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「タカヤマ学」のマッピングをする前に、自分の知的コーキシンをマッピングしてみました( ´ ▽ ` )ノ

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高山宏御大が『エクスタシー』(松柏社)に書いてた記憶あるけど、アレもコレもとやった結果、雑然とした読書になって収集つかないが、それもまた良しといった一文が(なんだっけ、風来山人こと平賀源内についての切り出しだったと思う)

それがなんか妙に印象に残ってるんだけど、「自分の関心をマッピングする」のもオモシロイ取り組みなのかも。

*前にタカヤマ学派仲間で、御大の知的マップを整理すると、人文学の新しい領域が見えてきやすくなるのでは、なんて四方山バナシをした記憶もあったりして

こっちもこっちで、近年、それまでやってなかった反動で、数学、工学、ピコピコ学にドップリ。処理能力的にはヒドイもんだけど(^∇^)、やはり新しい分野だけに刺激も多い。

そう考えて自分の「主たる関心」を整理してみようと思ったり。そうすると、だいたい「5分野」になるみたいなんだな。


1.一番馴染みがあり、落ち着くのは「言語」の世界


外国語をやたら覚えたのもあるし、なんといっても自然言語の学習がいちばん「しっくりくる」。


その一方、馴染みあるだけに愛憎半ばする面もあつたりして。言葉ってヤダナーという思いもたまに出てくるのは、これはなじみ深い分しかたないとも言える。


2. 親しみを覚える分野は「心理学」


あまり浅薄な心理学では困るけど、本質的な研究に取り組んでいる心理学は素晴らしいナーと思わされる。


近年の行動経済学とか、人間のアレな側面に光をあててるので、一時期相当ゲンナリしたけど、やっぱり人間の認識とか認知のあり方をベースにものを考えていこうということで、その意味でも心理学の内容には教えられること多い。


3. 最近になって新しく加わった世界観は「哲学」


文学や人文系の作品にとってかわって、近年、注目度急上昇!なのがこの哲学。


前に述べた「自然言語」や「心理学」を統合するような視点もあるし、なにより「これをやらずにはいられない」という抜き差しならないところから組み上げられた思想には人の心を打つ何かがある。


ショーペンハウアー、キルケゴール、ヒュームなどなど、この人たちの文章を読むと軽く涙ぐむこともあったりして。


あとこの3人がわかりやすいけど、たいへん文章が上手で、簡潔明解、的確な文章で、これを読んでると文学方面の渇望感をあんま感じないところが。


カントさんなんか、言ってることは大事だけども、「自分にヒュームのような名文は書けないから」というので、あんなドイツ語になっちゃったそうな( ´ ▽ ` )ノ


4. 一番あたらしく加わった仲間は「数学/ピコピコ学」


もともと「ブンケーリケーはなぜこんなに反目するのか」という関心あったので、いざ始めてみるとその理由もわかるなど、新しい視点の宝庫という感じ。


ただ、日本語のその手の書籍に触れてると、あまりに狭い世界の中の「正確さ」にこだわるあまり、それ以外の世界に対する好奇心のなさにビックリさせられることも。


前に遠山啓(ひらく)さんという卓抜な数学者が、「すべてを記号に還元しようとする姿勢が、他の分野から非人間的と否定されがちな理由だ」と述べてたりもして。


今は英語オンリーでしか数学/ピコピコ学に触れなくなったけど、英語でその手の本を読んでると「冗談の宝庫」なので、たぶんこういう「冗談を言うような精神的余裕」について、遠山さんは「その心の余裕がないのはいかがなものか」と言ってるんじゃないかな。


5. 「非常によくわかる」「極めて理解しやすい」分野が「経済学」


わりと昔から経済学の考え方に関心あったのか、タカヤマ人文学を通じてジョン・ローとか東インド会社、バルザックの金融小説に触れてたおかげで、「そうだったのか!」と池上ダレカばりに納得できるのが経済学。


そっち方面の人と交流多いのも、そうした「分野との相性の良さ」があると思うんだけど、経済学はとにかく「わかりやすい」「明快だ」という気持ちがあって、親しんでるととてもスッキリした気持ちになれる。


あとは経済学には数式もいっぱい出てくるので、そっから数学に再入門できたのが大きな余禄という感じ。


ーー最近はピコピコ系の投稿は別口にまとめるようにしちゃったので、こっちのブログの更新頻度が下がりがちで申し訳ない感じ。


因果なことにハマってる分野はどれも厄介だから、一冊読むのもエライ時間がかかるようになったせいもあるけど。


でもこういう「関心のマッピング」をすると、なーるほど、そういうことなんだと自分にもあらためてハッキリするのでありがたいな。


これのタカヤマ学バージョンをキチッと作ったら、案外オモシロイのかもしれないナー。


# by ulyssesjoycean | 2019-12-05 18:00 | Comments(0)

「小説に入れる/入れない」は、作品の中の◯◯が原因? 太宰治『人間失格』で色んなヒントが(´∀`)

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(「いまはNo Longer Humanを読んでるよ」と言われて、一瞬なんのことたろうと思ったら、太宰治の『人間失格』のことだった。日本文学や茶道とか、あちらの仲間に教わること多いなーとシミジミしたりして。今回は日本語で目を通したけど、英訳はどんな感じなのかな?)

「なんとなく」という理由で今の今までノータッチで来てしまった太宰治。先日からちょいちょい名前を聞くので、せっかくだからと『人間失格』を読んでみることに。

今回はじめて読んで、「そうか、こういう理由で親しんでこなかったのか」と納得行ったことが。小説のスピード感が、自分のスピード感に合わないんだと思う。

因果なことに、こっちは大変に手間のかかるアイルランドとかフランスの作家さんに入れ込んじゃったものだから、どうも「読む際のスピード」(もしくはギヤ)がそっち寄りになってるらしい。

太宰さんはその点、スピード感あるし、こちらを立ち止まらせない。そこが魅力なんだろうと思うけど、突っかかりながら読む速度に馴染んでしまうとなかなか楽しむ方向にならない。

そうかと思って、中学生のときに夢中になって読んだ司馬遼太郎の『項羽と劉邦』を手に取ってみたんだけど、これもスピード感あって、サクサク進む速度なのが、現在の自分には合わない。

あれだけ夢中になって読んだ作品がいまは楽しめないのかと思うと、ちょっとしょんぼり。でも太宰治に触れなければ「小説の中のスピード感」なんてものに気づかなかった。太宰さん、ありがとう。

ーーそれで思ったけど、アレだ、作品の中のスピード感にピタリと合う/合わないがキモらしいぞと感じてたものに「映画」がある。

評判の大作!から、知る人ぞ知る名作!みたいなものまで、「何もなくてもみていられる」映画があることにオヤッと思ったのだった。

映画はそれこそ2時間とか90分とか尺が決まってるから、「映画の中のスピード感」と「動物としての自分の中のスピード感」が一致するとかしないとかにも、自然と気付くことができたんだろう。

映画は「時間芸術」として音楽に例えられることもあるし、なるほどなぁ、なんて1人得心してたんだけど、そうか、小説とか物語にもそれがあるのね、と。

そうしてみると、「合う作家」「合わない書き手」というのも、この「スピード感」が関係してるのかな。今までそんなこと考えたことないから、この機会にそれまでやり過ごしてきた日本語の作品にも目を向けてみようかな( ´ ▽ ` )ノ

# by ulyssesjoycean | 2019-11-30 22:14 | Comments(0)

夏目漱石『文学評論』に、アレクサンダー・ポウプの痛快批評が!^_^

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(日本語の文献が少なすぎだよ!(>_<)というところから、必要に迫られて手にしたAlexander Popeさん。実際に読んでみて初めて、「なんで今まで読んでなかったか」がわかる内容だった)

必要あってアレクサンダー・ポウプさんの原書を手に取ったけど、あまりに人工的な韻文にいささかゲンナリ。

もっとゲンナーリなのは、邦語の関連文献がびっくりするほど少ないこと。英文学史で名前をよく聞くわりに、現物にお目にかかる機会がないのはこういうことだったのか。

ーーで、調べてみてわかったんだけど、どうもポウプさん、技巧と人工に凝りすぎて、あんまシックリこないという反応は自分だけのものではないらしい。

ポウプ関係の資料を探しててたどり着いた夏目漱石の『文学評論』、ポウプの項目なんか何度も吹き出すようなズバズバとした物言いなので、こちらもつい「その通り!」と調子を合わせたくなる(´∀`)

ポウプの代表作『人間論』を読んだとき、本人の序文で「これをわざわざ韻文で書いたのは、短く凝縮し、覚えやすくするためである」的なことが書いてあった。

ところがイザ本文を読み始めると、批評的な内容を読もうとすると詩のリズムが頭に入ってこないし、詩のリズムを追っかけると今度は内容がおぼつかないーー

前にエドマンド・ウィルソンが『アクセルの城』で言ってたけど、ジョイスの『ユリシーズ』でも「太陽神の牛」はいけない、技巧的にはスゴイが、中身が入ってこず、中身に集中すると技巧が入ってこない、なんて。

ポウプの『人間論』を読みながらそんなことを思い出してたところ、漱石先生の『文学評論』を読んだら、全く同じことが書いてある。

しかし大事なのは、なぜそういう無理をポウプが押し通したか、というところで、漱石先生の名調子につられてグイグイ読み進めてしまった。

『文学評論』もとにかく分厚いので、途中までしか読んでなかったけど、この機会に買い求めてゆっくり読み進めてもいいかもしれない。

夏目漱石の『文学評論』が面白いのはわかったけど、ポウプの文献見つからないナー問題は据え置き( ´ ▽ ` )ノ

# by ulyssesjoycean | 2019-11-25 20:55 | Comments(0)

エドマンド・ウィルソンが自分の原点だったのか! “Patriotic Gore”を読んでシミジミ(´∀`)

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(邦題が『愛国の血糊』というタダならぬ意味になっちゃうけど、長らく読めないできたEdmund Wilsonの代表作。ウィルソン作品は近年翻訳も多数出てるんだけど、どーもウィルソンだけは原文でないと落ち着かないという変な雰囲気が。なんでだろう?と思ってたけど、今回その疑問が氷解)

バーバラ・マリア・スタフォードと並んで、同じ書き手のものをたくさん持っているということでは、このエドマンド・ウィルソンが自分の本棚にやたらある。

英語で本を読むのって面白いなと感じ始めた頃、Edmund Wilson “Pieces of My Mind”を手にして、うわ、まるで読めないとゲンナリしたのも懐かしい思い出。

その後「あっ! 読めるじゃん」と感激した記憶も相まって、Edmund Wilson作品はアレもコレも状態。

そうしたバックグラウンドあったところで、久々に積読するばかりで目を通せていなかったこの”Patriotic Gore”を手にしてビックリ。あっ、自分の英語の文章はウィルソン由来だったのか!と。

このところ珍しくワッセワッセとそちらの文章を書いていたので、そのタイミングでウィルソンの文章に接したら、自分がモロに影響受けてるんだなーと感じた。

もっともこんな格調たかい語彙は使えないけども(^∇^)、ただリズム感はこうしようとか、言葉選びはああしようなんていうところで相当影響受けてるみたい。

アレだな、一時期日本語の「文体模倣」というのにもチャレンジしたけど、長く親しんだ結果、ウィルソンさんが自分の「モデル」になったんだろう。そのことに今回気づいて、「こんなに影響受けてたんだ」とハッとする感覚。

あとはそれで同時に納得できたのが、ウィルソンの邦訳はほとんどスルー状態で来てしまったこと。土岐恒二訳の『アクセルの城』は再読につぐ再読だったけど、それ以降は基本原書で揃えることに。

そりゃこんだけ英語の文章を書く際の「モデル」になってたら、邦訳は読もうとしないはずだと、なんだか変に納得。長いこと「なんでかなーなんでかなー」(©︎稲川淳二)と考え込んできたから( ´ ▽ ` )ノ

自分の原点になってるんだなぁと分かって面白かったので、久々にこのブログにしたためてみたのでした^_^

# by ulyssesjoycean | 2019-11-19 17:31 | Comments(0)

折口信夫『山のことぶれ』がシミルわー こりゃ「民俗学に名を借りた散文詩」だな(´∀`)

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(「おりくちしのぶ」と読めるようになるまで長かった、民俗学の折口信夫。ちょこちょこと代表作には馴染んでいるけど、平凡社から出た新装の『山のことぶれ』を読んだら、これがしみるわー。なんでか知らないけど本の表紙がアップできないので、中公の全集から。『山のことぶれ』の新装版は、平凡社から税込み1,540円にて発売中)

ここ最近ブログの更新が滞ってるけど、なんでだろう?と考えてみたら、調べてる内容がメンドーな方面に行ってるから、サクサクとはいかない。

人文なら哲学、文学ならギリシャラテンの古典、ピコピコはドクヘビのアレで新しい方式にチャレンジ、数学はStatisticsと、サクサクに程遠い内容。

まあ、この4つを同時にやるのもどうなのかと思うけど(^∇^)、それが一番面白いのだから致し方ない。でもその分、ブログにまとめて書くほどまとまるペースは遅くなる形。ごめんなさい。

で、そんなアレコレをやってる時に目に止まったのがこの、『山のことぶれ』。折口民俗学の代表作らしい。

本を読むのが面白くなってきた頃、アレコレのブックガイドに目を通すと、この「おりぐちのぶお」という人が書いた『死者の書』というのがスゴイらしい、と知れてくる。

さっそく取り寄せてみたけれど、出だしの迫力には圧倒されつつも、当時の自分の日本語とはまるで異質な文章に全くついていけなかった。

その頃合いで、「あ、これで”おりくちしのぶ”と読むの?」と分かった形。名前の読み方含めて「異形の書き手」という印象強かったなー。

その後、吉増剛造さんの朗読に心酔して、名著である『生涯は夢の中径』(青土社)を通じて折口信夫に再入門、という格好。

折口さんは古事記とか万葉とか、上代っていうのかな? 日本の大昔のことを民俗学で扱ってたから、みたことのある漢字でも、読み方はまるで違ったり。

そっから「古い日本語を使えば、色んな言葉遊びができそうだ」という超不純な動機から『死者の書』に再挑戦したんだっけ。

で、実際の「おりくち語彙」を集めてみたんだけど、集めた言葉がまずフツーの国語辞典に載ってないという。これじゃ意味もわからないから言葉遊びに使いたくても使えないと観念し、一念発起して古文のベンキョーをしたんだった。

爾来幾星霜というわけで、今では古文をイイナーと思って読むようになったから、折口信夫さんの功徳も大なりと言わなくてはならない。

で、この頃になって『山のことぶれ』が新装されたというので、ドレドレと思って読んでみる形。それでヒョイと思ったことがひとつ。

本好きならどっかのタイミングで民俗学にハマる頃合いあると思うけど、この民俗学、柳田國男、南方熊楠、折口信夫が三巨頭という感じ。

ヤナギタ先生は民俗学の「学問」を代表してる雰囲気。一方のクマグスさんは民俗学が持っている「天然自然」の代表者。

じゃ、オリクチさんはなんなの?というと、「呪術」かな。民間信仰とかの持ってる怪しい部分をガッツリ自分の中に取り込んだというか。

実際、オリクチさんの文学論は、そういう呪術的なところを発生の一因に認めてるところが画期的らしいけど、それをしたためる文章自体が祝詞(のりと)みたいだもんなぁ。

そこのところが吉増剛造さんを引きつけるし、このところ数学やらピコピコやら、やたら合理的・論理的なものにドップリの自分に懐かしく感じられるんだろう。「息がつける」というか。

そんな次第で、『山のことぶれ』自体、民俗学の一冊というより、民俗学に名を借りた「散文詩」として楽しんでる格好。

なんだっけ、吉増剛造さん経由で教わった大手拓次というドマイナー詩人の人の日本語も、なんだこれという独特な響きを持ってたけど、オリクチさんの日本語もそんな感じダナー。

アタマがくたびれてる時に読むとグッとくる日本語という感じ。そういや自分の好きなオトボケ爺さん詩人の西脇順三郎さんと対談してた気がするけど、気のせいだったかなぁ。

古文よりは親しみやすい世界として、折口信夫作品にこれから触れてみようかな。「ことぶれ」とか「ひこばえ」とか、「おのづとのしあがる」なんて表現は他では見られないもの。


# by ulyssesjoycean | 2019-11-13 20:38 | Comments(0)

正論は通じないので、むしろ「◯◯◯◯の手法」の方が良いかもしれない(´∀`) 『自叙益田孝翁伝』を見てそんなことを考える

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(「◯個の習慣」「◯つの法則」というが網上に溢れてるけど、それを全部足すと合計いくつになるのか、と言った人がいたな(^∇^)。自分でも必要に迫られてその手のものに目を通すけど、いつも「本筋」とはカンケーないことの方に興味を持ってしまう。カンケーないつながりで、テーマとまるで関係ないパンダの絵を描いてみた( ´ ▽ ` )ノ)

「仕事本」「カラダ鍛えるぞ雑誌」「◯◯勉強法」など、たまに目を通すことあるんだけど、いつも考え込んでしまうことが。

というのも、ジャンルは色々あったとしても、「知識や技能を新しく身につける際の考え方」には大差がないということ。

よくある感じだとこんなのか。

(1) 三日坊主で根気が続かない…(>_<)
→3日は続くんだから、それをこまめにやろう!

(2) やるからには絶対に成功しなくてはいけない(>_<)
→小さな成功体験を積み上げて自信をつけよう!

(3) なんとなーく◯◯になったらいいとは思うんだけど…(>_<)
→目標設定を具体的にしよう! 数字にすると分かりやすいよ!

…などなど。

これ、カラダを鍛えるでも、何か新しいこと始めるでも、知識やスキルを身につけるでも基本いっしょなんだな。

ところがどの本を、どの雑誌を見てもそう書いてあるということは、裏返してみれば「そう言われても、そんな風に考えられない」って背景があるような。

つまりは、大元の方法論は共通してて、どれ見ても噛んでふくめるように丁寧に解説してあるってことは、大事なことは「丁寧な解説」や「大元の方法論」じゃなくて、「その前になんかある」ってことなんじゃないだろうか。

だって「言われてできる」のであれば、こんな十年一日のごとく、どの本を見ても同じことが書いてるはずがない。まあ、自分の好きな『旧約聖書』のコヘレトさんなんか、「今日ありしことは昨日ありしこと、明日ありしことは今日ありしこと」と言ってるけれども(´∀`)

だとすると考えるべきなのは、「なんで考え方を変えられないのか」と責めることじゃなくて、「どうやったら人は考え方を良い方に変えるのか」じゃないかと思うんだけど。

それで思い出すのは、なんだっけ、複数の人から聞いた話で、「正論は通じない」というやつ。

つまりさっきの(1)〜(3)はどれも正しいことを言っている。言ってみれば「正論」だけど、「反論の余地がないくらい正しい」ことって「人を追い詰める」そうだな。

「なんでできないの」とブライト艦長よろしく言われると、返す言葉がない。そうなると言われた側は逃げ場がなくなるので、むしろ逆効果だ、云々。

そんなこんなをボーッと考えてたら、読んでた本にこんな話があったな。『自叙益田孝翁伝』(中公文庫)なんだけど。

なんでも日本の商売の世界では、「商売の世界から叩き上げてきた人」と「学校を出て商売の世界に入る人」の分裂分断がものすごいと。渋沢栄一さんもこれには大変困ったという話が。

で、三井物産の超エライ人であるこの益田さんも考えて、社に新しく入った人を「いかにも商売人としてやってきました」という風采にしたとか。その人も学校出なんだけど、面白がって商売人に化けた、という。

で、その人を「学校出はダメだ」と頑な会社に社員として送りこんだ由。しばらくしてその会社の社長と会った益田さん、「最近あたらしく入ったあの人、あの人はどんな感じですか」と尋ねたところ、社長の方から「いやー、実に商売の心得がある人で、大変ありがたい」と返事。

そこですかさず益田さん、「いや、あの人は学校出ですよ。あなたは学校出はダメだとよく言っておられるが、そう捨てたものでもないでしょう」と返したそうな。それを聞いて社長も目を丸くしたとか。

以来、その会社では学校出の人も雇うようになったそうなんだな。益田さんの話は大正〜昭和初期くらいだけど、フーンと思わされる。

結局、「考え方を変える」ためには、「結果が先にある」ことなのかなぁと。それも人から聞かされた結果でなくて「自分で体験した結果」の説得力はハンパない、みたいな。

益田さんのエライところは、先にそういう結果を出させておいて、後からネタばらしという格好。言ってみればドッキリみたいなもん。

アレだな、正論をいくらぶつけてもどーにもならないというのは言ってる方も言われる方も嬉しいもんじゃない。だとすると、言う側も「ドッキリをしかけてみよう」くらいの方がいいのかもしれない。

ーーしかし各種の「お仕事本」「カラダ鍛えるぞ雑誌」を見て思うことが、本筋とは全然カンケーないな(^∇^)。だってねえ、どれ見ても「同じことが書いてある」なら、それ、攻め方変えた方が良くない?と思っちゃうのが人情。

で、一番ヒントになったのが、大正時代の話なのだから世話はない( ´ ▽ ` )ノ  最近は渋沢栄一さんの話をよく聞くけど、その周辺の人も相当な傑物がいたようだ。

# by ulyssesjoycean | 2019-11-05 12:00 | Comments(0)

キーを打つのがメンドイので紙辞書を買うという「どうかしてる」チョイス Oxford Advanced Learner’s Dictionary

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OEDには日頃お世話になりながら、それ以外の英英辞典としてOxfordの辞書は使ったことなかった。

語学に関心を持ってアレコレ本を読み始めた頃、自分の先生格の人たちがみんなPOD, CODという話をしており、ナニカナーと思ったのを覚えてる。

自分の場合、「よくできた英和辞典」に強い関心があったこともあり、『斎藤秀三郎熟語本位英和中辞典』を潰すまで使い込み、いま手元にあるのは何冊目か。

その後は『小学館ランダムハウス英和大辞典』を酷使するようになり、こっちもボロボロ。で、それでも追っつかない形になったので近年、OEDのヘビーユーザーに。

それがどうした風の吹き回しか、ちょっとした書き物をする時には英英辞典の方が調べやすいと気づいたんだな。なんだろう、直接英語だけ見て考えた方が発想しやすいのかも。

ーーというわけで、Oxford Advanced Learner’s Dictionaryを購入。例によって1ページ目から通読(!)し始めるという。でもこういう趣味の人、けっこういるみたい。

芥川龍之介の日記だか手紙だか読んでたら、そんな話があって感激したな。原稿に煮詰まるとその辺に置いてある外国語辞典をパラパラ読んで行くと。それでまた書けるようになるし、下手な本より面白い、なんて書いてあった記憶が。

そういや高山宏御大推輓のLongman Language Activatorも、通読して面白い辞典だったなー。いわゆる類語辞典というやつで、眺めてるだけでけっこう面白い。

それこそムカーシ、ジュケーンべンキョーしてたときに困ったのが、この手の「似たような意味だけど違う単語」だった。AreaとRegionは何がちがうんだろー、なんて。

Language Activatorは用例もオール実例で、実用本位で探した表現が、けっこう実例が面白くて読んでしまったりとか。あとは自分の好きな作家の用例ではないか!と見つけて狂喜したり(大げさ^_^)。

よくできた辞典ってオモシロイナーと目覚めて以来、新しい外国語を身につけるときは、けっこう辞書選びも慎重になったな。英語以外の言語は辞書もそこそこ高くなるし。

そんな次第で辞書の恩恵をこうむること長年に渡るんだけど、いまだに一番愛用してるのが紙辞書という。でまたその理由がノスタルジー的なことばかりかというと、そうでもないんだな。

というのも、持ち歩きタイプの電子辞書にしても手持ちピコピコにしても、正直「キーを打つ作業がメンドイ」と感じてしまう。

辞書も使いこんでくると(と言っても、1〜2日ガッチリ練習すれば身につくけど)、狙った単語を一発で引けるようになってしまう。斎藤秀三郎の英和辞典を酷使してた頃なんて、目指す単語をほぼ一発で引きあてると。

つまりはこういう「ページにかかってる親指の感覚」で「1秒以内に目的の単語にたどり着く」経験してしまうと、それが標準になってしまい、「キーを打って探す方が遅い」というおかしなことに。

もちろん紙辞書は重いし嵩張るので、電子辞書の恩恵も知らないわけではないんだけど、「調べるスピード」というと、どうしても使い込んだ紙辞書の方に軍配が上がってしまう。

デジタル方面の辞書やツールでありがたいのは、「デカすぎる」辞書辞典の場合かなー。伝説的な19世紀ラルース大辞典とかも、デジタル化されてるそうだし。

そうそう、それでいえば最近、諸橋漢和大辞典がデジタル化されたらしい。購入してる人もいて、スゴイナーと感激したけど、実際、諸橋漢和の圧倒的な質量は凄いから、なかなかで手元に置いておこうという踏ん切りがつかない。

あとは辞書道楽で言えば、辞書の「序文」を読んでみると、アレがけっこうオモシロイ。それこそ諸橋さんの漢和辞典なんか、かなり泣ける序文がついていて、あれだけ読んでも損はないと思うくらい。

で、今回購入したAdvanced〜の序文を読んでみたんだけど、言葉のはしばしにLongmanを意識してる様子がありありと見えておかしい(^∇^)。やっぱライバルなのね、と。

あとフームと思ったこととして、「辞書は作り手の意思もあるが、使う人が”どんな使い方をしてるか”に寄り添う必要がある」なんて書いてたな。

つまりは使う人の目的に合わせて辞書自体の方針も考えなきゃいけない、そうすると単純な頻度分析だけでは使う人の利用文脈に合わない可能性が多々ある、なのでこの辞典ではこのスタンスで編纂した、と。

こういう「意気込み」とか「ライバル視」みたいな部分が見えるから、辞書の世界はオモシロイな。OEDも実は序文や注記の類がオモシロイとも聞くし。

# by ulyssesjoycean | 2019-10-31 21:50 | Comments(0)

マボロシの企画がついに発売⁉︎ 高山宏『トランスレーティッド! 高山宏の解題新書』が青土社から2019年11月26日発売予定 ∑(゚Д゚)

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(タカヤマ御大が『翻厄こんにゃく、或は命がけ』のタイトルで翻訳作法を述べたエッセイ。「まあ10年早いよと言ってくれそうな…」で始まるこの文章が大好きで、中島敦の『山月記』よろしく、「暗唱」してるなー。たまに一発芸として、このユリイカを渡して数ページ分暗唱すると、目にした人がドン引きするだけとわかったので、以来封印(^∇^)。でもなんか妙に好きな一文なのでした)

「まあ10年早いよと言ってくれそうな由良君美、高橋康也、種村季弘の諸先生なき今だからこそ、さすが傲慢不遜のぼくにしてやっと言えることだ。そしてあと2年で、『あの高山が還暦!』と人にも驚いてもらえそうな今だから言えることだか…」

と、だいたいこんな感じの出だしだった高山宏『翻訳こんにゃく、或は命がけ』。この後も延々と暗唱しており、というより「暗唱しちゃった」という感のある大好きな一文。

なんでその話を始めたの?というと、これがビックリ、そこで「ペンディングしちゃった一冊」として取り上げられていた、『トランスレーティッド! 高山宏の解題新書』が、なんと2019年11月下旬に発売される模様。

『ユリイカ』の「翻訳作法」特集はいつだったのかな、と、本棚から取り出して確認すると、これまたビックリ、2005年1月1日と奥付にある。14年前かー。

なもんで、まさか14年の時を経て『トランスレーティッド〜』が発売されるとは予想もしなかったナー。

くだんの「翻訳こんにゃく〜」では別な一著に触れて「著者がこれではいけないんだろうが、いつふと出るのか、なんだか楽しみだ」というくだりがあったけど、まさにそんな感じ。

このところ煮詰まり気味だったので、タカヤマ御大の新刊が出るというのは大変嬉しい。『トランスレーティッド』の企画案には、「あとこれだけは翻訳してあげたい」というリストの話もあったので、今度出るコレには、そのリストはついてるのかなー。

とりあえずそういうリストさえあれば、あとは自分で原書を手にして追っかけることができるので、それが楽しみだったりする。こういうとき、語学はやっておくものだと思ったり( ´ ▽ ` )ノ

このところ自然科学やピコピコ系の話題が多かったので、久々にタカヤマ系の話題を取り上げてみました。来月の発売が楽しみだヽ(´▽`)/


# by ulyssesjoycean | 2019-10-27 12:00 | Comments(0)

数学は「チベットの高山でYakの毛を刈ってしまう」流れになりがち? HowはあるけどWhyはない分野だそうな(´∀`)

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「セーターを買うはずが、いつのまにかチベットの高地でヤクの毛を刈っていた」状況をYak Shavingと言うそうな。そのことをピコピコ本の著者Ben Radyさんに教わる。

でこれ、スーガク全般に言えそうだなーというのをトーケーガクをやりながら思った次第。

先日からStatisticsのベンキョーを始め、色んな手法や歴史を面白く思ってたんだけど、だんだんとMean ValueやStandard DeviationのShortcutに話が移ってくる。

もちろん、ヘイキンやヒョージュンナントカーをササッと出せるようになるshortcutはありがたいものの、その練習をやってるうちに、ふと、「そもそもStatisticsは何のためにやるものだっけ?」ということが頭をよぎる。

先日読み切ったピーター・バーンスタインさんの『リスク 神々への反逆』が超オモシロかったので、そこで紹介されてたトーケーガクをやってみようと思ったのだけど、じゃあ肝心のトーケーガクの使いどころはどこにあるんだろうと。

スーガク書をやってて思うのは、ある程度の基礎知識とメソッドが固まってくると、「計算だけやってることのオモシロサ」に目移りしちゃう側面があるのかもしれない。

つまり具体的な目標を達成する手段として数学の中の◯◯学があり、その◯◯学を効率的に活用するためにケーサン問題で練習するわけだけど、しまいにはケーサンが上手になることが自己目的化する、みたいな。

こっちはもともと数的な処理能力がアメーバ並みなので(^_^;)、必要な計算はしてもいいけれど、「なぜ」とか「そもそも」を考えちゃう。

誰だっけ、バートランド・ラッセルかA・N・ホワイトヘッドのどっちかが言ってたけど、スーガクにはWhatとHowしかない、Whyを全く欠いた分野であるという説明が。

Statisticsみたいに現実の必要に迫られて発展してきた分野でもその傾向あるのか、処理能力に長けてる人は、WhatとHow、つまりデータ(What)をメソッド使って解くこと(How)自体が面白くなってしまうのかも。

ピコピコの紐ingは基本、なんかを作るというところに大元があるから、Ben Radyさん言うようにYak shavingしないように気を付けろ、というアラームを自分にも鳴らすようにしてる面がある。

スーガクだと、モノをつくるのがそもそもの目的ではないから、自己警戒のアラームの鳴らしようがない。計算の手続きに注意はしても、計算それ自体を何のためにやるのか、おっぽりっぱなしになってしまうのかな。

最近は自然科学ばっかりやっていて、また多少ともカンが掴めてきたという実感(or錯覚)あるから、そっちばっかりになってしまうんだけど、元々の素養がスーガク向きでないからなぁ(^∇^)

なもんで、バリバリのオーヨー数学であるはずのStatisticsをやっていても、「なるほど、数学が得意な人は、応用数学でも処理手順自体が楽しくなってしまうのかも」と気づいた形。

もちろんこれはどの程度的を得てるのかわかんないとこだけど。数学が一部の人から「近寄りがたい」と思われるのは、こんなところに理由があるんじゃないかと思ったりして。

なんだっけ、それこそ数学者の遠山啓(ひらく)さんなんか、数学者のものの考え方を客観的に見ていて、自分のことも批判してたから、これはスゴイ人だなと感心させられたナー。

# by ulyssesjoycean | 2019-10-26 12:00 | Comments(0)

コグニティブ・トレーニング略して「コグトレ」! メタ認知習得のカギはもしかしてココにあるのか?∑(゚Д゚)

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最近は「学習障害」「発達障害」に強いキョーミが。前々からあったんだけど、なにかのカギが隠れてる気がする、という感じ。

学習障害とか発達障害とかいうと、その言葉付きがよくないから、もともとの英語であるLearning DisorderをつづめてLDと呼ぶ人も。Disorderは「orderがメチャメチャ」くらいの意味だから、「学習うまくいかなーい」とか。

それでいうと、人工のナントカーの研究をしてる新井ナントカー先生の本に、教科書が読めないChildrenという話が。

あとは何の新書で読んだか定かでないけど、そこにもLDの話が。つまりは幾つかの経路を通って行ったら、「学習うまくいかなーい」が共通してるんだ、と見えてきた。

で、今回、ケーキが三等分に出来ないとかいう新書を眺めたら、「コグトレ」という話が見つかる。

コグトレ、コグニティブ・トレーニングCognitive Trainingの略だそうで、図形を模写したり、画像の一致点を探したり、読み上げた文章の中にキーワードが出てきたら手を叩く、なんていう認知把握を訓練するものらしい。

モノは試しと「8つのイラストの中で、全く同じものが2つあります」という、言わば「間違い探しの発展版」をやってみたんだけど、これがけっこう難しい(^∇^)。ペンでメモでもしないと、相当タイヘンな内容。

これやって思ったんだけど、コグトレは「オプトアウトOpt-out」方式にして取り入れた方がいいんでは、と。

現状では「学習うまくいかなーい」が見られるChildrenに対して実施するわけだけど、これを逆にする発想。つまり「全員コグトレやって、必要な人だけ継続的にトレーニング」するという。

行動経済学では、こういう意思決定とかやる/やらないを「希望した人だけやる形式」にすると、「希望する」を選ぶ人が極端に少なくなる。この形式がオプトイン。

開始段階から「全員加入」にしておいて、「希望した人だけ外れる」ようにすると。こっちの方がニンゲーンの認識には合ってるそうな。で、こういうのを「オプトアウト」と呼ぶんだって。

その考えを応用すると

(1) 参加者全員がコグトレをやる
→必要な人はコグトレを継続
→必要なくなったら次のフェーズへ
(2) 読む力を測るリーディングスキルテストRSTへ
→必要な人はRSTを継続
→必要なくなったら次のフェーズへ
(3) 学習に必要なメタ認知の習得へ

みたいにすると、「これぐらいはさすがにできるだろう」といった思い込みから生じるミスマッチを減らせるんじゃないかと思うんだけど。

よくよく考えてみると、自分の場合、外国語は7つも8つもやったけど、数学はStandard Deviationがイグアスの滝なみの急降下で、見た人が笑うくらい。言ってみればアレもLDではないのか。

自分でピコピコに真剣に取り組んで分かったけど、苦手な人には「それ専用の学習法」が必要なんだな。得意な人のやり方をトレースしても、ダメとは言わないけど、得るモノは相当少ない。

ところが得意な人は「なんか出来てしまう」ので、苦手な人の目線に立つことはどうやっても出来ない。生魚がニガテ人が、いくら寿司のおいしさを力説されたところで、その嗜好が変わるわけではないからなぁ。

学習法は全てこの調子で、ニガテな人こそ自分に合った学習法を見つけたいんだけど、トクイな人が記した学習法しか見つからないというジレンマが。

もちろんトクイな人は、ニガテな人の視点に立つことがそもそも不可能なので、自分の視点から学習法を提供するほかにやりようがない。

そういったことを日々考えてたので、コグトレは何か大きなヒントを与えてくれそうだなー。そのためにはまず一冊あがなって、自分で全ページをやってみないとな(^∇^)

よくある話だけど、TOのつく外国語のモンダイ、受けろ受けろという人が実はTOのつくモンダイを一度も受けてなかったりする(´∀`)

それでいうと、コグトレをやってみると、自分のどの辺にニガテポイントがあるかも分かって、身になりそうな気がするんだけど。

自分が数学まるで出来なかった理由が、「数学の記号が音読できないこと」にあると分かった時はビックリしたけど、それと同じようなことが、外国語の学習で苦労する人にもあると思うんだけど、どうだろうか。

それこそいまStatisticsをやってるから、ブンケー/リケーという分け方にも、何か統計的に意味のある偏りが出たら画期的だと思ったりして。

ということで、まずはこのコグトレを一冊やってみたいと思います( ´ ▽ ` )ノ


# by ulyssesjoycean | 2019-10-23 18:26 | Comments(0)