(奇抜すぎる髪型と厭世主義の2つが重なって読む気になれなかったショーペンハウアーさんだけれども、「さん」づけをするくらい今では興味を持っている次第。ドイツ語の文章として第一級らしいので、これはぜひ目を通してみたいと。画像はウィキペディアより引用)
近年は哲学、哲学といえばドイツ、ドイツといえばドイツ語、というわけで、ちまちまとドイツ語を学び直し中。
以前エネルネスト・グラッシのドイツ語原書を見つけた時に狂喜したけど、中身がサッパリ頭に入ってこなかった。最近出版されたグラッシの『形象の力』で訳文を見たら、あー、こりゃ自分のドイツ語力では歯が立たなかったなーと変に納得。
グラッシさんのドイツ語に触れて一番困ったのが、各種哲学用語。Bedeutung, Vorstellungとかとか、今では大丈夫なものも、当時は哲学思想に馴染みがなかったから、辞書に何度も引いた痕跡が見られる。
その後、哲学者の生涯がわかるとニンゲンとして親しみわいて、その思想にも納得いくこと増えた。もちろん、その真反対で完全にキョーミをなくす場合もあるのだけれども( ´ ▽ ` )ノ
そんなこんなで、ミヒャエル・エンデを通して力づくで覚えたドイツ語も、いま基礎をやったら案外もっとよくわかるんじゃないかな、なんて。
ドイツの哲学をたくさん紹介した方に橋本文夫さんがおられた由。最初にドイツ語を学んだ時は全く知らなかったけど、語学参考書も色々出されているようだ。
NHKラジオで覚えたドイツ語も、ハハァ、こんな解説がされてるのかと楽しく読めたりする。何しろ基礎なのがありがたい(^∇^)
なんかパッとしない時はカンタンなことに戻るべし、というのが色川武大さんの教えなので、その意味でもドイツ語の学び直しはだいぶ気が楽。
このぶんで行くとショーペンハウアーさんの原書に辿り着くのがいつになるかわからないけど、それはそれで良し。だいたい『意志と表象としての世界』は中公クラシックスでも3巻本、そうひょいひょいと手に取れるものでもない。
ネットで引くと原文も見られるのだけど、簡潔平明、達意の文章という雰囲気。ブラウザ上で3巻本を読むのでは話がムチャクチャだから、折をみてショーペンハウアーさんのことは思い出していきたい。
その前にミヒャエル・エンデのDie Unendliche Geschichteがもう一度読んでみたいところ。こりゃショーペンハウアーさんは遠いぞ( ´ ▽ ` )ノ