人と人のドロドロをわざわざフィクションにするということが今もって分からず、自然、とよ田みのる氏や河合克敏氏、石黒正数氏の作品を愛読することになる。
そんな中にあって、ドロドロなんだけどどうしても引っかかるというのが、押見修造
『悪の華』(講談社)。好きだとは言えないんだけど、かといってまた読まずにもいられないという感じ。
最新の5巻が発売になり、ドロドロ路線も加速しているけれども、これも
「お話」である以上、何らかの形で
「オチ」をつけなければいけないはず。どうするんだろう?――ということが頭をよぎる。
というのも、主人公たちがけっこうなことをやっちゃってるので、それをどこかで相対化しないで結末がつけられるものなんだろうか。
以前、
『スカルマン』の続編を執筆することになった島本和彦氏が言っていたのは、主人公が
「生きていたはいいけど、そのためにたくさん殺しましたよね?」。つまりそこを
「チャラ」にはできない由。
『龍が如く』というゲームをやって感心したのも、裏の世界を生きる主人公が、かなりの年数をちゃんと安部譲二してからスタートするということだった。ヤ〇ザかっこいい!とか、そういう単純なつくりにしないのがえらい。
先日の
『輪るピングドラム』でもそのバランスに配慮してあり、そういった点でも感銘を受けたけど、SFやファンタジーの仕掛けが一切ない
『悪の華』ではどうするのだろう。
(やっぱ『小さな悪の華』みたいになっちゃう?)