(プルーストを原文で読んでる人は本国でもレッドデータアニマル並みの扱いみたい。そりゃそうだろうと思うんだな、日本語ネイティブで『源氏物語』を通読してる人がほとんどいないのと似たようなものの気がする( ´ ▽ ` )ノ)
哲学オモシロイナーと、人文方面では哲学書ばっかり読むようになったけど、この人イイナーと好感を持つようになったのがこの3人。ヒュームとキルケゴールと、ショーペンハウアー。
三人とも「文章家」なのが特徴かも。デンマーク語は分かんないけど、キルケゴールさんの文章は人をグイグイ引っ張っていくし、ヒュームさんの英語は実に分かりやすい。
で、ショーペンハウアー。3人の中では一番の達人だったんだろうと思う。ドイツ語の名文として名高く、話も実に分かりやすい。
ショーペンハウアー先生はあの強烈すぎる見た目(アンド髪型)でイメージが先行してたけど、実際に本編を通読したら、「厭世主義? どの辺が?」という感じだった。
実際、ご本人は「厭世主義」という言葉は一度も使ってないそうだし、主著を眺めてみても、厭世的な面は微塵もなかった。むしろ、原理は原理として受け止めて生きていくのをどう考えるか、的な。
キルケゴールさんもエヴァ由来で『死に至る病』とかを先に知っちゃったけど、本編を読んだら全然そんな話でなかった。最晩年の別な作品読んで、涙を流したりしたものな。そのあたりからキルケゴールファン^_^
ショーペンハウアーさんもそんなイメージ先行で損をしてたみたいだけど、今回腰を据えて読んでみたら、途中からずーっと頭を離れなかったのがマルセル・プルースト。
プルーストが『失われた時を求めて』の中で書いてるようなことが、まんまショーペンハウアーさんの本に出てくるという。
なんだっけ、過去を再発見した喜びがどうしたとか、自分の著作は建築物と同じだからこの形式にする他なかったなどなど、まんまプルーストじゃね?なんて文章がいくつも見つかる。
フツー、プルーストが一番影響を受けたのはイギリスのジョン・ラスキンになってるけど、ラスキン読んだ時よりショーペンハウアー読んだ時の方が「直接の影響」を感じたナー。
こっちは別にプルーストのセンモンカでも何でもないし、『失われた〜』もなーんか気になってしょうがない作品としてたまに読むくらいで、愛読とは程遠い。
プルーストさんは相当な凝り性でもあったから、影響を受けまくったショーペンハウアーのことをサッと隠しておいた、というのも考えられなくはない。そのくらい似たような内容があるんだもの。
前にどうした弾みだったか、プルーストの書簡集を買ったことがあるから、この機会に再読してみるかな。作品では言ってないけど、手紙の中ではショーペンハウアーに言及してるかもわかんないし( ̄∀ ̄)