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[タカヤマ学派のブログ]マンガとアニメーションと人文を脱線(Digression)でつなぐブログーーだったのが、現在は語学人目線で理数系にガチチャレンジ中の内容増えた。あと「文系と理系を両方マジで取り組んでみた」など。理数系とピコピコの話題多め。あと学魔・高山宏の影響を受ける「タカヤマ学派の1人」らしい。その方面では主に経済学担当。(2020年8月に追記)
by ulyssesjoycean
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英語に「んん⁉️」となるのは、もはやKnowの綴りからじゃね?の話

英語に「んん⁉️」となるのは、もはやKnowの綴りからじゃね?の話_d0026378_12182963.jpg

「数学記号を音読できない!」のが語学派(*少なくとも自分は)の引っかかりポイントだったけど、先日、英語の本を読んでいたら


「そもそも、Knowの綴りに納得いってないのでは?」


ということに急に思い至る。


自分で数学をガチに勉強しなおした結果、もともと理数の処理に長けた人にとっては、


数学記号f(x) : ネジや部品のようなもの


という感じ方なのかな?と。


自分でもDIYスキルが身について、ハンダ付けレベルなら「オモチャドクター🩺」レベルで修理できるようになった。


そうすると、大事なのは「ネジやパーツの向きと順番」であって、「ネジの名前やパーツ名」を気にすることはない。


その経験と、数学記号の関係性が噛み合って、もしかすると理数に長けた人には、数学記号の一つ一つが🔩みたいに見えてるのかもな、と。


部品やパーツと考えると、向きを変えたり、こっちかな?と付け替えたりするのは日常茶飯事だから、数式という決まった形のなかで、それをやってるだけなのかもな、なんて。


で、翻って語学方面に目を向けてみると、よくよく考えたら「なんでknow"ノウ"と読むんだろう?」ということに思い至る。


まずそもそも「文字として書いてあるkを発音しない」ということが、納得いかないのでは?ということを思った次第。


こっちは語源学も割合にガチで取り組んだから、kの音を読まない理由だったり(そうなった歴史的経緯、発音していた時期もある)など知ってるけど、学校で習い始めた頃に説明してくれるとは思えない。


*中世英語や古英語、ラテン語の知識がある指導者に出会えたら、超レアケースだと思うけど


一方また、「記号を部品やパーツとして扱う」気質の方からすれば、「記号そのものが例外だらけ(一貫性がない)のは許容しがたいだろう。


実際、自分の知識範囲で言っても、ドイツ語やフランス語では、綴りと発音の関係性は数ページ単位、少なくとも本で言えば1章程度の分量で済む。それだけ一貫性があるわけだけど。


ところが英語の場合、1章どころか、本の分量にしても10冊以上となると、「綴りと発音の関係」について見取り図を作るのは諦めざるを得なかった。


でまた、自分で長いこと語学方面に関わってわかったけど、教科書や参考書のどこにも書いてないけど、「音の文法」があるらしいんだな。


音楽理論とかで、「楽曲のキーがXのとき、N音の次に来るのはM音だけである」みたいなのがあるけど、その自然言語版という。


で、生得的に語学に向いてる人は、「音の文法を、教えられなくても把握できる人」みたいなんだな。なので、そういう人の話したり書いたりする内容は、「音の文法に則っているので、文法的に間違っていても、自然に読める」という側面がある。


一方、「意味レベルの整合性」でやってきた方の文章をみると、意味はわかるけれども、「音の文法が全くない」ので不自然極まりないという印象になってしまうとか。


で、冒頭のknowについても、「音の文法」のレベルで考えれば整合性が取れるんだけど、意味合いや規則性を主体にしちゃうと、こんな不合理なことはない。


で、「音の文法」が感じられない人の場合、「音読」することで、「無理矢理にでも文字と音声を同時処理する」ことが必要になるんだと思う。


一方、語学派の自分が数学記号を記号のままでは扱えないので、「英語で思考すれば、すべての数学記号が音読できる」ので、認知的な負荷がメチャ軽くなったと。


あとはこういう「音の文法」を整理できれば、語学に馴染みない人にも少しはとっかかりを作れるのではと考えてるんだけど、あまりに広大無辺なためにいまだに着手できないでいる。


あとリアルに思うのは、「その人の聞き取れる音」の範囲を科学的に測定できないのかな?という思いがある。


最近、バーバラ・スタフォードの『グッド・ルッキング』をあらためて読み返してたので、MRIとかPETみたいな技術が進んだんだから、「その人が聞き取れている音声情報」についても可視化できたらいいのに、と思う。


語学にニガテ意識を持つ人で「発音には自信あります!」的な方に出会ったことがないので、つまりは「外国語の発音(音の聴取、音の再現)」がネックなのでは?と思ったり。


でもそうするとこれ、音楽についても「人によって聞き取れてる内容が違う」ということになるから、これもまた果てしない話になりそうなんだよなぁ。


楽器の演奏をするようになったら、「今まではボーカルとバックグラウンドだけだったのに、ベース音が聞こえるようになった!」ということあるから、可聴範囲も訓練と共に広がっていくとは思うんだけど。


ただなんかあらためて本を読んでて思ったんだよね、knowをノウって疑問なく読める方がおかしいのでは?」と😅


よく言う話として、「なんでマイナスにマイナスをかけるとプラスになるのか」という疑問に対して、「それはそういうものだ」と言われてガッカリした人が多数いるわけだから。


それと同じでknowをノウと読む」についても、「それはそういうものだ」と言われてガッカリした人がたくさんいるんじゃないかなーって思ったんだな。はたた🐷


# by ulyssesjoycean | 2022-06-25 12:18 | 「文系」と「理系」どっちもガチに取り組ん | Comments(0)

「◯◯◯◯」も財産と捉えてはどうだろう? ミニミニ水木しげる的な人が多数登場『在野研究ビギナーズ』

「◯◯◯◯」も財産と捉えてはどうだろう? ミニミニ水木しげる的な人が多数登場『在野研究ビギナーズ』_d0026378_12290881.jpg

「そういうのあるんだ」と、刊行当時から気になっていた、『在野研究ビギナーズ』。ただその時は扱われるテーマが法学、日本文学、妖怪や昆虫、活字(印刷)文化というところから「あまり縁がないな」と感じてしまい、以来それきりに。


ただ調べたいことがあったので、そのヒントがないかな?と思ってあらためて読んでみると、テーマよりも、むしろそこに参加してる人たちの「ミニミニ水木しげる」とでも言うべきマイペースぶりが印象に残った。


というのも、アカデミー外で何かしら研究的なことをしてる人たちは、みな一様にマイペースで、さらに言うと「浮世離れ」の感がある。


それぞれに色々な曲折あったにしても、少しもウエットなところがない。自分のアレコレすら、遠くから眺めているような冷静な距離感が感じられる。


もちろん中には、現状改革や変革への強い意志を持っている方もいるんだけど、そういう方々はむしろ「社会起業家」という印象強い。アカデミー的な世界では珍しいかもだけど、ビジネスの世界では比較的「あるある」だったりする。


そんなわけで、自分という存在すらもあっけらかんと捉えられる資質の方々を見ていると、これは水木しげるさんの「ほがらかなニヒリズム」(©︎呉智英)に連なるものだな、と。


現状改革や変革への意志は、「こうあるべき」という強い理想の裏返しなんだけど、一方の水木しげるさん的世界観は、極めてドライに「そういうもんだしな」という諦観が徹底してる。


それもなんというか、色々あって工夫を重ねて苦労の末にようやく辿り着いたーーというより、元々資質として持ってるものの自然な発露という感じ。工夫はあったにしても、そこに「無理をした」感じがない。


ただそういう、ミニミニ水木しげる的な人たちにしても「同好の士」(仲間)を求めるココロは共通してるので、そこがオモシロイと思うんだな。


また多少なりとも(あるいは多少どころではない)ケンキューをしている以上、その交流の相手も「誰でもいい」というわけにはいかない。そこが難しい。


ただこうやって考えてみると、「どれだけ浮世離れした人でも、人との交流を求める」というより、「交流の方が人を求めている」気がしてきた。それこそ花(花粉)🌼と昆虫🐝の関係みたいなもので、見方によっては「花粉の方が昆虫をうごかしてる」と考えることもできるを


先日のブログで、ロビンソン・クルーソーは、実は「資本の擬人化」なのでは?と考えたけど、それと似たようなことが「交流」についても言えるというか。


各人の「健康」「金銭」に加えて、「交流」それ自体も大きな意味での「財産」と捉えるべきなのかもしれない。


近年はWell-BeingとかQOLという言葉をよく聞くようになってきたのも、ある意味「健康≒大切な財産」と捉える視点になってきたのかもしれないな。


で、こういう財産とか資産という言葉を使うと顔をしかめる人がいるかもだけど、むしろ話は逆で、「財産の一部に、金銭的なものが含まれるだけ」の話だと思うんだな。


でまた、「健康・金銭・人的交流」を並べてみたとき、「金銭」がたまたま計量化しやすかったから最初に注目されただけであって、まずなんでも「わかりやすいところから攻める」だけの話だったのかな、と。それが今ようやく「健康も財産と捉えやすくなった」だけの話で。


ーーこういう話をつらつら考えるのも、人的交流の面で陽ナントカ、コミュStrongの人の話に触れてみると、「人と交流したい!」というそのエネルギー量に圧倒されるから。


それも一方通行なものではなくて、「人を楽しませたい😄」というのがその人の原動力になっているから、交流に対して費やすエネルギーや準備についても計り知れないーー


その「結果」として「広い人的交流」があるというのは、財産的な観点からすれば、至極当然というか。作物だって収穫までには大変な手間暇かかるのと同じで、交流それ自体も同じように捉えた方が、変に羨んだりしなくていい気がするんだけど。


その意味でいうと、「在野研究」と呼ばれる人たちの場合、対象とする作物が市場に流通してない(あるいは少ない)ので、同じような農家を探すのに苦労すると、まずそんなことではないだろうか。


ーーところが一方でガクモンやケンキューが農作物と違うのは、「情報」として軽々とリアルの場所を飛び越えていくので、結果的に世界レベルまで拡大すると、ロングテールというか、「それが知りたかった!」というピンポイントな相手が見つかったりすることも。


タカヤマ経済学派の自分としては、この世のものは「交換(貿易)の関係」で出来ていると思うので、それを広くいろんな分野に当てはめて考えた方が風通しがよくなるんだろうなーーなんて思ったりした。


というわけで、『在野研究ビギナーズ』を読むと、ふうむ、特異なケンキューをしている人は、対象を世界中に広げると案外なところで仲間が見つかると分かったけども、残念、自分が本来的に「調べたいこと」のヒントは見つからなかったな😅


しかしこういう、「調べものを面倒だと思う」ようなメンタリティの持ち主は、「在野研究」の世界にも皆無みたい。前にヘンリ・ペトロスキさんの本を読んでも、たった1行の出展を求めて大学図書館を駆けずり回ったそうだしーーしかもその本業とはなんのカンケーもないんだな😆


くだんのペトロスキさんにしても、在野研究の人たちにしても、色々あるけど「毎日退屈せずに楽しく暮らしてる」雰囲気があるので、つらつら述べた「財産を広く捉える」という観点からも、これが一番重要なことなのかもしれないな。はたた🐷 


# by ulyssesjoycean | 2022-06-19 18:00 | 「文系」と「理系」どっちもガチに取り組ん | Comments(0)

眞藤雅興『ルリドラゴン』に、藤本タツキ『チェンソーマン』と同じ、「この人、センスある❗️」を感じたよ😆

眞藤雅興『ルリドラゴン』に、藤本タツキ『チェンソーマン』と同じ、「この人、センスある❗️」を感じたよ😆_d0026378_17004798.jpg
「マンガとアニメーションの脱線ブログはどこへ行った💦」と、このブログを書いている当人も思うくらい、その手の話題から珍しくなってしまった昨今。

桜井のりおさんの『僕ヤバ』を中心にウォッチし続けているものはあるけど、なかなか新人作家さんにまで目配りができないのは申し訳ないところ。

そんな折、たまたま目についた少年ジャンプの『ルリドラゴン』、絵柄から「あっ、この人にはセンスを感じる!」とピキーン❗️

マンガに関する話題がガクーンと減ったのは、「自分でも絵を描く機会が増えた」ことによって、相対的に減じた気がするんだな。マンガではないにせよ、自分でセッセと手を動かして絵を描いていると、それで満足してしまうのかも。

ただ一方、絵を描くようになると、「なるほど、絵を描ける人が言っていた、絵が上手いとは、こういうことか」と実感できるようになるので、また新しい楽しみにもなるんだけど。

それだけに、眞藤雅興さんがお書きになられている『ルリドラゴン』にも、「あっ!」という直感が働いた。藤本タツキさんの『チェンソーマン』についても全く同じ「この人センスある!」を感じたので。

ルリドラゴン自体、ツノが生えたの生えないのということだから、例のアレだろうかと思ったけれど、全くの現代劇のようだから、その心配はなさそうだ(むしろ、同じ掲載誌で、ある程度似たような設定を使うのは、相当な勇気だとも思うので)。

そうしてみるとアレだな、少年誌は、以前『ゲッサン』の編集長が言っていたように、その人の原体験的なものが入っていることが重要らしいので、何か芯のあるテーマなのかも。

自分としてはメチャ単純に、「もしかして百鬼(なきり)あやめさんのファンなのかな?」と思ったくらいだけど😆 実際、Vの人を題材にファンアートを描いてる方も多いから、その心意気を自作にスライドするのも、なくはない話。

ーーと、ここまで表紙絵しか見てない段階の印象なので、これはぜひ近日中に確認したいところ。少年週刊誌とかだと、とかく「手にしやすい」のがありがたいから、サッと買ってこなくちゃ。

# by ulyssesjoycean | 2022-06-18 18:00 | Comments(0)

デフォー『ロビンソン・クルーソー』は、◯◯◯◯の擬人化小説なのでは?な話🙄

デフォー『ロビンソン・クルーソー』は、◯◯◯◯の擬人化小説なのでは?な話🙄_d0026378_11230027.jpg

最近、本格的に「複式簿記」のベンキョーをしてみたところ、『ロビンソン・クルーソー』に複式簿記が出てくると聞き、「そうなの?」というので読み返してみた。


高山宏御大が打ち立てた「タカヤマ文化史」では、『ロビンソン・クルーソー』が基礎文献の扱いだけども、ずいぶん前に原書を買って読んだ時は、「同じ表現が繰り返し出てくるのでやたらと読みにくい💦という印象。


文章それ自体は平易なんだけど、構文にも単語にも変化がないから、覚えたての英作文が延々と続くような格好で、どうにも素直に読めなかった。


それが今回、自分の側で複式簿記(Double Entry)のベンキョーをかなりキッチリやった上で『ロビンソン・クルーソー』に向き合うと、ありとあらゆるものが「左と右」で表現されてると気づく。


開始早々、海に出たくて仕方ない息子をいさめる父親がこんなことを言ってる:


for Men of desperate Fortunes on one Hand, or of aspiring superior Fortunes on the other,


(Daniel Defoe, Robinson Crusoe, Oxford World's Classics, 2008, p. 7)


複式簿記では、左をDebit, 右をCreditとして記入していくけど、まんまそれではないか!


それこそ複式簿記の参考書の中には、「手元からお金が出ていくときは"右手"、手元にお金が入ってくる時は"左手"とすると分かりやすいですよ」なんて説明してるものもあるくらい。


作者のダニエル・デフォーはロンドンで商人をやっていたそうだから、その必要から自分でも複式簿記を覚えたんだろうけど、その時のものの考え方がまんま『ロビンソン・クルーソー』そのものという気がしてならない。


というのはそれだけ、複式簿記の記入の方法は「直感的でない」んだな。普通の計算であれば「引き算」で処理するはずの損失や損害についても、方式としては「足し算」になるので、これが直感に反して学びにくくなっている。


だからこそ「右手と左手」と言う参考書もあれば、「習うより慣れろ」という脳筋テキストもあり、こうした「力づく」の教授法に、デフォーさんも相当苦しんだと思われる。


で、ニンゲーンは抽象的な思考が得意な人とそうでない人がいるから、抽象的な思考が苦手な人には、そこで扱われるガイネンを擬人化する(=現実にあるものに置き換える)ことで、だいぶとっつきやすくなるーー


ということで、「複式簿記を本当に擬人化してみた」のが『ロビンソン・クルーソー』じゃないかと思ったんだけど、どうだろう。


自分はたまたま本式にそっちをやり始めたから今になって気づいたけど、これ、文学というよりも、📔複式簿記の記入に困った人を助けるための、壮大な擬人化参考書」として考えた方が通りいい気がしてきた。


あとは主人公のロビンソン・クルーソーさん。この人がやたらと「海に行きたい」と言うんだけど、これ、まんま💰資本」って存在を擬人化してるんじゃないだろうか。


ロビンソンさんの父親には財産もあるから、何もそんな危険な真似をして船旅に出ることはないだろうと、至極もっともなことを言うんだけど、主人公の方のロビンソンさんは、どうにも落ち着かない。しかもその理由も、べつにこれと言って説明されないんだな。


でもこれ、主人公のロビンソンが「資本そのものの擬人化」だとすると、これはどうしても動いていく必要がある。


何でかっていうと、資本は常に(有利な)投資先を求めるから、資本を資本として置いているだけでは利回りもなければ投資した分の見返りもない。


国内に有力な投資先が見つからなければ、国外で探せばいいーーこういう資本(Capital)の性質について、「これを人の形にしてあげれば、知識のない人にもわかりやすいだろう」と考えたんじゃないかなー。


実際、ダニエル・デフォーさんは、色々な企画構想をパンフレットにして提案しまくってきた人だから、「複式簿記やバランスシートの考え方を、知識のない人に教えるにはどうすればいいか🤔というのを工夫してきたのかもしれない。自分でも覚えるにあたって苦労したんだろうし😅


で、方々で資本は何をやっているかとか、株式とは何かとかを説明しようとしたんだけど、話を聞く側にその知識がなければ、取りつく島がない。毎度毎度「こう考えるとわかりやすいですよ」と弁じ立てるのも、そうラクではない。


ーーという経験が蓄積した結果、「資本そのものを主人公にして、複式簿記の上を歩き回るストーリー」を作れば、これは一種の「ケーススタディ(資本が大きくなって返ってくる)」にもなるから、手間が省けるぞ、なんて。


言ってみれば、プレゼン用のパワポを作る代わりに小説でそれをやった、という風に考えたらどうだろうと思ったんだけど、違うかなー。


やたらと海に出たいと言うロビンソンさんについて、「当時のイングランドにおける新興階級の好奇心」なんて、もってまわった説明をするよりも、「ロビンソン・クルーソー = 資本の擬人化」と考えた方が通りいい気がした。


そうしてみると、「余計なことをしなければ損な目にあうこともない」というロビンソン父のスタンスは、貯蓄や、あるいはそれこそ手持ちCashBondsに突っ込んでRisk Free Rateで運用しようという立場なのかも。


ところが当時は東インド会社が大立ち回りをしてる時代だから、「資本そのもの」であるロビンソン的には、より高いInterest Rateを求めてそっちに行かざるを得ないーー


まだ数ページしか読んでないけど、初読の時と感じ方がまるで変わっていることにビックリしたので、イソイソとブログをしたためた形。


ベンキョーの面白いところは、自分自身のものの見方が拡張されるので、これまでと同じものを眺めても、「見え方が変わってくるので、結果的にタイクツしない」という側面がある。


刺激を外の世界に求めると、ひっきりなしに新しい刺激を求めることになってインフレになってしまうけど、自分の側のモノの見方を変えてしまった方が、モノ自体は同じでも、受け取り方が始終変わるのでタイクツしないーー


というのを、あらためて本棚で誇りをかぶっていたロビンソン・クルーソーから感じたという話でした😆


# by ulyssesjoycean | 2022-06-11 11:22 | Comments(0)

「◯◯住宅は人気がない」のが理由なのでは⁉️ ピーター・フランクルさんと『ハードボイルド室町時代』にヒントあり🙄

「◯◯住宅は人気がない」のが理由なのでは⁉️ ピーター・フランクルさんと『ハードボイルド室町時代』にヒントあり🙄_d0026378_22165284.jpg

「我が国では中古住宅の人気が薄く」という一文を見つけて、「それだー❗️」と快哉を叫んだ今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか(なんだこの始まり😅)


なんの話かというと、Absent House」のこと。前々から関心を持ってちょこちょこ調べてきたけど、ここにきて、ついにそのヒントが見つかったという気分。


10年前だか、もっと前だかに、あまりにも「店子募集」的な張り紙を目にするので、大きな街路地図を買って、そこに赤ペンで印をつけていくということをやっていた。


自分でも「何をやっているのか」と思ってたけど💦、ある日の街角で上を向くと、ビルの窓という窓に「店子募集」の張り紙が見つかり、そうか、Absentなのは地上階だけじゃないよなーーと。


ところがそこまで拡大すると、単純に言って「キリがない」ので、地図上に印をつけるのはやめてしまったけど、近年ともなると、同じ関心を持ってる人がそこそこいるらしく、そうした話題に関する情報もチラホラ。


そういう意味では、官公庁の出しているオカタイ資料以上に確実なものはないので、そういうのをたまに読んだりしてきたけど、そこでわかるのは「統計上の数値」と、「その上で出来る法整備」なんだな。


ニンゲーンはとにかく思い込みが激しいから、「なんだか最近Absent Houseがやたら目につくな」というちょっとした印象から、「だから◯◯だ」と一足飛びに結論を出してしまいがち。


そういう点で、オカタイところの統計情報は具体的な数値がわかるので、「思い込みではなくて、いまN %もあるのか」とか、冷静にさせてくれる効果がある。


でも統計データ自体は自分で何かを考えるわけではないから、ニンゲーンの方でその数字をもとにして、色々検討するほかない。


で、それくらい多くの要件が出てくると、現在の法律ではどーにもできないから、新しく制定したり、今までのものを改定したりして解決しようーーと、まあ、そういう話になる。


ところが、「ではなんでAbsent Houseがこんなに多いのか?」というギモンについて、統計データや法律だけではその「理由」がわからないんだな。もっというと、「こういう理由なのでは?」という仮説を立てるのもむずかしい。


そうした時こそ、「文化史」の出番だ!というわけで、自分が常日頃から「タカヤマ文化史は、人文学以外に適用した方が効果的ではないか」というのは、こういう理由だったりする。


つまり、統計データと法整備だけでは、「なんでそういうモンダイが出てくるのか」という文脈がわからない。なので、そこをタカヤマ文化史のアプローチで補強してみるとーー統計をやっている人も法律をやっている人も「新しいものの見方」ができるので、自分の仕事がしやすくなる、と。


で、ようやく冒頭の「我が国では中古住宅の人気が薄く」に戻るんだけど、これ、「モノ」に対する受け取り方からアプローチすべきなんじゃないだろうか。


上の「中古住宅は人気がない」ということでパッと思い出したのが、数学者でジャグリングをやるピーター・フランクルさん。


世界中を経巡ってきて、いま日本に住んでいるけど、フシギと「じゃあ家の中に入って、お茶でもどうぞ」とは言われない、という話に。


他の国では言われるのに、なぜか日本では一度もその機会がなくて、という話をラジオで淡々とされていたのが印象的だった。


あともう一つ思い出したのが、『世界の辺境とハードボイルド室町時代』。あんま人のいかない場所の生活態度と、室町時代の生き方には相通じるものがあるんだって。


中でも「へえ」と思ったのが、室町時代の法律。「他人のモノを盗んだら死罪」というのが、相当厳格に適用されてたらしい。


それも別にお宝や金銀財宝の類ではなく、茶碗なり今でいうコップレベルのものでも、「盗んだので死罪!」という。死罪でないまでも、相当な厳罰ではあったみたい。


冷静に考えると、モノの価値と、それに対する罰則がぜんぜん釣り合ってない。でも、「そうしないと気が済まない」のが、室町時代の基本メンタリティで、形を変えながら現代まで続いてるんだよーー云々。


そこで話に出たのが「日本の中古車」新品同様のクオリティでも、「誰かが使ったモノだ」というだけで価格がガタ落ちになるのは、やはり「モノの価値」という側面だけでは理解できないそうな。


なので、中古車ビジネスを手掛ける目ざとい海外のビジネスマンは、遠路はるばる日本へ来て中古車を買い付けるけれども、それだけ「良い品が安く買える」からだそうな。


そうした諸々がアタマにあった上で自分の出した結論(*仮説)は、ニポンジーンにとって、所有物は「自分の身体の一部」なのかもな、という。


茶碗とかコップ単体で考えれば「室町時代はハードボイルドにもほどがある」となるけど、Aさんの茶碗 Aさんの身体の一部」となれば、これは厳罰化しても、まあ仕方がないかな、という。


これまで、モノについてはそうした意識があったんだけど、「家」というモノについては 考えが及んでおらず、そのことを「中古住宅は人気薄」のくだりを目にするまで気が付かなかった。


ここまで話を進めると、Absent House単体を考えるよりも、「中古はなぜ敬遠されるのか」を考えた方が、ヒントが見つかりやすいかも。


自分はモノに対して潔癖な方ではないけど、ただ、いくら綺麗でも「中古の箸」(他人が使った箸)は使いたくないし、「中古の布団」「中古のベッド」と言われると、ウーンと唸ってしまう。


じゃあそれはなぜなのか?というギモンがあるんだけど、この辺りのメンタリティを文化史的な視点から追っかけていくと、案外なところで「Absent Houseが多い理由はソレだ!」ともなるような気がしてきたことであるよ。


むしろこの場合、タカヤマの方のヒロシさんではなくて、カシワギの方のヒロシさんに当たった方が、ヒントが見つかるかも。たしか場所とか、神社とかの話もされてた記憶あるんだよなー。はたた🏡


# by ulyssesjoycean | 2022-06-08 12:00 | Comments(0)