方々で話題になっているのが聞こえてきたので、
『少年マガジン』(講談社)に掲載された
「聲の形」を読んでみました。
障害を取り扱っているため、その点で好悪(もしくは是非)が分かれる反応が多かったように感じていますが、自分が読み終わって真っ先に思ったのは
「そうまでして学校に行かなきゃいけないのかなぁ」ということ。
いつも思うんだけど、学校でマイノリティの人が困る→誰かが助けに来る→学校生活がまた始まる→ああよかった、では、それ全然解決になってなくない?と思うんだよね。
その人はどうにかなっても、結果、一番最初の
「学校でマイノリティの人が困る」は今後も永久に再生産されていくのだから、そこをどうにかしなければいけないんじゃないだろうか。
かといってあまりに性急な結論を出すのもどうかと思うので、やっぱり学校と家
「以外の場所」が必要なんじゃないかなぁと。
ただその第三の場所がなんなのか、人なのかモノなのか具体的な場所なのか何も掴めていないので、結果、そこまでしか言えないんだけど。
だから結局、自分にとっては
「聲の形」も
「悪の華」も
「あの花」も全部同じカテゴリーの作品。障害云々とかは全く関係なく。
それでいうと、
『悪の華』は非常に切実なものを含んでるので、そっちがオモシロイと思う次第。今回の
「聲の形」が悪かったわけではないんだけど。
あとは非常に似通った設定で言うと、同じく押見修造さんの
『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』(太田出版)がものすごく胸に来る内容だったけど、こっちが話題にならなかったのは、版元の大きさの違いか。
(あえて意地の悪い見方をすれば、この作品にインスパイアされて「聲の形」が生まれたのでは?と思ってしまう。単行本発売は割に最近だけど、WEB連載では相当前だし。
でも正直、『志乃ちゃん~』の方がはるかにオモシロイっす… むしろ今回のアレコレがきっかけで、『志乃ちゃん』を読む人が増えてくれればいいなと思う)