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コグニティブ・トレーニング略して「コグトレ」! メタ認知習得のカギはもしかしてココにあるのか?∑(゚Д゚)

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最近は「学習障害」「発達障害」に強いキョーミが。前々からあったんだけど、なにかのカギが隠れてる気がする、という感じ。

学習障害とか発達障害とかいうと、その言葉付きがよくないから、もともとの英語であるLearning DisorderをつづめてLDと呼ぶ人も。Disorderは「orderがメチャメチャ」くらいの意味だから、「学習うまくいかなーい」とか。

それでいうと、人工のナントカーの研究をしてる新井ナントカー先生の本に、教科書が読めないChildrenという話が。

あとは何の新書で読んだか定かでないけど、そこにもLDの話が。つまりは幾つかの経路を通って行ったら、「学習うまくいかなーい」が共通してるんだ、と見えてきた。

で、今回、ケーキが三等分に出来ないとかいう新書を眺めたら、「コグトレ」という話が見つかる。

コグトレ、コグニティブ・トレーニングCognitive Trainingの略だそうで、図形を模写したり、画像の一致点を探したり、読み上げた文章の中にキーワードが出てきたら手を叩く、なんていう認知把握を訓練するものらしい。

モノは試しと「8つのイラストの中で、全く同じものが2つあります」という、言わば「間違い探しの発展版」をやってみたんだけど、これがけっこう難しい(^∇^)。ペンでメモでもしないと、相当タイヘンな内容。

これやって思ったんだけど、コグトレは「オプトアウトOpt-out」方式にして取り入れた方がいいんでは、と。

現状では「学習うまくいかなーい」が見られるChildrenに対して実施するわけだけど、これを逆にする発想。つまり「全員コグトレやって、必要な人だけ継続的にトレーニング」するという。

行動経済学では、こういう意思決定とかやる/やらないを「希望した人だけやる形式」にすると、「希望する」を選ぶ人が極端に少なくなる。この形式がオプトイン。

開始段階から「全員加入」にしておいて、「希望した人だけ外れる」ようにすると。こっちの方がニンゲーンの認識には合ってるそうな。で、こういうのを「オプトアウト」と呼ぶんだって。

その考えを応用すると

(1) 参加者全員がコグトレをやる
→必要な人はコグトレを継続
→必要なくなったら次のフェーズへ
(2) 読む力を測るリーディングスキルテストRSTへ
→必要な人はRSTを継続
→必要なくなったら次のフェーズへ
(3) 学習に必要なメタ認知の習得へ

みたいにすると、「これぐらいはさすがにできるだろう」といった思い込みから生じるミスマッチを減らせるんじゃないかと思うんだけど。

よくよく考えてみると、自分の場合、外国語は7つも8つもやったけど、数学はStandard Deviationがイグアスの滝なみの急降下で、見た人が笑うくらい。言ってみればアレもLDではないのか。

自分でピコピコに真剣に取り組んで分かったけど、苦手な人には「それ専用の学習法」が必要なんだな。得意な人のやり方をトレースしても、ダメとは言わないけど、得るモノは相当少ない。

ところが得意な人は「なんか出来てしまう」ので、苦手な人の目線に立つことはどうやっても出来ない。生魚がニガテ人が、いくら寿司のおいしさを力説されたところで、その嗜好が変わるわけではないからなぁ。

学習法は全てこの調子で、ニガテな人こそ自分に合った学習法を見つけたいんだけど、トクイな人が記した学習法しか見つからないというジレンマが。

もちろんトクイな人は、ニガテな人の視点に立つことがそもそも不可能なので、自分の視点から学習法を提供するほかにやりようがない。

そういったことを日々考えてたので、コグトレは何か大きなヒントを与えてくれそうだなー。そのためにはまず一冊あがなって、自分で全ページをやってみないとな(^∇^)

よくある話だけど、TOのつく外国語のモンダイ、受けろ受けろという人が実はTOのつくモンダイを一度も受けてなかったりする(´∀`)

それでいうと、コグトレをやってみると、自分のどの辺にニガテポイントがあるかも分かって、身になりそうな気がするんだけど。

自分が数学まるで出来なかった理由が、「数学の記号が音読できないこと」にあると分かった時はビックリしたけど、それと同じようなことが、外国語の学習で苦労する人にもあると思うんだけど、どうだろうか。

それこそいまStatisticsをやってるから、ブンケー/リケーという分け方にも、何か統計的に意味のある偏りが出たら画期的だと思ったりして。

ということで、まずはこのコグトレを一冊やってみたいと思います( ´ ▽ ` )ノ


# by ulyssesjoycean | 2019-10-23 18:26 | Comments(0)

嫌われものの「ブンシコーブン」をアルゴリズム風に表現してみた(´∀`) 自然言語も「細分化」できないかな?の話

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(「日本語で表現できれば、それをマシーン用に書き直すのは難しくない」と教えてくれた、山本貴光さんの『世界が変わるプログラム入門』。ここから自分のピコピコ道がスタートしたけど、この新書を最初に読んだときは、これまで全くやったことないものの考え方ばかりで七転八倒。新書一冊に1ヶ月かかるという異例の事態。それくらい「異質なもの」だったんだなぁ。『世界変わる〜』はちくまプリマー新書から税込902円で発売中)

このところピコピコ道に深入りする関係で、あらためて「トクイな人のやり方はニガテな人の助けにはならない」と痛感しきり。

結果、「自分向きの学習法」をゼロから組み立てたわけだけど、これ、自然言語についても全く同じ気がする。

そのことで先日パッと思いついたのは、「自然言語の処理手順を、ピコピコ風に表現すればいいのか?」ということ。

Grammar方面でとかく嫌われがちな、ブンシがどーしたというアレ。アレもピコピコ命令文風にしようとすれば、できないことはないーー

というか、一見メンドイGrammarほど「例外が少ない」ので、ピコピコ風に表現できるかもしれない。

ためしにブンシがどーしたというのをピコピコ風に書くと、処理手順はこんな感じか:

//participal constructionの処理手順


0. [文章]は[Conj, S(a), Verb1, Object1, S(b), Verb2, Object2]である


1. [文章]の中に’Conj’が含まれているか? (YES / NO

    2.「YES」の場合、’Conj’を[文章]から削除せよ

    3. NO」の場合、操作を終了せよ(計算終了)


4. [文章]の中のS(a)S(b)は同じものか? (YES / NO

    5.「YES」の場合、S(a)を削除せよ

    6. NO」の場合、次の命令に進め


7. Verb1はVerb2と同じtenseか? (YES / NO

    8. YES」の場合、次の命令へ進め

    9. NO」の場合、Verb1の前に「having」を足せ

    10. NO」の場合、 Verb1の後ろに「ed」を足せ


11.使う[文章]を呼び出せ


インチキ「毒蛇」風に「歯噛み」を入れて書いてみた次第。


自分も自然言語について説明するとき、どーしても「ニュアンス」とか「文脈」か「全体の整合性」みたいな観点を重く考えちゃう。


でも自分のピコピコ道修行で言えば、こーいう「もともとその道がトクイな人の説明」は、ほとんど理解を助けてくれない。


なので、「自然言語キツイわー」という人には、ニュアンスとか文脈とか全体の整合性を丸っ切り抜きにして、ピコピコ命令文風に「処理手順」を細かく見せるのはどうだろうか。


こういう処理手順は、作るのはメンドイけど、一度作ればナンボでも使いまわせるから、「例外の少ないGrammar」とかなら、ある程度はピコピコ風に表現できそう。Subjunctive Moodとか。


こういう「自然言語の処理手順」って、その道に深入りするほど自動化されちゃってるから、わざわざ細分化して考えてないところがある。


ところがリケー方面は、とにかく「細分化」が大事な分野なので、細分化して手順をチャート化すれば、リケー方面で自然言語にヒーヒー言ってる人の手助けにもなるんじゃないだろうか。


# by ulyssesjoycean | 2019-10-19 12:00 | Comments(0)

ヴェーバーさんに怒られるほど官僚主義的! 「ミチザネもつらいよ」な平安時代(´∀`)

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『おじゃる丸』ばりにミヤビな世界かと思ったら、実際にはバリバリの高級官僚の世界と分かった日本の平安時代。知らないことだらけなので大変に新鮮。

というのも、自分が古文を読み始めたのは5年10年くらい前かな? 古語の中には「漢字はいまと同じでも読み方が違うものがある」と気づき、その辺からキョーミが。

要は、古語を使えば言葉遊びのバリエーションが増えるんじゃないかという、超不純な動機。極端なことを言えば、古文そのものは読めなくてもいいや、なんて。

ところがどっこい、古語だけ集めようとしても前後関係があるから、語彙集めをするためにも古文が読めなくてはいけない。じゃ、古文もやり直そうと。

助動詞が分かるようになった頃合いから色々読み始めると、色々ヘコタレ気分も相まって、これがなかなかいい。『土佐日記』とか、しみじみとした哀感が表されてていいなという。

あと決定的だったのは『更科日記』で、まー当時の幼い子がおばあちゃんの話してくれた『源氏物語』の続きが知りたくて、なんていうイノセントな回想記にガッツリやられた次第。

当時のニポンジーンは「もののあはれ」こそ表現の対象だったというのもわかって納得できたので、古文の世界は雅やかな世界とばかり思ってたけど、先日の『兼好法師』から印象がガターンと変わる。

とにかく今の不動産業者より詳しいような土地取引の複雑な手続きがあるし、南北朝とか鎌倉の時代に土地登記もあったりして、その高度なシステムにまずビックリ。

あとは歌人として関心あった菅原道真さん、水底に月の光がどうした、というのが良い歌であるなぁと思ったら、この人、ケインズばりの高級官僚だったのね。

滝川幸司さんの中公新書読んだら、そのそも道真のおじさんは、ケインズばりの超のつく名門一家の秀才で、勤め先である当時の宮廷も高度な官僚システムで運営されてたみたい。

そりゃ雅やかな遊びもあるにはあったんだろうけど、マックス・ヴェーバーが見たら怒り出しそうな文書主義の世界。しかも当時は漢文による業務運営だから、道真さんは「漢学者」としてすごいエリートみたい。

こうしてみると、当時も今も「宮仕え」の世界はそう変化がないんだろうなと、フクザツな気分に。立身出世と栄枯盛衰が目まぐるしく、トーゼン、誹謗中傷にも事欠かない。

win-winな関係を構築することがマストですよね的な言葉遣いはどうかという話があるけど、当時の道真さんたちはオール漢文でやり取りしてたわけだから、今より極端な状況とも言える。

それにしても西暦で言えば800年の話。その時代にこんなに細かな法制度や行政システムが整えられてたの?ということに興味が尽きない。実際、道真さんが受けた官吏登用試験も、ビックリするくらいシステマチック。

もともとは古文の文学からスタートしたけど、むしろ社会制度とか法整備を見てった方が面白いんじゃないかと思わされる。

しばらくは古文の世界の社会制度を追っかけてみることにしよ。ただアレだなー、日本史に馴染みのないこちらとしては、今と違う漢字の読み方で綴られる人名を把握するのに一苦労。ま、そのうち馴染むだろう( ´ ▽ ` )ノ


# by ulyssesjoycean | 2019-10-13 12:00 | Comments(0)

漫☆画太郎先生の名言「まさに外道!」を思い出すキレッキレのギャグマンガ 『ちおちゃんの通学路』ヽ(´▽`)/

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(「完全にどうかしてる」(ホメ言葉)なマンガをツイッターで発信されてる、マンガ家のただたかさん。代表作の『ちおちゃんの通学路』は数年前にスマッシュヒットを飛ばし、アニメーション化もされたけれど、当時はスルーしてしまっていた。ごめんなさい。現在密林でKindle版が半額セール中につき、1巻は302円で読めるナリ)

一時期、チラシに掲載されている内容と現物があまりに違うとモンダイになったおせちの重箱。

ついそれを思い出してしまうこの『ちおちゃんの通学路』の表紙。この表紙から想像される中身は一切含まれていないゼロ果汁ぶり。まー、この2人のやりとりが何かとゲスい(´∀`)

でもギャグセンスがキレッキレなので、読んでると爆笑必至。絵柄もリアルにカッチリ書き込んであるので、時折はさみこまれる変顔に吹く。

それで思ったんだけど、作者の川崎直孝(ただたか)さんは、『無限の住人』の沙村広明さんのアシスタントとかだったのかな?

ザクザクって影の部分を線で入れてく書き方と、その上で立体的な人物像を見てると、「似てるなー」とハタ目には思うんだけど。

よくよく考えたら沙村広明さんもギャグセンスがこれまたどうかしてるし、そういう点でも影響あるような。でもまあ、沙村広明さんはアシスタントをほとんど使わないとも聞いたんだけど、関係ないんかな。

もちろん、直接の関係なくても影響をバリバリ受けるということは、石黒正数さんの大友克洋テイストを見ても頷けるので、あるっちゃあるんだけども。

とりあえずどうかしてるギャグセンス満載なので、ひさびさに全巻揃えなくてはと、半額のKindle読んで思ったのでした( ´ ▽ ` )ノ

*ただセール期間がいつまでだか知らないので、下のリンクから飛んでみても、タイミングによっては定価に戻ってるかも


# by ulyssesjoycean | 2019-10-11 12:00 | Comments(0)

柳瀬尚紀『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』の興奮ふたたび! 小川剛生『兼好法師 徒然草に記されなかった真実』!

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(「これはすごそうだ」と書評を読んで久々に読みたくなった一冊。でもマズイことに『徒然草』そのものがアンマナーな気分だったので、気がつくと出版からはや数年が経過。でも今回読んでみて良かった一冊。小川剛生『兼好法師』は中公新書から税込902円で発売中)

このところ外国語&ピコピコ系の学習でアタマがつかれたので、久々に日本語の人文系の本をと思って手に取ったのがコレ。小川剛生さんの『兼好法師』。

以前、なにかの書評欄で読んで、これはすごそうだぞと意気込んだものの、気がつく出版から2年が経過(*´ω`*)  申し訳なし。

読んでみたら、やはり「すごそうだ」の印象に誤りはなく、文学研究や文献考証はこんなことができるのかと目からウロコが落ちまくり。

何しろ「吉田兼好」というのは、後年、まるで関係ない吉田さんが立身出世の一念で、『徒然草』の作者を吉田家の家系図に組み入れちゃったというんだから驚き。

また、著者の小川さんはテクストクリチックでもあるけど、当時の身分制度や習慣、風俗に政治や法律、当時の全般的な知識を援用してキチッと考証を試みてるんだな。

自分が「古典って面白いな」と感じるようになったのは、ひとえに小西甚一さんの『古文の読解』(ちくま学芸文庫)のおかげだけど、そこでも「古文常識」がいかに重要かと述べられてたな。

というのも、古文に親しみなかった自分としては、なんか古文の世界は辛気臭いところがあり、そういう方面の内容はもう間に合ってます、という心理が働いていた。

ところが小西先生の解説を聞くと、つまり古典の時代の日本人は、文章に書いて表現する内容は「あはれ」の方に寄っていたと。嬉しいことなど、そりゃあったろうが、「表現の対象」にはならないんだって。

あとは京都の生活や建築様式をわかってることが読解の理解を助けるんだよ、と。でまた、小西甚一先生の原著が出た当時から、そういう古文の周辺知識の扱いはいかにもザツだったそう。

一番ヒドイ例として小西先生が挙げていたのが、『竹取物語』の話。最後に月の世界からかぐや姫を返してもらいにきたよー、というのがあるけど、その注釈がまるでデタラメだと。

かぐや姫を連れて行かれないように、じーさんばーさんが家の奥に押し込めたとあるけど、ムーン勢にはまるで無力、かぐや姫はスーッと外に出て行ってしまったとか。

で、小西先生の当時の注釈には、かぐや姫が通って行った室内様式は、何とかという立て板、つまり柵のような間仕切りとされてたけど、それは違うと。小西先生いわく、納戸のようなもので、ドア付きの家具だ、云々。

それについて小西先生が秀逸だったのは、フツーに読めばおかしいと分かるではないか、そんな柵をまたいで越えて行ったなんて、というくだりが。ドア的なものがパタンパタンパタンと開く方が、まあ自然だわな。

そんな例がメチャメチャ多いと小西先生は怒っていたけど、今回の小川さんの一著でも(やっと本筋に戻った^_^)、その手の身分や習慣が無視したことによる無理が多々あったそうな。

その解き明かす手さばきに感激して、読みながら思いだしたのは柳瀬尚紀さんの『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』(岩波新書)だったナー。

ここでAを使ってるのが、Bの布石だ、というのを綿密にやっていくので、スゴイ、文学の仕事でこんなこと出来るのだと感激した記憶が鮮明に。

小川さんの『兼好法師』はまさにそれを地でいく内容で、目が洗われる心地がしたなー。

あとはそれとの兼ね合いで思ったのは、『徒然草』当時の法律制度がメチャメチャ整理されてるということ。こんな高度な不動産取引があったのか、なんて。

身分制が強固だからこそ、その抜け道も数多くあったとわかったし、ある意味これは「文化史」の名著だなーと。

それでまあ、『徒然草』の作者がこういう人だったとわかった上で、あらためて『徒然草』を読んでみると、感じ方も変わるかもしれないな。

古文系では二大ニガテ作品が『徒然草』ともう一つ、『枕草子』なんだけど、あれももしかして、ちゃんと当時の時代風俗や作者の背景をケンキューすると、感じ方変わるかも。

とりあえず、『徒然草』は再読してみる気になったので、この機会にペラペラ眺めてみよっと( ´ ▽ ` )ノ

# by ulyssesjoycean | 2019-10-09 18:00 | Comments(0)

「これは名著!」という経済学の7冊をピックアップ! ベスト10までは思いつきませんでした(´∀`)

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(超のつく名門の家柄、オックスフォードの首席、イギリスの大蔵省には二位の成績で入省ーーなどなど、エリート街道まっしぐらな印象が強いケインズさん。でも実際、色々な経済学書で、必ず要所要所に登場するあたり、ただのヒネたエリートではなかった様子。あんまり気になるからその伝記でも読んでみるか)

このところワクワクして読み込むのが経済学の本ばかり。あとはそこに出てくる数学というわけで、ニンゲーン、変われば変わるもんだ。

じゃあ何が経済学のオモシロさなんだろう?と考えてみると、これは「身近にあるものが別の見え方をする」点が興味をそそるんじゃないかな。

というのも、モノを売ったり買ったりするのはニンゲーンにとって根源的な行動の割に、意識してやっているかというとそうでもない。

そんな次第で、紙幣が出来た理由とか、株式会社っていつからあるのかなど、経済学(史)を追っかけると色々と興味深い発見がある。

そんなこんなで、これまでに読んで、「これは面白かった!」というのをピックアップするのもいいかもしれない。ベストテンにしたかったけど、とりあえず思いついたのは7冊(^∇^)

1. バルザック『ゴプセック』(岩波文庫)

2. 佐藤亜紀『金の仔牛』(講談社)

3. 板谷敏彦『金融の世界史』(新潮選書)

4. ライアカット・アハメド、『世界恐慌』(筑摩選書)

5. ピーター・バーンスタイン、『リスク』(日経ビジネス人文庫)

6. 石野雄一『道具としてのファイナンス』(日本実業出版社)

7. David Rockefeller, Memoirs”(Random House)

上の7冊はどれも自信を持ってオススメできる経済関連の書籍。

1.2.は小説だけど、債鬼に追われて金融システムに詳しくなっちゃったバルザックさん。佐藤亜紀さんの小説はジョン・ローを取り扱うなど、目配りがスゴイ。小説としても無類のオモシロサ。

3.は金融の歴史をメソポタミア文明から説き起こす射程にビックリ。文化史が好きな人ならスッと入れる親しみやすい語り口で、1冊目にちょうどいいかも。

4.は、ここ10年間で読んだ経済学の書籍ではダントツのオモシロサ。世界銀行の総裁たちが金本位制を維持しようとした結果、大混乱に陥った様が描かれてるもの。これでケインズはスゴイ人なんだと得心。

5.はつい先日読み切ったばかりだけど、これはなかなかの名著という思い。サイコロゲームの確率が、なぜこんなに歴史的に新しい数学の分野なのか、という視点が新鮮。多人数の共訳のせいか、固有名詞に「おや?」という点があるのがちょっと惜しい。それ以外は文句なし!

6.は経済で使われる数学を平たく平たく扱ったもの。この本がキッカケで、経済学を起点に数学のやり直しがスタート。また実際、「やり直してみよう」と思わせる内容なんだな。

7.は超お金持ちの家系から、ニューヨークのチェイス銀行頭取を務めたデイヴィッド・ロックフェラーさんの回顧録。デイヴィッドさんは三代目にあたる方で、お父様との交流の部分は泣かせる。また海外展開をする中での交流には、槙野伸顕さんの言う「どんなものごとも、1人の人間が1人の人間と出会うところから始まる」を思い出させる内容。

いつも用語を挙げるコードー経済学が入ってないけど、コードー〜は読むと「人間ってダメだなぁ」と自分のダメダメなところを痛感させられてガクーンとなる一方なので、今回は外しました( ´ ▽ ` )ノ

7冊はどれもオススメできる内容なので、自分の関心とカブるものから読むといいかも。板谷さん(3.)のがそのあたりオススメで、実務的ななことは石野さん(6.)が良いかも。

# by ulyssesjoycean | 2019-10-01 17:46 | Comments(0)

「誰もゼロ匹の魚を買いにいかないだろ」 数学はある地点から現実とカンケーなくなるのか?な話

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ピーター・バーンスタインさんの『リスク 神々への反逆』に、ビックリ、マーティン・ケンプへの言及が! バーンスタインさん、目配り広いなー。

それで久々にマーティン・ケンプさんの大冊『Science of Art』(Yale University Press)を引っ張り出してきたり。

バーンスタインさんの本は「リスク・マネジメント」の進化発展の歴史が綴られてるから、当然、確率論の発展や、そこに至るまでの数学史もフォローされてる。

それで思ったんだけど、「現実」と「数学」はあるところまで接してるんだけど、「ある一点」を境にスパーン!と関係がなくなる様子。

どういうことかというと、ギリシャ時代にニンゲーンは航海を始めたので、色んな物事を正確に計測する必要が出てきたと。

それはアラビア半島も一緒で、イスラームに帰依した結果、「どっちにマッカ(メッカ)があるか」を知らなくてはいけないので、三角関数Trigonometryが発達した、とかとか。

こんな風に、色々と現実の要請からスタートしてる面が数学にはあるんだけど、数学を発展させるためにはどこかで「現実世界を切り離す」必要があるみたい。

それは何でなのかな、どの辺りで現実との接点がなくなるのか、そんなことを考えた次第。

というのも、自分は純粋数学Pure Mathematicsと言われるジャンル、言わば数学的思考の本道には全く入っていけない。

一方で現実への適用を扱う応用数学Applied Mathematicsなら「なるほど!」と合点が行くし、自分でもサクサクと勉強を進められる。

ニガテだった数学で唯一自信を持っていたのが確率論Probabilityだったのはそのせいなのかな。現実との接点が一番濃い数学の分野かもしれないから。

それでまあ、バーンスタインさんの本を読んでたら、0 (Zero)っていうのは日常的に行う「数える」という行為にはまるで無縁なんだとか。

哲学者のホワイトヘッドなんか、「だれもわざわざゼロ匹の魚を買いにいかないだろう」なんて気の利いたことを言っている。

前にKahnアカデミーのカーン先生の話に「キャンディーバーを√2本分くれ」とか、「π個のクッキーおくれ」なんて話が。こういう数学ジョークはいつ聴いても楽しい。

今まではジョーダンとして笑って聴いていたけど、Pure Mathematicsは現実を切り離した存在という意味では、わかりやすい例えなのかもしれない。現実とは異なる世界のものを現実に当てはめるからオカシイ、みたいな。

別にそれが悪いって意味じゃない、むしろそのことに気づいたのが今回の収穫なので、数学はどこかのレベルから現実を切り離さなきゃいけないけど、それはなぜ必要で、どのタイミングから必要になるのか、とかとか。

ーーしかし考えてみると、面白い面白いと読み進める本がみんな、自然科学よりになってきちゃったな。人文学については哲学が中心になっちゃって、ブンガークについてのインプットが少ない子も少ないこと。

まあ単純に、数学や自然科学はこれまで手をつけてこなかったジャンルだから、色々の発見が次々できるから、それが楽しいせいもある。

とりあえず次は、パスカルさんとフェルマーさんが確率論について往復書簡を残してるそうなので、それを見てみたいと思います( ´ ▽ ` )ノ

# by ulyssesjoycean | 2019-09-27 18:00 | Comments(0)

これは「経済学+文化史」の名著! ピーター・バーンスタイン『リスク 〜神々への反逆〜』

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(「経済学+文化史」は名著の宝庫!という思いある。それをビシーッと裏付けてくれるピーター・バーンスタイン『リスク』(日経ビジネス文庫)から上下巻で発売中。上巻は税込771円なり)

このところは「叙事詩」とかいう、超のつく昔の本を調べてばかり。いきおい、そうスラスラとは読めない。

これは小西甚一さんの『古文の読解』に教えられたんだけど、1000年以上も昔のこととなると、現代との差がものすごい。

そこを埋めるのがつまり、「古文常識」というやつだよ、と。現代の目で古典をみると、現代人には違和感の方が先に来てしまう、云々。

そんなわけで、調べ物の叙事詩も、下手すると紀元前だったりするので、どーやったって読み進めるのはユックリ。

そんなおり、ヒョイと手にして「これはスゴイ!」と久々に感激したのが、冒頭に掲げたピーター・バーンスタインさんの『リスク』。

初めて名前を聞いたバーンスタインさん、経済史の専門家っぽいけど、文化史の知識もものすごい。のっけからパスカルやフェルマー、ソクラテスにアリストテレスが続々登場。

これはタダモノでないーーと居住まいを正して向き合ったら、これがまー経済学書としても無類の面白さ。

自分が経済学の勉強から数学のやり直しをスタートさせたころ、経済学で使う各種の数式に??状態。

なーにか割り切れないものを感じて経済学の分野を一通りさらってみた結果、なんでニンゲーンの経済活動(損得が発生しちゃう不確かなもの)を数式にしたがるのか、ピーン!と(©︎みうらじゅん)閃くものが。

経済学は、

「あまりにも不確かな未来に対する人間の戦いだ」

なんて。これはまんま、アンドレ・モーロワさんがプルーストの『失われた時をもとめて』について評した言葉の言い換えだけども(^∇^)。

なんだったかな、「人間の精神による時間への戦い」みたいな。原文に”lutter contre le temps...”とあったのは覚えてるんだけど、その先がどうだったか。

話を経済学に戻すけど、経済学が科学を志向するのはこういうことだな!と。前に山本貴光さんの共著を読んでたら、「科学は一般性を目指す」と書いてあった。

それは何かなーというと、「ある特定の条件が揃えば、いつも必ず同じ結果が得られること」だったような。それについてヒュームさんが「そんなことはない。それは単なるニンゲーンの思い込みだ」と言っちゃうんだけど。

科学はなんらかの物質だったり、少なくともそういう要素に戻して考えられるものを扱ってたけど、経済学はこれをニンゲーンに対してやろうとしてる。

ニンゲーンまで扱う単位を大きくしちゃって、その上で科学的なアプローチは無理がないかな〜と感じていたのが、「経済学で使われる数式」で顕著になったみたい。それでこんなに引っかかってたんだ!と。

ところが経済学がそうせざる得ないくらい、「未来」(=未だ来たらず)は「全く何もわからない」んだとか。でも「わからないな、仕方ないな」とはニンゲーン的には思えない。

それで、過去の経験や自分の信念からあまりに無茶苦茶な未来に対抗しようとするんだけど、イマダキタラーズさんはミルドラースさん以上にパワフルな存在。まーどうにもならない。

だからアレだな、イエスさんの山上の説教を読んで感激したわけだけど。「明日は明日みづからが思ひ煩ふ。一日の苦労は、一日にて足れり」と目にしたとき、はじめて「ああ〜、イエスさんは本当にスゴイ人だったんだな」と。

だってフツーは「明日のことを考えろ」って言うじゃない。その実、その「明日」は最強のモンスター・イマダキタラーズなんだけども( ´ ▽ ` )ノ。これでまあ、ニンゲーンはフアーンになっちゃう。

ところがイエスさんは「明日のことを考えるな」って言うんだからビックリ。「一日の苦しみはその日だけのものだ! 次の日のことを今日に持ってくるな。次の日の苦しみは次の日の持ち物なんだから」だって。

ーー経済学の話はどーなったの、と書いてる自分も思いはじめたけど(´∀`)、つまりは「最強のモンスター・イマダキタラーズとニンゲーンの戦い」を記してくれてるのが、ピーター・バーンスタインさん。

お名前からしてユダヤ系の方なのかな〜と思うけど、その関連で、さっきのイエスさんばりの名言がビシビシ出てくる。「明日がなければリスクは存在しない」とか。

で、そういう戦いの歴史を経済学の視点から見せてくれるので、これはスゴイナーと感銘を受けまくり。

そーいえば、自分が経済学をベンキョーするまで、「リスク(risk)」という言葉の意味を違って使ってたな。

というのも、経済学をちゃんとやる前は、「risk」はdangerousとかcriticalとかpoisonousみたいに、「キケン」に関わる用語だとばかり。

ところが経済学書をみると、「risk」「キケン」の意味はないよ、「risk」「不確実性」って意味だよ、と。

つまり、経済学の世界で「リスクがない」ってのは「絶対にそうなる」という意味なんだって。「安全」とか「キケン」なんて意味は含まない。

じゃあよく聞く「リスクが大きい」ってなんなの?というと、「起こりそうな振り幅がデカイ」ということらしい。

あるものの値段が、最低のときは「1円」で、最高の時は「100万円」。で、最低と最高の間がものすごく広いと、これは「リスク(不確実性)が大きい」と言うんだって。

逆に、最低と最高が「100万円と101万円」でものすごく近ければ、それは「リスク(不確実性)が小さい」と言うんだとか。

その伝で、ピーター・バーンスタインさんが扱う「リスク」も、全く「不確実性」の意味なんだな。なので「安全対策」とか「防災」みたいな意味合いは少しもないので、その点だけ補足しておきました(*´ω`*)

# by ulyssesjoycean | 2019-09-22 18:00 | Comments(0)

「デザイン」も実は「◯◯心理学」でやらないとイカン! 気づかせてくれた大崎善治『タイポグラフィの基本ルール』ヽ(´▽`)/

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(「感覚論に流されがち」という印象あったデザイン本のアレコレ。今回、大崎善治さんの『タイポグラフィの基本ルール』を手にして、オオー、これはちゃんと理屈を踏まえた上でのデザイン論だ、というのともう一点、なぜデザインの話が感覚に流れがちなのかのヒントも貰うことになった。大崎善治『タイポグラフィの基本ルール』はSBクリエイティブ社からKindle版が1,724円で発売中。紙版は3千円強だけど、店頭には出てないみたい)

大崎善治さんのタイポグラフィ本を読んで、キチッと理屈を押さえた上でのデザイン論が読めた。◯◯というフォントは〜〜という効果を与えるから、△△という媒体に向いている、などなど。

その他、実務的なタイポグラフィの扱いについても過不足ない指摘で、やっと得心のいくデザインの話に触れることができた。

それでまた、なんでデザイン論がややもすると感覚論に流れるのかの理由も分かった。「デザインは人間のためにあるけど、その人間の仕組みまでフォローされてないから」みたい。

例えば、近年のピコピコ網の世界では、人間が1つの画面でよく検討した上で選択できるのは、「3つの候補まで」らしい、

よく「マジックナンバー7」と言われるけど、人間は数を扱うのが苦手なので、一度に提示する内容は7±2が限界、という話。

これがピコピコの世界になると、パッと目に入るスペースが限られるので、なにかを「選ぶ」際は、3コ程度におさめとく必要があるんだと。

でも選ばせたいこと、決めてほしいことが3つで済むとは思われない。8項目とかあったらどうするの?

ーーそういうときは、「3, 3, 2」と別々に分けるのが良いそうですな。まず3つの選んで次のページに進み、また3つ選んで画面が切り替わる。

そうすると、都合8項目の質問も、人間の精神や知覚に負担を与えずにスムーズに実施できるという。これもインター顔がどうした、という大判の書籍に教えてもらった記憶が。

それでいうと、デザイン論についても同様の視点が求められるんじゃないかと。例えば「黄金比」なら、なんで黄金比を美しいと人間が感じてしまうのか、その「メカニズム」までフォローしないといけないだろう。

それでパッと思ったのは、人間の目は2つあって、それがタテではなくヨコに並んでるから、タテよりヨコが長い黄金比に「落ち着き」を感じるんじゃないかなーと。

人間の視覚で言うと、上下は「非日常」(あんま使わない)そうで、左右が「日常的」なんだと。その発想から、「あっち向いてホイ!」というゲームでは、自分が攻める際は「左右」を指差して、自分が守る際は「上下」をメインにすると勝率アップーー

つまりはこういう、人間の認知的な特性を把握した上でデザイン論を組み立てていけば、個人差はあるにしても、合理的なデザインをどんな時にも実践していけるはず。

今回のタイポグラフィ本でも、アルファベットの文字が「くっつきすぎ」もだめだが、「はなれすぎ」も単語として把握できなくなるから、それはやめましょうという話が。

そうすると自分としては、「どのくらい文字と文字が離れると単語として認識しづらいのか」を知りたくなる。

typography 
なら普通

t  y  p  o  g  r  a  p  h  y  
なら「2スペース」間隔

t    y    p    o    g    r    a    p    h    y 
なら「4スペース」間隔

どこまでやったら「単語として認識しづらい」のか、それを突き詰めないとデザインはやっちゃいけない、という気持ちがあるなー。

もちろんこれは自分が「突き詰める」性分なのせいもあるけど、「◯◯だから△△するという原則」がないと、どうやって決めたらいいのかわかんないじゃん、という。

英語だったら8 particlesがあって、adjectiveはnounに付けられるが、adjectiveはadverbには付けられないとか。

数学ではmultiplyとdivideを先に処理して、additionとsubtractionはその後だ、という計算の順番も決まっている。

こういう原理原則がテキトーだと、語学ならいつまでたっても「なんとなく」でやるしかないし、数学に至っては、やるたんびに計算結果が変わっちゃう。これではやりきれない。

なので、ガッチリした原理原則を掴んだ方が、「なんとなく」でやるよりずっとずっと効率的だと思うんだけど、どうだろうか。それはデザインでも同じだ、という気がするんだけど。

ところがデザインの場合、「ものの見え方」を扱うから、その原理原則の組み立て方はハンパないことになるだろうなー。

この手の認知心理学とか光学とかをやってる人に鈴木光太郎さんという、その名前からして光学やるために生まれてきたような研究者さんがいるけど、あの方の著作をもっかいさらってみるべきなのか。

それこそ干支の一回り以上のむかし、スタフォードの『グッド・ルッキング』にぶっ飛ばされるような衝撃を受けて絵の勉強をし始めた頃、最初に読んで一番感激したのが鈴木光太郎さんの著作だったから。

というより、これはオモシロイナーという本を見ていくと、必ず訳者名に「鈴木光太郎」とあったので、それで覚えたんだな。

爾来幾星霜というやつで、あれから研究書も出してらっしゃるだろうから、それを追っかけてみることにしようか。そーじゃないとデザインについてちゃんとベンキョーすることもできないから( ´ ▽ ` )ノ


# by ulyssesjoycean | 2019-09-16 12:00 | Comments(0)

ノーベル文学賞のW・B・イェイツさん、実は文学より「絵描き」の家系⁈

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イギリスの短編をアレコレ漁って読んでいた当時、ガッツリハマったのがこのWilliam Butler Yeats, “Short Fiction”。

新陳代謝の激しい自分の本棚に未だにあるんだから、よっぽど愛着あるんだろうなと思ったりする。

別段、イェイツの詩作品を愛読するわけでもなく、井村君江さんの一連のお仕事も熱心に追ったわけでないので、イェイツのファンではなかったんだと思う。

それがどうした弾みが調べる必要ができて、アレコレの文献をひっくり返してみると、当時とは違う関心を持つようになった。

というのも、イェイツさんは「絵描きの家系」みたい。イェイツのお父さんジョンも絵描きで、ジャックという名前の近親演者も画家だそうな。

ご両人とも「おっ!」と思う絵を描いてるので、ジョンとジャックはどんな絵を描いてたのかなーと軽くグールグルしてみると、冒頭の『Short Fiction』の絵は、ジャックさんによるものらしい。

ジャックさんの絵もアレコレ見てみると、油絵具をゴテっと乗せた描き方でーーそれはいいんだけど、絵の彩度が低いものが目立つのがちょい残念かも。

なんかパァーッと明るい雰囲気にならない、薄暗い垢抜けない色彩の絵もあり、絵が何よりの楽しみとなったこちらとしては、ヌーと思わされる。

でもアレだな、イェイツさんはアイルランドの家系でもあるから、その当時の陰々滅々とした雰囲気を写しとろうとした結果、自然にこうなっちゃったのかもしれないな。

ウィリアムの方のイェイツさんは絵とか描いてないのかな。フランスの文人には絵描きで通る人が何人もいるから。

フランスの文人で、なにこれ超うまい!と感激したのは、ポール・ヴァレリーか。テスト氏を描いたやつだったかな、サラサラッと描いてあるけど過不足ない!みたいな。

ヴィクトル・ユゴーさんなんか、ライン川周辺の風景をスケッチしてるけど、これも良かったな。緻密にビッチリ書き込む方式で、文章だけじゃなく絵の方も情報量多いのね、なんて(^∇^)

ゴンクール兄弟はもともと「なにやろうかなー」というので絵描きを目指したこともあるそうだし、そのあたりで「フランス作家には絵の上手い人がやたらいる」と痛感。

それでいうと、イギリスやアイルランドはどーなんだろ。むしろ音楽やってた人の方がサッと思いつくので、イェイツ家に画家がふたりもいたとは、しかも良いじゃん、というので面食らったナー。

# by ulyssesjoycean | 2019-09-14 12:00 | Comments(0)