(グスタフ・ルネ・ホッケの次くらいの頻度で各種タカヤマ本にて言及されるハーマン・メルヴィル。メルヴィルというよりは、その作『白鯨』だけれども。本ってオモシロイナーと深入りする過程で、この千石英世訳の講談社文芸文庫も見知ったのだけど、面白さが分かるのは今の今だというのだから何とも仕様のない話。千石英世訳『白鯨』は講談社文芸文庫から上下巻、一冊あたり税込2,268円にて発売中)
タカヤマ御大が仕切りに引用〜言及するハーマン・メルヴィルの『白鯨』。白いクジラを追っかける北米捕鯨船団のやつ。
波乱万丈の大スペクタクル作品かと思いきや、冒頭からアレコレの引用やら何やらがあり、途中にはクジラ学あり、さながら百科事典という趣き。
それでまあ、冒険活劇を期待して手に取ったら、実物はエライ違うなーと読み手をたじろがせる作品として、ヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』と双璧かもしんない。
自分の場合、それよりもっとヒドイ付き合い方で、「安かったから」という身も蓋もない購入理由。読み始めた頃は、中身より何より、Thouとかtheeが頻出する古風な英語にビックリという感じ。
一応通読した気もするけど、不思議とずっと手放さずに本棚の一部に収まって、一年に何度かポツポツ読むために取り出すのだから、「何かある」作品なんだと思う。
で、それが今回、千石英世さんの訳書の存在を思い出し、イソイソと読み始めたらやっとビシッと作品世界に入れたのだから世話はない。
でもまあ、やたら物知りなボルヘスお爺さんが「世にツマラナイ本はない、それは単にまだ読むタイミングが来ていないだけだ」なんて気の利いたこと言ってたから、まずそういうことなんだろう。
文学作品にも相性あるらしく、自分が読んでて一番「しっくりくる」のはイギリス18世紀の作品。平易かつスピーディーな18世紀の英語に接すると、生命力の力強さを感じる。
その次くらいがフランスの小説で、その次その次へと思い出して行って、最後の最後に来るのが「アメリカの小説」という感じ。なんでかなー?
ヘミングウェイやフィッツジェラルドの作品も、先日パラパラとめくってみたけど、なぜか入っていけないというのが正直な印象。やっぱり相性ってあるのかな、というのをアメリカ文学に触れるたびに感じる。
内心そう思って長いこと来てしまったので、ここでメルヴィルにビシッと来たのは自分でもちょっとビックリ。米文学の巨人というくらい、メルヴィルの存在が代表的だから。
これで味をしめて、もしかすると長いこと素通りしてしまっているトマス・ピンチョンにも入門できるようになるかもしんない。
ジョン・バースの『サバティカル』も、たまーに思い出すんだけどどうなんかな。あれもなんか船の上で大学教授のご夫妻がなんか延々と話をしてた、というのは覚えてるんだけども。
案外アレも、メルヴィルへのオマージュだったりするのかな。あとここまで書いてきて思ったけど「メルヴィル」Mervilleはフランス語のMerveilleが由来なんかな。
この辺り当然のごとく、タカヤマ御大が文章に草してらっしゃるんだろうけど( ´ ▽ ` )ノ