石黒正数氏の日記を読んでいて、誤植についてのエントリーがあった。だからって、別にそれを広めようというのじゃない。ただ、
「誤植」ってなんだろう?ということが頭をよぎる。
フランス語ではfautes d'impressionって言うんだっけ? あれだけ目を血走らせて何度もチェックしたのになぜ――という印象。
「印象」、これもimpressionだ。
以前なんかで聞いた話では、たいへんな読書家の人がいて、その人いわく、本を読んでいて誤植を見つけたらそこで止めるという流儀だとか。どんな本にも必ず誤植があるから、そうやって次々と本を読み進めると。
一時期、錯覚視学の勉強をしたとき、文章の一箇所で
「friend」というのが
「fiend」となっていても、気づいた人は皆無だったそうな。つまり、思い込み+で文章を読み取っていると。
世にこれだけ学問領域があるのだから、
「誤植学」なんていうのもオモシロイかもしれない。第一章から実は一箇所誤植あったんですが、お気づきになられましたか?なんて入り方をすると、推理小説感覚で、意外といけるかも。
こっからは妄想企画で、第一章は
「校正とは何か?」という入り方をして、出版にまつわる校正の作業工程を説明し、実はそこに一箇所、誤植を仕掛けておく。
で、第二章の冒頭でそのことを明かして、そこから
「誤植」を脳科学的な知見から見ると、こういう原因があります――なんて述べて。
これ以上は取り留めなくなるから止めるけれども、誤植とは言わず、文字の書き間違いなんて誰しもが体験することだから、それをまとまってやったら面白そうな気がするんだけれども。
それにしても、今やってる
『シャーロック』――ホームズの現代版――は、オモシロイね。料理をつくりながら音声だけ聞くという不埒なスタイルだけれども、楽しんでおります。