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法哲学のヒュームさん? Robert Nozick

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(脳内Googleに一度もヒットしない人名として、異色の法哲学者Robert Nozickを知る。モーゲンベッサーといい、法哲学にはとんがった人がたまに現れるんだなー)

最近は経済と哲学が一番学んでいて面白い分野になったけれど、Nozick、誰それ?と。その人名を全く耳にした覚えがない。

フツー、どんだけマイナーでも「なーんか見覚えがある」くらいはあっていいはず。法哲学に馴染みないせいもあるだろうけど、それにしてもノーマークだった。

モーゲンベッサーという反骨の法哲学者がいたのは知っていて、また実際にしょうもないことばかり言っていた喰えないジジイだったそう( ´ ▽ ` )ノ

なにしろユダヤ人に生まれてユダヤ教のラビを目指したものの、信仰を棄てて哲学者になったというから筋金入り。これは侮れないジジイだ!的な(^∇^)

晩年は難病を患い、「神はなぜこれほどまでに私を苦しめるのか。信じていないからか」と発言したそう。

こういう愛嬌のある爺さんが昔から好きなのでスパーンと脳みそにインプットされたけど、本題のRobertさんは残念ながら存じ上げない。

ところがそういう人に限って面白そうなことを言ってたりする。アナーキズムまで行かない最小国家というものを考えたそう。

で、見ていくとNozickさん、個人はみんな違うだろ、というのを軸にして話を展開してる雰囲気。

寅さんじゃないけど、この世に自分と同じ人はいない。みんなそうである。で、個人個人が全く違う人間なのに、一律に「平等」を押しつけるのは実態に即してない、云々。

それでつい、「法哲学のデイヴィッド・ヒュームみたいだな」と。ヒュームさんは因果関係なんてない、あるのは経験だけだとバッサリ。

実際、石ころにしても太陽にしても、「昨日と同じ」石ころや太陽ではない。1日ぶん時間が経過してる。

今までそうだったからと言って、なんで次も同じことが起こると断言できるのかーーといったことをヒュームさんは主張していて、詳しくは中公クラシックスの『人性論』をお読みいただきたい。

人間にしたって、年齢性別身長体重生育環境、漢字ばっかりになってしまったけど、実際ふたりと同じ人はいない。

それなのに、平均や基準値といったものを判断のモノサシにするのはおかしかないかとヒュームさんに言われれば、たしかにそうだなぁと。

敬愛するバーバラ・スタフォード先生は、何もかも違っているからこそ人間は類似に目を向けるノダと、さらに気の利いたことを言っていてなるほどと思わされる。

ただヒュームさんの指摘で、ケーニヒスベルクでよく散歩してた人が大きなショックを受けたり、そういう「攪拌作用」があるのかも。

で、くだんのNozickさんも、最初からそういう効果を狙ってた雰囲気。あえて極端な例を持ち出したり、かと思えばカンタンに否定はできない議論をしたりと、とかく厄介。

ヒュームさんも、こんなこと言ったら大変なことになるなとわかっていながら、やらずにいられないあたりに感動を覚える。

実際のヒュームさんは大変気さくな人柄で、案の定Atheistとレッテル貼られてしまったけど、Atheistと罵っていた友人のお母さんがヒュームに会ったら、「あのヒュームさんだったらいつでも家にお呼びなさいな」と言うくらい、人間味ある人だったそう。

だから、という論法もオカシイんだけど、Nozickさんはどんな人だったのかなーと興味を持ってしまう。たいへん精悍な面差しで、好感を持ってしまった面も(^∇^)

ヒドイ話で、ハイデガーは「顔が好きになれない」という一点からスルーしてるので、それを思うとNozickさんが余計気になる。

関心の順番で言うと、経済(ものを買ったり売ったり) → 哲学(考えるってなんだろく) → 政治(人が3人以上集まった時にどうしよう) → 最後に法律なので、気が向いた時に確認するようにしたいです( ´ ▽ ` )ノ
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# by ulyssesjoycean | 2017-08-20 12:00 | Comments(0)

「マタイ効果」の出典は砂を噛むような文面でした( ´ ▽ ` )ノ

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(好奇心の話から興味を持った「マタイ効果」ーー持つ者はもっと持つようになり、持たない者は持っているものまで取り上げられるーー新約聖書に出てくるこの話が、知識についても言えるよ、と。ところが聖書じゃない方の出典を見つけるのが一苦労)

『子どもは40000回質問する』で紹介されてた「マタイ効果」。知識がたくさんある人ほど新しい知識を蓄えやすく、知識が少ない人ほど新しい知識を取り入れるのに苦労する。

フムフム、と興味を持ったのはいいけど、社会学者の「だれが」提唱したんかな、と気になってしまう。注釈を見落としたのかどうなのか、ハッキリしたことは書かれてなかった。

この後に数段階調べる手間があるのだけど、そこはえいやっと端折ってしまい、結論から言うとロバート・K・マートン(Robert K Merton)という人の説らしい。

ロバートという名前がありふれている上に、金融の方でロバート・「C」・マートンがいるのだからやりきれない。

結果、Kの方のロバートさんの「マタイ効果」の論文を読んだけれど、あれ、想像してたのとだいぶ違う。

好奇心の話では長期記憶の「量」に重点があったけど、出典のマートンさんの論文では「知名度」がメインの話題。

ノーベル賞の受賞者が主な話題で、要するに「有名な人の名前が目につくと、他のさして有名でない人の名前は印象に残らない」と、まずはそんな内容。

出典は1968年1月の『SCIENCE』誌, 159号に掲載。ありがたいことにPDFがネットにアップされてるのでよほど物好きな人は一読されるといいかも。

ちょうど50年前の発表だから、その間に話の中身が知識量の方にスライドしていったのかね。何にしてもオリジナルを訪ねると意外なことが分かるのでオモシロイ。

しかし今回、ロバートさんの文章を初めて読んだけれど、論文という体裁を割り引くにしても、砂を噛むような文面だなぁ。

邦訳書も眺めてみたけど、理路整然としすぎてて読む上での「楽しみ」があんま感じられない。中身は大事なこと言ってる、という気は常にする。

翻訳だからなのかな、と思ったけど、オリジナルの英文を読んでもおんなじ印象だった( ´ ▽ ` )ノ。ひたすら淡々としてる文面。

マタイ効果という印象的な名前の割に、出典がどこいらなのかあまり聞かないのは、そっけない文章に由来してるのかも。気が済んだので、まず良しとしたい(^∇^)

*下記リンクからRobert K. MertonさんのMatthew Effect論文が読めます。

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# by ulyssesjoycean | 2017-08-16 18:00 | Comments(0)

ベジタリアンフードで「うまみ」をどう出す?

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(自分の周辺にもベジタリアンがポツポツと。グルメ系のマンガも一回りして「胃弱メシ」が登場したけど、そのうち「ベジ飯」なんてのが出るのかね。知らないだけでもうあるのかも( ´ ▽ ` )ノ )

ベジタリアンにも色々あるらしく、肉や魚は食べないけれど玉子とチーズはOKとか、もっとずっと厳格なヴィーガンとか。ジョブズの伝記を読んでたら、やたらとVeganというのが出てくるので何かと思ったら、そのことだったりする。

周辺にもベジタリアンの友人知人がポツポツいるので関心持つようになったんだけど、料理する場合、野菜食で「うまみ」はどうしてるのかな。

食感を「別な食材で似せる」のは、そんなに難しくない気がする。でも肉や魚を使わずに「うまみ」をどうコントロールするんだろう。

和食の「合わせだし」とかフランス料理の「フォン」など、肉や魚と植物性のダシを組み合わせることで「うまみ成分」が倍加するそうな。

自分で料理を作っていても、肉や魚を使わないと、この「うまみ」の部分で何か物足りない感触ある。香味野菜だけではさすがに、というのがこれまでの実感。

ベジタリアン食ではその辺、どうしてるんだろう。以前、東南アジアでは調理に不可欠な化学調味料が、生成段階で豚肉のエキス的なモノを含むとかで、現地のムスリムから大抗議。

食とタブーは深い関係にあるから、直接は使ってないから良いだろうとも言えない。それでつい、ベジタリアンフードでも「うまみ成分だけ動物性」なんてOKなのかな、とか考えてしまう。

しのごの言わずに、一度食べに行くのが良いんだろうけど、自分自身はベジタリアンでないので、それだけのために専門店に行くのもどうかなぁ、と(^∇^)

梅ぼしオニギリだって、言われてみれば野菜食ではあるから、そんなダシやうまみをどうの、という必要ないのかなー。
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# by ulyssesjoycean | 2017-08-15 18:00 | Comments(0)

「タカヤマ学」と「経済学」の相性の良さはなぜ?

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(「タカヤマ経済学派」をそれこそ勝手に自称してるけど、実際「ビジネスの世界」と高山宏御大のお仕事は親和性あるようだ。自分が経済学に興味を持ったのは、『エクスタシー』収録の種村季弘さんとの対談からだった気がする。)

タカヤマ学のエッセンスと経済の考え方は不思議と相性良いみたい。大妻女子大の理事長・花村さんも金融の世界が出自だし。山本貴光さんはそれとなく、棚橋弘季さんは確信的にタカヤマ学を活用なさっている。

さて自分はというと、具体的にタカヤマ学のあれ、というのでなく、「タカヤマ文化史を念頭に置いてると経済学の考え方がやけにわかりやすい」という印象。

何かあればOED、という姿勢は経済の世界でも強力。というより、むしろ使わないとソンなくらい。Investに投資の意味が出はじめたのは東インド会社からとか、法人を意味するCorporateも、そのほとんどの出典にヘンリー8世が絡んでる、とかとか。

近代風の会社法が成立したのも、なぜかピューリタン革命の主導者オリヴァー・クロムウェルの時代とか、どっかで聞いた文化史の人名がこれでもか、というくらい出てくる。

一方、なんでビジネスの世界とタカヤマ文化史が親和性高いのかな、と思ってきたけど、ようやく読了したロベルト・ベルガンディの『突破するデザイン』に、そのヒントらしきことが出てきた。

今は生産が消費を上回ってる状況だから、「安く・早く・たくさん」製品を作るのは強みにならない。むしろ製品やサービスに「質」が求められるようになってきた、と。

その「質」というのも、1年に1個しか作れません的な、労力をかけさえすれば良いというものじゃない。「深み」「深く考える」ことがバックボーンになると。

それが「教養」という言葉で表現されてたけど、要は「今あるものを、ちょっと違った角度から捉え直す」という、言うのはカンタンだけどやるのは相当むずかしいチャレンジになる。

そう言う時に、今あるものの「オリジナル」を「素朴な好奇心」から探っていく、さらにそれが「歴史ベース」でチャート化されてるタカヤマ文化史が役立つのかも。

好奇心の研究書を読んだら、新しい発想は「長期記憶に大量の情報を保有してる人にだけ訪れる」そうで、なんだか最近よく聞くピコピコ系の話とはまるで逆の結論。

タカヤマ文化史はヨーロッパを基準にしながら、知識の枝葉が伸びていく形だから、長期記憶は多方面にうわっと張り巡らされる。そうすると、多様な視点を求められるビジネスの世界に対応しやすいのかも。

ビジネスというと、即BMW的なアルファベットの何かを連想しちゃうけど、あまりにシステマチックになった結果、AさんもBさんもCさんも何だか同じような話ぶりだな、と思ってしまう面も。

超のつく高級セーターを作ってるイタリアのオジさんは、口を開けばヴォルテールとかマルクス・アウレリウスとか古典の話ばかり。しかも時間が1,000年単位。

もちろん、そんな古典はスラスラ読めるわけじゃないから、腰を据えて取り組んでるイタリアのオジさんとアルファベット的な世界では随分ちがうな、と感じてしまう。

くだんのベルガンディさんも「ソリューション」と「イノベーション」は両輪だと主張してやまないので、カタカナ的な世界と文化史的な射程の両方が自在に使えるといいんだろうなぁ、理想的には。

そんな次第で、「意味のイノベーション」が求められる領域でタカヤマ学が活用されるのは、そんな背景があるのかな?と思った次第。

あとはなぜかタカヤマ学とピコピコ系が相性良いのかは、次の謎として取り組みたいと思います( ´ ▽ ` )ノ
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# by ulyssesjoycean | 2017-08-10 21:18 | Comments(0)

『フランス人ママ記者〜』の続編!『不便でも気にしないフランス人ーー』

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(立ち読みしたら、旦那さまとお子さんへの深い愛情にホロっときて思わず購入した、カリン・西・プペさんの『フランス人ママ記者、東京で子育てする』。その続編として、『不便でも気にしないフランス人、便利なのに不安な日本人』という、タイトルがさらに長くなって第2弾が出版されるみたい( ´ ▽ ` )ノ 大和書房から税込1,512円で、8/23発売予定)

マンガ家しゃんぽ〜る西さんの奥様であり、通信社で働くジャーナリストのカリンさんが、新著を出されるようだ。

前作は「どれどれ」と思って立ち読みしたら不覚にも落涙。即座に購入を決めた珍しいケース。

マジメな話以外にも、フランスの「おばあちゃんの知恵」(お腹を壊したときはバナナ)的なエピソードや、フランスの離乳食として「アッシュ・パルマンティエ」という、コロッケの中身にチーズをかけて焼いた料理のことを知れたのが良かった。

*その後、自分でアッシュ・パルマンティエを作ってみたけれど、素朴な味わいで悪くなかった(^∇^)

旦那さまやお子さんへの愛情にグッと来るのも、日仏の比較文化論が地に足のついたものであるのも、著者のプペさんが「リスクを取った」からじゃないかなー。

今の経歴だけ見ると順風満帆なキャリアに思えるけど、母国での職を捨てて記者に転身、年単位で日本語を学習し、さらにその地で出産するなど、何をどう考えても「お手軽カンタン」な話ではない。

その上で、「自分にも弱点がある」とサラッと認めてらっしゃるあたりが、「絵空事」でない文化論や体験談に繋がってるんだろう。

最近よく思うんだけど、いくらお腹が減ってるからといって、コンビニでお金を払わずにオニギリを持ってったらそれは「ドロボー」と呼ばれる( ´ ▽ ` )ノ

そりゃ当たり前だろ、という気もするんだけど、「リスクを取らずにうまい結果だけ欲しい」というのも、上の「コンビニおにぎり理論」と同じじゃないのかな、なんて。

実際、プペさんもその時々で相当の覚悟をもって実行し、アレコレあっても最後の最後には「生来の楽天主義」が打ち勝つというのだから、別な世界でもうまくいったんじゃないかな、と思う。

なんだっけ? パスツールさんが「チャンスは準備の整っているものにだけ訪れる」と言ったそうな。「リスクを取る」というのも、ただムチャクチャをやる、という意味ではないし。

最近は「好奇心」を色々調べてるから、その兼ね合いで興味深い。新著ではどんな話なのかな。あと地味に、旦那さまであるじゃんぽ〜る西さんの「お子さん絵」が楽しみでもある(^∇^)

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# by ulyssesjoycean | 2017-08-09 12:00 | Comments(0)

「学びなおし」はUnlearnと言うそう 「好奇心」のアレコレ

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人が作った脳みそ的な何かの話をよく耳にするけど、ビジネスの本質に迫ろうという人たちの研究に触れると、これから必要なのは「属人的な要素(≒他の人では代わりができない部分)」「教養ベースの豊富な知識(≒美術や音楽を含めた古典の素養)」「批評的な精神(≒自分の頭で整理整頓する意識)」と言われてる様子。好奇心がそのカギだというのが『子どもは40000回質問する』かも。光文社から税込1,944円で発売中)

最近は「記憶」についてよく考えるけど、「何かをおぼえる」ためには、「それとは直接カンケーのない沢山の知識」を持ってた方がスムーズに行くみたい。

記憶は「なんもないところに無理やり移植する」ように思いがちだけど、「すでに持っている知識と、新しく入ってきた知識を結びつける」ことみたい。

「次の日にはキレイさっぱり忘れてしまう」のは、既存の知識とつながってないからで、そりゃ忘れる方が普通と。

だからそもそもヘンな話なんだな。「余計なことをたくさん知っている人ほど、新しい分野を軽々と身につける」というんだから。

好奇心も研究してみると、「安心感」がキーフレーズになってた。野生のシマウマ的な環境では、まず外敵から身を守ることが最優先になるので、知らないことを探索するような余力は残ってない由。

またその一方で、豊富な知識があるのはいいとしても、それを「一度ほぐす」のは相当大変みたい。

自分の場合、フランス語は力づくで覚えたので、「人と話す」「話したことを聴き取る」段階でこの「一度ほぐす」をやる必要があり、メチャメチャ大変だった。

こんなことなら、最初から発音とかヒアリングも含めてやっておくんだったと大後悔。

日本語の古文なんか、超ニガテ科目だったぶん、ゼロから基本を学び直せたので、むしろ今はリラックスして読めるようになったくらい。聞く話すはそもそも要らないし(^∇^)

ビジネスの世界でも、「一度うまくいった」人の方が、それまでのやり方を「ほぐす」のは大変みたい。そりゃそうなんだな、「だってこのやり方でうまくいった」というのを、その人は知ってるんだから。

映画監督の押井守さんも、奇抜な作風だけどそれなりにヒットして、『天使のたまご』でビジネス的にはガクーンというタイミングが。

監督としては「会心の出来」だったのに、なにがいけなかったんだろうーーと試行錯誤。『パトレイバー』シリーズで「レイアウトシステム」を発明し、コンスタントに仕事ができるようになったそうな。

奇抜な作風を捨てる必要はない、自分のテーマも果たし、スタッフや会社も満足しつつやっていけるのが「レイアウトシステム」の由。それを聞いてフームと思ったな。

自分の持ってる方法論を一度ほぐすのを「Unlearn」と言うそうだけど、そうすると以前のやり方がより強固になるのかも。

自分の場合、ギターの腕前はこれ以上あがらなそうだ、なんかいつも同じ手癖で弾いてる気がする、というので、Devin Townsendさんの「オープンCチューニング」を取り入れた。

チューニングを丸ごと変えちゃえば、新しい楽器を始めるのと殆ど一緒。そしたらまたギターが好きになったので、「それはUnlearnと言うのだ」とあちらの友だちに教えてもらった格好。

グングン伸びてる時は楽しいけど、そのペースがずっと続くわけじゃないからなぁ。そうするとつまんなくなるので、じゃ別なことやってみよ、とそのくらいの意識ではあるのだけど。

チクセントミハイさんの『ものの意味』を読んだら、「生産的な活動(≒何らかの学習行為)にたずさわっているか」が話のキモだったので、Unlearnもそういうことかいな、なんて。

なんかどうも、「学習」とか「記憶」というのの意味合いが人によって違う気がしてしょーがないんだけど、そのあたり、「好奇心」を追っかけてたら何か分かんないかなーと。

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# by ulyssesjoycean | 2017-08-05 13:04 | Comments(0)

これぞアンチノミー! ロベルト・ベルガンディ『突破するデザイン』

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(デザイン思考、人間中心設計、PDCAサイクル、リーン開発エトセトラ…それに対して「いやいや、そればっかりじゃないでしょう」というスタンスのデザイン本が登場してきた。ロベルト・ベルガンディさんの『突破するデザイン』は日経BPより税抜き2,000円で発売中)

以前から尊敬してやまない、フランスの経済学者(でいいのかな?)ピエール・ジョセフ・プルードン。マルクスからはクソミソに言われていたけど、いやいや、プルードンさんは大変立派な仕事をされてると思う。

プルードンさんは自分のテーマに「アンチノミー」を据えていた。鉄道が出来たらそれ以前の物流が大打撃を受けるが、それは致し方ない、その鉄道だって次の技術に乗り越えられるのだからーー

そんな次第で、ぶつかり合うことを避けるのでなく、対になって衝突する「アンチノミー」を次々やっていくことこそ人間の生き方である、云々。そんなことを言ってた気がする(^∇^)

それで言うと、デザイン思考や人間中心設計がぐわっと前面に出てきた以上、「いや、そればっかじゃないだろう」というアンチノミーが出てくる。また、出てきた方が良い、というのがプルードン思考( ´ ▽ ` )ノ

まだ読み始めたばかりだけど、アンチノミーたるベルガンディさん、かなり挑戦的な書きぶり。堂々と「PDCAに物申す」と言った雰囲気。

でもちょっと頭をよぎったのは、ベルガンディさん自身、ひょっとして以前は「PDCAサイクル信奉者」だったのかな。そういうことはよくあるから。

製品デザイン研究に新風吹き込んだドナルド・ノーマンさんも、もともとはバリバリの技術者で、「人間(ユーザー)さえいなければうまくいくのに」と批判ばかりしまくっていたそうな。

一時期その考えにドップリだったからこそ、「そればっかりじゃいけない」と反省、それを乗り越えるアンチノミーに向かう面もあるじゃなかろうか。いや、単なる想像なんだけど(^∇^)

原著はMIT Pressだけど、ロベルト、という名前から分かるようにヨーロッパの方のようだ。そういったバックグラウンドがアメリカ西海岸中心の志向に対して「引いた目」を持ってるのかも。

自分としてはデザイン思考や人間中心設計の考え方にも影響は受けてるんだけど(こういうものはアジャイル開発がいいのかな、とかとか)、一方で「どんな時でも万事オーケー」なものではないだろうなぁ、と。

大事なのは、こういうモノの時は「デザイン思考」、こういうモノの時は「意味のイノベーション」みたいに、使い分けができるといいことかな。

いま再読してる『子どもは40000回質問する』でも、「何を質問するか」は人間が頭を使ってやることじゃないの?という問いかけがなされてる。

自分みたいに「意地でも検索しない」というのもどうかと思うので( ´ ▽ ` )ノ、その辺りの切り分けかなぁ。理由が「意地」では仕方ないもの。

そんな次第で、プルードンさん流のアンチノミーが出てきたから、こっから先はヘーゲルさん的なジンテーゼ(統合)が目指すことかもなー。正・反・合!

超どうでもいいけど、アンチノミーとかジンテーゼって、戦隊ヒーローみたいな響き(^∇^)。「哲学戦隊ジンテーゼ!」とか、「悪の首領アンチノミー」とか、全然おかしくない。
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# by ulyssesjoycean | 2017-08-04 12:00 | Comments(0)

「本がオモシロイ」&「ディスレクシア」は表裏一体な気が

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(「本ってオモシロイな、でもなんでオモシロイと感じるんだろう?」とやたら根源的なことを感じてしまった。肩コリに困りつつも、多少の抜けはありつつも、飽きずに読んでるわけだからなー。一方また、自分は幸運にも活字の世界に入っていけたけど、文字が読み取りにくい識字障害「ディスレクシア」にも深い関心持つようになった。「自分は読めるからいいや」というのはイカン気がする。)

ロシアの天才言語学者ヴィゴツキーを耽読して、「書き言葉は話し言葉と全く逆コースで覚えるもの」というので膝を打った。

赤さんは意思表示しないと生きていけないので、「話し言葉」は生存に不可欠。一方で「書き言葉」は「音声を伴わない」し、色んな面で二次的なものなんだとか。突き詰めると「なくても生きていける」。

書き言葉は話し言葉の逆コースを辿るそうで、まず抽象的な知識を増やし、ルールや使い方を覚えた末に、やっと「日常レベル」になるそうな。外国語がその例に挙げられてたけど、全くその通りだなーと。

本を読むというのも、楽しみになる人と苦痛になる人がいて、それがなんでなのか、ということに興味を持たざる得ない。

その延長なのかどうなのか、「ディスレクシア」というのがあるとわかったのは大きかったなー。

クリント・イーストウッドが、もともと左利きだったのを右手で書くように矯正されたら、一時期この識字障害になったとかで、脳の機能に関わってるのかな?

でもこの「障害」っていうのは言葉として重いよなーと。英語で確認したらDisorderだから、「整理がつかない」とかそんなニュアンスではなかろうか。

実際、その辺をかんがみて「LD(Learning Disorder」と表記してるのも多い。「障害」よりはよほどいいと思うんだけど。

だいたい「文字を読み取る」ってへんな行為だもんな。紙の上のインクの染みを「言葉」として認識するわけだから、「書き言葉」に馴染めないのもそう考えると当たり前なような。

また書き言葉の処理のメンドイところは、自分のやり方と人のやり方が同じかどうか確かめられないところかな。運動やエクササイズみたいに「動きを見ながら指導」はできないし。

そんなこんなで、最近はディスレクシアとか書き言葉に興味がある。キチンと研究してる人の話を聞いたらオモシロイしためになる気がするのだけど。

そういや最近はタブレット上で色んなガイドラインを作ってくれる試みもあるとか。ハイライトとか読み上げ機能とか、そういう形でピコピコが持ち込まれるのは喜ばしいことだと思う^_^

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# by ulyssesjoycean | 2017-07-31 12:00 | Comments(0)

『ルパン3世』的な、いまどきのチーム的な

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(カッコいい横文字の説明より、「ルパン3世みたいな感じ」という方が分かりやすい、なんて。「仕事か、ルパン」と言って次元や五右衛門が集まる感じを「チーム論」にまとめたら結構オモシロイんじゃないだろうか。)

「3人寄れば文殊の知恵」というコトワザあるけれど、むしろ「人が増えると切り盛りがタイヘン」という方が実情に即してる気がする。

プラトンさんあたりが「政治」と古代ギリシャ語で唱えているのも、内実、「3人以上のときにどうやってくか」な気がしてならない。

ポリティコンとか言うんだっけ? たしかpoliticsの語源は「スベスベしている、滑らかである」だったような記憶が。

裏返せば、人が増えると滑らかには行かないから、そこを何とかしよう、という必要性はいつの時代もあったんじゃないかなー。現代については、プラトン読まなくても実例がいっぱいだよ!と言われる気がする( ´ ▽ ` )ノ

後は完全に逆の発想で、「常時集まらない」という手もあるかもしれない。ルパンたちがすったもんだあっても何となく続いているのは、「仕事の時だけ集まるから」だ、という見方も。

最近は自然科学の方面を学んでもいるけど、サイエンスの素晴らしいところは「一般性」があるところだろうなぁ。西田幾多郎先生も言うように、色々と限定した上だけれど。

ところがことニンゲンの場合、ヒュームさんを持ち出すまでもなく、同じ人が1人といないあたりに「学」を打ち立てるのが難しい面あるのでは。

実(体)験を踏まえて、次はこうしよう!と思っても、相手がヒトだからなぁ。決まり切った理屈を持ちようがない。

自分の中では、「プッシュ型」「プル型」という考え方はどうかな?と思ってるけど、まだ丸っ切り整理ついてないので、少しまとまったらまたブログで書いてみよう。

もっとも、プラトンさんよろしく「アレはどうなった」というまんまほっとかれてるテーマも沢山あるので、どうなることやら( ´ ▽ ` )ノ
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# by ulyssesjoycean | 2017-07-29 12:00 | Comments(0)

九井諒子さんの『ダンジョン飯 5巻』は8/10発売予定!

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(連載の第1回から連載誌ハルタをスクラップしたという、よくわからない誇りを持って接してきた九井諒子さんの『ダンジョン飯』。『ヒナまつり』もそうだけど、「この人がギャグマンガ?!」というほうがうまくいくような。緒方浪子さんの『モテ考』もそうだけど、笑いの部分で花開くという書き手は多いのかも。ダンジョン飯5巻は8/10発売予定)

端正かつシリアスな作風と思っていた九井諒子さんが、まさかの大ヒットになるのだから世の中はわからない。

絵が上手い、なにかセンスを感じる、という書き手が、実は「ギャグが得意」というケースはあるのかもしれないナー。

九井諒子さんの笑いのツボは絶妙な「出オチ」にあると(勝手に)感じているけど、それこそ『ハルタ』、その前の『フェローズ』で硬派な作品を発表してる時は予想もしなかった展開。

しかしこの人、画材はいったい何を使ってるんだろう。同じ連載誌の森薫さんがカブラペンとか、絶妙に強弱ある線画だけど、九井諒子さんの絵柄は線の太さが常に一定。

アチラの友人(絵描き)に自筆のスケッチ画を見せたりすると、「これ『何で』描いたの? 筆?」という話に必ずなるので、「どんなツールを使ってるか」は大事なことなのかも。

そりゃそうなんだな、絵を描くことは視覚や認知の世界でもあるけど、メチエ(手わざ)でもあるわけだから。

画材もそうだけど、「人の顔をどこから描き始めるか」も個人差大きいみたい。自分の場合、目、眉、鼻、口、耳、前髪、輪郭、頭髪全体、首筋、衣服、という順序なので。

九井諒子さんがどんな風にして絵を描いてるか見てみたいなー。フルデジタルだったりするのか? 案外。
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# by ulyssesjoycean | 2017-07-26 12:00 | Comments(0)