(吉田健一のお爺さんとして、「牧野さん」という名前と共に度々作品に登場する牧野伸顕。まずこの名前を「のぶあき」と読めないあたりに始まって、ずっと気になる人だった。古書店巡りをしていても殆どみかけたことがなかったものの、密林で中公文庫を入手。現在は絶版だと思う)
吉田健一のお爺さんであり、吉田茂の義理の父にあたる(と思う)牧野伸顕さん。大久保利通の子であり、明治以降の日本の政治で手腕を振るった外交官でもあったそうな。
その『回顧録』に目を通して見ると、そうした外交の世界でバリバリ働く前に、明治期の激変にかなりのページが割かれている。それでつくづく思うのは「今も昔も人の交流の基本に変わりはない」ということ。
手腕のある人たちの間では常に意見交換が行われていて、それならあの人が適任でしょうなど、人選についてもそうしたレベルで話が進んでいる。
で、これはなかなかな人物だということになると、採用。しかし一方でどんなに厚い交友があったとしてもこじれる成り行きあるのは致し方ないーー
ちょっと前にマラン・メルセンヌというヨーロッパの数学者ネットワークのハブになってたお坊さんに関心持ってたけど、16世紀のフランスも、明治時代も、2017年も、「人のネットワーク」という部分では大差ない。
というより、変えようがないんだと思う。
1. 人望にあつい人がいる
2. その人の周辺に人が集まる
3. その中で力があると認められた人たちは、1.の立場に立つ
4. 別のフィールドで1〜3をなぞる
こういうパターンが自然に生まれるんだろう。1人の人間が意識していられる数は150人程度だと言うし、そうならざるえないと言うか。
その辺りの流れや、逆に人を集める立場になってしまった人の苦悩なんかもあったりして、まずその辺がべらぼうに面白いのが、この牧野伸顕さんの『回顧録』という気がする。