(「人文系で一番影響を受けた作品は?」と言われたら、即思い出すのが阿部謹也先生のお仕事。ヨーロッパ中世の歴史を扱って、価値観の変遷から何から、明治以降の日本の話まで繋がる長大な射程に大ショック。コレクション趣味のない自分が全著作を追っかけた珍しい例。作品に出会った時期も良かったんだと思う。『中世の星の下で』はちくま学芸文庫から税込1,404円にて発売中)
サイエンス方面の3ポイントは分かったものの、それに当たるヒューマニティーズの3ポイントがなんなのか、いまだにわからないという(*´ω`*)
サイエンス方面はヨソから入っていった形なので分かりやすかったんだな。言葉も文化も違うところに旅行に行ったら色んなものが珍しく、その土地の人が「当たり前」にしてるものが自分には新鮮、みたいな。
じゃあというので自分の文化圏(ヒューマニティーズ)に戻ってきたところで、その魅力がなんなのかわかんないという。当たり前なものに気づくのはムツカシイ。
おさらいとして、サイエンス方面が大事にしてる3点を挙げておくと:
1.計測可能である
2.社会的意義がある
3.実現の可能性がある
これがサイエンサーたちの大きなモチベーションになってるっぽい。言われてみるとナルホド、という。
先年から「理系と文系ケンキュー」に気合を入れてたから、「片方のアプローチを真逆にすると、その分野の最適アプローチになる」と気づいたので、さっきの3点を逆にすれば良いーー
と思ったんだけど、これがけっこう難しい。仕方がないので自分が影響を受けたヒューマニティーズ方面の人名やら著作などを並べてみて「なんか共通点ないかな」と探すことに。
それでやっと1つだけ分かったのは、「ものの見方を変える」じゃないかな。こうすると、「社会的意義がある」の反対ベクトルは埋まる気がする。
1.???
2.ものの見方を変える
3.???
阿部謹也さんの仕事と、バーバラ・スタフォードが自分にとってはその最たるもの。
阿部謹也さんはヨーロッパの中世史をやり、その上でヨーロッパと日本の関わりから何から「当たり前」を突き崩す爽快感が凄かった。阿部謹也ショック! 100メガショック!(龍虎の拳、古い^_^)
で、第2のショックはスタフォード。それまで言葉しかやってなかったこっちが「これからは絵をやろう!」と即決心したもんな。
爾来幾星霜というやつで、これからは絵を描けないとどうにもならないゾ、という予感が的中し、本当に助かっている次第。
タカヤマ御大の訳者あとがきに「スタフォード菩薩」とあったけど、「神さま、仏さま、スタフォードさま」状態(´∀`) 稲尾和久さんもビックリだ。
お2人の仕事はどっちも本であり、考えようによっては文章でしかないんだけど、それがニンゲンの行動を変えちゃうからスゴイ。阿部謹也さんは世界観を一撃で変え、スタフォードさんは次の日から即絵の練習をさせてしまった。
ここまで書いてきて思ったけど、阿部謹也さんが講演録の中で言ってたけど、「教育の目的は人間を変えることだ」とハッキリ言ってたから、それを敷衍すると、「人文系の目的(のひとつ)は、その人間(の価値観や行動)を変えることだ」と言えるのかも。
でもこれでやっと1ポイントが埋まっただけで、サイエンス方面に対応するあと2項目は「???」のまま。
自分のノートにまとめた人名を見ると、「Edmund Wilson、本居宣長、吉田健一、福田恆存、高山宏、柳瀬尚紀、吉増剛造」というゾーンあるんだけど、これは「精神的支柱」ってメモってるものな。
じゃ「精神的支柱」ってなんなの?と思うんだけど、これがサッパリ分からない。ひとつ言えるのは、「なんだかなー」(©︎阿藤快)な状態になると必ず読み返すのがこの人たちというのが共通してる。
自分は洋書をたくさん読むけれども、Edmund Wilsonが例外で、あとはみんな日本人の書き手。やっぱりココロの落ち着きとかそーいうのは母語である必要があるのかな、とかとか。
サイエンス方面の収穫はサクサク持ち帰れるのに、ことヒューマニティーズ方面は馴染みがありすぎてサッパリ掴めないというのはトホホ感があるなぁ。まあでも、調べていくと「それだ!」というタイミングが来るので、気長にチェックしてこ( ´ ▽ ` )ノ