本日はシンポジウムのまとめ。大変な長丁場だったけれど、収穫も多かった。
第一に、日仏での小さな
「違和」の提示が興味深かった。グルンステン氏の言う、
「鼻が描きにくいのはなぜか?」といったようなこと。
なんでそうなるの?という小さな疑問を互いに投げかけあう段階で、まだまだ――というのとは逆に、やっとそういうことができる土壌が育ったんではないかなぁ――と。
いわゆる、ごく少数の人が、本の中で提起するだけでなく、一般に開かれた場であれだけの人が集まったわけだから、こうした違和感を提示するのは、やれるだけやっていった方がいい――と素直に感じた。
第二に、コマの研究は、今後
「認知科学」に進むべきではないか――ということ。
竹熊氏、伊藤氏、さらにそれを受けてのグルンステン氏の受けこたえも、これ以上先へ進むためには、認知科学の知見が必要になるのではないだろうか。
コマの
「間白」というのも、自分の乏しい知識からの類推で言えば、
「錯視」との接点がありそうだし、夏目房之介氏の言う
「視線誘導」も、こうした分野から研究した方が、より有用性が高いのではないか――
名著はたくさんあるけれども、それこそ同分野の研究者を招いて、または、マンガ研究者でそっちへ出向くなり、人材の交流があればすばらしいな――と。
鈴木光太郎氏という、その名も
「光学」的な、自著も翻訳もすごい!という方がおられるのだから、こうした人とのコンタクトの取り方は模索されても良いのではないだろうか。
先日話題にしたリーマン予想ではないけれど、数学者と物理学者が一同に介して、ヒカカン幾何学(漢字失念、Noncommunicative Geometry)にたどり着いたようなもので、こういう催しに今後期待がかかる。
最後はやはり、
「文化史」的なアプローチ。荒俣氏が多大なヒントを与えてくれたように、ヴィジュアルをテーマにした歴史学だね。
第一は擱くとして、第二は
「科学」との接点、第三は
「歴史」との接点ということ。マンガ研究も、
「マンガ以外」の研究をしないといけない段階にいよいよ突入したのではないか――というのが、今回のシンポジウムを見て、まず感じられた。
でまた、その両方に橋をかけてるモデルケースが、やはりバーバラ・スタフォードということになっちゃうんだよね。
博覧強記、しかもそれをまんまやっちゃうから、難解!ということになっているけれど、
「言葉だけではいけない!」という主張は一貫して変わらないし、他ならぬ高山宏氏という千両
「訳」者がついたわけだから、これはぜひに――という感じを持っているんだけれど。
ただ本がどれもデカイからね(笑)。邦訳第一号の
『アートフル』はビミョ~という感じだったし、その点では、邦訳第二作の
『グッド・ルッキング』(産業図書)が、今までのスタフォード作品の
「ベスト版」的あつかいで、これが入っていきやすかった。
産業図書の本は、見つけるのに手間がかかったけれど(申し訳なし)、もし興味関心があれば、
『グッド・ルッキング』を入門編としてオススメしたい。