてから注力してらした夏目漱石の『文学論』論、ご本人のツイートでも出版を控えて最後の仕上げといった様子。

自分がこれまで「あんまなー」と思っていた自然科学やプログラミングをかじってみる結果になったのは、山本貴光さんの存在が大きい。

理系文系という分け方はどうなのよ、という話はいつの時代にもあるけれど、その両方を同じくらいのエネルギーで扱うのはなかなか。

というより、最近シミジミと思うんだけど、工学的な「仕組み」(作動原理、力の伝わり方)が、自分の脳ミソにスッと入ってこない。単に入門段階だからだ、という話はあるにしても。

一方で語学は当初からのめり込んだ部分だし、語学をやること自体に抵抗感はあまりない。それでうーんと思うんだな。

プログラミングもそうだけど、「もののしくみ」が理解しやすい人と、「ものの形態」(見た目、綴り、色形、類似性、音声)が理解しやすい人に分かれるのかなー、とかとか。

で、山本貴光さんは「ギリシャ語の読めるプログラマ」という稀有な立ち位置から、おそらくご自分なりに両分野にアプローチしてこられたので、「後から来る人」が参考にしやすいのかも。

そういった意味で、自分がもともとあんま得意としてない文学者としての夏目漱石像が、また違った見え方になるのかなと期待している次第。

愛読してやまない吉田健一なんかは、夏目漱石に対してケンモホロロな扱い、また痛快な書き方をするものだから、読んでるとこっちもその勢いにつられてくる。

それでいて、吉田健一作品に幅広く目を通してると、批判するわりにやたら漱石を論じてる箇所が多いので(^∇^)、あれ? 認めてないんじゃないの?という気分になってくる。

自分なりの結論としては、これ、「同族嫌悪」なんじゃないかなーと。吉田健一さんの中に夏目漱石さんと根本に通じるものあって、それで批判が痛烈にもなるけど、同時に何度となく取り上げちゃう、みたいな。

吉田健一作品はどれもスッとぼけた雰囲気だけど、若い頃はそれどころではなかったらしい。ドストエフスキーを世界一えらい小説家と思っていた、何事にも妥協するのが嫌いな潔癖なこの東洋の青年は、みたいな自分像が出てきたりする。

夏目漱石さんの方も、先日たまたま『坑夫』を読んだらこれがメチャメチャ面白かったので、あらためて「どんな人だったのかなー」と関心が再燃してる面も。

山本貴光さんの『「百学連環」を読む』は、これはスゴイぞ!と読みふけっただけに、ニシアマネさんと時代が被ってもいなくない夏目漱石さんの『文学論』論はどんな手つきになるのかなーと楽しみにしている。

楽しみということでは、文学論論というタイトルをどうされるのかな、ということが気になってたりもするんだけど。文学ロンロンというのも、上野のパンダみたいで捨てがたいのだけど( ´ ▽ ` )ノ

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# by ulyssesjoycean | 2017-10-01 10:59 | Comments(0)

デューイ、ベーコン、アリストテレス 「三大データベース職人」

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(メルヴィル・デューイ、フランシス・ベーコン、アリストテレスの「三大データベース職人」を必要なだけは調べ終わったので、やっと「データベースってどんなものなのか」のイメージが自分なりにできてきた。効率化するためのシステムを学ぶはずなのに、何とまあ気の長い話であることよ(´∀`)。とりあえず「数」が大事、というのはわかりました)

アリストテレスさんまで何とか調べ終わり、やっと「自分にとってのデータベースってこういうもの」という輪郭がハッキリしてきた。

一通り調べてみて思ったのは、データベースは「数」と深い関わりあるみたい。単純に1人の人間が把握しきれないものを、「別の何か」で常に確認〜参照〜更新できるようにしておく、という意味がひとつ。

あとはその容れ物であるデータベースにとっては「数以外を入れられても困る」ということかなー。暑いとか寒いとかいう感覚的な情報はデータベースの知ったことではない。

「暑い」とか「寒い」はニンゲンとして実際に感じるんだけど、そういう質的な情報はデータベースさん向きでないらしく、「質的な情報を数値に変換して」入れておく方がいいみたい。て、それを取り出した人間の側で「暑い」とか「寒い」とかを判断すればいい。

最初の話とも関わるけど、人間は「数」を数えるのがあんま得意でない気がする。単純作業として数えることはできても、数十個バラバラにあるものが、だいたい幾つあるかを「瞬時に」判断するとか、とてつもなく大きい(「小さい」でもいい)数の大小を「即座に」言い当てるのは簡単じゃなさそう。

一方のピコピコさんは単純な四則演算が基本だけれども、こうした数値情報を瞬時に、即座に、間違いなく、何度でも調べられるのは大変すばらしい。ライプニッツさんも17世紀に計算機の考案はしてたものの、建物の大きさになってしまったので用を成さなかったそうな。

でも結局、何のためにデータベース作るのかというと、「人間が使う」ためなのだからやりきれない。ピコピコさん自体は数の方が扱いやすいけど、それを使う人間が扱いやすい数のまとまりには決まりがある。11とか37が基準では何のためにデータベース作るのかわからない。

で、デューイさんが十進法を分類に採用して、ベーコンが何かというと3を持ち出すのはそのせいみたい。100とか1000項目をズラッと並べても人間には使いにくい。それで馴染みある10で分けたり、3で分けたりする。

ベーコンさんは「神」と「自然」と「人(人工)」という3つの柱でいつも考えてたようなので、どの項目を読んでても「まず3つありまーす!」からスタートする。

ただコレの厄介なのは、3を基準にしてくと、分類を進めるうちに階層がメチャメチャ深くなること。そこをデューイさんは十進法と小数点というものを導入して、人間が把握しやすい数のレベルと、必要に応じて分類を増やせる拡張性を手にした様子。

あとデューイさんで感心したのは、「その他」の項目があることかなー。「なんだかわからないもの」を区分する用のハコがちゃんとあるという。

ベーコンさんも「できないことや欠陥、失敗、不明点についても表にしておけ」と気の利いたことを言っているけど、それはそれで表を別に作らなくちゃいけない。そこをデューイさんは「その他」を作って回避したのかな、と。

じゃあアリストテレスさんはどうだったかというと、話の中にやたら「数」と「量」という話が出てくる。単数とか複数とか。それでどうも、分類というものは「数に絞って」考えた方がいいらしいぞ、とも。

数といっても、「人間が使いやすい」ことが大事だから、実数とか整数とかがデータベース向きみたい。「そんなことはない」という専門的なピコピコ話についていけるくらいだったら、そもそもこんなことしてないし(^∇^)

なので、あとは「数論」をおさえれば、たぶん自分のような、へっぽこピコピコラー向きのデータベース構想ができる気がする。気がするだけかい!と自分でも思うけれども( ´ ▽ ` )ノ

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# by ulyssesjoycean | 2017-09-27 12:00 | Comments(0)

やりなおしドイツ語では「AHD」に苦しむ。アルトホーホドイチュ!

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(ミヒャエル・エンデ経由で力づくで覚えたようなドイツ語。新聞雑誌、ちょっとしたニュースならまだ分かるので、哲学ってオモシロイナーと思ったことだし、よし、もう一度学び直してみるか、と。ヤスパースなどの訳書を多数手がけた橋本文夫先生の語学書は「へえ」と思う切り口がありがたい。ほとんどが絶版なのが惜しい)

何の因果か「哲学ってオモシロイナー」と思ってしまい、せっかくだからドイツ語をやり直してみるかと。

以前は文学系の作品をやたら読み通すという力づくなやり方で覚えたので、これが哲学書とかになると使う単語も違うし、これはマイッタな、というのが実感。

その当時はまるでその方面にアンテナ立ってなかったせいもあるけど、いわゆるキチンとした文法項目は「まあ、まけておけ」で通ってきたせいもあるだろう。(それでも一定量のインプットをこなせば目先が効くようになるのが、語学の良し悪しなんだけど)

で、あらためて橋本先生の入門書片手に再入門すると、ヌーと思う単語に一貫性があるとわかった。デカイ辞書で語源の項目をチェックすると、決まって「ahd」と小さい文字で書いてある。

何だろこれ、というので、そのデカイ辞書をひっくり返すと、「語源欄での言語名」という付録にahdが見つかった。althochdeutschの略だって。

アルトホーホドイチュとテキトーに読んでるけど、これ、高古ドイツ語ってやつじゃない?  

たしか浦沢直樹さんの『マスターキートン』だったかなー、なんかドイツの図書館で主人公が見るからに東洋人なので、こんな古いドイツ語の文献が分かるわけがない、自分も学生でいま苦労しているところだーーなんて。

中古ドイツ語という、なんだか名前だけ聞くとブックオフの親戚のようなものもあり、高地とか低地とかで言葉自体もずいぶん変わるのかドイツ語って、とかとか。

で、それから爾来幾星霜、もう一度やって見ると、なんか自分が「しっくりこない」基本単語は、みんなこの中古とか高古とかが語源。

英語やっててもそう思うんだけど、ラテン語系の単語はそれなりに予測もつくし応用範囲が広い。フランス語の知識はイタリア語でもそれなりに有効だし。

ところがブリテン島時代からの土着の言葉は綴りも単純だし、そもそもがアイスランドとかデンマークとか、とにかく北方のバイキングたちがビッケビッケとやってきた頃からのものだから、ラテン語がどうとか、まるで関係がない。

ドイツ語の基本単語もそういう「なんで?」ということが非常に多く、reisenが英語のriseだというのは納得するにしても、なぜこれが「旅をする」の意味なのかしっくり来ない。

このしっくり来ない感は、数学の記号に納得できない時と非常に似てる。ルートの意味も使い方も分かる。でもルートはrootなのに、「√」自体はRに全然似てないじゃないかーー

こういう素朴な疑問を持つのが、ピコピコ系の参考書に決まって書かれている共通の嘆きである「基礎がない」を突破する糸口だと思うけど、どうだろう。

ただまあ、そういう基本単語もラテン語辞書や「仲間にこういうのがあるよ」という別な基本語をたどっていくと、まだしも納得できる。へんな話、似たような綴りならほとんど同じ意味だと思って差し支えないみたい。

さっきのreisenなんか、rinnelnとかriesenとか、書き間違いじゃないの?というレベルのそっくり語を見て初めて納得できるようなもの。

当然、こんなことをやっていては先に進むスピードは遅くなるけど、スピードと効率を重視するくらいならドイツ語の学び直しなんかしない(^∇^)

英語もフランス語も厄介なところに来てしまったし、理数工学の分野は新しいだけに発見も多いけど、理路整然としすぎていてくたびれる。じゃあ基礎なら幾らかカンタンだろう、というのでドイツ語に。

ただこういうのが案外、「あとで効いてくる」ので、意外とバカにならないというのが今の心境。だってスタフォードの『グッドルッキング』を高山訳で読んで、「これは絵を描けるようにならないとやっていけない時代が来るぞ!」と感じたのが何年まえになるか。

で、その予想が大当たりして、日々(広義の)絵を描いているわけだけど、これが超絶役に立っている。ただなぁ、役に立つまでの時間が泡盛の古酒ができるレベルだから、なんとも言えないところなんだけど( ´ ▽ ` )ノ

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# by ulyssesjoycean | 2017-09-25 10:13 | Comments(0)

「どうかしてる」(©︎みうらじゃん)も時に応じて必要です(^∇^)

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(筒井康隆さんの最高傑作と勝手に思っている、短編『関節話法』。指をポキポキ鳴らす関節音で会話するマザング星人と、ポキポキ鳴らす癖があることから無理やり大使として任命された主人公の物語。ーー後半、関節が鳴らなくなってドンドンと意味不明かつ支離滅裂な「文障」[©︎柳瀬尚紀]を駆使する文面にはいまだに笑い転げる。新潮文庫『宇宙衛生博覧會』ほかに収録)

このところピコピコち対する命令文とか、情報貯蔵庫を作るための設計思想とか、今まで全くやらずに来た数学の学び直しとか、物作りの思想なんかを極めて実利的な理由でフォローしてるので、「その正反対」なものを欲してる様子。

ルイス・キャロルは本職が数学者で、だからこそノンセンスにのめり込んだとか、極めて厳格な論理性を有する分野をやってる人ほど、「そうでない発想」を求めるとか。

実際、ピコピコ関係やバリバリの論理性が必要な人ほどトレーニングやエクササイズしてる印象あるけど、「健康のため」云々という表向きの理由より、「頭を強引に切り替える」方が大きい気がする。

自分もそういう1人だけど、頭がくたびれた時にはむしろ運動した方がはるかにスッキリすると分かり、むしろやめられなくなった、という方が実感。

それと同時に、運動とスポーツ(競技)は違う分野ということもわかり、ナンダ、運動には勝ち負けがないじゃん、と。競技スポーツでは全くアウトでも、運動は楽しくできるというのは全く矛盾しないんだ、なんて。

運動は運動でいいんだけど、やはりものを考える方面も全然別なものを求めるみたい。支離滅裂とかナンセンスとかフランス小説風に不条理とか、呼び方はなんでも良いけれど、究極的に「わけわかんねーよ!」というもの。

この手の大御所であるデビッド・リンチ先生の作品にはどうにもついていけないので、やはり「どうかしてる」(©︎みうらじゃん)でも好みは分かれるみたい。

言葉の世界の「どうかしてる」は割合相性良いみたいだけど、やはりどこか笑いを持ってるもののほうがしっくりくるなぁ。

それで思い出すのが筒井康隆さんの『関節話法』であり、西脇順三郎さんの詩のような気がする。西脇さんの詩なんて、最後が「ホー」で終わったりするので、そういう脱力した部分に大いに憧れた。

そうそう、くだんの西脇順三郎先生の最終講義の模様が、慶應大学だかどこかのサイトで(一部)聴けるようになったそうな。愛読するマンガがアニメ化される時にはどうしても抵抗を感じてしまうけど、詩人の場合には興味あるナー(´∀`)

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# by ulyssesjoycean | 2017-09-24 17:34 | Comments(0)

情報貯蔵庫も、本丸はアリストテレスの『自然学』

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(メルヴィル・デューイ、フランシス・ベーコンと来て、あとはやっぱりアリストテレス先生をやるほかないようだ。ギリシャ哲学はどうも、というのと、あとは単純にアリストテレスさんは著作数が膨大なので、必要なものに目を通すだけでもやれやれという気分を免れない。でも語学人としてロウブ文庫のギリシャ版は見てみたい気もする)

情報貯蔵庫、と記すのも段々と面倒になって来たので、データベースと本来の言い方に変えるけれども、最後のまとめは「アリストテレス先生」しかない様子。

データベースの運用は大事だと思うけど、「だれが」「なんのために」「どうやって」「どんなデータ」を使うのかは、その時と場合によるだろう。

前になんだったか、なかなかエライ先生の本を読んだら、「もし本当の意味で医学書というものがあるなら、それは『生命とは何か』から始まるべきだろう」と書いてあってナルホドと思わされた。

もちろんそんな深遠な問いかけに対して安易な答え方はできないから、「そこはおいておいて」医療や医学を説くのは、ある意味仕方ないと思う。

その伝で行くと、本当にデータベースの本があるなら、「情報とは何か」という問いかけからスタートしてないとオカシイはず。

フツーの医学書で「生命とは何か」なんておいそれとは語れないにしても、どっかしら「おいそれとは語れないので、明確になってる部分だけ扱います」という、遠慮というか、隠れたスタンスがあるはず。

一方で、(自分の見識が狭いせいもあるけど)データベース関連で「人にとって情報とは何か」という問いかけや、そんな大それた問いかけはできないから分かってる部分だけ扱うよ、という遠慮が見えないのが大変気にかかる。

この間、『みんなの空想地図』の著者・今和泉さんが伊集院光さんのラジオにゲスト出演してらしたけど、話の流れで「便利のために人があるわけではない」という話になって、そういえばそうだ、という思いに。

というか、利便性自体を目的にしちゃうのは工学出身の方は一度は持つものみたい。今でこそ、人あるからこそのサービスという視点で画期的な研究をされたドナルド・ノーマンさんも、かつては「人間がいなければなんの問題もないのに」と思っていた由。

例のごとく、なんの話をしてるのかわからなくなって来たけど(^∇^)、利便性も本質性の部分も、どっちも大事ではないかなと。どっちかだけでは、ヌーという気分になる。

その点はベーコンさんもわかってらして、1603年発表の『学問の進歩』の中でもそんなこと言ってる。新規性をむやみにありがたがるのも、古いものに固執するのも宜しくない、云々。

ベーコンさんにしたって、アリストテレスさんから受け継いだ考え方を発展させて学問の分類や体系化を目指したわけだから、アリストテレスさんも見ておかねばならないだろうなぁ。

図書館の分類を考えたメルヴィル・デューイは十進法、いま調べ中のフランシス・ベーコンさんは「3」を基準に組み立てを考えてるみたい。

その点、アリストテレスさんは『自然学』で「分類」をどんな風に扱ってるのかな。

おまけ

データベース関連で久々に高山宏御大の『世紀末異貌』を開いたら、自分が調べようと思ってた人名や作品がズラッと揃ってて吹き出してしまった。

ーーというより、脳ミソのどこかにそんな引っかかりが残ってたからこそ、データベースか、じゃあデューイとベーコンを調べてみるか、となったんだろうけど( ´ ▽ ` )ノ

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# by ulyssesjoycean | 2017-09-23 12:00 | Comments(0)

情報貯蔵庫を組むにはフランシスコ・ベーコンからスタート!(なぜ)

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(ピコピコ系で情報貯蔵庫を楽しんで組める人が少ないと聞いたので、一度やってみようという気を起こす。で、現在は「帰納法」で有名なフランシス・ベーコンをリサーチ中。)

情報貯蔵庫は楽しく作れる人が少ないらしいと聞き、ではいっちょやってみるかと調べ物スタート。

で、今はフランシス・ベーコンさんを調べるという、ハタから見ると大変不可解なリサーチを実行中( ´ ▽ ` )ノ  

というのも、ピコピコ系の参考書はどれもその印象強いのだけど、「なんでそんなことはじめたのか」という歴史的な視点があまり見当たらない。

もともとバリバリのピコピコ専門家ならともかく、そうでないニンゲンからすると、数年単位で技術がガラッと変わる世界なのに、その当時の最新技術だけ覚えてもな、という気がする。

で、じゃあそもそも情報貯蔵庫とは何よ、というので思い浮かんだのがフランシス・ベーコンさん。それまでの魔術的や錬金術を引きずっていた世界に対して、合理性を一気に持ち込んだ人らしいので。

個人個人が呪文めいた言葉遣いしててもしょうがないだろう、「わかりやすい言葉」で、「複数人で研究実験できる」ようにし、「その記録を学者同士で発表回覧」できるようにしよう、と。

特にこの、「記録に残す」というのがベーコンさんのスゴイところだと思った次第。なんで情報貯蔵庫が必要になったかと想像すると、「1人の手に負えないくらい情報が増えてしまった」からだろう。

実生活ではベーコンさんは大変な派手好み、横山やすし先生もビックリな生活スタイルだったそうだけど、立身出世を目指したのはそれだけが理由ではないみたい。

ベーコンさんがやろうとしたのは神学からスタートした大学組織を一挙に合理的学問研究の場にしよう!としたわけだから、フツーにやったってうまくいきっこない。

だからそれが可能なくらいの地位に是非とも到達しなくてはいけない、そう言われれば確かに納得。

ベーコンさんは人間の精神活動を3分割したり、それと学問の3領域を組み合わせては考えたりと、分類思考を持ち込んだ人の様子。情報を貯蔵するのに順番も並べ方もないのでは、貯蔵したって欲しい時には使えない。

自分はいつもそう考えるんだけど、何か新しい分野を始めるときは、「先人のレシピを真似る」ほうが、自分なりのやり方を掴みやすい。

何もベーコンさんが3つに分けてたからって、それをまんま踏襲する必要はないけど、「ハハーン、この人はこう考えたんだ。じゃ自分はこうしてみよう」という余地が出てくるのはオリジンの方がはるかに適用しやすい。そう思えてならない。

あとはベーコンさんを調べてビックリしたのは、シェイクスピアの同時代人だったというのと、これまたイギリス経験論の旗頭ジョン・ロックさんともカスっているということ。

ロックさんはあんまりにも当たり前な内容を延々と書かれるので、初見当時は全くついていけなかったけど、「ベーコンの同時代にこの人はどうアプローチしたのかな」という興味はなくもない。

案外、ロックさんの方が情報の取り扱いはうまかったりするかもしれないから、こっちの方も調べてみよう。

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# by ulyssesjoycean | 2017-09-19 12:00 | Comments(0)

高田衛さん手による、岩波文庫『江戸怪談集』が気になる

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(岩波文庫で新刊を楽しみにするのが黄色版という、えらい変わりよう。古文は昔まるっきりダメだったけど、ちゃんと助動詞学んだら読めるようになった。江戸時代にはあまり思い入れないのだけど、これは面白そう!と直感したのが、高田衛さん編纂の『江戸怪談集』。上巻は1,091円なり)

折口信夫にハマったのをキッカケに、よし、古文をもう一度やってみるかと再入門。むかしあんだけ苦手だった古文も、英語の知識がまんま使えると分かったりして、今では岩波文庫の黄色版を買い集めるのが楽しかったりする。

*古文の助動詞(めり、なり、べし、などなど)に、まんま英語の知識(seem, heard, should)が当てはまると分かったので

あまり「江戸時代!」という思い入れはないんだけど、この怪談モノは面白そうだなー。おどろおどろしい話というより、奇妙な話という雰囲気だったのも良かったのかも。

そういや買ったまんまで積ん読状態の『耳袋』と、この江戸怪談はどういう関係にあるんだろ。『耳袋』自体は怪談モノではなく、お侍さんが公務の間に聞いた話をまとめたものだから、逸話を集めた体裁。

その中にちょこちょこ幻想怪奇と言えなくもない話もあったので、そういうのも選ばれてたりするのかな。怪談は上田秋成もやってるし、どういう編集方針なのかに興味しんしん。

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# by ulyssesjoycean | 2017-09-17 12:00 | Comments(0)

2017は赤さんマンガ大豊作! 吉川景都さんの『子育てビフォーアフター』が面白い!

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(買って大正解! 吉川景都さんの『こそだてビフォーアフター』。それまでと180度違う行動を取ってしまう著者自身の冷静なツッコミに笑う。購入してから再三再読してるなー。)

とよ田みのるさんのツイッターで紹介されていた吉川景都さん。ザクザクッとした絵柄が気になっていたので単行本化を機に購入。見事にハマった(^∇^)

「それはしないでしょ」と思ってた作者の吉川さん自身が自分のヘンボーぶりに驚きつつ、でもそれを楽しんでる雰囲気が大変すばらしい。

そういやとよ田みのるさんの『最近の赤さん』(現在は成長に伴い「娘さん」に進化)、じゃんぽ〜る西さんの『モンプチ  嫁はフランス人』、そして吉川景都さんの『こそだビフォーアフター』で、なんか赤さんモノをやたら愛読。

愛読もそうだし再読という意味でもそう。赤さんや幼児さんの行動は「へえ」と思う話もあるし、何より自分が3歳以下の頃のことは自覚記憶ないから、「自分はどうだったのかな」というキョーミもある。

でもこれだけ愛読するということは、なんか三作品に「共通した何か」があるんじゃないかな?と考えてしまう。だって赤さんモノなら何でも読むわけじゃないから( ´ ▽ ` )ノ

それで1つ思ったのは「〜〜でなければいけない」「〜〜すべきである」みたいな、価値観の押しつけがないところかな。

近年、ピコピコ系が身近になったことで、インターフェースやUXから捉える心理学がちょっとしたブームになってるけど、なんでもコアになるのは「メタ認知」みたい。

「自分がやってることを自分で意識できる」というのがメタ認知だそうな。これがオレ様ちゃん的な過剰評価でもいけないし、どうせいいんだ的な過小評価でもよくないそう。主観と客観のブレが少ない正確性が大事なんだとか。

自分の場合、愛読するマンガ家さんと言えば石黒正数さんや森薫さんなど。その他の作家さんでもインテリジェンスある人がイイナーと思っていて、その特徴が「押しつけがましくない」かもしれない。

とよ田みのるさん、じゃんぽ〜る西さん、今回の吉川景都さんしかり、そりゃ赤さんと対峙するのは大変な時もあるだろうけど、「その大変な自分を客観視できる」だけのインテリジェンスが共通項かな。

先日、ふとした弾みで数学者の岡潔さんの本を読んだけれど、この人は例えるのがうまい。「自分の胃が痛くてたまらない」という状態が続くと、「自分」と「たまらない」だけしか考えられなくなる由。

で、世の大半はそうである、と話が進んでいくんだけど、それは言ってみればメタ認知が全然ないってことだろう。岡潔さんが文章を集中的に発表してらしたのは1950〜60年代だから、「メタ認知」って言葉はまだなかったろう。あったとしてもメジャーではないはず。

そうすると、赤さんマンガで愛読する・しないの差があるのは、その辺かなー。「大変だ大変だ」でストップするか、「あ、いま自分は『大変だ大変だ』と思ってるな」と思えるかどうか。ややこしい文章だな、これ^_^

でも結局、「押しつけがましくない」というのは、そういう「大変な自分を意識できるスペース」があるからかも。

ーーなんだかやけに小難しい話になったけど、吉川景都さんほか、とよ田みのるさんの作品もじゃんぽ〜る西さんの作品も読めば面白いので、この三作品はオススメです( ´ ▽ ` )ノ

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# by ulyssesjoycean | 2017-09-15 12:00 | Comments(0)