(「隠れタカヤマ学派」と呼びたくなるような人が、どの分野にも必ずいるらしい。これまで建築については「まあなー」という関心だったけど、今回はじめて名前を知った渡邉研司さん、バリバリのタカヤマ学派のようだ)
調べることがあってアレコレ建築の本を手に取ったら、なんか聞いたことのある書名を挙げる書き手が見つかる。
リチャード・オールティックの名前を知ってる建築学の人なんているんだ、と思って巻末の参考文献一覧を見たら、ビンゴ! 小池滋先生ほか、「都立大英文」の名前がゴロゴロ。
当然、「高山宏」の名前もその一覧に見つかるわけで、これで急に「渡邉研司」という方のお名前が親しいものになった。
ーーそれで思ったんだけど、このところ「タカヤマ文化史をパブリックにするにはどうするか」というのを考えていて、タカヤマ文化史そのものよりも、「タカヤマ文化史をキーにしてできた交流」の方に意味があるんじゃないだろうか。
前に伊集院光さんが言っていたけど、テレビと違ってラジオは聴いてる人が少ない分、「あなたもリスナーだったの⁉︎」ということがものすごく大きな共感を呼ぶそうな。
ある種タカヤマ文化史も「人文学の深夜ラジオ」と言えなくもない(^o^) たまに何かでキーワードが出ると「もしかして」と思う感覚。
前に人工のintelligenceがどうしたとか機械が覚える覚えないという話を拾って行ったら、その著者もタカヤマ学派くさい。最新のピコピコの世界にも読者がいるのかとビックリ。もちろん確証があるわけじゃないけど。
ある種タカヤマ文化史をパブリックにするためには、こういう「隠れ学派」をゆる〜く連帯することが大事になってくるのかもしれない。ニンゲン、「紹介ベース」の方がなにかとスムーズだし。
言ってみれば、自分の現在の交流の何割かが「タカヤマ文化史」キッカケなわけだから、こういうのをもうちょっと意識的にやってく方法はないかなー。
ぜんぜん未知の世界に空手で飛び込むより、そこに知ってる人が一人でもいるとだいぶ気がラクになる。でもそうそうどこにでも知人がいるわけではない。
そういう時に、「タカヤマ文化史」みたいな共通項があれば、直接知り合ったわけじゃないけど、ある意味「本を通じた知り合い感覚」を持つことができるんじゃないかな。
これまで、人的ネットワークというと、ついつい「直接見知った相手」みたいなベースを考えてたけど、そうか、著作みたいな「人じゃないもの」でも共通のベースにはなるんだ、と。
ただワンときてピース!みたいな何百万と読者がいるものだと、それこそ共通項なキハク化しちゃう。その意味で「タカヤマ文化史」はちょうどいいボリュームゾーンなんだろう。
この辺り、追っかけてくとなんか面白そうなヒントがありそうなので、その記録という意味も込めて書いてみた次第。
いや不思議なんだよね、「リチャード・オールティック」という名前が見えただけで「オー、この本は面白いに違いない!」なんて思ってしまうんだもの( ´ ▽ ` )ノ
この気分には何か大事なことが含まれてる気がするーーという直感があったので、この「知的関心の共通点」は追っかけたら面白いんじゃないかな。ただ困ったことに、何を調べたらこんなココロの動きについて発見できるかわからないけれども(^∇^)