こんなところに私の名を知って慕わしく思ってくれる人がいたとは… 半月前までは存在も知らなかったこの国が急に身近な場所に思えて来た… 鎖国などつまらぬ事だな・・・・・・・
(みなもと太郎 『風雲児たち 幕末編』、22巻、リイド社、p. 184. 2013.)
いやぁ、こういうセリフを見ると、本当にみなもと太郎先生は知的な方だなぁ…と滅茶苦茶に感激する。
実際、小学校の学級文庫(!)に
『風雲児たち』を持ち込んでいた(!!)奇特な先生あり、そこから愛読してン十年、それがいよいよ咸臨丸でアメリカに行くところまで来たか―!と、感慨もひとしお。
冒頭に引用したセリフも、その道中で立ち寄ったハワイ王国で、日本からの使節団の一人の印象なのだけど、実際、グローバルだなんだとカタカナ言葉の羅列される世界とは少しく違って、実際はこんな素朴な心情が基盤にあるのではないかと思う。
なんだかんだとゴネてみたものの、会ってみたら案外話せる人だった、どころか、言葉もよく通じないのに意気投合ということがたびたびあって、何かそういう
「相性」みたいなものはあるんではないだろうか。
一方で、先日参加してきたローカリゼーションマップ勉強会では、グローバルでやっていける人物というのは、根底にものすごく強烈なコンプレックスがあったり(留学中の差別体験など)、一方でまた自国ではうまくやっていけない人がそっちに向いているという話も伺い、耳が痛い。
自分事でいえば、
「その国に対する憧れ」が
「なかった」ことがすごく良かったのだろうと思う。憧れはエンジンともなり得るけど、一方で
「幻滅」も生み出すこともあるし、それが反転して
「憎悪」になったりもするだろうから。
自分の場合はそれが全然なく、会ってみて気が合えばそれでよし、そしてなぜか気の合う人のフランス語圏が多いということでやっているだけなので、英語英語とかまびすしい昨今だけど、あまりそう事をかまえず、語学だけでもいろんなものに触れる機会あればなぁと思う次第。
というのも、自分自身が必死こいてやっていたのは英語だったけど、お会いする方々に純英語圏の人がいなかったりして、なんか語学に限らず、文化圏などにも相性があるように思えるんだがなぁ。