最近はもっぱら、
『それでも町は廻っている』と、ヴァレリー・ラルボーの二本柱。
前者の魅力は、柳瀬尚紀氏がドナルド・バーセルミを評した言葉を借りて言えば、
「なんとも手ごたえのある手ごたえなさ」ということになるか。
最初はアニメ版の独特な雰囲気から敬遠していたけど(スマン)、実際に読み込んでみると、なにより飽きの来ない作風がすばらしい。
一方のヴァレリー・ラルボーは、ジョイスからの回路だね。
ジョイスが
『ユリシーズ』の出版でどたばたしていたとき、その作品の真価をいち早く見抜いたのが、ヴァレリー・ラルボー。
フランス語関係では、自分にとっての作家が見当たらずに困っていたので、まずは出発点とも言うべきジョイスから色々あたってみるかと。
それでちくま文庫の
『フェミニナ・マルケス』を読んでみたんだけど、すごく良い部分が骨格にありながら、なにかちぐはぐな作風。
ストーリーの説明は省くけれども、
「ぼく」という主人公の視点からの物語なのだろうと思って読んでいくと、別な少年の視点も
「ぼく」という言葉で語られる。
あれっ?と思って読み進めると、その少年の部分が長いので、ああ、こいつが主役なのかな――なんて思っていると、また別な少年の目線に変わる。
そういう風に視点が一貫しないので、読んでるほうとしてはやたら混乱する。解説を読んだら、そうした構成の不備は指摘されるところで、それでまた、ずいぶんと若書きの書物らしいですな。
幸い、ラルボーには他にも訳書があるようなので、この機会に確認してみたい。文章全体は非常に良いので、これでハマる作家になってくれるといいんだけどなぁ。