(佐藤亜紀さんの小説に、ヨーロッパ貴族のご夫人が洋服を受け取った際、「お代はいつごろ頂戴できるでしょうか?」と尋ねられて憤死するというビックリエピソードがあった。ヨーロッパの変動期が舞台だったけど、「洋服の値段が払えないかもしれない」という質問は、以前はあり得なかったんだなーと記憶に残った)
大抵のものは「自作」できると気づいた昨今、「洋服も自分で作れないかな?」と考えることに。
というより、「売っている服だと合わない」「欲しいと思う服がない」など、これも現実的な制約から関心がスタートしてるので、その意味ではピコピコと全く一緒。
よくよく考えたら、「既製服」なんてものはなかったわけだし、言ってしまえば「オーダーメイド」だけが唯一のの選択肢だった。それも「自分で作るしかない」という。
森薫さんの『乙嫁語り』を読んでたら、持参品の縫い物一式を年単位の時間をかけて用意するということで、そりゃ「売ってないものは作るしかない」よなぁ、と。
プロのアスリートの体つきなんか見ていると、「服はどうされてるのだろう」と思ってしまう。売ってる服の「S, M, L」では、どー考えても体型にフィットしないだろう。
水泳選手なんか顕著だけど、上半身は筋骨隆々でウエストは細いから、体の部分部分でサイズがぜんぜん違う。
逆転の発想をすれば、「S, M, L」という「共通サイズ」を考えた人は実にスゴイ、ということなんだろう。身長体重骨格が同じ人なんてまずいないのに、とりあえず「S, M, L」で分けちゃったんだから。
それでコストダウンはできたから良かったけど、「体型に合わない」モンダイは解決されたわけではない。「それなら作ってみようか」と考えたのがそもそもの始まり。
オーダーメイドでなんかを仕立てるとなったら、ワーオというお値段になるけど、自分で作ったらその辺はどうにかならないものか。
あとは自分のシュミとして、なーんにも装飾がないのが良いから、そういう装飾を省いた衣服なら、ゴス!なやつより作りやすいのでは?という目論見も。
多分、作れないと思うんだけど(^∇^)。「やってみる」ことはムダでないし、むしろ「やってみない限り、服を作るコストは理解できない」とも思うから。
その辺をちゃんとフォローしたいなー。だってそうしないと、「買う服がない」「買っても体に合わない」「オーダーメイドはワーオ」がグルグルするだけだからなー。