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ヴェーバーさんに怒られるほど官僚主義的! 「ミチザネもつらいよ」な平安時代(´∀`)

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『おじゃる丸』ばりにミヤビな世界かと思ったら、実際にはバリバリの高級官僚の世界と分かった日本の平安時代。知らないことだらけなので大変に新鮮。

というのも、自分が古文を読み始めたのは5年10年くらい前かな? 古語の中には「漢字はいまと同じでも読み方が違うものがある」と気づき、その辺からキョーミが。

要は、古語を使えば言葉遊びのバリエーションが増えるんじゃないかという、超不純な動機。極端なことを言えば、古文そのものは読めなくてもいいや、なんて。

ところがどっこい、古語だけ集めようとしても前後関係があるから、語彙集めをするためにも古文が読めなくてはいけない。じゃ、古文もやり直そうと。

助動詞が分かるようになった頃合いから色々読み始めると、色々ヘコタレ気分も相まって、これがなかなかいい。『土佐日記』とか、しみじみとした哀感が表されてていいなという。

あと決定的だったのは『更科日記』で、まー当時の幼い子がおばあちゃんの話してくれた『源氏物語』の続きが知りたくて、なんていうイノセントな回想記にガッツリやられた次第。

当時のニポンジーンは「もののあはれ」こそ表現の対象だったというのもわかって納得できたので、古文の世界は雅やかな世界とばかり思ってたけど、先日の『兼好法師』から印象がガターンと変わる。

とにかく今の不動産業者より詳しいような土地取引の複雑な手続きがあるし、南北朝とか鎌倉の時代に土地登記もあったりして、その高度なシステムにまずビックリ。

あとは歌人として関心あった菅原道真さん、水底に月の光がどうした、というのが良い歌であるなぁと思ったら、この人、ケインズばりの高級官僚だったのね。

滝川幸司さんの中公新書読んだら、そのそも道真のおじさんは、ケインズばりの超のつく名門一家の秀才で、勤め先である当時の宮廷も高度な官僚システムで運営されてたみたい。

そりゃ雅やかな遊びもあるにはあったんだろうけど、マックス・ヴェーバーが見たら怒り出しそうな文書主義の世界。しかも当時は漢文による業務運営だから、道真さんは「漢学者」としてすごいエリートみたい。

こうしてみると、当時も今も「宮仕え」の世界はそう変化がないんだろうなと、フクザツな気分に。立身出世と栄枯盛衰が目まぐるしく、トーゼン、誹謗中傷にも事欠かない。

win-winな関係を構築することがマストですよね的な言葉遣いはどうかという話があるけど、当時の道真さんたちはオール漢文でやり取りしてたわけだから、今より極端な状況とも言える。

それにしても西暦で言えば800年の話。その時代にこんなに細かな法制度や行政システムが整えられてたの?ということに興味が尽きない。実際、道真さんが受けた官吏登用試験も、ビックリするくらいシステマチック。

もともとは古文の文学からスタートしたけど、むしろ社会制度とか法整備を見てった方が面白いんじゃないかと思わされる。

しばらくは古文の世界の社会制度を追っかけてみることにしよ。ただアレだなー、日本史に馴染みのないこちらとしては、今と違う漢字の読み方で綴られる人名を把握するのに一苦労。ま、そのうち馴染むだろう( ´ ▽ ` )ノ


# by ulyssesjoycean | 2019-10-13 12:00 | Comments(0)

漫☆画太郎先生の名言「まさに外道!」を思い出すキレッキレのギャグマンガ 『ちおちゃんの通学路』ヽ(´▽`)/

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(「完全にどうかしてる」(ホメ言葉)なマンガをツイッターで発信されてる、マンガ家のただたかさん。代表作の『ちおちゃんの通学路』は数年前にスマッシュヒットを飛ばし、アニメーション化もされたけれど、当時はスルーしてしまっていた。ごめんなさい。現在密林でKindle版が半額セール中につき、1巻は302円で読めるナリ)

一時期、チラシに掲載されている内容と現物があまりに違うとモンダイになったおせちの重箱。

ついそれを思い出してしまうこの『ちおちゃんの通学路』の表紙。この表紙から想像される中身は一切含まれていないゼロ果汁ぶり。まー、この2人のやりとりが何かとゲスい(´∀`)

でもギャグセンスがキレッキレなので、読んでると爆笑必至。絵柄もリアルにカッチリ書き込んであるので、時折はさみこまれる変顔に吹く。

それで思ったんだけど、作者の川崎直孝(ただたか)さんは、『無限の住人』の沙村広明さんのアシスタントとかだったのかな?

ザクザクって影の部分を線で入れてく書き方と、その上で立体的な人物像を見てると、「似てるなー」とハタ目には思うんだけど。

よくよく考えたら沙村広明さんもギャグセンスがこれまたどうかしてるし、そういう点でも影響あるような。でもまあ、沙村広明さんはアシスタントをほとんど使わないとも聞いたんだけど、関係ないんかな。

もちろん、直接の関係なくても影響をバリバリ受けるということは、石黒正数さんの大友克洋テイストを見ても頷けるので、あるっちゃあるんだけども。

とりあえずどうかしてるギャグセンス満載なので、ひさびさに全巻揃えなくてはと、半額のKindle読んで思ったのでした( ´ ▽ ` )ノ

*ただセール期間がいつまでだか知らないので、下のリンクから飛んでみても、タイミングによっては定価に戻ってるかも


# by ulyssesjoycean | 2019-10-11 12:00 | Comments(0)

柳瀬尚紀『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』の興奮ふたたび! 小川剛生『兼好法師 徒然草に記されなかった真実』!

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(「これはすごそうだ」と書評を読んで久々に読みたくなった一冊。でもマズイことに『徒然草』そのものがアンマナーな気分だったので、気がつくと出版からはや数年が経過。でも今回読んでみて良かった一冊。小川剛生『兼好法師』は中公新書から税込902円で発売中)

このところ外国語&ピコピコ系の学習でアタマがつかれたので、久々に日本語の人文系の本をと思って手に取ったのがコレ。小川剛生さんの『兼好法師』。

以前、なにかの書評欄で読んで、これはすごそうだぞと意気込んだものの、気がつく出版から2年が経過(*´ω`*)  申し訳なし。

読んでみたら、やはり「すごそうだ」の印象に誤りはなく、文学研究や文献考証はこんなことができるのかと目からウロコが落ちまくり。

何しろ「吉田兼好」というのは、後年、まるで関係ない吉田さんが立身出世の一念で、『徒然草』の作者を吉田家の家系図に組み入れちゃったというんだから驚き。

また、著者の小川さんはテクストクリチックでもあるけど、当時の身分制度や習慣、風俗に政治や法律、当時の全般的な知識を援用してキチッと考証を試みてるんだな。

自分が「古典って面白いな」と感じるようになったのは、ひとえに小西甚一さんの『古文の読解』(ちくま学芸文庫)のおかげだけど、そこでも「古文常識」がいかに重要かと述べられてたな。

というのも、古文に親しみなかった自分としては、なんか古文の世界は辛気臭いところがあり、そういう方面の内容はもう間に合ってます、という心理が働いていた。

ところが小西先生の解説を聞くと、つまり古典の時代の日本人は、文章に書いて表現する内容は「あはれ」の方に寄っていたと。嬉しいことなど、そりゃあったろうが、「表現の対象」にはならないんだって。

あとは京都の生活や建築様式をわかってることが読解の理解を助けるんだよ、と。でまた、小西甚一先生の原著が出た当時から、そういう古文の周辺知識の扱いはいかにもザツだったそう。

一番ヒドイ例として小西先生が挙げていたのが、『竹取物語』の話。最後に月の世界からかぐや姫を返してもらいにきたよー、というのがあるけど、その注釈がまるでデタラメだと。

かぐや姫を連れて行かれないように、じーさんばーさんが家の奥に押し込めたとあるけど、ムーン勢にはまるで無力、かぐや姫はスーッと外に出て行ってしまったとか。

で、小西先生の当時の注釈には、かぐや姫が通って行った室内様式は、何とかという立て板、つまり柵のような間仕切りとされてたけど、それは違うと。小西先生いわく、納戸のようなもので、ドア付きの家具だ、云々。

それについて小西先生が秀逸だったのは、フツーに読めばおかしいと分かるではないか、そんな柵をまたいで越えて行ったなんて、というくだりが。ドア的なものがパタンパタンパタンと開く方が、まあ自然だわな。

そんな例がメチャメチャ多いと小西先生は怒っていたけど、今回の小川さんの一著でも(やっと本筋に戻った^_^)、その手の身分や習慣が無視したことによる無理が多々あったそうな。

その解き明かす手さばきに感激して、読みながら思いだしたのは柳瀬尚紀さんの『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』(岩波新書)だったナー。

ここでAを使ってるのが、Bの布石だ、というのを綿密にやっていくので、スゴイ、文学の仕事でこんなこと出来るのだと感激した記憶が鮮明に。

小川さんの『兼好法師』はまさにそれを地でいく内容で、目が洗われる心地がしたなー。

あとはそれとの兼ね合いで思ったのは、『徒然草』当時の法律制度がメチャメチャ整理されてるということ。こんな高度な不動産取引があったのか、なんて。

身分制が強固だからこそ、その抜け道も数多くあったとわかったし、ある意味これは「文化史」の名著だなーと。

それでまあ、『徒然草』の作者がこういう人だったとわかった上で、あらためて『徒然草』を読んでみると、感じ方も変わるかもしれないな。

古文系では二大ニガテ作品が『徒然草』ともう一つ、『枕草子』なんだけど、あれももしかして、ちゃんと当時の時代風俗や作者の背景をケンキューすると、感じ方変わるかも。

とりあえず、『徒然草』は再読してみる気になったので、この機会にペラペラ眺めてみよっと( ´ ▽ ` )ノ

# by ulyssesjoycean | 2019-10-09 18:00 | Comments(0)

「これは名著!」という経済学の7冊をピックアップ! ベスト10までは思いつきませんでした(´∀`)

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(超のつく名門の家柄、オックスフォードの首席、イギリスの大蔵省には二位の成績で入省ーーなどなど、エリート街道まっしぐらな印象が強いケインズさん。でも実際、色々な経済学書で、必ず要所要所に登場するあたり、ただのヒネたエリートではなかった様子。あんまり気になるからその伝記でも読んでみるか)

このところワクワクして読み込むのが経済学の本ばかり。あとはそこに出てくる数学というわけで、ニンゲーン、変われば変わるもんだ。

じゃあ何が経済学のオモシロさなんだろう?と考えてみると、これは「身近にあるものが別の見え方をする」点が興味をそそるんじゃないかな。

というのも、モノを売ったり買ったりするのはニンゲーンにとって根源的な行動の割に、意識してやっているかというとそうでもない。

そんな次第で、紙幣が出来た理由とか、株式会社っていつからあるのかなど、経済学(史)を追っかけると色々と興味深い発見がある。

そんなこんなで、これまでに読んで、「これは面白かった!」というのをピックアップするのもいいかもしれない。ベストテンにしたかったけど、とりあえず思いついたのは7冊(^∇^)

1. バルザック『ゴプセック』(岩波文庫)

2. 佐藤亜紀『金の仔牛』(講談社)

3. 板谷敏彦『金融の世界史』(新潮選書)

4. ライアカット・アハメド、『世界恐慌』(筑摩選書)

5. ピーター・バーンスタイン、『リスク』(日経ビジネス人文庫)

6. 石野雄一『道具としてのファイナンス』(日本実業出版社)

7. David Rockefeller, Memoirs”(Random House)

上の7冊はどれも自信を持ってオススメできる経済関連の書籍。

1.2.は小説だけど、債鬼に追われて金融システムに詳しくなっちゃったバルザックさん。佐藤亜紀さんの小説はジョン・ローを取り扱うなど、目配りがスゴイ。小説としても無類のオモシロサ。

3.は金融の歴史をメソポタミア文明から説き起こす射程にビックリ。文化史が好きな人ならスッと入れる親しみやすい語り口で、1冊目にちょうどいいかも。

4.は、ここ10年間で読んだ経済学の書籍ではダントツのオモシロサ。世界銀行の総裁たちが金本位制を維持しようとした結果、大混乱に陥った様が描かれてるもの。これでケインズはスゴイ人なんだと得心。

5.はつい先日読み切ったばかりだけど、これはなかなかの名著という思い。サイコロゲームの確率が、なぜこんなに歴史的に新しい数学の分野なのか、という視点が新鮮。多人数の共訳のせいか、固有名詞に「おや?」という点があるのがちょっと惜しい。それ以外は文句なし!

6.は経済で使われる数学を平たく平たく扱ったもの。この本がキッカケで、経済学を起点に数学のやり直しがスタート。また実際、「やり直してみよう」と思わせる内容なんだな。

7.は超お金持ちの家系から、ニューヨークのチェイス銀行頭取を務めたデイヴィッド・ロックフェラーさんの回顧録。デイヴィッドさんは三代目にあたる方で、お父様との交流の部分は泣かせる。また海外展開をする中での交流には、槙野伸顕さんの言う「どんなものごとも、1人の人間が1人の人間と出会うところから始まる」を思い出させる内容。

いつも用語を挙げるコードー経済学が入ってないけど、コードー〜は読むと「人間ってダメだなぁ」と自分のダメダメなところを痛感させられてガクーンとなる一方なので、今回は外しました( ´ ▽ ` )ノ

7冊はどれもオススメできる内容なので、自分の関心とカブるものから読むといいかも。板谷さん(3.)のがそのあたりオススメで、実務的ななことは石野さん(6.)が良いかも。

# by ulyssesjoycean | 2019-10-01 17:46 | Comments(0)

「誰もゼロ匹の魚を買いにいかないだろ」 数学はある地点から現実とカンケーなくなるのか?な話

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ピーター・バーンスタインさんの『リスク 神々への反逆』に、ビックリ、マーティン・ケンプへの言及が! バーンスタインさん、目配り広いなー。

それで久々にマーティン・ケンプさんの大冊『Science of Art』(Yale University Press)を引っ張り出してきたり。

バーンスタインさんの本は「リスク・マネジメント」の進化発展の歴史が綴られてるから、当然、確率論の発展や、そこに至るまでの数学史もフォローされてる。

それで思ったんだけど、「現実」と「数学」はあるところまで接してるんだけど、「ある一点」を境にスパーン!と関係がなくなる様子。

どういうことかというと、ギリシャ時代にニンゲーンは航海を始めたので、色んな物事を正確に計測する必要が出てきたと。

それはアラビア半島も一緒で、イスラームに帰依した結果、「どっちにマッカ(メッカ)があるか」を知らなくてはいけないので、三角関数Trigonometryが発達した、とかとか。

こんな風に、色々と現実の要請からスタートしてる面が数学にはあるんだけど、数学を発展させるためにはどこかで「現実世界を切り離す」必要があるみたい。

それは何でなのかな、どの辺りで現実との接点がなくなるのか、そんなことを考えた次第。

というのも、自分は純粋数学Pure Mathematicsと言われるジャンル、言わば数学的思考の本道には全く入っていけない。

一方で現実への適用を扱う応用数学Applied Mathematicsなら「なるほど!」と合点が行くし、自分でもサクサクと勉強を進められる。

ニガテだった数学で唯一自信を持っていたのが確率論Probabilityだったのはそのせいなのかな。現実との接点が一番濃い数学の分野かもしれないから。

それでまあ、バーンスタインさんの本を読んでたら、0 (Zero)っていうのは日常的に行う「数える」という行為にはまるで無縁なんだとか。

哲学者のホワイトヘッドなんか、「だれもわざわざゼロ匹の魚を買いにいかないだろう」なんて気の利いたことを言っている。

前にKahnアカデミーのカーン先生の話に「キャンディーバーを√2本分くれ」とか、「π個のクッキーおくれ」なんて話が。こういう数学ジョークはいつ聴いても楽しい。

今まではジョーダンとして笑って聴いていたけど、Pure Mathematicsは現実を切り離した存在という意味では、わかりやすい例えなのかもしれない。現実とは異なる世界のものを現実に当てはめるからオカシイ、みたいな。

別にそれが悪いって意味じゃない、むしろそのことに気づいたのが今回の収穫なので、数学はどこかのレベルから現実を切り離さなきゃいけないけど、それはなぜ必要で、どのタイミングから必要になるのか、とかとか。

ーーしかし考えてみると、面白い面白いと読み進める本がみんな、自然科学よりになってきちゃったな。人文学については哲学が中心になっちゃって、ブンガークについてのインプットが少ない子も少ないこと。

まあ単純に、数学や自然科学はこれまで手をつけてこなかったジャンルだから、色々の発見が次々できるから、それが楽しいせいもある。

とりあえず次は、パスカルさんとフェルマーさんが確率論について往復書簡を残してるそうなので、それを見てみたいと思います( ´ ▽ ` )ノ

# by ulyssesjoycean | 2019-09-27 18:00 | Comments(0)

これは「経済学+文化史」の名著! ピーター・バーンスタイン『リスク 〜神々への反逆〜』

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(「経済学+文化史」は名著の宝庫!という思いある。それをビシーッと裏付けてくれるピーター・バーンスタイン『リスク』(日経ビジネス文庫)から上下巻で発売中。上巻は税込771円なり)

このところは「叙事詩」とかいう、超のつく昔の本を調べてばかり。いきおい、そうスラスラとは読めない。

これは小西甚一さんの『古文の読解』に教えられたんだけど、1000年以上も昔のこととなると、現代との差がものすごい。

そこを埋めるのがつまり、「古文常識」というやつだよ、と。現代の目で古典をみると、現代人には違和感の方が先に来てしまう、云々。

そんなわけで、調べ物の叙事詩も、下手すると紀元前だったりするので、どーやったって読み進めるのはユックリ。

そんなおり、ヒョイと手にして「これはスゴイ!」と久々に感激したのが、冒頭に掲げたピーター・バーンスタインさんの『リスク』。

初めて名前を聞いたバーンスタインさん、経済史の専門家っぽいけど、文化史の知識もものすごい。のっけからパスカルやフェルマー、ソクラテスにアリストテレスが続々登場。

これはタダモノでないーーと居住まいを正して向き合ったら、これがまー経済学書としても無類の面白さ。

自分が経済学の勉強から数学のやり直しをスタートさせたころ、経済学で使う各種の数式に??状態。

なーにか割り切れないものを感じて経済学の分野を一通りさらってみた結果、なんでニンゲーンの経済活動(損得が発生しちゃう不確かなもの)を数式にしたがるのか、ピーン!と(©︎みうらじゅん)閃くものが。

経済学は、

「あまりにも不確かな未来に対する人間の戦いだ」

なんて。これはまんま、アンドレ・モーロワさんがプルーストの『失われた時をもとめて』について評した言葉の言い換えだけども(^∇^)。

なんだったかな、「人間の精神による時間への戦い」みたいな。原文に”lutter contre le temps...”とあったのは覚えてるんだけど、その先がどうだったか。

話を経済学に戻すけど、経済学が科学を志向するのはこういうことだな!と。前に山本貴光さんの共著を読んでたら、「科学は一般性を目指す」と書いてあった。

それは何かなーというと、「ある特定の条件が揃えば、いつも必ず同じ結果が得られること」だったような。それについてヒュームさんが「そんなことはない。それは単なるニンゲーンの思い込みだ」と言っちゃうんだけど。

科学はなんらかの物質だったり、少なくともそういう要素に戻して考えられるものを扱ってたけど、経済学はこれをニンゲーンに対してやろうとしてる。

ニンゲーンまで扱う単位を大きくしちゃって、その上で科学的なアプローチは無理がないかな〜と感じていたのが、「経済学で使われる数式」で顕著になったみたい。それでこんなに引っかかってたんだ!と。

ところが経済学がそうせざる得ないくらい、「未来」(=未だ来たらず)は「全く何もわからない」んだとか。でも「わからないな、仕方ないな」とはニンゲーン的には思えない。

それで、過去の経験や自分の信念からあまりに無茶苦茶な未来に対抗しようとするんだけど、イマダキタラーズさんはミルドラースさん以上にパワフルな存在。まーどうにもならない。

だからアレだな、イエスさんの山上の説教を読んで感激したわけだけど。「明日は明日みづからが思ひ煩ふ。一日の苦労は、一日にて足れり」と目にしたとき、はじめて「ああ〜、イエスさんは本当にスゴイ人だったんだな」と。

だってフツーは「明日のことを考えろ」って言うじゃない。その実、その「明日」は最強のモンスター・イマダキタラーズなんだけども( ´ ▽ ` )ノ。これでまあ、ニンゲーンはフアーンになっちゃう。

ところがイエスさんは「明日のことを考えるな」って言うんだからビックリ。「一日の苦しみはその日だけのものだ! 次の日のことを今日に持ってくるな。次の日の苦しみは次の日の持ち物なんだから」だって。

ーー経済学の話はどーなったの、と書いてる自分も思いはじめたけど(´∀`)、つまりは「最強のモンスター・イマダキタラーズとニンゲーンの戦い」を記してくれてるのが、ピーター・バーンスタインさん。

お名前からしてユダヤ系の方なのかな〜と思うけど、その関連で、さっきのイエスさんばりの名言がビシビシ出てくる。「明日がなければリスクは存在しない」とか。

で、そういう戦いの歴史を経済学の視点から見せてくれるので、これはスゴイナーと感銘を受けまくり。

そーいえば、自分が経済学をベンキョーするまで、「リスク(risk)」という言葉の意味を違って使ってたな。

というのも、経済学をちゃんとやる前は、「risk」はdangerousとかcriticalとかpoisonousみたいに、「キケン」に関わる用語だとばかり。

ところが経済学書をみると、「risk」「キケン」の意味はないよ、「risk」「不確実性」って意味だよ、と。

つまり、経済学の世界で「リスクがない」ってのは「絶対にそうなる」という意味なんだって。「安全」とか「キケン」なんて意味は含まない。

じゃあよく聞く「リスクが大きい」ってなんなの?というと、「起こりそうな振り幅がデカイ」ということらしい。

あるものの値段が、最低のときは「1円」で、最高の時は「100万円」。で、最低と最高の間がものすごく広いと、これは「リスク(不確実性)が大きい」と言うんだって。

逆に、最低と最高が「100万円と101万円」でものすごく近ければ、それは「リスク(不確実性)が小さい」と言うんだとか。

その伝で、ピーター・バーンスタインさんが扱う「リスク」も、全く「不確実性」の意味なんだな。なので「安全対策」とか「防災」みたいな意味合いは少しもないので、その点だけ補足しておきました(*´ω`*)

# by ulyssesjoycean | 2019-09-22 18:00 | Comments(0)

「デザイン」も実は「◯◯心理学」でやらないとイカン! 気づかせてくれた大崎善治『タイポグラフィの基本ルール』ヽ(´▽`)/

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(「感覚論に流されがち」という印象あったデザイン本のアレコレ。今回、大崎善治さんの『タイポグラフィの基本ルール』を手にして、オオー、これはちゃんと理屈を踏まえた上でのデザイン論だ、というのともう一点、なぜデザインの話が感覚に流れがちなのかのヒントも貰うことになった。大崎善治『タイポグラフィの基本ルール』はSBクリエイティブ社からKindle版が1,724円で発売中。紙版は3千円強だけど、店頭には出てないみたい)

大崎善治さんのタイポグラフィ本を読んで、キチッと理屈を押さえた上でのデザイン論が読めた。◯◯というフォントは〜〜という効果を与えるから、△△という媒体に向いている、などなど。

その他、実務的なタイポグラフィの扱いについても過不足ない指摘で、やっと得心のいくデザインの話に触れることができた。

それでまた、なんでデザイン論がややもすると感覚論に流れるのかの理由も分かった。「デザインは人間のためにあるけど、その人間の仕組みまでフォローされてないから」みたい。

例えば、近年のピコピコ網の世界では、人間が1つの画面でよく検討した上で選択できるのは、「3つの候補まで」らしい、

よく「マジックナンバー7」と言われるけど、人間は数を扱うのが苦手なので、一度に提示する内容は7±2が限界、という話。

これがピコピコの世界になると、パッと目に入るスペースが限られるので、なにかを「選ぶ」際は、3コ程度におさめとく必要があるんだと。

でも選ばせたいこと、決めてほしいことが3つで済むとは思われない。8項目とかあったらどうするの?

ーーそういうときは、「3, 3, 2」と別々に分けるのが良いそうですな。まず3つの選んで次のページに進み、また3つ選んで画面が切り替わる。

そうすると、都合8項目の質問も、人間の精神や知覚に負担を与えずにスムーズに実施できるという。これもインター顔がどうした、という大判の書籍に教えてもらった記憶が。

それでいうと、デザイン論についても同様の視点が求められるんじゃないかと。例えば「黄金比」なら、なんで黄金比を美しいと人間が感じてしまうのか、その「メカニズム」までフォローしないといけないだろう。

それでパッと思ったのは、人間の目は2つあって、それがタテではなくヨコに並んでるから、タテよりヨコが長い黄金比に「落ち着き」を感じるんじゃないかなーと。

人間の視覚で言うと、上下は「非日常」(あんま使わない)そうで、左右が「日常的」なんだと。その発想から、「あっち向いてホイ!」というゲームでは、自分が攻める際は「左右」を指差して、自分が守る際は「上下」をメインにすると勝率アップーー

つまりはこういう、人間の認知的な特性を把握した上でデザイン論を組み立てていけば、個人差はあるにしても、合理的なデザインをどんな時にも実践していけるはず。

今回のタイポグラフィ本でも、アルファベットの文字が「くっつきすぎ」もだめだが、「はなれすぎ」も単語として把握できなくなるから、それはやめましょうという話が。

そうすると自分としては、「どのくらい文字と文字が離れると単語として認識しづらいのか」を知りたくなる。

typography 
なら普通

t  y  p  o  g  r  a  p  h  y  
なら「2スペース」間隔

t    y    p    o    g    r    a    p    h    y 
なら「4スペース」間隔

どこまでやったら「単語として認識しづらい」のか、それを突き詰めないとデザインはやっちゃいけない、という気持ちがあるなー。

もちろんこれは自分が「突き詰める」性分なのせいもあるけど、「◯◯だから△△するという原則」がないと、どうやって決めたらいいのかわかんないじゃん、という。

英語だったら8 particlesがあって、adjectiveはnounに付けられるが、adjectiveはadverbには付けられないとか。

数学ではmultiplyとdivideを先に処理して、additionとsubtractionはその後だ、という計算の順番も決まっている。

こういう原理原則がテキトーだと、語学ならいつまでたっても「なんとなく」でやるしかないし、数学に至っては、やるたんびに計算結果が変わっちゃう。これではやりきれない。

なので、ガッチリした原理原則を掴んだ方が、「なんとなく」でやるよりずっとずっと効率的だと思うんだけど、どうだろうか。それはデザインでも同じだ、という気がするんだけど。

ところがデザインの場合、「ものの見え方」を扱うから、その原理原則の組み立て方はハンパないことになるだろうなー。

この手の認知心理学とか光学とかをやってる人に鈴木光太郎さんという、その名前からして光学やるために生まれてきたような研究者さんがいるけど、あの方の著作をもっかいさらってみるべきなのか。

それこそ干支の一回り以上のむかし、スタフォードの『グッド・ルッキング』にぶっ飛ばされるような衝撃を受けて絵の勉強をし始めた頃、最初に読んで一番感激したのが鈴木光太郎さんの著作だったから。

というより、これはオモシロイナーという本を見ていくと、必ず訳者名に「鈴木光太郎」とあったので、それで覚えたんだな。

爾来幾星霜というやつで、あれから研究書も出してらっしゃるだろうから、それを追っかけてみることにしようか。そーじゃないとデザインについてちゃんとベンキョーすることもできないから( ´ ▽ ` )ノ


# by ulyssesjoycean | 2019-09-16 12:00 | Comments(0)

ノーベル文学賞のW・B・イェイツさん、実は文学より「絵描き」の家系⁈

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イギリスの短編をアレコレ漁って読んでいた当時、ガッツリハマったのがこのWilliam Butler Yeats, “Short Fiction”。

新陳代謝の激しい自分の本棚に未だにあるんだから、よっぽど愛着あるんだろうなと思ったりする。

別段、イェイツの詩作品を愛読するわけでもなく、井村君江さんの一連のお仕事も熱心に追ったわけでないので、イェイツのファンではなかったんだと思う。

それがどうした弾みが調べる必要ができて、アレコレの文献をひっくり返してみると、当時とは違う関心を持つようになった。

というのも、イェイツさんは「絵描きの家系」みたい。イェイツのお父さんジョンも絵描きで、ジャックという名前の近親演者も画家だそうな。

ご両人とも「おっ!」と思う絵を描いてるので、ジョンとジャックはどんな絵を描いてたのかなーと軽くグールグルしてみると、冒頭の『Short Fiction』の絵は、ジャックさんによるものらしい。

ジャックさんの絵もアレコレ見てみると、油絵具をゴテっと乗せた描き方でーーそれはいいんだけど、絵の彩度が低いものが目立つのがちょい残念かも。

なんかパァーッと明るい雰囲気にならない、薄暗い垢抜けない色彩の絵もあり、絵が何よりの楽しみとなったこちらとしては、ヌーと思わされる。

でもアレだな、イェイツさんはアイルランドの家系でもあるから、その当時の陰々滅々とした雰囲気を写しとろうとした結果、自然にこうなっちゃったのかもしれないな。

ウィリアムの方のイェイツさんは絵とか描いてないのかな。フランスの文人には絵描きで通る人が何人もいるから。

フランスの文人で、なにこれ超うまい!と感激したのは、ポール・ヴァレリーか。テスト氏を描いたやつだったかな、サラサラッと描いてあるけど過不足ない!みたいな。

ヴィクトル・ユゴーさんなんか、ライン川周辺の風景をスケッチしてるけど、これも良かったな。緻密にビッチリ書き込む方式で、文章だけじゃなく絵の方も情報量多いのね、なんて(^∇^)

ゴンクール兄弟はもともと「なにやろうかなー」というので絵描きを目指したこともあるそうだし、そのあたりで「フランス作家には絵の上手い人がやたらいる」と痛感。

それでいうと、イギリスやアイルランドはどーなんだろ。むしろ音楽やってた人の方がサッと思いつくので、イェイツ家に画家がふたりもいたとは、しかも良いじゃん、というので面食らったナー。

# by ulyssesjoycean | 2019-09-14 12:00 | Comments(0)

やっぱ「歴史」ってオモシロイな。お箸や法律から「この人が考えたんだ」と分かるオモシロさ(´∀`)

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「世界史やり直し」がスタートした結果、やはり自分の主たる関心は「歴史」にあるのだなぁと再認識。

ところがこれが世間一般に言う「歴史好き」かというと、どうも違うっぽい。「歴史好き」で括られる話を見ていくと、基本的にはキャラクターが大事な気がする。

それこそ、自分にビシッとくる歴史上の人物がいて、その人のファンになる感じか。

「大統領」とか「とても珍しい宝石」の名前がついた雑誌があるけど、あーいうので取り上げられる武将のみなさんも、そうしたキャラクター的な位置づけと思える。

じゃあこっちの歴史に対する関心は何か、どのへんが面白いのかというと、「はじめてものがたり」なスタンスだろう。

要するに、現代にあって当然なものも、「誰かが考え出した」ものだと分かるのがオモシロイんだな。例えば毎日使う「箸(はし)」だって、誰かが考え出したわけでしょ。誰が作ったか、知らないけれども(^∇^)

言葉だったら「語源」があり、制度だったら「発案された時代」があるわけで、自分が知ってることをチョイと揺さぶられる感じがオモシロイ。

好奇心とは何かを心理学からアプローチすると、「知ってて知らない」部分が一番反応しやすいのだって。

「全く知らない」では興味を持つ取っ掛かりがなく、「ものすごく知ってる」ものは驚きに出会う確率が低いと。

そんなことで言うと、歴史はとりあえず「今あるもの」と「昔あったもの」の差がハッキリするので、好奇心を刺激されやすいんじゃないかな。語源なんかは特にそれを感じる。

今でこそ周辺に各種の辞書辞典が転がってて、中には通読(!)するくらい惚れ込んだものもあるけど、そんな辞書好きになるキッカケは「ラグラン袖」だった。

洋服のカットの仕方で、肩まわりが緩やか。それを「ラグラン袖」と言うと教わって、なにかのタイミングで辞書を引いたんだな。

そしたら「ラグラン袖は、ラグラン将軍にちなむ」とあってビックリ。ええっ、ファッション用語じゃなくて、将軍だから軍人の名前だったんだー!なんて。

小さい頃は「辞書を引きなさい」と言われると、「ことばのいみをしりたいんだから、そのばでおしえてもらったほうがはやいじゃん。へんなの」と思ってたフシが。

もちろん辞書には「意味がわかる」という意味合いもあるけど、「知ってるつもりだったけど、知らないこと」が書いてあるのが面白かったんだな。それで辞書の世界にのめり込むように。

言葉の歴史は辞書に詰まってると言えるけど、ニンゲーンがアレコレ考え、またやらかしたことの数々を見っけることができるのが歴史なんだろう。

それでいうと、ヘロドトスの『歴史』とか、ショージキ言って読んでオモシロイもんじゃないけど、エジプトのミイラ作りの話は良かったなー。

古代エジプトのミイラはそれこそ『和風総本家』扱うようなたぐいの職人技術だったみたい。それこそ方々に「ミイラつくります」という工場があって、産業になってたそう。

で、当然ショーバイなわけだから、ミイラ作りにも色んなグレードがあって、王侯貴族ならコレ、お金持ちならコレ、一番お安くできるお手軽のミイラパックはこちらになりますーー

そんなのを大昔にまじめにやってたというのが、そこはかとなくおかしいんだな(^∇^)。ミイラ作りにも「松竹梅」があったのね、なんて。

そういえば自分にはそうしたシュミはないけど、世の中、神社仏閣、名所旧跡を巡るのが好きな方も多い。

自分にその楽しみがないのでお話を伺ったら、「自分が立ってるその場所を、1000年前に人が歩いたんだ」というのを体感するのがオモシロイらしい。

そういう視点が自分にまるでなかったので、「そうか!」とものすごく腑に落ちたな。いま自分が歩いてるこの場所を1000前の人も歩いたのだ、と追体験するのはなんかスゴイ。

西田幾多郎先生のご本にいっとき随分のめり込んだけど、先生のおっしゃることに、数学と真反対の対応をするものが歴史なんだと書いてあったな。文学や哲学じゃないんだ、と。

そういえば日本の古文に親しめるようになったのも、いわゆる「古文常識」がわかったのが大きいナー。小西甚一先生のご本で「平安時代は布団がなかった」と知った時は驚いたもの。

そんな次第で、やっぱり歴史は、というか、「歴史的な観点からアプローチする」のはオモシロイなと再確認したのでした。そんなお話( ´ ▽ ` )ノ

# by ulyssesjoycean | 2019-09-12 12:00 | Comments(0)

「貿易ってもうかるんだナー」 経済の発想から「世界史のやり直し」をしてみる?

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「世界史のやり直し」はどうだろうと思い、山川出版社あたりの書籍(Not学参)から色々と眺め暮らしている。

というのも、タカヤマ文化史のおかげで西洋史は馴染みが出来たんだな。「あの人がこうした、だからこの人がこうなった」的な関係性が見えるとか。その時代にこういう考え方が流行した、とかとか。

ところがその一方で、東洋史がアナだらけ。『トムとジェリー』のアナあきチーズの連想で言えば、もはやアナの方がメインでチーズ本体がないくらい(^∇^)

むかーし、司馬遼太郎さんの『項羽と劉邦』が超絶面白かった関係で、日本史はともかく、中国史はそれなりにアタマに入ってたはずだけどなぁ、と思っても、現時点で目につくのはチーズのかけらしかない。

それでまあ、せっかくだからと殊勝な心がけをおこして各国別に色々目を通すことにしたんだけど、まずはじめに思ったのは、「外国貿易はもうかるんだな」ってこと。

西洋史の方でいうと、東インド会社が海外貿易のメジャーどころだけど(投資の意味の”invest”が始めて使われたのは、東インド会社の報告書!)、東洋史の方も負けてない。ビックリするくらい昔からアッチとコッチで貿易してる。

倭寇っていう、日本産の海賊集団が出来たのも、言って見ればそれくらい「貿易はもうかる」からなんだろう。法制史を見て、「〜〜は禁止」と書いてある場合、必ずその「〜〜」が大流行してた裏付け、みたいな。

それで思ったのは、「なんで海外貿易はそんなにもうかるのかな」ということ。

だって、Aという商品をXという値段で仕入れて、それがYという値段で売れたら(Y - X)分の利益が出るのはなんでも同じ。

それで考えると、外国との貿易はまず、行って帰ってこなくちゃいけない。昔ともなれば航海技術の水準だって低いし、相当リスキーなはず。乗組員や資材の調達だってお金もかかる。

それをやってなお儲かる、というのは、どんな商品を扱うとそうなるんだろう?というのが一番の興味になった。

なんだっけ、大航海時代にヨーロッパの人たちがワーッとアジアへ向かったのは香辛料欲しさだったそうだけど。

あれも近年の研究では、「医薬品」としての目的から取りに行ってたんではないか、という説もあるそうな。塩漬け肉の匂い消し、というよりはむしろ、医薬品みたいな。

あと当時のアジアは温暖な気候で農作物が取れやすかったそう。一番の食料が手軽に手に入る値段だから、全体として物価が安い。

一方のヨーロッパは寒いので、小麦を取るのも高くついたそうな。主食になるものが高コストだから、それに応じて全体的に物価が高いと。

こういう説明を聞くと「なるほど」と思うけど、東アジアはどんな関係性だったのかな。近いところと貿易するなら運搬コストは安くすむだろうけど、そんなに魅力的な商品があったのかなー。

あとはむしろ「商品を買ってくれる先」として大事、という見方もあるよね。自国で売るより、よほど高く売れるなら、そりゃそっちに行きますよ、よし、船を仕立てよう!的な。

この5年10年で、自分のモノの考え方は経済のフィルターを通した方が分かりやすいと気づいたので、苦手な東洋史も経済の発想からカバーできたらいいなぁ。

訳知り顔にヨーロッパとアジアの物価について述べたけど、実際のところ羽田正さんの『東インド会社とアジアの海』で知ったわけだしなぁ。

「興亡の世界史」というシリーズものの一冊だったから、「世界史のやり直し」と合わせてシリーズ全巻がどんな内容なのか見てみるかなー。


# by ulyssesjoycean | 2019-09-09 18:00 | Comments(0)