マンガとアニメーションと人文を、脱線(Digression)でつなぐブログ。
by ulyssesjoycean
カテゴリ
全体
駄文
高山宏講演『脳にいい人文学』
佐々木果、「コマ」を語る
グルンステン×高山宏
物語の中の動物
ヴィジュアリゼイション
詐欺の文化史
探偵する小説
美しい洋書たち
翻訳小説『サンタール』
翻訳小説『七人の男(抄)』
ピコピコ武者修行
翻訳小説『不安な墓場』
シロクマの文学雑学コレクション
ネコログ
今日のなぐり書き
語学参考書
未分類
以前の記事
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
ライフログ
フォロー中のブログ
幻戯書房NEWS
前田真宏のINUBOE
最新のコメント
> 通りすがりさん ..
by ulyssesjoycean at 20:23
自分にないものを知ること..
by 通りすがり at 17:06
>右往左往さん コメン..
by ulyssesjoycean at 12:21
度々すいません・・訂正で..
by 右往左往 at 11:17
早速お答えいただいて有難..
by 右往左往 at 11:13
>右往左往さん コメン..
by ulyssesjoycean at 12:53
どうも度々お邪魔してすみ..
by 右往左往 at 12:03
>右往左往さん コ..
by ulyssesjoycean at 16:55
どうもお久しぶりですお邪..
by 右往左往 at 00:03
>mimizoさん ..
by ulyssesjoycean at 23:41
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


「モデル」が「憧れのお仕事」なったのはいつ頃から? あと福田晋一『そのビスクドールは恋をする 3』が素晴らしすぎるんだが( ´ ▽ ` )ノ

d0026378_11524179.jpg
(「興味なかったことをやってみよう!」という自分だけのキャンペーンを実施してみた結果、数学とピコピコ紐ingにはドハマりしたけど、残念、カメラで写真を撮る方面はヌーンという感じだった。ナダールとかダゲレオも名前だけしか知らなかったので、実際の写真集で当時のポートレートを見られたのは大きかった。今も発売されてるのかな)

「興味なかったものの中にこそ発見がある」と、数学とピコピコ紐ingで味をしめたので、「機会があればやってみよう」のキャンペーンは継続中。

ただそこは人間よくしたもので、興味ないことの中には、実際にやってみても「やっぱり合わない」と分かるものがあり、それが自分の場合はカメラ。

一眼レフとか名前しか知らなかったけど、自分でカメラ持って撮影したら感じ方が変わるかな?と思ったけど、自分の興味ゲージは着手前から据え置き(^_^;)。ま、そういうもんだな。

ところが最近になって俄かに関心高まったのが「モデル」というお仕事。あのお仕事は、いったいいつからあるんだろう?

それとなく周辺でモのつくその仕事をしてる人がちょこちょこおり、言われてみればその職業の成り立ちを全然知らなかったな、と。

撮る側のケンキューは芳しくなかったけど、撮られる側のケンキューをしたら何か閃くものがあるかもしれない!

というのも、5/25に発売になった福田晋一さんの『そのビスクドールは恋をする 3』(スクウェアエニックス)が超オモシロイんだな(^∇^)

でまた、自分のあこがれのキャラクターに成り切る、服を作る、さらには撮影機材や照明にまで「撮られる側」視点での話がてんこ盛り。

それでまた、モデルって、今の世の中ではごく当たり前な職業でもあり、憧れの対象にもなったわけだけど、それこそナダールとかあの頃はどんな扱いだったのかな。

四方田犬彦さんの何かの対談を読んでたら、写真機が出始めの頃は丸っ切り山師商売だったとかで、撮る側でさえそうなんだから、撮られる側が職業として確立してくのは相当な難路だったんじゃないかな。

自分も今、せっせとピコピコで紐を書いてるけど、ナダールさん当時の写真家に向けられたのと似たような視線とも思えるし。

もっと言うと、新しいものは何でも批判の対象にもなるので、なんだっけ、『モンテクリスト伯』のフランスドラマ見てたら、「機関車に乗っていて25キロ以上出たら、乗客は全員死亡するという研究もある」なんて話があった。

新幹線で時速300キロを目の当たりにしてると、そんなバカなと思っちゃうけど、「機関車というものがはじめて生まれた」当時、頼るべきデータは何もないんだから、そうした反応も当然と言える。

だからまあ、「新しい◯◯」が、「職業として認知される」までの過程が「モデル」を調べたら分かるかもしれないナーなんて。

そんなメンドイことはさておいても、福田晋一さんの『そよビスクドールは〜』は超オモシロイので超オススメですヽ(´▽`)/


# by ulyssesjoycean | 2019-05-27 18:00 | Comments(0)

“Learning”は「ドラゴンキラー」? マイナスなくす方面の学習バナシ(´∀`)

d0026378_09094639.jpg
(神話学者として名高いジョーゼフ・キャンベルさん。ビル・モイヤーズとの対談を収めたこの『神話の力』は折に触れて思い出す一冊。早川書房から税込1,080円にて発売中)

ピコピコから数学から節操なく色々学んでいるけど、「学習」の一番の効用は、「なにかを身につける」ことじゃなくて、「何かに対する恐怖心をなくす」ことかもと思うように。

「なにかを身につける」はプラスを付けてくことだと考えられるけど、「恐怖心をなくす」はマイナスを減らす効果がある。

というのも、学習したりなにかを学んだりするときに「身につける」だけを基準にしちゃうと、「身につかなかったからもうダメだー!」ってなるような気が。

それとの対比でいうと、「マイナスがなくなる」方面は、(あんま使いたくない言葉だけど)「安心」につながるから、取り組みへのハードルが下がるかも。

自分がピコピコに馴染んで1番良かったのは、「身についた」方面より、「おっかなびっくり使うことがなくなった」ことだもの。

バリバリのピコピコラーさんたちのインタビューや回想録など読むと、小さい頃から「ものの仕組み」に関心強く、分解したり組み立てたりして遊んでた、というエピソードがやたら見つかる。

つまるところ、「つくる」方面への興味なんだけど、自分としては「つくる」方面へのエネルギーが希薄。だってゲームもピコピコも「すでにたくさんある」んだもの( ´ ▽ ` )ノ

もちろんこれはモノの言い方であって、ピコピコに限らず「つくる」が何より楽しいかと言われるとギモン。少なくとも、自分の「つくる」エネルギーは、文章・絵を描く・音楽と、いわゆるゲージツに偏ってる。(だからこそ、あまり具体的な「モノ」をつくることに関心乏しいのかなと思ったり)

つくるものがないとピコピコ学ぶ意義がないのかというと、そうでもないぞ、と分かったのが一つ。「つくる」じゃなくて「なおす」視点。

ピコピコを使っていて1番パニックなるのは、ピコピコさんがコショーした時だろう。モノそれ自体が壊れることもあるし、ピコピコの中に入ってるものが動かなくなることも。

そんな時にちゃんと「ピコピコの知識」があると、トラブルシューティングができる、というのが大きい。

恐怖感はトラブルの時に最大化するから、そのトラブルを「自分でなんとかできる」というのは、大変なストレスフリー環境。

ピコピコが分かりやすいので例えに出したけど、これ、「学習」全般に言えることなんじゃないだろうか。

自然言語についても「なにが書いてあるからわからない、なにを言ってるかわからない」キョーフ感は相当なものがあるだろう。

ピコピコの類推で言うと、「つくる」にあたるのが「しゃべる・かく」で、「なおす」にあたるのが「きける・よめる」かもしれない。

世に言うコワイものは、オバケにしてもユーレイにしても、「なんだかわからないからコワイ」面がある。

それで思い出すのは映画『エイリアンVSプレデター』(^∇^)。エイリアンさんもプレデターさんも寅さん感覚でハッキリ出てくるので、ぜんぜん怖くないという。

見た後で、リドリー・スコットやジェームズ・キャメロンってエラかったんだなと痛感。『エイリアン』の1、2をあらためて見返したら、暗がりだったり水に濡れてたりカメラが壊れたりして「ハッキリ見えない」のがホラー感を増幅させてるーー

結果、見ながらガクガク:(;゙゚'ω゚'):になるのだから世話はないけど、「姿がハッキリしない、全貌が見えない、輪郭が不確かだ」というのが「おっかない」ことなんだなーって。

もちろん、何かを学習したからって、何ズキルーペばりにハッキリ見えるようにはならないけど、とりあえず「全体像」が見えるようにはなる。輪郭はつかめた!みたいな。

それで冒頭の『神話の力』になるんだけど、ジョーゼフ・キャンベル先生が「〜〜できない」という内心の声を「それはあなたの中に棲む龍ですよ」なんてカッコイイこと言ってる。

童話とか神話とかには「ドラゴンキラー」というのが出てくるけど、キャンベル先生いわく、個人の成長の葛藤と克服が神話には「物語」として投影されてるよだって。

葛藤を代表するのが「ドラゴン」で、その克服が「ドラゴン退治」と。ただドラゴンさんも縁日の射的の的ではないから素手じゃ倒せないので、「ドラゴンキラー」が必要になると。

でこの「ドラゴンキラー」が、現代風に言うと「学習」なんじゃないのかね。ドラゴンキラーは相当後半のアイテムだから簡単には入手できないにしても、「はがねのつるぎ」や「ホワイトメイル」くらいまでは作れるよ、なんて。

あれだな、学習してると良いのは、武器屋・防具屋がナントカ村に揃ってくることなんだろう。ドラゴンを倒さないまでも「ひのきのぼう」が「どうのつるぎ」になり、「はがねのつるぎ」まで使えるようになったら、冒険の安心感は相当だろう。

そんなことをツラツラ考えたな(^∇^)。学習とか学ぶのアレだという場合、それはプラス方面だけ狙ってるからじゃないかなーって。

# by ulyssesjoycean | 2019-05-22 12:00 | Comments(0)

19世紀のヨーロッパはフタばっかりでやりきれない だからこそ「自然ってスバラシイ!」なの?( ´_ゝ`)

d0026378_22170405.jpg
(荒俣宏さんの紹介文で先に知ってしまった「博物学(者)」。これまでは人文学一辺倒だったけど、ピコピコ由来で数学もやり、自然科学方面にも馴染みができたので、19世紀の博物学も以前より親しみやすくなったなー。何だっけ、著者のリン・バーバーさんの旦那様について、小説風の自伝的エッセイも出版されてたような。リン・バーバー『博物学の黄金時代』は国書刊行会から異貌の19世紀シリーズとして発売)

このところ19世紀の各種散文(フツーの文章)+韻文(詩)を眺めているけど、19世紀ヨーロッパは「抑圧の時代」だつたんだナーということを考える。

「抑圧の時代」というとなんだかカッコよすぎるので、違う言い方をしてみたい。なんだろう、人の意識や行動が至る所で「フタ」をされていて、6〜7割がたはそのフタで押さえつけられる感じ。

当然、残った3〜4割でなんとかやっていこうとするんだけど、当然、考えることや振る舞いもその狭い範囲で非常に窮屈。

でまた、当の本人たちが「フタをされている」とは気づいてない場合が多く、窮屈さから居心地の悪さを感じているんだけど、それが何かハッキリ言えないのでいイライラしてるーーそんな印象。

で、そういう「フタをされてる」ことに気づいた鋭敏な人たちもいて、それぞれの制約のもとに奮闘してたんだけど、ついに「フタがあるではないか!」と露悪的に言い始めた19世紀人が、マルクスとキルケゴールとニーチェなんじゃないかな。

マルクスさんは産業機構がメチャいびつになっていることを「これはシステムそのものを変えないとダメだ」と痛感したそうだし、キルケゴールさんは「教会はもはや信仰の場ではない、単なる権威と儀式に堕してしまった」なんて言ってる。

一方のニーチェさんは、むしろフタの押さえつけを10割に強めよう、それだけ押しつぶされれば、その「反作用」としてフタを押しのける力が生まれてくるだろうーーみたいな。

このお三方はそれぞれに強烈なやり方でフタをこじ開けようとしたけど、そこまで強烈でない人たちも、「フタのことを気にしなくていい世界」を求めてた雰囲気。

というのも、当時のヨーロッパで野山の散策とか、野鳥を観察するナチュラリスト運動みたいなのがあったらしい。それまでは「狩猟」がメインだったのに、それが「観察」に軸足が移っていく。

ニーチェさんやキルケゴールさんも、よく野山や草原を散策したそうだけど、人間ばっかりの”respectable”な世界に嫌気がさして、「人間のいない自然」を求めたんじゃないかなー。

『博物学の黄金時代』でも、老若男女が分け隔てなく野山で昆虫やら動植物を観察・採集するようになったのは、そうした「バランス感」の必然があったんじゃないだろうか。

前にジョイスの”Portrait of the artist as a young man”を読んでたら、スティーブン青年が罪を告白しに神父さんのとこに行くんだけど、この神父さん、「その罪というのは、imaginaryかね?」と尋ねるんだな。

imaginaryだから、「頭の中で考えたこと」も罪の対象になるんでは、当時の人は本当に大変だったんだな、そこまでキリスト教が干渉してたんじゃやりきれないーーと強烈な印象。

20世紀は「フロイトの世紀」と言われるそうだけど、その辺りの精神構造を「無意識」とか、それこそ「抑圧」という言葉で整理した人だから、なんか道理に適ってる気がするな。

実際、フロイトさんと、マルクス〜キルケゴール〜ニーチェの前後関係までよく知らないんだけど、フロイトさんは長命なほうだったから、やっぱり20世紀に食い込んでると思う。

19世紀の小説はまあ、それなりに目を通していたんだけど、それ以外のジャンルをアレコレ眺めるようになったら、なーるほど、なんかジャンルを問わず全体的にみんな「息苦しさ」を感じてたのね、と。

それで自然描写とか野っ原に行って本当に解放される!というふうに書いてるんだなーと。つまりは誰もいないところに行かないと一息つくのも難儀な時代だつたんだなって。

その意味でも、あんまジャンルにこだわらずにその時代をまるっと見てみるのは大事かも。小説だけだとこういうことに気づけなかったからなぁ(´∀`)

# by ulyssesjoycean | 2019-05-15 12:00 | Comments(0)

福田晋一『その着せ替え人形は恋をする 3』が5/25発売! 源素水さんの新刊も6/12に出るぞヽ(´▽`)/

d0026378_22563468.jpg
(福田晋一さんの『その着せ替え人形は恋をする』は、ここ半年くらいの激オシNo.1のマンガ作品。1〜2巻でココロ鷲掴まれて、3巻はまだかな〜と思ってたら、なんと5/25に発売とは! 福田晋一『その着せ替え人形は恋をする 3』はスクウェア・エニックスからヤングガンガンコミックスとして、税込648円で発売予定。当日は書店へGOヽ(´▽`)/

5月末〜6月にかけて、注目のマンガ作品が単行本で出るらしく、今から超タノシミだ(*´∇`*)

福田晋一さんの『その着せ替え人形は恋をする』は、雛人形職人の孫(主人公)と、コスプレ意欲の高さと反比例する手芸スキル持ち主(ヒロイン)のラブコメ作品。

↑に書いたストーリー的な部分はなーんにも知らず、華やかな絵柄にひかれて表紙買い。結果、これは来た!という感じ。

ムサヲさんの『恋と嘘』や、横槍メンゴ作品が好きな人ならグッと来るんじゃないかなー。『その着せ替え人形は〜』はダーク展開もないので、読んでてハツラツとします(^∇^)

6月12日に発売予定の作品で大注目してるのがコレ、源素水(もとみ)さんの『先生は恋を教えられない』(小学館ゲッサンコミックス)。

ポツポツと別冊で読み切り掲載、原作付きで期間限定連載をはさみ、この『先生は〜』で何か鉱脈を掴んだ!という印象。連載の第一回を読んだ時は興奮したナー。

先生と生徒モノという王道の展開なんだけど、毎度毎度楽しく拝読。山本崇一朗さんしかり、「このマンガ、結局2人しか出てきてないじゃん!」という内容でも、やっぱり面白いものは面白いという(´∀`)

山本崇一朗さんの『高木さん』なんかも、舞台はせいぜい学校内(教室、廊下、せいぜい体育館)、登場人物は基本2人(からかわれる西片と、からかう高木さん)、でもこれで「面白い」んだからどうにも。

源素水さんの作品も、毎回毎回限られた舞台と登場人物なのに、なんで面白いのかな、フシギ、という感じ。年単位で読み切りを読んできた人が、「自分の向いてる世界」を見つけたような気がして大変うれしいです( ´ ▽ ` )ノ
d0026378_23165799.jpg

# by ulyssesjoycean | 2019-05-14 12:00 | Comments(0)

ピコピコデザインがニガテなのは、GeometryとTrigonometryがニガテだから?の話

d0026378_12122611.jpg
(「数学は英語でやった方がわかりやすい!」の精神で、数学やピコピコ関係はすべて英語で統一。また英語で書かれた数学書は文章も明快で、著者に居丈高なところが微塵もない。なので本として面白く、入門書を読むたびに目の覚める思いがする。しかしなぁ、この手の入門書は安いんだけど、MITとかのガチ本になると数100ドルも当たり前の価格設定なのは人文書の比ではないと痛感(*´ω`*))

ピコピコに深入りすればするほど、見た目をコントロールする部分やデザインが自分にとってのゲンナーリ要素と気づく形に。

なんでこんなにやる気スイッチがオフられるのかわからなかったけど、ひさびさにMorris Klineの数学書を手に取ったら、あ! もしかしてコレか?というヒントが見つかる。

数学の中に色々な分野があるけど、自分がヤリタクナイナーと感じているGeometry, Trigonometryを目にした時の印象と、デザインとかヤリタクナイナーの気分がそっくり。

ーーってことは、自分がピコピコデザインにヤダナー感を持ってるのは、GeometryやTrigonometryが関係してるのかも。

数学の中で自分がやっていて抵抗感ないのが、ProbabilityやStatistics、各種EquationとMatrices。その次あたりにMathematical functionとXY Coordinationくらいか。

LogicsとArithmetic Sequencesもニガテ意識があったのでやりたくはなかったけど、これはもう仕方ない。だってif/elseとarrayはこの2つの考え方が組み込まれてるから避けては通れないという。

Geometryはとにかくあの「証明」という手続きが自分にフィットせず、やるたびにゲンナリさせられる。というより、自分の出来なさ具合にガッカリ来てるんだろう( ´ ▽ ` )ノ

Trigonometryの方もいまだにシックリ来てないんだな。テキトーな角度を示すのにθを使うけど、なんでthetaなのよというのも未だ納得できてない。だって「ギリシャ語でθから始まる角度を表す言葉」がないんだから(^∇^)

でもきっと、Trigonometryが使えるようになれば、キャラクターの周りをなんかがグルグル回るというアクションも作れるようになるのでは。

『超魔界村』で主人公のアーサーが「バリアを張る」呪文使えるけど、あれとか。あとは『ツインビー』のバリアもTrigonometryじゃないかと思うんだけど。
d0026378_15282852.jpg
(画像出典:http://action.opatil.com/smm/data/weapon.html)

まあこれもものの言い方で、結局、「じゃあなんでGeometryとTrigonometryがニガテなの?」という話になっちゃうんだけども。

あれだな、間違いなく「証明」という手順が図形の方面だと入ってくるので、あれじゃないかなと思うんだけど。それこそ先日のショーペンハウアーさんの本を読んでたら、「証明を要するのは図形だけだ、方程式はそもそも証明しないだろう」とあって、ナルホドと思わされたり。

ひとまず自分がうーんうーん唸ってることの源流がつかめた、少なくともそのヒントだけは見つかった気がするので、Morris Kline先生のご本でTrigonometryその他も眺めてみることにしよ。

# by ulyssesjoycean | 2019-05-09 18:00 | ピコピコ武者修行 | Comments(0)

プルーストが一番影響を受けたのはショーペンハウアーじゃね? 内容の類似に超ビックリ(´∀`)

d0026378_22342457.jpg
(プルーストを原文で読んでる人は本国でもレッドデータアニマル並みの扱いみたい。そりゃそうだろうと思うんだな、日本語ネイティブで『源氏物語』を通読してる人がほとんどいないのと似たようなものの気がする( ´ ▽ ` )ノ)

哲学オモシロイナーと、人文方面では哲学書ばっかり読むようになったけど、この人イイナーと好感を持つようになったのがこの3人。ヒュームとキルケゴールと、ショーペンハウアー。

三人とも「文章家」なのが特徴かも。デンマーク語は分かんないけど、キルケゴールさんの文章は人をグイグイ引っ張っていくし、ヒュームさんの英語は実に分かりやすい。

で、ショーペンハウアー。3人の中では一番の達人だったんだろうと思う。ドイツ語の名文として名高く、話も実に分かりやすい。

ショーペンハウアー先生はあの強烈すぎる見た目(アンド髪型)でイメージが先行してたけど、実際に本編を通読したら、「厭世主義? どの辺が?」という感じだった。

実際、ご本人は「厭世主義」という言葉は一度も使ってないそうだし、主著を眺めてみても、厭世的な面は微塵もなかった。むしろ、原理は原理として受け止めて生きていくのをどう考えるか、的な。

キルケゴールさんもエヴァ由来で『死に至る病』とかを先に知っちゃったけど、本編を読んだら全然そんな話でなかった。最晩年の別な作品読んで、涙を流したりしたものな。そのあたりからキルケゴールファン^_^

ショーペンハウアーさんもそんなイメージ先行で損をしてたみたいだけど、今回腰を据えて読んでみたら、途中からずーっと頭を離れなかったのがマルセル・プルースト。

プルーストが『失われた時を求めて』の中で書いてるようなことが、まんまショーペンハウアーさんの本に出てくるという。

なんだっけ、過去を再発見した喜びがどうしたとか、自分の著作は建築物と同じだからこの形式にする他なかったなどなど、まんまプルーストじゃね?なんて文章がいくつも見つかる。

フツー、プルーストが一番影響を受けたのはイギリスのジョン・ラスキンになってるけど、ラスキン読んだ時よりショーペンハウアー読んだ時の方が「直接の影響」を感じたナー。

こっちは別にプルーストのセンモンカでも何でもないし、『失われた〜』もなーんか気になってしょうがない作品としてたまに読むくらいで、愛読とは程遠い。

プルーストさんは相当な凝り性でもあったから、影響を受けまくったショーペンハウアーのことをサッと隠しておいた、というのも考えられなくはない。そのくらい似たような内容があるんだもの。

前にどうした弾みだったか、プルーストの書簡集を買ったことがあるから、この機会に再読してみるかな。作品では言ってないけど、手紙の中ではショーペンハウアーに言及してるかもわかんないし( ̄∀ ̄)

# by ulyssesjoycean | 2019-05-08 22:34 | Comments(0)

「ピコピコでデザインするのがツライ!」ので、「ひとりデザイン学部」に入学しようと思います(*´ω`*)

d0026378_21010128.jpg
(漫☆画太郎が表紙のデザイン本はこのシリーズだけだろう。とにかくインパクトがありすぎて店頭で面食らった記憶が痛烈。デザイン入門編としてこの「画太郎先生ありがとう」的なスタンスから始めてみるのはどうか(*´Д`*))

ピコピコに深入りすること2年、やるだけやってみた結果、自分がこんなに「デザインがツライ」ニンゲーンだとは知らなかった。

紐専用機として、ウーとかブンとかいう名前のシステムで動いているマシーンを愛用してるけど、「真っ黒画面に命令文を直打ち」が性にあってるみたい。

その一方で、ガワとか見た目を作る方になると、「真っ黒画面に命令文」時のノリノリ感が1/10くらいに。

自分でもその差にビックリしてるくらいなので、「なんでこんなに手が動かないんだろう?」と、むしろキョーミすら覚えてきた( ´ ▽ ` )ノ

毎度毎度ピコピコの「前終わり」方面に向かうたびにゲンナリするくらいなら、いっそのこと「ひとりデザイン学部」に入門してみるのはどうだろう。

デザインと言ってもカバーする分野が超広いから、「デザインニガテ」なんていうのは何にも言ってないのと同じことになっちゃう。だって「ファイル名のつけ方もネーミングデザイン」と言うそうだから。

なので多分、デザイン全体をさらってみると、「ここに大きな違和感が」という一点が見つかるような気がする。

まあ、わかった結果、やっぱり「前終わりツライ」モンダイは据え置きかもしれないけど( ´ ▽ ` )ノ  でもまあ、気持ちはスッキリするだろう。

最近はデザイン関連の入門書も多いので、そうした書籍を2〜3冊眺めてみると何か分かるかも。

数学も「そこに引っかかってたのか!」と分かったら急に親しめるようになったし、デザインについてもそうなったらいいなと(はかなくも)期待(´∀`)

# by ulyssesjoycean | 2019-05-07 12:00 | ピコピコ武者修行 | Comments(0)

哲学者のカントとギリシャ思想のプラトンが「同じこと」を言ってる⁈ にわかプラトーン( ´ ▽ ` )ノ

d0026378_22445577.jpg
(芸術に批判的な立場とったプラトンさん。言葉 > イメージという立場はプラトンから始まると言ったバーバラ・スタフォード大先生の影響で、ギリシャ関係でも一番ココロが遠かったのがこの人。でも最近になって急に興味が湧いてきたな。パイドンとパイドロスという超似た書名があるのも自分のコンランに拍車をかけてるような( ´ ▽ ` )ノ)

お好きな方には大変申し訳ないけど、長らく関心なかったギリシャ哲学。近年数学に深入りした関係でギリシャ語やギリシャ思想にも馴染みができたけど、まだまだ知らぬことばかり。

手持ちピコピコに古典ギリシア語キーボードをセットしたりはしてるけど、ラテン語以上に関心あると言ったら嘘になるだろうと思う。

そんな中でも特に興味関心から遠かったのがプラトンさん。対話篇という書き方もそうだけど、芸術全般にすげない態度だったというのが追い打ち。

大尊敬するバーバラ・スタフォードから「言葉が絵よりエライ!という思い込みはプラトンから始まっている」などと聞かされると、自然、プラトンさんを敬遠することにもなるわな(´∀`)

そうは言っても哲学思想が面白くなり、古代方面に遡るとプラトンさんのご意見を聞きに行かなきゃいけない場面も。実際、ソクラテスの最期に相当な衝撃を受けたそうだから、そういう「ドキュメンタリー」の視点もあるし。

ところが一方で、プラトンさんのイデア論でよく出てくる例え話、「洞窟の中の影絵」あれが全然ピンと来なかった。なんなんだろう、コレ?みたいな。

そんなアレコレが続いてたので、プラトンさんとは終生縁がないのかなと思ってた面あったけど、先日、尊敬する哲学者さんの文章読んでビックリ、カントとプラトンが同じこと言ってたらしい。

カントさんは、日本語で読んでもドイツ語で読んでもややこしい文面だけど、この人はスゴイ人だなぁ、「カント以前/カント以後」という切り分けが成立することにもある種納得。

カントさんは文章こそ厳密すぎて込み入ってるけど、講義自体はたいへん分かりやすく、学生人気ナンバーワンだったそう。教室はいつも満員で立ち見状態、カントさんも名調子で、なかなか話のわかる人だったそうな。

そのカントさんとプラトンさんが、言い方こと違うものの、ほとんど同一の主張をしてたというのは目からウロコ。それも例の「洞窟のメタファー」が鍵になってると。

そう言われてカントさんの話とプラトンさんの洞窟バナシを並べて見ると、たしかに読んだ時に受ける印象は相当似通ってる。というより、カントさんが言いたかったことを念頭にプラトンを見ると、ああ、そういうことなんだ、みたいな。

というわけで、プラトンが急にきになるようになったんだけど、肝心要のイデア論はどれに入ってるんだったかな。『パイドン』と『パイドロス』のどっちかな気がしてならないんだけど。

アリストテレスさんほどじゃないけど、プラトンさんもそこそこ著作多いからナー。ま、数学に深入りしたのも何かの機縁であるし、気長に眺めてみよ( ´ ▽ ` )ノ

# by ulyssesjoycean | 2019-05-04 12:00 | Comments(0)

むしろピコピコ界にこそOED! ピコピコ用語の由来が一目リョーゼンだヽ(´▽`)/

d0026378_21242054.jpg
(世界最大の英語辞書、Oxford English Dictionary。通称「OED」。タカヤマ学派のアイテムであるのはもちろんだけど、ピコピコ系の参考書としても最高のツールかもしれないと思うように。日々お世話になってまーす( ´ ▽ ` )ノ)

英文学とか人文系で名前をよく聞くOEDだけど、自分の場合、むしろ「ピコピコに深入りする過程でOEDの利用頻度が超上がった」印象。

というのも、自然言語(フツーの言葉)の場合、ロングマンやランダムハウスなどなど、優れた辞典がたくさんあるので参考資料は多い。

ところがピコピコ系の場合、「言葉が意味する処理内容」は説明されてても、「その言葉の由来」は書いてないことが多々ある。これが困るんだな。

こっちは生来のピコピコラーでないから、「納得しないものは覚えられない」という面が。なんでもそうかもしれないけど。理解してないものはアタマに入らない的な。

ところがピコピコ方面で大事にされるのは「処理内容」の方で、由来の解説があること自体珍しいという。それで自分でピコピコ英語辞書も購入して、それなりに役立つものの、最終的な「なんで?」まで教えてくれる例はごくわずか。

そんな時に!(小林製薬風) Oxford English Dictionary!! まーなんでもかんでも載ってるので、網でいくらグールグルしても分からないピコピコ用語の由来が一発で掴める。

今風のinterfaceをはじめて使ったのはマーシャル・マクルーハンだとか、数学的な意味でargumentsを使用したのはジェフリー・チョーサーだとか。

そういう「意外な発見」という面でもピコピコ用語とOEDは相性が良いような。中世の文学を調べてチョーサーに辿り着くのはフツーの回路だけど、数学用語でチョーサーに巡り合うと「おおっ!」ってなる(^∇^)

辞書は紙もデジタルもそれぞれに長所があるので、どっちも使いこなしたいんだけどなぁ。OEDのCD-ROM(!)は対応してるシステムがえらい古く、網版は年間購読料がランニングコスト的にウンウン唸るレベル。

ピコピコやる人には必須のアイテムとも思うようになったので、むしろ「情報貯蔵庫」の観点からOEDを調べてみるのも面白いかもしれない。

実際、あんな膨大なテキストデータをどうやってピコピコに移し替えたのかな。それを言ったらLongman社のコーパスとかもスゴイシステムだと思うけど。


# by ulyssesjoycean | 2019-04-30 12:00 | ピコピコ武者修行 | Comments(0)

Loeb Classical Libraryが並ぶ本棚に憧れるナー。でもラテン語はムツカシイナー(*´ω`*)

d0026378_20071557.jpg
(「こんな本棚にしたいな〜」と願う、Loeb Classical Libraryが並ぶ写真。画像出典はPinterest)

ギリシャ語は緑、ラテン語は赤のLoeb Classical Library。ハーバード大学出版局が刊行する西洋古典の名作が原文で読めるというシリーズ。

最近は古い本ばかり読んでるので、その中に言及される古典文学の数々にも興味が湧く。

自分でもラテン語の叢書を何冊か持っているけど、情けないことに所有するのみ。はたた(´∀`)

ひさびさにLucretius, “De Rerum Naturae”を取り出したんだけど、基本的に韻文。この「韻文(詩)で書いてある」というのが読み通せない原因なのかなーと感じる。

前にそんな話を聞いたんだけど、時代を遡れば遡るほど「散文より韻文の方が書きやすかった」面があるのではないかって。

いま自分が書いてるような「散文」(普通の文章)の方が古代の人には書きにくくて、むしろ「韻文」(決まったリズムと韻律ある詩)の方が自然に書けた面あったそう。

ルクレティウスさんの書いてる内容は、荒俣宏的な「博物学」みたいなことだと思うんだけど、それも基本は韻文で書いてあるという。

これも前に聞いたんだけど、ギリシャ語は難しいと言われるし、実際その通りだが、読めるようになるとスラスラ行けるそうな。

反対にラテン語は、入り口こそギリシャ語ほど複雑怪奇ではないものの、実際の作品はレトリックの限りを尽くして書いてあるので、読めるようになるのはギリシャ語よりラテン語の方が難しいとか。

子供っぽいとも思えるんだけど、冒頭のようなロウブ古典叢書がズラッと並ぶ本棚はやはりどこか「憧れ」を掻き立てるものがある。

その憧れついでに読めるようにならないかなと思うんだけど、自由に読むとこまで行かないな。”Wheelock’s Latin”をも一度再開しようかな( ´ ▽ ` )ノ

# by ulyssesjoycean | 2019-04-28 12:00 | Comments(0)