(高山宏×巽孝之の対談で「また少ししたらやっぱり人文学とか言い出すのは目に見えてる」云々という話があったけど、ホントにそういう書籍がベストセラーになるのだから色々考えさせられる。こっちとしては「どっちが大事」ではなくて「どっちも大事」だと思うんだけど。でもまあ、確認します( ´ ▽ ` )ノ)
クリスチャン・マスビアウという、どの言語圏の作者さんなのかも判断しかねる書籍が平積みになってるようなので、心中フクザツ。
片方に振り子が触れると、もう片方に反動が行くのは自然な成り行きだというのは知ってるけど、こうハッキリ「人文学こそエライ!」的な口調が出てくるとはナー。
とはいえ、こうした書籍は編集サイドのビジョンが色濃く反映されるから、実際には予想と違うところも多々あるだろうけれど。
最近ロシア思想に興味あるせいか、それこそ当時グズグズだったロシアで鬱屈を抱える青年たちが熱狂したヘーゲルのごとく、「Synthese」を目指す方向はないもんかなー。
2018年に「理系と文系のハンモーク」をテーマにやってきたけど、実際にやってみると「お互いのアプローチが真逆だから、片方を軽んじる傾向うまれる」というのだけは分かった。
数学やピコピコやってると頻繁に出くわす「細分化」思考、これが語学に進むと「細かいことにはとらわれるな」が金科玉条になるのだからやりきれない。しかも困ったことに、「双方とも正しい」という。
「理系・文系」のこういうところが、テーゼ、アンチテーゼそのものなので、その2つを合わせてジンテーゼするやり方はないもんかなーと。
いま考えついたものとして、「両方が参加できるちっさなモンダイ」があるといいのかな?という。
前に好奇心について調べてたら、心理学の実験を行う最中、両クラスがケンアクなムードになってしまい、これはいけない、なんとかしなくてはというので「共通のモンダイに取り組む」を実施したそうな。
それはキャンプ場だったか、とにかく野外の実験だったから、割合に「共通のモンダイ」は見つけやすかったみたい。この道を塞いでる石をどかして通りやすくしよう、とか。
アレだな、「理系・文系のハンモーク」ほ、もしかして「共通のモンダイ」がないからこそ解消されないのかな? キャンプ場で道を通りにくくしてる石をどかすのは、AチームさんにもBチームさんにもプラスになることだから。
長くなるばかりなのでそろそろ止すけれども( ´ ▽ ` )ノ、リケー・ブンケー双方の利害が一致して、かつ双方が取り組める共通のモンダイを見つけられればいいのかも。
文章を書いてると、こういうことを「思いつく」のだからありがたいな。あとはせっかくだから、この『センスメイキング』も読んでみよ。