さて、高山御大が唯一尊敬している生物学者だという福岡伸一氏。
「向こうはきっとケーベツしてます(笑)」とは言うものの、なるほど、福岡氏の専門は17世紀オランダの由。
フェルメールの絵画に見る装飾が、顕微鏡文化とつながっているという、そういった議論をされているそうな。
ところでそもそもディシプリンは有効なのか? 実際にインターディシプリンをやろうとすると、
「ヤバイもん! いろんな意味で」ということがあるらしい。
アナログ/アナロジーが必要になるということから、個人的に色々言いたいことはあるのだけれども、バーバラ・スタフォード氏の作品を孜々紹介してきた。
本当は福岡氏に読んでいて欲しいけれど、読んでないだろうなぁ――と。著作を見ると、その辺は分かってしまうという。
18世紀半ばには百科全書(エンサイクロペディア)が登場するけれども、
「百科全書ってなんだろう?という研究がなんでないんですか?」。
つまり、高山氏が40年大学に籍を置いてきて身にしみて感じているのは、
「知識論」がないということ。
知識論、情報論の神様といえば、マーシャル・マクルーハン。この人はカナダ人。で、カナダのトロントというところがめっぽうオモシロイ場所だという。
ひところ鳥インフルエンザが流行した際、東南アジア圏ぐらいでせき止めたはずが、なぜかカナダのトロントだけ、鳥インフルエンザが入ってしまった。
なぜかというと、文化的にはアジア系移民が10数パーセントを超えるという、移民受け入れをやってきたのがトロントだそうな。
そしてそのトロントはカソリック文化圏だから、ジェズイット(Jesuit)、つまりイエズス会の話題がある。
フランシスコ・ザビエルにしても、みな、軍隊の訓練を受けた宣教師であって、四ッ谷から新宿に向かって歩くその道すがら、ジェズイット!と叫んだら、
「二、三人振り向きますよ」[上智大はイエズス会系の学校だから]。
明治大学で新学部創設の際、ヴィジュアル文化論をやる関係で以上のような事をスピーチしたら、そんな話を聴きに来たんじゃない云々、相当激しいやり取りになったそうな。
マクルーハン自身は、テレビのことをidiot boxと読んでいたそうで、この先、イエズス会とヴィジュアル文化のつながりになるけれども、それはまた次回。