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「タカヤマ学派ってなーに?」のギモンに応えてみる? 自分なりの「タカヤマ学派」観(その2) ( ´ ▽ ` )ノ「タカヤマ学派にピコピコやってる人が多いのはなぜか」というところで終わってしまった(その1)の投稿、今回はその解説編ということで。 調べることがあり『日経NETWORK』のバックナンバーをひっくり返していたら、なぜ南アジア方面でピコピコラーを目指す人が多いのか、それに関する話が掲載されていた。 世界的に「職業選択の自由」がある国ばかりではない、また、「職業選択の自由」が法律には謳ってあるけど、実際問題として伝統や文化的な風習の束縛強くて、「実質的にはないです」という地域も多いとか。 そうした時に、既存の職業だと伝統や風習の影響を受けざる得ないけど、新しく出てきた分野であればそうした束縛にはあたらないそうな。それでピコピコラーが憧れの職業なんだって。 そのこととタカヤマ学派とどういう関係があるかというと、多分その「既存の◯◯の影響を受けにくい」という点じゃないだろうか。 前回、アカデミー内よりアカデミー外にタカヤマ学派が集まりやすい傾向あると書いたけど、実際、「実証主義」的な研究スタイルとタカヤマ文化史の適合性がモンダイになるんじゃないかな。 こうした要素を見ていくと 「南アジアでは伝統文化の影響で選択の自由がない」:「飛び切り新しい産業ならその制約ない」 = 「実証主義的な研究スタイルではタカヤマ文化史を扱いにくい」:「飛び切り新しいピコピコ界ならその制約ない」 と、A:B=C:Dの関係が成り立つような。 もちろん、伝統やそれまでの慣習の中で重要な仕事をする人は本当にスゴイと思うけど、タカヤマ文化史の場合「Aの連想でB、Bの連想でC...」とドンドン話題が連鎖していくので、「1つの分野に固定して考える」方面では息苦しい面も。 むしろ、A, B, C...と連想して行ったら、Xのところまで来て実はAと繋がっていた! 文化史ってスゲー‼︎みたいな驚きがあるから、「新しい分野にチャレンジし続けたい」(悪くいえば「飽きっぽい」^_^)人にピッタリ。 あとは前回話に出たタカヤマ学派のネットワーク云々という観点からも、ピコピコ界は相性良いのかも。 自分がピコピコで一番ありがたく思っているのは、「その場にいなくてもいい」ということ。 つい先日、フランス仲間から重たーい調べ物の話が打診され、もしそれが「ピコピコなし」だったら、現地に行かなくてはいけない。もちろん行っていたらその調べ物期限に間に合わないんだけど(^_^) ところがピコピコをちゃんと使えば、アチラの仲間からの相談を日本で受けて、網をフル活用して調べ物を完了させ、期間内にアチラの仲間を手伝うこともできるーー 「その場にいなくてはできないこと」もたくさんあるけど、「その場に行かなくて済むならその方が良い」こともソコソコある。そうした面でピコピコの恩恵はあるかな、と。 そうやって考えると、知識とか情報というのは特にピコピコと親和性高いから、「高山宏というキーワードから生み出されるネットワーク」+「新しいことに次々とチャレンジ」+「よくよく考えたらタカヤマ御大はアントルプルナー気質」などの要素が結集するのかな、と。 ビジネスの世界だと、それこそAを試してイカンかったらB、さらにダメならC…と、とにかく瞬発力でつないでる側面が。一個ダメだからもうオシマイだー!となっていたら、一週間に何度もオシマイダーが来ちゃうし(´∀`) 当然、アイディアがそうポコポコ浮かんでくることもないけど、そうした時に「タカヤマ学」は「役に立つ」んだな。アイディアってのは既存のものの組み合わせ方次第だよ、って。 棚橋弘季さんのお仕事を見ていると、そうした「タカヤマ学の発想自体をパッケージにして、普遍化しよう」ということを目指してるのかな、と思われる。普遍化、つまり「誰でも使えるようにしよう」みたいな。共有財産として。 ビジネスの世界は回転早くやってった方が精神衛生上ケンコー的な面あるから、考え方が固まっちゃうのが一番のキケン信号かもしれない。 自分のレベルで見ても、1980年代には「誰もが欲しいもの = クルマ」だったのに、30年間かそこらで「どうやって売ろうか」みたいな話になってしまう。ちょっと前まで誰もが欲しかったモノのに?!みたいな。 じゃあMとかBとかつく流行りの先端はどーなの、というと、時としてアレも考えものダナーと思わされることも。 なぜかというと、MとかBとかのつくものホールダーさんの話を聴くと、AさんもBさんも同じよーな話し方になっちゃうんだな。 具体的な目的を設定するのはいいんだけど、それが明日と明後日と、みたいな超のつく短期間の話ばかりだから、回転が早すぎるのも考えものだな、なんて。 そうした時に、タカヤマ文化史を持ってくると、おお、数百年単位の歴史的なスパンが手に入る!というので、一気にモノが見やすくなる。少なくともも1世紀単位でモノの関連性が見えるから、有難いことこの上ない。 今でこそピコピコの真っ黒画面に命令を打ち込んで直接操作してる自分も、「二進法はライプニッツから」とタカヤマ御大の著作を読んで知ったわけだし( ´ ▽ ` )ノ こういう「短期的・高回転・新規性」のある分野ほど、タカヤマ文化史は有効なんじゃないかな。なので、現状、誰しもが十分使いこなすツールにはなっていないピコピコの世界で、その意義づけに腐心する人ほどタカヤマ文化史ありがとう、ってなるような。 (その2)がまたやたら長くなったけど^_^、気が向いたら(その3)も書いてみようかな。自分としては初期の『アリス狩り』シリーズより、『奇想天外英文学講義』などから入ったクチだから( ´ ▽ ` )ノ
by ulyssesjoycean
| 2019-02-25 12:00
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