フランス語をやっていていまだによくわからないのがフランス詩。じゃフランス語以外の詩はよくわかるかというとそういうこともなく、ただその中でもフランス詩はピンと来ずに今に至る。
でも昔の文学者といえばすべて詩人だったわけだし、気にはなっているんだけどなかなか接点がなかった。そうしたところで目に付いたのが、中原中也の『
ランボオ詩集 (岩波文庫)』。
そりゃ語学的にはもっと正確なものがいくらもあるんだろうけど、こと詩についていえば、いくら正確でも詩作品としてインパクトなければ仕方がないと思うので、そういうことでは
「詩人による外国語詩の翻訳」は、語学を超えた何かがある気がしてならない。
詩人も含めた作家の仕事と研究者の仕事を同じモノサシで測るのも何か変だと思うし、これ自体が一個の作品として独立していると思うことにする――というか、海外文学は岩波の赤版のはずなのに、緑版(日本文学)になってるのがその証拠ということだろう。
以前からボードレールには関心あるんだけど、ランボーは何がいいのかさっぱりわからないというのが偽らざる心境で、ところがこの中原中也訳をのぞいたら、これは何かあるぞ、という確信を持ったから、ここから入るのがいいんだろうと思う。
英語フランス語などの外国語は原典にあたるようになった反動か、最近は日本文学がいいなぁと思うようになったので、中原中也を皮切りに、こうした古いのを読んでいこうかな。
敬愛する西脇順三郎さんも同じ岩波文庫で『
西脇順三郎詩集 (岩波文庫)』が入っているわけだし。