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「集合論」というとカタイけど、英語では単に「set」と言うそうです

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(名著『文系のための数学教室』の著者・小島寛之さんが紹介していた遠山啓。ルビがないと「とおやまひらく」とは読みなかったなー。別な新書は読んだものの、集合論に関心を持ったからこの一冊も手にしてみようか考え中。でも正直、数学も紐ingも「英語の方が遥かにわかりやすい」のをどうすればいいのか)

最近はピコピコ由来の数学ばっかりやっているけど、結局のところ「集合」をやらなくてはいけないようだ。


というより、ピコピコの紐をかじった頃から、これはどうも「集合」に関係ありそうだぞとは気づいていたものの、完全にスルーしてきてた。


そりゃそうなんだな、紐ingをやってないんだから、紐ingをやると必要になる集合論をやる必要がない( ´∀`)。


上の文章(文障)はワザとだけれども、集合論はなんかこんなのばっかり。◯◯でないものは××でない式の文章が延々と続くのがどうもナー。


ただ紐ingと別なところで「ほう!」と思ったのが、数の話。1,2,3,4,...∞、というアレ。


数学の学び直しをやった際、上の「1から始まって∞」というのは、古代ギリシャから考えられてたそう。


で、現代の幼児さんに聞いても、∞は「イメージすることができる」らしい。「とにかくはてしなくでっかいかず」として。そういうのがあるというのは、幼児さんにも理解できる。


その後、∞のマークは「数ではない」とも知ったけど、こっちは数学者ではないのでそれはさておき、「1から始まって∞」は、その定義が長いこと出来なかったとか。


似たような話として、微分積分は17世紀からバリバリ使われてたけど、「結局、数学的にどう定義できるのか」というのは、19世紀になってからだそう。


遠山啓(ひらく)さんの本だったかな、「創造は理論に先行する」なんてカッコいい言葉を目にしたけれど、ちゃんと定義するのはどえらく難しいそうな。


微分積分は19世紀にコーシーなる人物が「極限」というのを理論化してバンザーイだったけど、さっきの「1から始まって∞」は古代ギリシャからずっと定義できなかった。


それが「集合」で定義できるようになったのが、20世紀初頭とかなんだっけ?  そもそも集合論自体がドン無視されてたそうだけど。


なんでも、1,2,3,4,っていう数の並びは、集合で考えると説明がつくそうな。


1っていうのは「1を含む集合」、2っていうのは「1,と2を含む集合」、3っていうのは「1と2と3を含む集合」で、その中の要素数をあらわすとか。


そうすると、∞になっても、ちゃんと数学的な整合性が得られるそうなんだな。


数学者の遠山啓さんはお子さんが数学につまづいて(なんと!)、その理由が「数えること」に由来してると調べに調べて気づいたそう。


「お風呂で20数えましょう」と言うけれど、数を「順序」として捉えると数学が分からなくなるのだとか。


7匹の魚も、一週間の7日も、「同じ7だ」と気づいた人間はスゴイと言った哲学者がいたそうだけど、数は「グループ化」と密接な繋がりがあるのだと。


で、この「グループ化」というのと、ピコピコの紐ingが関わってくるんだな。


自分としてはショージキ、class, property, value, idの「使い分け」にどんな法則性があるのだろう、ということを考えてしまってた。


つまり、どんな時にclassにして、どんな時にidで指定するのか。あとは名前も付けないといけないけど、「その名前の付け方」にどんな法則性があるのか。


調べてみても「他の人がわかることが大事」という返答しか見つからない。「わかりやすさ」が「人によって違う」以上、これは自分の求めることと違う。


「人による」なんて曖昧なものを基準にして名前を付けてていいんだろうか、「名前の付け方の法則性」もあるんではないのかと悶々としてたけど、それがどうもあるらしい。


ーーというヒントを、19世紀の数学書読んでてやっと気づいたんだな。「なーるほど、こういう風に名前をつけていけばいいのか!」なんて。


当然、19世紀だからピコピコは影も形もないんだけど、むしろその頃の方が理論的な基盤がガッチリしてるので、門外漢的には大変有り難い。


だって、「◯◯にはclass, property, valueがあります」とは言うけど、「なぜ◯◯にはclassとproperty とvalueがあるのか」を説明してくれるものは絶無。


そしたら発案者の人が、これを全部「なぜなら!」と教えてくれてるので、「こういう話が聞きたかったんだ!」と感涙にむせび泣いた次第(大げさ)。


でもこのペースで行くと、どうやら人生初、「数学書を全ページ読み切る」ことになりそう。著者の19世紀のおじさんが草葉の陰で喜んでくれてるといいな(^∇^)


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# by ulyssesjoycean | 2018-05-20 12:00 | Comments(0)

学魔・高山宏の蔵書が古書店「ほうろう」(東京、千駄木)に!

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(高山宏御大の一番の影響というと、このバーバラ・スタフォードだなー。著作じゃないんかい!とツッコミたくなるけど、あのドライブ感ある原文はタカヤマ節と別モノとは思えなかった。由良君美とジョージ・スタイナーのごとく、高山宏とバーバラ・スタフォードは名コンビと思う。邦訳『グッド・ルッキング』は産業図書から税込4,104円にて発売中)

かねてからアレだとおっしゃっていた学魔御大、3万冊の蔵書を東京千駄木の古書「ほうろう」を中心に放出される由。

常々「本はCirculationした方がよい」と思ってきたけど、御大の「おごり」はスケールが違ったなと、リンク先の古書店主の話を読んでシミジミ。

3万冊の蔵書は、これから段階的にくだんの古書店を通じて放出されていくそうなので、立ち寄れる方は是非一度、という気持ち。


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# by ulyssesjoycean | 2018-05-15 20:57 | Comments(0)

ピコピコ学習も遡るのが一番の近道? 『ウィザードリィ』はどんなゲームだったっけ

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(『ウィザードリィ』を下敷きにした大ヒット作、九井諒子さんの『ダンジョン飯』。押井守監督も自作に取り入れるくらいだし、パソコン発のRPGとして、『ウィザードリィ』の系譜はいまも続いてるんだなぁ)

ここ最近やたらと思い出すRPGの古典、『ウィザードリィ』。真っ黒の画面に白ーい線が引っ張ってあるだけのダンジョンを仲間と攻略するアレ。

ピコピコ学習も結局、本質的なことをわかろうと思うと古い方に遡るしかない様子。ピコピコのオリジンを尋ねて三千里。

タカヤマ学派的には、英国王立協会とかライプニッツとかもピコピコの源流なので、変な話、ピコピコを分かるためにはピコピコが生まれる前の時代まで遡ることに。

最近やっと、イエズス会でない方のJSの教練を一通り終えたけど、やはり納得できない部分が多い。なんでコレだけで動くの?的な。

イエズス(以下略)を動かす場所として「ザッと見るもの」があるけど、まず「ザッと見るもの」が実際どうなってるのかをまるで知らない。

現物を見てみようと思って「火狐」の「古文書館」に行き、少し前の「源紐」を拾ってきたけど、中に納められてる「書類」数がハンパない。お気楽に眺めるもんじゃないなーコレ。

とはいえ自分としてはそっちに進みたい「提供側」の書類を開けて見ると、「3番目のアルファベット足す足す」で書かれてるものばっかり。

「網」につないだり、「場所名前解決」や「動的おもてなし設定約束事」なんていう、いかにもピコピコ系なところは3番目のアルファベットがとっても大事らしい。

ベテランピコピコラーの話など読むと、昔はユーエヌアイエックスと3番目のアルファベットとあともうひとつ何かが「ピコピコ3種の神器」だったそうな。

昔どころか、今現在も火狐で網につなぐための約束事には3番目のアルファベットが使われてる。これだけ新しい名前のピコピコ言葉が発明されてるのに、コアな部分は3番目アルファベットがいまも現役なんだーー

じゃあ、いまも現役な「理由」があるはずなので、そこを知りたいとかやってると、3番目のアルファベットの「前の前」も知りたいということになる。

いま自分のピコピコ学習で一番お世話になってる参考書は1854年の本(!)だったりするし、そうやっていちいち源流をたずねて行かないと、結局ナットクできないという。

そうやって古いのを探していた時に、『ウィザードリィ』が今も受け継がれる理由って何なのかなーと考えた次第。そもそも、あのゲームはどんなピコピコ言葉で書かれてたのかな、とか。

ドワーフとかコボルドとか、言ってみればみんな『ウィザードリィ』から知ったようなもんだし、最初に「セーブ」「ロード」という言葉を目にしたのも『ウィザードリィ』な気がする。

ーーと言っても、実際にはやったことほとんどなくて(^∇^)、どんなゲームなんだろうと雑誌や攻略本なんかを眺めてソーゾーする楽しみがあった。

馬小屋で寝るとタダでMPを満タンにできるから、宿屋に行く前に回復魔法で体力全快にして馬小屋でMP回復とか、プレーしてもいないのになぜか知ってるし(^_^) 「かべのなかにいる」とか。

押井守監督も丸一年、毎日『ウィザードリィ』をやってた時期があるというし、オリジナルには何かがあるのだろう。じゃなきゃ「馬小屋でMP回復」を覚える理由がわからない(^∇^)

ピコピコの最先端を追っかける方面はあんまピンと来ないので、結局、数学とか経済学と同じで、えんえんと「昔のこと」を遡るばかり。

「やってれば慣れますよ」というアプローチも分からなくはないけど、それはなんだかやたらに聞き流すアレとあんま変わんない気がするので、きちんと分かりたい、という思いは人一倍つよいなー。

あとはアレだ、「慣れますよ」系は、仮にそれで覚えられたとしても、「自分が覚えたことを人に伝えられない」からなー。伝えられない以上、次に覚える人はまたゼロからのスタートだもの。

そういうのが何とかならないかなーと思ってる合間合間に『ウィザードリィ』を思い出すという。思い出してどうするわけでもないんだけども( ´ ▽ ` )ノ

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# by ulyssesjoycean | 2018-05-14 22:20 | Comments(0)

これは楽しみ! 隠岐さや香『文系と理系はなぜ分かれたのか』は7/25発売予定!

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(2018年7月に『文系と理系はなぜ分かれたのか』という新書が出るらしい。まさに自分の研究(大げさ)テーマ!  著者の隠岐さや香さんは前著もあるようなので、今度手にとってみなくては)

隠岐さや香『文系と理系はなぜ分かれたのか』(星海社)という新書が7月に出るそうな。

止むに止まれぬ事情からピコピコで紐ingをするようになったけど、「語学人」(*自称)的には、とにかく参考書が使いにくい。

divはdivideの略だとしても、ulって何だよ委員会という感じ。「Unordered List」の略だというのは、いささか無茶でなかろうか。

そういうのを一つ一つ調べていかないと、自分の知識に取り込めない。解説のない略称だけ言われても、「意味も読み方も分からない漢字をただ書き写す」ような違和感があったなー。

ところがピコピコ系の参考書で、こうした略称の説明をしてるものはほぼないので、その辺りから意識のすれ違いは大きそう。

例えば「Math.pow」は「Mathematics, Power」の略であり、powerは「累乗する」ということ。exponentialのことかー、なんて。

一事が万事その調子なので、学習者の一人として「みんな、Math.powだけ見てわかるのかなー?」と素朴な疑問を持ってしまう。もっというと「なんて発音してるの?」と。「マスドットパウ」とか?

それじゃ一方のHumanities系は全肯定かというと、これはこれでウーンと唸ることが多いんだな。

よくある話の進め方としてはこんな感じ。「人文の教養は何の役にも立たないと言われる。しかしそんなことはない。近頃は手持ちの機械でピコピコやってる人間が多い。あっちの方がよっぽど何の役にも立たない」云々。

でも結局、「役に立つ/役に立たない」で話が進んでることに「なんだかなー」と阿藤快さんばりの気分に。

それでいつも思うのは、文系でも理系でも、「体験が共有されない」ことが一番キツイところだな、と。ピーター・ナントカーさんは「コミュニケーションの前提は体験の共有である」と喝破してたけど。

さっきの「役に立つ/立たない」でも、あれ、「手持ちの機械」を「一度も使ってないのに」批判するからアレアレ、ってことになる。

「理系にとって必要な英語能力」みたいなものも参考資料としてたくさん目を通したけど、決まって「仮定法過去完了なんて、理系の論文で使用しないものを学ぶのは非合理的」といった話になる。

ところが先日から、数学の専門書を読み始めたら、イギリス人の著者が仮定法過去完了を論文でバリバリ使ってるので、ここでも首を傾げた次第。

こういう両極端な文系・理系の話を10も20も眺めてくると、「なんでニンゲーンは『自分の得意なこと以外をやらなくなる』のかな」という疑問が湧いてきた。

それこそ手持ち機械であれば、買わないまでも量販店の店頭で触ってみればいいし、その上で「やはりこれはイカン」というのなら致し方ない。

また、別に仮定法過去完了が載ってる外国語の本を探して買って読まないまでも、網で引いてPDFで一度眺めたってソンはないと思う。それで「やっぱ向いてないなー」というのもよく分かる。

ところがなんでそう出来ないんだろうーーと、自分を見ても思うんだな。ピコピコ学習は続けてたけど、紐ingだけは「やらざるを得なくなった」からやった形だし。そうなるまでは「やらなかった」わけだから。

「自分はあの映画を少しも見てないけど、あの映画はヒドイもんだ」なんて言う人がいたら、さすがにそれは「ちょっとちょっと」となる。予告編すら見てないのに⁇的な。

頭の中で考えたり、喋ったり、文字にするのに比べて、「実際にやってみる」のはどうしてこんなにハードル高いんだろうーーと、考えてしまう。

一番もっともらしい説明としては、『影響力の武器』に書いてあった「注意力=有限な資源」という話。

よく「ながら◯◯は良くない」と言われるけど、実際、人間の集中力や注意力は限りがあるんだって。なので「自然と節約するバイアスが働く」そうな。

で、「前にこうしたから」とか「なんとなく」とか「あの人がそー言ってたから」という方法で「注意力を節約する」と。こういうのを「ヒューリスティックス」と言うのじゃなかったか。

それを発展させると、「行動する=実際にやってみる」は、「注意力の消費量」がものすごいんじゃないのかな。マッコウクジラの1日の摂取カロリー並みにとんでもない分量だ!的な。

実際、自分の馴染みある語学は、ほとんど注意力を消費しないけど、悲しいかな、イエズス会じゃない方のJSは一冊の参考書をやりきるのに数ヶ月単位。はたた(´∀`)

隠岐さや香さんの御本にそうした話が出てくるかは分からないけど、ぜひ手にとってみたいところ。


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# by ulyssesjoycean | 2018-05-12 12:00 | Comments(0)

雑誌掲載が一番待ち遠しいマンガ作品! 石黒正数『天国大魔境』

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(『それ町』でお馴染みのマンガ家・石黒正数さん。『アフタヌーン』で開始した新連載『天国大魔境』は、『それ町』から雰囲気がガラリと変わって、アクションありのSF作品。いま一番楽しみな作品かも。単行本発売はまだまだ先だろうなぁ)

『それ町』でも小ネタびっしり、読者が気づかないところまでガッチリアイディアが詰まってそうな作品を描く石黒正数さん。

最新作の『天国大魔境』はシリアスなSFものだけど、同時にご自身の「ルーツ探訪」な趣きも。

『それ町』の頃から大友克洋さんの影響が色濃く出てたけど、『天国大魔境』では「自分が影響を受けた作品を自分で作り直す」という意気込みが感じられる。

宮崎駿さんが飛行機モノに真正面から取り組んだ『風立ちぬ』みたいなもんで、これはスゴイぞ、という気迫が伝わってくる。『それ町』テイストのすっとぼけた笑いも入るんだけど(^∇^)

ルーツ探訪と言ったけど、『それ町』も『菫画報』の続きが読みたくて書いている面があるとかないとか。(どこかの雑誌のインタビューで目にした気がするけど出典がわからない!)

それでいうと、『天国大魔境』は大友克洋、荒木飛呂彦、岩明均エッセンスがバリバリ入ってるので、石黒作品では必ず付いてくる「作者あとがき」で、どんな話が展開されるのか今から楽しみだ。

あとは画力に毎回ホレボレする。ーーというか、一応は絵を描く人間の1人として、もはやネタミを感じるレベル(^∇^)。つけペンの実線でなんでこんなフニャッとした立体感を出せるのかとため息をつく。

なんでもないシーンだけど、線の強弱や方向も揃ってるので「なんで描けるんだよ!」と今月号を見てジタバタしたなー。ジタバタしても描けるわけじゃないんだけど( ´ ▽ ` )ノ

そういえば荒木飛呂彦さんも流麗な絵柄だけど、物体が「溶ける」とか「捻れる」とかのモチーフが頻出する。立体を描けるようになると、次はそれを「立体のまま」グニャグニャさせる方向に進むんだろうか。

いま一番単行本化が楽しみな作品なので、雑誌連載のうちに感想を書き記しておこ(^∇^)。このブログではシレッと、これはスゴイ人が出てきた!というので山本崇一朗さんを取り上げたりしてるし。だからナンダ、ってことではあるんだけど( ´ ▽ ` )ノ

九井諒子さんの『ダンジョン飯』も、連載第1回からスクラップしてたりして。単に、月刊連載だから単行本出るまでの「つなぎ」として揃えておく、という意味だったものの。

最近は自分で絵を描く頻度が上がったせいか、マンガを読む方に大きな集中力が必要になり、なっかなか新作を追っかける方に行かなかったけど、『ダンジョン飯』以来の「来た!」という感覚をよこしてくれた『天国大魔境』に大感謝。

しかし『天国大魔境』を目にするたび、『天外魔境』と空目してしまうのがやり切れない^_^  内容的にはぜんぜん違うんだけど、なぁ。

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# by ulyssesjoycean | 2018-05-07 17:56 | Comments(0)

ピコピコ入門書の名著! 草野真一『メールはなぜ届くのか』

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(ピコピコにニガテ意識を持つ人にはぜひぜひオススメしたい、草野真一さんの『メールはなぜ届くのか』。ピコピコ関連本は山ほどあるけど、「入門書」ということでは今までで最高の一冊だった。読み終わって、「なんでピコピコ苦手現象」が2018年にも続いてるのが大きな発見が。講談社ブルーバックスから税込929円で発売中)

ピコピコ武者修行を続けてきたけど、それと並行して関心を持ってたのが「ピコピコリテラシー」の話。

語学と同じで「日常で使う必要ない」から「覚えない(覚えなくていい)」という話をよく聞いたピコピコ界隈。

ところが2018年になって「誰もがピコピコを使うようになった」けれども、「ピコピコリテラシー」がボトムアップした、という話は聞かない。「むしろ下がっている」なんてキビシイことを言う人も。

このブログ主のピコピコリテラシーも怪しいけれども、キカイそのものはこんなに広まったのに、その「使い方」がこんなに広まらないのはなぜなのかな、とは気になっていた。

「ダイナミック主催者設定約束事」を調べる兼ね合いで、草野真一さんの『メールはなぜ届くのか』に出会ったけど、使い方が広まらないはずだと変にナットク。

というのも、ピコピコは「間にドーンと大きな組織が入ってない」のが、「複雑化する」理由みたい。

例えば電話。電話番号さえ分かればとりあえず相手に電話ができる。テレビも、スイッチを入れれば画面が映る。ハガキも、住所を書いて切手を貼れば向こうに届く。

どれも大変シンプルだけど、それは「間にドーンと大きい組織が入ってる」からみたい。

電話なんて、受話器で「プルルルル」という音がするまでにメチャ高度な技術が使われてるけど、それを気にして電話をかける人はいない。

テレビも、周波数帯や電波帯域を知って利用してる人はまずいない。放送は免許事業だとか、法律も色々あるし。郵便だってそうだろう。

そういう裏側の複雑なシステムを知らなくて使えるのは、電話局、放送局、郵便局が「ぜんぶやってくれてる」からだそうですな。

実際、自分も「MIS安格」を使うときに電話について勉強したら、メチャメチャ複雑なシステムの話で頭がパンクしそうになった。

本を一冊読むのに丸1ヶ月かかったので、うわー、こんな複雑なことやってるんだー電話ってーと、ため息が出たくらい。

カンタンに使えるものほど、間のデッカい組織がシステムをガッチリ抑えてるので意識せずに使えるそうな。

ところがことピコピコの場合、本来ならデッカい組織がシステムでガッチリ固めるところを、「ピコピコ1台でぜんぶやる」ようにできてると。

もともと網仕事の世界は「一箇所に情報を集中させちゃったら、そこを狙われた時に危ない。なるべく分散して処理しよう」という発想があった由。

結果、電話局の裏側でやってるような何層ものシステム構造を、ピコピコ1台1台で約束しながらやらなくてはいけない。

紐ingの学習をし始めた時、殆どの参考書が「基礎がないYo!」と嘆いていたけど、それはもうしょうがないと思う。

これから紐ingをやろうって人だってそう言われるくらいだから、いくらキカイ自体が広まっても「その裏側の知識」が広まらないのも道理だなー。

裏を返せば、「本来はナントカ局がぜんぶ統括するような分野が、これだけ広まった」ということの方が稀有なんだろうな。だってねえ、「電話で話すときは配線を自分でやってください」なんて言われたら、こんなに広まらなかったと思う(^∇^)

あとは『メールはなぜ届くのか』を読んで痛感したけど、「紐ing」と「網仕事」は全く別のジャンルだな。

で、ピコピコリテラシーに関するのは「網仕事」の方面なんだな。「紐ing」はやらなくてもいいけど、「網仕事」の全体像が掴めてない方がキツイと思う。でもどっちも「何となく同じもの」として扱われてるのがモンダイか。

もっと厄介なのは、「網仕事」の方が、システム的には複雑だ、っていうことかなー。自分も今回やっと、リンゴ社のピコピコとはまるで関係のない「MAC住所」にどんな意味があるのか分かった。

何にしても、こんな複雑なシステムの話をここまで分かりやすく面白く解説してくれた草野真一さんに脱帽。ちゃんと英語の意味や歴史的背景も教えてくれるので、その点からして違ったなー。超オススメ(^o^)。


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# by ulyssesjoycean | 2018-05-01 12:00 | Comments(0)

今なら読めるぞ! John Updike "Rabbit, Run"

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(高山宏・巽孝之『マニエリスム談議』にも「アメリカ流、現代のマニエリスト」として名前が挙がっていたJohn Updike。この文脈にはビックリしたけど、たしかに凝りに凝った文体という点でヘンリー・ジェイムズと並ぶというのは、ナルホドと納得した次第。Penguin Booksはじめ、色んなバージョンがあります)

「うわっ、なつかしい!」と思わず手に取ってしまったJohn Updike。アメリカを代表する作家で、『Rabbit』シリーズが特に有名。

有名ということでは、Updikeさんは「凝りすぎる英文の代名詞」というくらい、ちょい厄介な相手。なんでも有名大学の創作クラス出身で、その後は『New Yorker』とか、あの手のシャレオツな雑誌でバリバリ作品を発表。

むかーし、英語で本を読み始めたころに手に取った記憶あるけど、その当時の語学力ではついていけなかったのと、あとはアメリカ~ンな価値観が鼻について中座してしまった。

ところが最近、どういう風の吹き回しか英語でそこそこの分量を書く必要があるので、そのための「準備体操」をしたいと思っていた。長いものを書くとなると、助走も必要みたいなんだな。

準備体操でフルマラソンを走る人がいないように、適当な分量と内容のものが欲しいと思っていた時に思い出したのがUpdike。むかーし手に取ったきりで止めてしまった記憶があったから、「今だったらどうなのか」という点で再チャレンジ。『マニエリスム談議』で取り上げられてたのも背中を押した格好。

そしたらこれが案外読めるので、「おおーっ!」なんて(^o^)丿 語学力がついたのが嬉しいと共に、現代小説だから準備運動にもピッタリ。英語で本を読み始めたころを思い出すのも、初心に帰る形で悪くない。

初めてJohn Updikeさんの作品にまともに向き合ってみると、しっかり「現代小説」だったんだな、これ、と気づく。独白でポンポンポンと主人公の思考をつないでいったり、十数ページ前の単語がココで活きてくるんだ!なんて。柳瀬尚紀さんが頻繁に言及してたのもそのせいかな。

まだ読み始めてちょっとだけど、この小説のキーワードは「crack」みたい。これだけ凝りに凝った文章を作る人が、30~40ページでやたら「crack」に出くわすので、「これが大事ですよ」とわざわざ教えてくれてるようなもの。

ところがこの「crack」、めちゃめちゃ意味が広い。主人公が奥さん投げかける皮肉なユーモアも「crack」と言われるし、擬音でもあれば人物の形容詞でもあるという。ピコピコの世界で悪さするのもcrackと言われるんじゃなかったか(綴りは知らないけれども)。

なんにしても自分の好きな現代小説の雰囲気も楽しめるので、しばらくはUpdikeさんを準備体操本として愛用させてもらおうっと。

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# by ulyssesjoycean | 2018-04-28 12:00 | Comments(0)

もしかして「隠れタカヤマ学派」? 井上研一さんの人工アレ関連本

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(先日のゲーム本に続き、なんだか人工アレづいている昨今。流行りにいっちょ乗っかったれ的なガッハッハもなくはない分野だけに「キチンと向き合っている」人はものすごく目立つ。井上研一さんの『ワトソンで体感する人工知能』はリックテレコムから税込1,944円にて発売中)

流行り物が一般に敬遠されるのは、真剣にやってるごく少数な人は目立ちにくくて、わっしょいわっしょい!なガッハッハ感に「厭ダナー」(©︎夏目漱石)を覚えるせいじゃないだろうか。

先日やっと読了した『ゲームから考える〜』は、著者の三宅さんが「数学が好きすぎる」雰囲気あるし、山本さんは「実際にゲームを作って、プランナーもやった」という経験に裏打ちされた知識。

で、お二人とも「本好き」というのにグッとくるんだな。そんな人いるんだー、みたいな。

*余談ながらつい先日ハッと気づいたんだけど、自分の中に「技術系・自然科学系の専門家に本好きはいない」という「先入観」あると気づいた。実例もなしに「勝手に思い込んでいた」自分に気づいて、たいへん申し訳ない気持ちに

で、お二人の著作は「ゲーム」から見たものだったけど、いわゆる人工アレで連想しやすい「ワトソン君」にも、ちゃーんと向き合ってる人がいて感激した次第。

この井上研一さんは、かなりちゃんとしたスタンスだぞ、と姿勢をただして向き合ったら、「もしかしてこの人、タカヤマ学派?」と思うくだりが。

タカヤマ学派にも濃淡が色々あって、タカヤマ学を全面展開してます!の筆頭が棚橋弘季さんだとすると、前述の山本貴光さんは「自然科学」の教養がバックボーン。

自分の場合は「経済学」の側面から恩恵をこうむってるので、「タカヤマ学」のエッセンスを展開させるにあたっては色んなスタンスがある。

でも一方で、そうした「タカヤマ読者ならではのカン」でピーン!と来る「共通点」もあり、それを今回、井上研一さんで感じた次第。だって「『分かる』と『分ける』はもともと同じもので」なんて書いてるんだもの。

その一点で判断するのは時期尚早だけど、まず流行りの人工アレの本を書いてる人で、更には紐ingの解説してる人で「分ける=分かる」論なんて展開してる人はまずいない。

つまりこの人の教養は「ピコピコだけじゃないよ」と、その点で明らかになるわけで、こんな風にちゃんと向き合ってる人がいるんだと思うと感激する。

あれだな、タカヤマ学の良いところは、「専門を越境する」姿勢が、読者に芽生えることかもしれないな。ピコピコや自然科学、経済学もそうだけど、専門的になりがちなジャンルほど、別なジャンルの知識が「強度」を与えるような。

自分も元々は言葉の世界ばっかだったけど、スタフォードを経由して美術が面白くなったり、経済学から数学に行って、そっからピコピコに行けたわけだし。

たぶん、「間にはさまるもの」が幾つかないと、「別のジャンル」に行きづらいんじゃないかな。自分の場合「経済学」「数学」「ピコピコ」という順番だったから続いてるんであって、最初の「言葉ばっかり」からでは「ピコピコ」に辿り着くのはムリだと思うもの。

そんな次第で、流行りの人工アレだけれども、ちゃーんと向き合ってる上に「できないことはできない」とハッキリ言う書き手がイルンダーって嬉しくなったのでタカヤマ学に引きつけて書いて見ました(^∇^)

*井上研一さんがタカヤマ本の読者かどうかは定かでないので、早とちりな可能性も大です( ´ ▽ ` )ノ


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# by ulyssesjoycean | 2018-04-25 18:00 | Comments(0)

19世紀のフランス史はイベントが多すぎだよ! 自分で「年表」と「地図」を作る?

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(タカヤマ本でちょいちょい紹介されるドゥニ・オリエさん。『フランス文学事典』の編著もされてる由。由どころか、ずいぶん前に現物を見たのだけど、当時はフランス文学にそこまでの関心なかったのと、あとは単純にフランス語を真面目にやる前だったからか、チラ見した段階でお腹いっぱいだったな。ボリュームプラスその迫力でいまだに覚えてるのだから、スゴイ本なのは間違いない)

最近はフランス文学をちょこちょこ追っかけて読んでるんだけど、回想録やら社会時評とか、単純に歴史的にエピソードが集まってきて、アレアレ?と思うことが。

小説は19世紀フランスで頂点に達し、みたいなことがよく言われるけど、19世紀のフランス文学はペース早くない?という印象。

こっちはフランス文学はまずヌーヴォーロマンから入って、あとあとフランスのマンガ作品(BD)や、自分でも絵を描くようになった関係で絵画にも興味持ったけど、「正統的なフランス史」がアタマにまるでない。

それでも色々の関心からパズルのピースが集まってくると、超大御所!と扱いを受けてる人と、期待の新星!の登場がせいぜい20年とか、それくらいのスパン。

例えばヴィクトル・ユゴーさんなんか、押しも押されぬ巨匠と扱われてるけど、あれ? この新人と時代が被ってるの?なんてことがちょいちょいある。

バルザックとスタンダールが同時代人だったんだと後で知ったけど、フローベールさんの手紙をなんかの機会に読んでたら、バルザックには好感を持っただろうけど、金銭の話ばかりで美について一行も書いてないのでガッカリした云々。

それがなんか、現代日本から芥川龍之介の話をするような距離感で書いてあったので、ハハァ、バルザックさんはずいぶん前の人だったんだと思い込んだら、全然違うとか。

もっと単純なことで言えば、1789年のフランス革命ほどではないものの、コミューンレベルの闘いは頻発してて、当たり前だけど政権が始終交代する。

交代するのはいいとしても、それが共和制と王党派で、どっちがどっちの立場なのか混乱してくるんだな。昔は◯◯を信奉してたけど、××があって考え方が変わったとか。

ユゴーさんなんかはその点がまだわかりやすいけど、政権の立場にある人が、ンン? 王様なの? それとも議会を開いたの? クーデターはどっちがどっちに起こしたの?なんて。ハテナマークの連続。

これが150年スパンであるなら、ああなってこうなった、それでこの人が出てきた、みたいに追いつけるんだけど、ことフランスに限って言うと、1800年から1850年までの間にそんな情報がギューっと詰まってる。

イギリスならピューリタン革命から200年がかりのような話を、フランスでは50年に圧縮されるのではたまったものでない。

前に映画関係の研究会にお邪魔した際、「自分用の映画年表」というのを見せてもらってビックリしたことあったけど、フランスだけでそういうのを作ると案外面白いかもしれない。

「ありもの」を「おぼえる」のではつまらないけど、「年表を自分で作る」のは楽しそうな作業。松岡正剛さんの『情報の年表』を下敷きにやってみようと画策したりしなかったり(^∇^)

年表には着手してないけど、19世紀の作品はやたら地名が共通して出てきたりするから、仕方がないので『地球の歩き方』でパリの地図だけドーンと拡大コピーして、そこに作品中の場所を蛍光ペンで書き込んだりしてる。

何してるのかなーとは思うけど(^∇^)、なんでも「面白がる」方が楽しいので、そこのところは所ジョージさんよろしく「なんでも面白がる」が大事な気がしてならない。

そういうマップとかタイムライン(年表)があった上で、オリエさんの文学事典とか読むと、また印象違うんだろうなぁ。巨大すぎて手に負えなかったからなぁ、あれ。

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# by ulyssesjoycean | 2018-04-23 18:00 | Comments(0)

「この隙間、歩けそう」の判断も人工Intelligenceさん的には大仕事! 山本貴光・三宅陽一郎『ゲームで考える人工知能』

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ようやく読み終わった山本貴光・三宅陽一郎『高校生のための ゲームで考える人工知能』(ちくまプリマー新書)。やっぱり知らない分野の本は新書といえどもジックリ取り組むものだなー。

読了して思ったのは、書名に「高校生のための」とついてるくらいだから、「将来ゲーム業界で働きたい」、もっと言うと「ゲームクリエイター志望」の読者にグッと来る内容かと思う。

というのも、いろんな観点が「ゲーム制作」という視点から取り上げられるので、「プレイヤーを楽しませる」という部分が大きなモチベーションになってる。

将来ゲーム業界を目指す人であれば、「ゲームでプレイヤーを楽しませる」ことに何の異論もないだろうけど、こっちはカードゲームとかボードゲームもやってるから「非電源ゲームじゃいけないのかな?」というギモンが頭をもたげた次第。

つまりはそう思うくらい、狙った効果を人工ナントカさんにやってもらうには、実にきめ細やかな「下ごしらえ」がいるんだな。今ゲームを楽しんでる人であれば、池上ナニカばりに「そうだったのか!」のオンパレードだと思う。

むかーしのゲームファン視点で言うと、本の中であからさまには触れられてないけど、人工アレが初めて搭載された画期的ゲームソフト! 『ドラクエIV』を思い出す。

ゲーム雑誌を開けばそう書いてあったから、当時はソウナンダーと思ってプレーしてたんだけど、やはり初挑戦の作品には色々な悩みも生じるらしく、僧侶系のキャラクター「クリフト」が「イマジャナイ」というタイミングで回復魔法を連発( ´ ▽ ` )ノ

その「種明かし」がこの『ゲームから考える人工知能』に書いてあって、そうかー、それでクリフトはあんな感じだったんだなー、作った人は大変だったなーとシミジミする。

もっとハッキリ、「ハハーン、これは◯◯のことだな」と察しが付くものもあり、刑事コロンボ感覚で「マジシャンのトリック大公開」な感じが面白かった。

一方で「人工アレ」という観点からすると、大切なことは「人間が人工アレをどう思うか」じゃなくて、「人工アレが人間をどう思うか」が大切みたい。

この本を読んでから道を歩いていて思ったんだけど、ビルと看板の隙間も、自分には「通れる」=「道」として意識できるけど、これがアレさんには超ムズカシイことの様子。

アレさんに動作してもらうためには「ここは道ですよ」「ここは池ですよ」というのをマップ上に設定して、それをアレさんに数値として教えてあげなくてはいけない。

なんだなー、人工アレって大したことないなーとガッカリする人もいるかもしれないけど、ひるがえって、「なんで自分には『ここは歩ける』と思えるのだろう?」というギモンが生じる。

ちょっと前にWheelchairのことを調べて分かったんだけど、「歩くならOK」な道でも「車輪」ではメチャ大変ということを痛感。

旅行好きな方が大きなスーツケースをガラガラ下げてる場面に出くわしたことあるけど、「目の不自由な人向けのタイル」で、そのスーツケースがよろめいたのを見て色々考えさせられた。

ある人にとっては「補助」するものが、「重い+車輪」のあるものだと「出っ張り」にもなり、ふつうに歩いてる時には「まず意識しない」ーー

で、こういうのをものすごく限定された範囲で実践〜導入していくのが人工アレなんだ、ということを実感。

「ゲームから考える」というのも、そういう「分野を思い切り限定することで、少しは分かりやすくしよう」という心遣いだったんだな。

人工アレはビジネスとかの面で言われることが多いけど、ビジネスの種類なんてそれこそ数えきれないものがある。その全部に「適用可能」な人工アレなんてのは、とってもじゃないけど現実的でない。

ただ一つ人工アレをやると面白いと思うのは、「自分が普段やってることが、当たり前でない」と気がつく面白さだろう。

尊敬する佐野史郎さんが、俳優とか役者の面白さは何か、という質問に対して「自分の身体がどう動いてるかよくわかる」と答えてらしたのを思い出す。

フツーだったら「違う人格になりきれる」とか、「演劇はギリシャ時代から続く古いもので」なんて答えかなと思うんだけど、「自分の身体」の「動き」という視点にはまずビックリ。

実際、役者として舞台に立つと、「手が邪魔だ」と感じるそうな。「手持ち無沙汰」なんて良いことばがあるけど、舞台に立つと、「手をどうしておくのがいいかわからなくなる」そうな。ナルホド!

人工アレも、きっとそういうものすごく地味なところに大きな発見と面白さがあるジャンルなんだろう。今回、はじめて三宅陽一郎さんの文業に触れたから、今後は三宅さんの方を追っかけることで人工アレについても考えて見たい(^∇^)


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# by ulyssesjoycean | 2018-04-22 12:00 | Comments(0)