(タカヤマ本でちょいちょい紹介されるドゥニ・オリエさん。『フランス文学事典』の編著もされてる由。由どころか、ずいぶん前に現物を見たのだけど、当時はフランス文学にそこまでの関心なかったのと、あとは単純にフランス語を真面目にやる前だったからか、チラ見した段階でお腹いっぱいだったな。ボリュームプラスその迫力でいまだに覚えてるのだから、スゴイ本なのは間違いない)
最近はフランス文学をちょこちょこ追っかけて読んでるんだけど、回想録やら社会時評とか、単純に歴史的にエピソードが集まってきて、アレアレ?と思うことが。
小説は19世紀フランスで頂点に達し、みたいなことがよく言われるけど、19世紀のフランス文学はペース早くない?という印象。
こっちはフランス文学はまずヌーヴォーロマンから入って、あとあとフランスのマンガ作品(BD)や、自分でも絵を描くようになった関係で絵画にも興味持ったけど、「正統的なフランス史」がアタマにまるでない。
それでも色々の関心からパズルのピースが集まってくると、超大御所!と扱いを受けてる人と、期待の新星!の登場がせいぜい20年とか、それくらいのスパン。
例えばヴィクトル・ユゴーさんなんか、押しも押されぬ巨匠と扱われてるけど、あれ? この新人と時代が被ってるの?なんてことがちょいちょいある。
バルザックとスタンダールが同時代人だったんだと後で知ったけど、フローベールさんの手紙をなんかの機会に読んでたら、バルザックには好感を持っただろうけど、金銭の話ばかりで美について一行も書いてないのでガッカリした云々。
それがなんか、現代日本から芥川龍之介の話をするような距離感で書いてあったので、ハハァ、バルザックさんはずいぶん前の人だったんだと思い込んだら、全然違うとか。
もっと単純なことで言えば、1789年のフランス革命ほどではないものの、コミューンレベルの闘いは頻発してて、当たり前だけど政権が始終交代する。
交代するのはいいとしても、それが共和制と王党派で、どっちがどっちの立場なのか混乱してくるんだな。昔は◯◯を信奉してたけど、××があって考え方が変わったとか。
ユゴーさんなんかはその点がまだわかりやすいけど、政権の立場にある人が、ンン? 王様なの? それとも議会を開いたの? クーデターはどっちがどっちに起こしたの?なんて。ハテナマークの連続。
これが150年スパンであるなら、ああなってこうなった、それでこの人が出てきた、みたいに追いつけるんだけど、ことフランスに限って言うと、1800年から1850年までの間にそんな情報がギューっと詰まってる。
イギリスならピューリタン革命から200年がかりのような話を、フランスでは50年に圧縮されるのではたまったものでない。
前に映画関係の研究会にお邪魔した際、「自分用の映画年表」というのを見せてもらってビックリしたことあったけど、フランスだけでそういうのを作ると案外面白いかもしれない。
「ありもの」を「おぼえる」のではつまらないけど、「年表を自分で作る」のは楽しそうな作業。松岡正剛さんの『情報の年表』を下敷きにやってみようと画策したりしなかったり(^∇^)
年表には着手してないけど、19世紀の作品はやたら地名が共通して出てきたりするから、仕方がないので『地球の歩き方』でパリの地図だけドーンと拡大コピーして、そこに作品中の場所を蛍光ペンで書き込んだりしてる。
何してるのかなーとは思うけど(^∇^)、なんでも「面白がる」方が楽しいので、そこのところは所ジョージさんよろしく「なんでも面白がる」が大事な気がしてならない。
そういうマップとかタイムライン(年表)があった上で、オリエさんの文学事典とか読むと、また印象違うんだろうなぁ。巨大すぎて手に負えなかったからなぁ、あれ。