推理小説→
アルセーヌ・ルパン→
ルパン三世→
カウボーイ・ビバップ、という連想がようやく
「つながる」。
『ルパン三世』まではいいとしても、なぜ
『ビバップ』につながるのか?
『カウボーイ・ビバップ』は、監督・
渡辺信一郎氏による
『ルパン三世』の変奏曲だというのが、注意して観ると良く分かる。主人公
スパイクが
ルパン三世なのはいいとしても、ではその相棒
ジェットは
次元大介なのか、というとこれが違う。ジェットは元ISSP(警察)なので
銭形のとっつぁん。敵役の
ヴィシャスは日本刀を操ることから、これは斬鉄剣の
五右衛門ということになる。
ハッカー・エドと
データ犬・アインは、ルパンの使用する
秘密道具がスピンアウトしてできたキャラクターということで、残るは峰富士子と次元大介。
次元は射撃の名手、百発百中で外したことがないという設定だから、ここからゆるい連環ではあるが、ギャンブラーでイカサマの名手の
フェイが
次元ということになる。敵になり味方になり主人公と付かず離れずのジュリアは、
峰富士子でもあるし、同時にルパンの探す
「お宝」でもあるわけだ。
ビバップの連中が探す
「お宝」とは何かと言えば、
「自分の過去」である。最終回にいみじくも、ジェットがスパイクに対しこういうセリフを吐く。
男は過去ばかり思い出す。
死に際で、自分が生きていた証拠を探すようにな。
引き返せ。(渡辺信一郎 『カウボーイ・ビバップ』 第25話)
しかし、ここまで相棒に言われても、
やっぱり自分の過去の方が現在より大事なんで行きまーす、というのが
『ビバップ』という作品で、名作中の名作だというのは間違いないことなのだけれども、最終的にのっかれない原因はそれ。
自分の過去にしか興味がないというのは、ひっくり返せば、
自分の現在にウソをついて言い訳ばかりしている人間とも言えて、更にそれを美しく描くというのはいかがなものか、という意見はこっちの耳にも入ってくる。やはり
夏目房之介氏の
『おじさん入門』にある、
ちゃんとトシとろうよ。トシとったことを肯定的に認めようよ
という現状肯定の力の方が、自分の過去にしか興味のない人間より、よほど美しく感じる。なにより女々しくなくていい。