(心理学者として名前を知ったウィリアム・ジェイムズ。ありふれた名前なのでそこを気にしたことなかったけど、実は小説家ヘンリー・ジェイムズのお兄さんなの?と後追いで気づいたのはいつだったか。違ったキャリアを歩んだ2人だけど、「画家志望」というのは共通してたみたい。)
調べるものをしていたら、どーやらこの分野のキーパーソンがウィリアム・ジェイムズらしいと分かる。心理学者の草分け的な存在としてしか知らなかったけど、この機会に眺めてみるのもオモシロイかもしれない。
あいにく弟のヘンリーさんは、例の「どうかしてる」英文に全く馴染めず今に至る。ヒョイとした弾みに『Daisy Miller』を読んだら面白かったけど、あれは比較的初期の作品で、それで英語が読みやすかったみたい。『Turn of the Screw』の英文を読み切る気力がないよ。
で、そういう先入観がジェイムズ兄の方にもあったのか、知らぬ存ぜぬで来たけれど、幸いに翻訳を見る限り、ヘンリーさんほど読みにくいことはなかったので一安心。
でも不思議だな、20世紀初頭に書かれたウィリアムの本は、最近の科学偏重、科学でなんでも解決できるみたいな考え方は如何なものか、という疑問を形而上学の方面から呈している。
コナン・ドイルさんも晩年は神秘思想に進んでいったように、物質文明への反動がグワッと出て来たのが20世紀初頭なのかな。でもウィリアム兄さんは「プラグマティズム」という言葉の由来を作った人のようなので、地に足のついた議論をしてる雰囲気。
プラグマティズムで思い出したけど、教室が暑くて暑くて仕方ないとかいう、あの人の名前もサッパリ目にしなくなったな。その後は20の次の時代のお金がどうしたで、嫌われたくないけど勇気が出ないとか、そんな話が続いたような。
さしずめ今は競馬でも麻雀でもなくて、ポーカーやババ抜きに関係ありそうなのが狙い目だろうか。ジェイムズ兄さんの本に出てくる同時代の哲学者の名前が聞いたこともないものばかりで、フトそんなことが頭をよぎった次第。
ジェイムズさんはアメリカ的な知性の代表で、おんなじようにアメリカ発で教育界に旋風を巻き起こしたデューイさんも同時代人くさい。
デイビッド・ロックフェラーさんの自伝を読んでたら、「両親はデューイの教育思想を支持していたから、私はギリシャ語やラテン語といった古典語ではなく、フランス語とドイツ語を学んだ」と言ったことが、ハーバード大時代の思い出として語られてた(気がする)。
もしかするとエズラ・パウンドさんも同時代人? パウンドさんは物書きとしてはもちろん、「文学作品のプロデューサー」として敬愛してるけど、そういやどんな経歴なのか全く知らない。
ウィリアム・ジェイムズをキッカケに、この辺のアメリカ近代史を眺めてみると案外キョーミ深いことがわかるかもしれぬ。でもウィリアムさんもそうスラスラ読める雰囲気ではないので、いつになることやら^_^